夜歩く / 『嗤う田中』シリーズ

日南田 ウヲ

第1話

「あの女子高生・・結局死体として見つかったらしいな。殺害場所は運河に掛かる橋の膝をついて潜らなきゃ進めない、あの小さな抜け道。殺害時間は深夜らしいが・・」

 田中は目の前で煙草を吸っている津久毛つくも竜二りゅうじに声をかけた。

な」

 津久毛が言う。

「また?」

答える田中。

「ああ、そうだよ」

 田中が小さく目を走らせて素早く応える。自分達が居る休憩ルームの他の誰かに聞かれたくない様だった。

「記憶では二度目だったか・・な」

 津久毛は田中に答えてからうーんと眉間に皺を寄せて灰皿に煙草を押し付けて火を消した。

 消した後の灰が、クーラーの風でひらひらと舞っていく。

 今日二人は職業安定所に来たその帰りである。地下街の自動販売機と簡単なテーブルが置いてある休憩所で二人、何とはなしに呆としていた。

 実は二人、共に同じ会社で働いていたが、津久毛が五月に、田中が翌月にそれぞれ退社した。

 安定所で聞かれた退社理由?

 そんなこと簡単。


 ――なんとなく、だ。


 それ以外思い浮かぶことがない。互いに四十代後半の中年、ただこれから何もすることなく老年を迎える前に何を思って会社を退社したのか、そんな身内の視線が冷たい。

 しかしそれでも、なんとなくなのだ。

 安定所で二人顔を合わせると暑さを避けようとクーラーの効いた喫茶店にでも行こうかと思ったが、無駄に金を使うこともあるまいと、二人自然にここにやって来た。

 先客は数人居た。そのうちの誰かが呟いたのだ。


 ――A区の女子高生、死体で見つかったそうだな。


 それを背で聞きながら、思い出したように田中が津久毛に向かった呟いのだ。

 ただ津久毛はひどく億劫そうに首を触った。

「まぁ・・だけど関心があんまりなくてね」

 言ってから津久毛に目を遣る。

「そうかい?」

「だね」

 津久毛は額に吹き出ている汗を手で拭った。それだけじゃない、汗がシャツの襟首にびっしょり付いているのが見えて不快になった。

 それを見て田中が言う。

「なぁ、津久毛・・・君さぁ暑くないか?」

「なんで?」

「いや、だってさ。僕なんか暑すぎて、見ろよ、丸首のシャツだぜ」

 指で自分の首を指す。

「なんだって襟付きの長いシャツを着てるのさ。汗かくだろう?寒がりなのか?」

 それを聞いて津久毛が笑う。

「そうか、知らないんだよな?俺さ・・実は腕に刺青があんのよ。刺青が?」

「何?マジか?」

「そう、それを隠すため夏でも長袖なの」

 田中は驚いた。初めて聞いたことだったからだ。

 実は二人とも市内にある有名な税理士事務所で働いていた。 

 互いに税理士である。今日の職探しもどこかの税理士事務所へ就職できればな、という希望で来たのだが、田中は今はじめて津久毛の告白を聞いてぎょっとした。

 税理士と言えば社会的地位がある職業ともいえる。

 それが刺青持ちであるということはいかがなものか?

 確かに昨今はタトゥーということで市民権を得つつあるかもしれないが、しかし世間は未だそれらに対して都合悪く思っているのが世間の隠れた人情であるといえる。

 眉間に皺を寄せながら、顔を引きながら津久毛に言った。

「やめとけ?そんなもんは、君のキャリアに傷つくぞ」

「そうかい?」

 津久毛がせせら笑うように答える。

「そうだ」

 田中は真面目に言う。鼻から溜息をついて田中は言った。。

「まぁ・・それは個人の自由と言われれば何とも言えないが・・」

 間を措いて言う。

「しかしそのシャツ姿はあまりにも暑苦しいぞ」

 これ見よがしに嫌な顔して田中は津久毛を見る。

「まぁ、そんな理由だからよ。見過ごしてくれ」

 津久毛の笑いに田中は頷いて「まぁいいけどな・・」と言ってから煙草を吸う横顔を見た。

 この男、どこか風采が上がらないようだが実は頭がよく切れる。

 その為、依頼人も多く良く仕事もできた。会社を辞めると聞いた時、はじめは驚いた。次いで独立でもする気か?と聞いたが、何でもない、と言う。


 ただ・・


 ――ストレスが溜まった。だからやめる。

 

 それだけだ、と言った。

 田中には次へステップした気持ちが長年あったから会社を辞めたが、津久毛にとってはストレスが溜まったことが原因でやめたという。

 人が聞けばすごく子供みたいな理由であると言える。

 だがストレスと無縁の者が居るだろうか。ストレスと向き合わなければならない現代に生きる我々はいかなるものだろう?

 

(ストレスねぇ・・)


 ――そんなもん、うまく付き合って発散すればいいものを。

 それは田中が津久毛から退職理由を聞いた時、真っ先に思ったことだ。

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