二年A組! 魔獣転生
鷹角彰来(たかずみ・しょうき)
ああああ! 虎になってるぅ!!
楽しかった修学旅行は、ついに最終日を迎える。
富士山を背景に記念写真を撮る。俺のクラスは十人だけで移動の支持が楽だ。
「甲野【こうの】と己村【こむら】と壬木【じんぎ】は一番後ろ! 残りは好きな位置でいいぞ」
高身長の男子達が一番後ろに立ち、仲良し女子三人組が真ん中の台に乗る。最前列の台に座るのが、俺と残りの生徒達だ。俺の左隣におかっぱ頭の癸戸【きど】、右隣に角刈りの乙山【おとやま】が座る。
「先生、十人で行くの最後だね。寂しいなぁ……」
いつも明るい癸戸が語尾を弱めて喋る。
「そうだな。辛谷【しんたに】のバカが学年末頑張ってくれたら、来月も一緒だったのにな」
辛谷を一瞥すれば、わざとらしくアクビをして目を逸らす。奴の目の隈は、勉強と違う努力をしていたことを物語っている。
「ちょっと壬木。後ろで変なことしないでね」
「アンナ様より目立つのはダメですよ」
「へいへい、わかりましたぁ」
丙内【へいうち】アンナの取り巻きのぽっちゃりな庚武【かのたけ】とガリガリな戊川【ぼかわ】に釘を刺されても、壬木は飄々としている。細いキツネ目で表情が読みとれないが、確実に奇妙なポーズを取るだろう。
壬木の右隣の甲野は野球部主将らしく直立不動の大真面目な姿勢を保っている。左隣の己村は髪を整えて顔の角度を調節する。彼はアンナを狙っているが、ナルシストが災いして避けられている。
「明日から勉強漬けか…、ふぅ」
乙山が眼鏡をふきながらつぶやく。俺が見たところ、彼が旅行を一番楽しんでいたな。無理せず頑張ってほしいものだ。
「私に成績負けていたら、医大なんて夢のまた夢よ」
癸戸の横で腕を組んだ丁遥子【てい・はるこ】が冷たく言い放つ。彼女は学年一位の成績で、最も東大に近い。いつもモナ・リザのように腕を組んでミステリアスな笑みを浮かべている。そういえば髪型も似てるな。
「はるちゃん、一緒にウインクして映ろー」
「いいね。私は右、癸戸さんは左の目をつぶる?」
「こらこら。記念写真なんだから、目はしっかり開けろよ。いいな?」
不思議におっとり系の癸戸とツンツン系の丁は馬が合う。今回の旅行もお揃いのグッズを購入していたな。
「はーい。今から撮りまーす」
カメラマンが手を挙げて撮影が始まる。俺は顔を引き締めつつ、口元を緩める。
「カメラマンさん、アンナを美しく撮ってね」
アンナはツインテールに金箔をまぶし、顔を日本人形のように白塗りして準備万端だ。さすが金持ちはやることが平民と違う。
「は、はい。じゃ、始めますよー」
いつもの写真撮影が始まると思ったら、いきなりカメラのシャッター音が耳の鼓膜を突き抜け、フラッシュが目の前を真っ白に変えた。
意識が白濁する中で、「死」の恐怖が全身を麻痺させて何もかも消し去った。
***
目覚めた場所は見渡すかぎり、赤や黄の原色の木々だった。どうも富士の樹海と違うらしい。ここが俗に言うあの世だろうか。
恐る恐る歩いてみれば、変な植物以外は何も見つからない。動物のフンや虫一匹も見当たらないのだ。
「ここを通らにゃいかんとは、嫌じゃなぁ」
おや、近くに人の声がする。俺は声のする方へ走っていく。何だか体が蒸し蒸しするな。木々を抜けてみれば、西洋風の鎧を着た人が金属音を立てて歩いていた。
「すいませーん。ここはどこで」
「ひゃあああああ! も、モンスターだぁ!」
「誰がモンスターだ! おい、ちょっと待て!」
「おっ、お助けぇ!」
男はとても鎧をまとっているとは思えない逃げ足を見せた。まったく、この俺をモンスターと見間違えるとは、どんな目をしてんだ。今まで塩顔の俳優に似てると言われたことはあるが、モンスターはさすがになぁ。
それにしても、何故か汗が止まらないから、ハンカチで拭おう。ハンカチで額から鼻にかけて拭っていく。おや、俺の鼻はこんなに突き出ていたか。今朝剃ったばかりのヒゲが、ギターの弦のごとく細長く伸びている。そういえば、口がいつもより大きく開けられる気が……。
もしや、今の俺の顔はバケモノじみているのか。ポケットのスマホを取り出そう。やはり圏外か…、カメラ機能は使えるな、よし! カメラを自撮りにすれば――。
画面には、動物園で見たことある顔が映っていた。白い毛並みに、黒の縞模様、ピンクの鼻、口からはみ出す牙。俺の顔はホワイトタイガーだ?
