第3話

 大原が、平井さんと付き合うことを知った。

 その幸せを黙っていられないかのように、彼が友達にそう話しているのを、聞いてしまった。


 顔が思わず歪みそうになるのを、必死に堪える。



 僕は、彼が好きだった。

 本当に——心が壊れてしまうかと思うほどに。



 周囲に気づかれないように注意しながら、いつも彼を見ていた。


 休み時間の楽しげな彼、弁当を美味しそうにがっつく彼。

 数学の授業で、頭をグラグラ揺らして居眠りする彼。

 サッカーグラウンドで、研ぎ澄まされた表情でボールを追う彼。


 少年のように無邪気な笑顔。

 怒った時の凛々しい眉間。

 ぐっと力を込めた時の、逞しい筋肉の浮き上がった腕。

 骨ばった手の甲と、長い指。

 形良く引き締まった、ワイシャツの背中——


 その全てが、仕草の一つ一つが、たまらなく苦しく胸を締め付けた。



 あの眼差しと笑顔を、自分だけに向けて欲しい。

 あの腕に、強く抱きしめられたい。

 あの背に腕を回し、力一杯抱きしめたい。



 決して叶わないのだ。


 ——僕が、「男」を辞めでもしない限り。



 改めて、そんな思いがキリキリと身体中を占領する。



 勝手に湧き出してしまうこんな恋心は、一生胸の奥深くへ葬り続ければならない。

 想いを告げるどころか、そんな想いを胸に抱いたことさえ、その相手に知られてはいけないのだ。


「お互いが向き合えるか」を、確認してから——それからでなければ、恋をしてはいけない。

 そして——叶わない恋など、最初から大事にしちゃいけない。

 どうせ、その人が他の女性のものになっていく瞬間を、ただ黙って見ているしかないのだから。

 これからも、きっと、ずっと。


 こんなバカみたいな決まりごとを——なぜ僕が。

 なぜ僕だけが、守らなければならない?

 心がじりじりと火に炙られるような苦しみに耐えながら。




 何とか自宅へ辿り着き、部屋へ駆け込んだ瞬間——どっと涙が溢れた。

 親にさえ話せない、果てしなく重い秘密。


 両親とも仕事で帰りは遅い。

 ひとりきりの空間で、誰にも見せられずに抑え込んだ感情が堰を切って激しく胸を叩く。



 神様。

 なぜ、僕は————



 頭を掻き毟りながら、気づけば僕は声を上げて泣いていた。




 どのくらい、そうしていただろう。

 ベッドに突っ伏し、つい眠り込んだ枕元で、スマホの着信音が響く。



「——はい」


御園みその?』



「…………」


『俺。長澤。

 ——友達から、お前の番号きいた』



「……えっと……

 ……何で……」


『お前、今日午後からずっと様子変だったろ。

 ちょっと気になってさ』



「——……」



 恋人ができたという大原の話を聞いてから激しく凹んだその様子を、気づかれていた。

 長澤に。


 この悲しみの原因は、絶対に知られちゃいけない。


「……い、いや、別に大したことじゃ……」



『——あのさ。

 もし間違ってたら、ごめん……怒らないでほしい。


 ……御園って、もしかして大原のこと好きだった?』



「————」



『お前の様子見てれば——

 というか、俺が勝手に気づいただけだけどな。

 なんか、変なとこ鋭いっていうか』



 長澤は頭が良く、カンもいい。

 今更、みっともなく誤魔化すなんて無理だ。

 きっと、ますます惨めになるだけだ。


「…………

 長澤、頼む。

 このこと、誰にも——」


『言うわけないだろ。

 言わないよ、絶対』


 電話の奥で、穏やかに温かい声が響く。



『お前も知ってるかもだけど……

 俺、好きだった子が昔事故で死んじゃってさ。

 なんか、女子ネタで盛り上がるあいつらの中に入る気になんないんだよな。


 ……なあ。お前の気持ちとかお前の話、俺に聞かせてよ。もちろん、人には聞かれない場所でさ。

 代わりに、俺の話いろいろ聞いてくれたら嬉しいんだけどな』



「…………長澤……

 それ、マジで言ってる?」


『ははっ、お前面白いな。冗談でこんな話するかよ』



「……」


 普段冷たくてとっつきづらい印象の、あの長澤が……こんなふうに、僕を気にかけてくれるなんて。

 思ってなかった。これっぽっちも。


 けれど今は、悲しみでぐちゃぐちゃになった心に、何だかたまらなく温かいものが湧き出している。



「——ありがとう……長澤」


 新たな涙が溢れそうになり、慌ててぐっと押さえ込んだ。


『ならさ、明日は二人で昼メシ食おうぜ。誰も来ない……屋上とかで』

「え、あそこ立ち入り禁止だよ。先生に怒られるって」


 思わず、自分の口から小さな笑みが漏れる。

 さっきまで、あれほどの絶望感に押し潰されそうだったのに。



 恋を失った痛みは、多分簡単には消えない。

 それでも——そんな苦しさを受け止めてくれる温かい友人が、側にいてくれる。



 まるで、重く垂れ込めていた雲から不意に青空が覗いたような——

 これまでに感じたことのない明るい喜びが、僕の心に広がり始めていた。





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