「う、嘘だろ…、夢?」
口の開閉を繰り返せば、画面の虎も同じように動く。手の甲をつねってみたら痛い。白い産毛がびっしり生えて、変化し始めている。
「なんとか人に戻る方法を探さないと……」
とは言ってみたものの、見知らぬ場所で奇妙な変化が続く中で、平常心を保つのは難しい。このまま「山月記」の李徴のように一匹の虎に堕ちるなんて…、気が狂いそうだ。パニックか獣の本能か、とてつもなく叫びたくなる。
「ううう、グオオオオオオオオ!」
腹の底から叫んだら、不思議に冷静になってくる。ここで虎やモンスターになっても、しかたないことだ。問題は変身後にどう生きていくかだ。
「せ、先生ですかぁ?」
間延びした声の方を見れば、角の生えた癸戸と首が伸びた丁がいた。彼女達がいるとわかり、俺の不安が少し和らいだ。
「そうだ、俺は干田【かんだ】だ。二人ともここにいたのか」
「ああ良かった。私達だけじゃなくて」
「何をのんきなこと言ってるの。このまま変化が進んで、本物のバケモノになるかもしれないのよ」
丁はふくらんだ鼻をこすりながら冷静に指摘する。
「そうだな。先生は白虎だが、君達は――」
急に癸戸の制服のボタンが弾け飛ぶ。彼女の服は叶姉妹が逃げるほど膨らんでいた。
「き、きつい、ヤダー」
彼女は頬を染めて両手で隠そうとしたが、余計に胸がはみ出して卑猥だ。下半身は教師の自制心で耐えたが、上半身は我慢できない。Yシャツに切れ目をつけて、腕の筋肉があらわになる。絨毯の白毛にアリの列みたく黒の縦縞を走らせる。
「ハァハァ。丁は大丈夫か?」
「私のことは気にしないで下さヒン!」
丁は前歯をむき出して答える。彼女の額からは三角コーン状の角が出て、体の各所に白毛が生えだしている。
「ここ学校じゃないから、脱ごうよー」
「き、癸戸! それは、あの、うーん」
服を着ていたら窒息死しそうなほど、筋肉が膨張している。俺は上半身裸になってもいいが、彼女達は未成年ながら成熟した肉体を持っている。犯罪ラインだ。迷う俺を尻目に、丁が癸戸の制服を脱がし始める。俺は背を向けて彼女達の声だけ聞く。
「は、はるちゃん、やめてよ、モウ!」
「こんなに大きいのは初めて見るわ」
大きいおっぱい? とてもそそるワードだが、絶対に見てはならない、絶対に、いや、チラ見ならいいか?
目だけ動かして後ろを見れば、丁の両手によって黒いビーチボール二個がぽよんぽよんと弾んでいた。
俺の頭は沸騰し、Yシャツはこま切れと化した。
「あら、干田先生も裸になって。なら、私も脱ごうかしら」
丁は舌を出して制服を脱ぎ出す。俺は開き直って、彼女たちの体を全身で見る。癸戸の爆乳だけ視界に入れないように。生徒に欲情したら、変態教師の烙印を押されてしまう。
「はるちゃんの体、キレイだねー」
「ダンスやってるから細マッチョよ」
丁の体はアスリートのように洗練され、特に三角フラスコのくびれは見事だ
俺の方は腹が少し出て、おや、六つに割れているじゃないか? ハンマー投げの選手並みの太い腕に、この腹筋は嬉しい。誰も見てなかったらマッスルポーズを取りたいな。ああ、すでに丁が両腕を上げている……。
「この筋肉はどこからもたらされたのかしら。昨日の夕食に変な食材が入ってなかったと思うけど」
「そんなの知らないよー。先生、これはどうやったら元通りになりますかー?」
採点間違いの答案のように、その巨乳を俺に近づけて見せるな。ミノタウロス風の彼女からは、いいお乳が出てくるかもな。一回吸ってみたいものでちゅねー。
いかんいかん、生徒の乳を吸う教師なんて! 必死に首を振って危ない妄想を消そうとしても、彼女のおっぱいが視界に入る。ハッ、下半身がきつくなってきた。Hなことと真反対のことを考え、894(白紙)に戻す遣唐使、1185(いい箱)作ろう鎌倉幕府、11081(いいおっぱい)吸いたい、あほっ!
ズボンが裂けて、獣毛に包まれた両脚が現れる。競輪選手のようにたくましい脚に、女子二人は見惚れてしまう。
「あぁ…、先生セクシー!」
「硬い筋肉ともふもふの欲張りセット、これはクセになりますね」
目を開ければ、膝をついた二人が俺の脚をなでている。最初は穏やかなタッチだったが、丁はこしょばすように、癸戸は卓球ラケット状の広く長い舌を出して舐めてきた。
「おい、二人とも変なことはやめなさい」
俺は丁の腕と癸戸の鼻をつかんで引き離す。丁の腕は鉄筋の柱のごとく堅く、癸戸の鼻は水のりのように湿っている。
丁は不服そうな顔を見せた後、すぐさま奇声を発して、
「ヒィヤアアアア! 先生、私達はもう女子高生じゃなくて、モンスターなんです。校則を押し付けないで!」
彼女の右脚が俺の腹に直撃する。草原を駆ける馬相応の蹴りは、俺の体を宙に浮かべた。叫ぶ時間すら与えないまま、飛んで、転がり転がり、頭が何かに当たる。
筋肉クッションのおかげでケガなしだが…、苦手な仲良し三人組の顔が見えた。彼女達は二人三脚の格好でくっついていた。
「なぁに、このむさ苦しい猫は?」
「俺だよ。担任の干田だ!」
「先生もここに来てたのか」
「先生、アンナ様と私達を離しなさい!」
戊川が出っ歯でかみつくように命令する。どうやら、庚武とアンナと戊川は手首と足首がくっついている。ボロボロの制服は、肌にちぎれ絵を作る。鼻は黒ずみ、肌の至る所に黒の短い獣毛が生えている。
背後から彼女達の肩をつかんで引きはがそうとするも、一ミリも動かない。逆に彼女達の体が混じり始めている。
「ああ、アンナ様と一緒になってしまう!」
「満更でもないクセに」
「こいつらとくっつくなんて嫌だし、ワケわかんない」
三人は犬のごとくキャンキャン吠える。六本の手が四本に、四本の手が二本になり、三つの頭を残したまま一つの体になってしまった。三つの頭はひとまとめにならず、ひっきりなしに喋り続ける。
「ちょっとぉ、勝手に尻尾をつかまないでよぉ」
「えっ、私じゃありませんよー」
「誰でもいいじゃん……」
冷めた口調の庚武が振り返って俺を見る。アンナ愛が強い戊川と違い、彼女はさほど忠誠心がないようだ。
「三人とも落ち着け、誰がどこを使うか決めればいいだろ」
「アンナ様の右腕として、右手と右足を使う!」
「ハァ、じゃ、あたしは左手と左足ね」
「さすがアンナの召使いね!」
真ん中がアンナなので、問題なく決まった。ものぐさな彼女は二人の手を借りて生きていくのだろう。そんな彼女達は鼻口が伸びて、手足にタイヤまわりの筋肉がつき、人間離れし始める。
俺は彼女達を連れて、牛馬が待つ場所へ戻る。これでクラスの元女子生徒は全員集合だ。
「さっきは悪かったな。ここは学校じゃ、って、おいおいおい!」
馬獣人が牛獣人の乳をしぼって、飲んでいた。とても美味しいのか、何回も飲んでいる。しぼられて興奮した癸戸は片方の乳を俺たちに向けて、噴水のごとく牛乳シャワーを放ってしまう。俺は屈んでとっさに頭を守る。
「いやぁ、気持ち悪いー!」
俺は両腕だけで済んだが、アンナガールズは顔中に濃い牛乳を付着していた。生の牛乳の臭さが漂い、金持ちのアンナは歯を鳴らして震えている。
「よくも、アンナに、こんな汚いモノを、ウウウ、アウォーン!」
アンナ頭は怒りで獣化が進み、耳が上に移り、ナイフよりも尖る牙が出て、目が赤く吊り上がり、ドーベルマン風の顔になる。くの字に開いた口から炎が飛び出す。
「危ないっ」
俺は牛馬をかばおうと前へ飛び出す。力を込めた両腕を顔の前で交差すれば、血管がぼこぼこ脈打って筋肉が肥大する。
死を覚悟して目をつむったが、全く熱くない。再び目を開ければ、自分の体が氷に変化していた。筋肉隆々の氷の彫像の俺は滑稽だが、実に誇らしい気分だ。
「わー、先生かっこいー」
「あ、ありがとうございます」
二人が頬を染めて感謝する。牛馬の顔なのに妙に興奮してきて、後ろからムチ尻尾が飛び出す。
「私たちの攻撃を邪魔するとは! アンナ様、もう一回やりましょう」
戊川は元前歯を光らせて吠える。
「ヒエヘヘヘヘヘヘ」
「アンナ様?」
アンナは頭を揺らしてからくり人形みたく笑い続ける。人の名残はツインテールのみ、自慢の美貌が失われたことがビッグバン級の衝撃なのかもしれない。
「戊川、あたし達も変化した方がいいよ。アンナだけ犬頭なんてかわいそうだし」
「そうね…、変化するの嫌だけど、愛するアンナ様のためなら!」
四つの目が俺を睨み、二つの口が開け放たれる。俺は再び体中を氷に変えようとしたが、間に合わないっ!
「ちょっと、ま、待って」
「「ウウウウウ、アウォーン!」
「あっ、コラ、あああああああああ!」
骨折した時以上の痛みと痺れが俺を襲う。
「あぁ先生! えっとえっと、えいっ」
癸戸が牛乳をかけてくれたが、炎が消えるワケないって。余計に炎の勢いが増して氷を溶かし始める。
俺は死ぬのか? こんなところで……。
「俺に任せろ!」
野太い声が聞こえると、レーザー状の水流が股間にかかる。炎は次第に小さくなり、鮮やかな紅の男根が姿を現した。すんでのところで俺は助かった。
木陰から出てきたのは、口元と上半身だけモンスター化した甲野だ。頭がクラス唯一の坊主頭なのですぐわかった。彼の鼻は横に広がり、口から牙がはみ出している。上半身は競泳水着のように青くつるつるで、は虫類に似ている。
「甲野、ありがとうな」
俺はやけどした箇所を氷で冷やしつつ感謝の意を示す。
「これで、二年A組全員がモンスター化した可能性が高まったようね」
「モンスター化どころか、ここは異世界かもしれん」
「異世界? じゃあウサギさんやカピバラさんいないの?」
癸戸はごつい手で鼻を押さえ、涙と汗と鼻水を飛ばす。
「ちょっと甲野。いいかげんなこと言わないでよ!」
庚武が目を吊り上げて言う。
「さっきまで俺は川の中に身を潜めていたが、一つ目の鬼や花頭の人や巨大なオオカミが水を飲みに来てたんだ。地球じゃあり得ない生き物だろ?」
なるほど。森の中の変な植物や西洋甲冑の人物は、異世界に来た証か。
「そんなモンスターに対抗できる筋力と特殊な力を持てたのは幸いね。先生が氷、丙内達が炎、甲野が水なら、私と癸戸さんも何かの力を持ってるようね」
「えっ、私も何か持ってるのー?」
「そうね…、草食の牛なら草属性とか?」
丁は鼻の大きい馬面でも、知性があふれ出ている。彼女達と最初に合流できたのは、不幸中の幸いだな。丙内達だと燃やされ、ゲーマーの辛谷なら…、想像するだけで怖い。
「ふぅん。じゃ、草を育ててみよ」
癸戸は乳頭をつかみ、黄緑の草々にミルクをふりかける。水やりのつもりか?
「草よ、伸びよのびよ」
彼女が諸手を挙げれば、草がロープのように伸びて、俺と甲野の体を縛り上げる。頭以外がミイラの格好で身動きが取れない。
「おいっ、早くほどいてくれ!」
「こっ、これは水じゃムリです」
「すっごーい。私にこんな力があるなんて!」
「他の皆の力も楽しみね」
牛馬は完全に俺達のことを無視してる。不憫に思った庚武が小さな火を放ち、草結びの力を弱めてくれた。
「あちっ、あち! 甲野!」
「任せて!」
彼は鼻の穴を広げて空気を吸い込み、マーライオンのように水を噴射する。体の火は消えて、灰と化した草がぼろぼろ落ちる。
俺は癸戸を説教するため、拳を作ったが――。
「グアオオオオオオオオオン!」
「ひいっ!」
瞬時に俺は草むらに身を隠す。他も地面に伏せている。これほどまでにモンスター達をびびらせる咆哮を上げる奴はただ物じゃない。
「先生、多分あれはクラスメイトだと思う。何か嗅いだことのある臭いがきたから」
「声はあっちの岩山からよ。行ってみる価値はありそうね」
丁が鼻で差した山は凸凹していて登りにくそうだ。人間なら躊躇するが、マッチョな怪物なら平気だろう。
「よしっ、皆であの山の頂上を目指そうか?」
俺が先生らしい得意げな顔で言えば、皆は黙ってうなずく。野獣の輝く眼光たちが俺を見ている。
***
俺は寝転がって、犬みたいに舌を出している。
岩山に何度も登ろうとしたが、途中で乳酸が全身に回り握力がなくなってしまうのだ。他も同じく、この岩山を登りきる猛者は現れなかった。
「鳥の羽持ってる奴がいたらいいのにね」
「そんな都合のいい奴現れるワケないでしょ! ああ、アンナ様ならヘリコプターを持ってくださるのに」
「ここはアンナの父さんもヘリコプターもない世界だって、バカワ!」
「バカワじゃなくて戊川よ! 燃やしてやるぅ」
犬頭同士のケンカを見ていると、余計に疲れがたまる。丁の言うとおり、鳥系モンスターが現れないものか。おや、地面が横に揺れている、地震か?
「なっ、何かが来る?」
揺れと足音が大きくなる。木々が倒されていく。かなり巨大な生物が近づいているようだ。俺達は立ち上がって敵襲に備える。
「アンナちゃーん!」
それはジンベエザメみたいな大口を開けて飛び込んできた。見た目は灰色のオオカミだが、戦車の大きさだ。
「かわいそうに。君もモンスターになり果ててしまったんだね」
オオカミは青い宝石の瞳を潤ませる。ハネた黒い前髪から、己村とわかる。彼はモンスター化しても、つやつやの美しい毛並みを持っていた。
彼の問いかけに対し、アンナは舌とよだれを垂らして壊れた笑いを続ける。
「あれ、どうしたんだい? 返事がないなぁ」
「今のアンナ様は正気を失っているの」
「アンナ、君と同じイヌ科になれたのは運命だ。僕は君を救える唯一の天狼さ」
彼が背中の毛を逆立てると、電気のバチバチ音が聞こえてくる。俺は本能で危険を察知し、甲野とともに地面に伏せた。
バリバリバリバリゴローン!
近くの木々が真っ二つになる。三頭犬にも落ちて、黒焦げのアフロ頭と化した。犬の体は沸騰するかのごとく、あちこちにこぶが出来て膨らんでいく。丸太んぼうの体を二本足で支えるのは難しくなり、両手が地面に着いて前足に変わる。
「あれ? はぁ? 何でアンナ達は四つんばいになってんの!」
意識を取り戻したアンナは側近頭に尋ねるが、首を横に振られるだけだ。己村はアンナの頭に手(肉球)を軽く置いて、やさしく語りかける。
「アンナちゃん、君はケルベロスになっても美しい」
「ふざけんな! アンナのツインテール台無しにしたクセに!」
怒り狂うアンナは己村の鼻を燃やす。彼は引っくり返り、負け犬の鳴き声を上げてのたうち回る。俺は甲野の背中を叩いて、あごで燃える鼻を差す。
「わかりましたっスゥー」
リザードマンの水鉄砲が、炎の黒団子にかかる。たちまち火は弱くなり、鼻まわりの毛が黒くちぢれただけで済んだ。
「己村君の体使えば、あの岩山に登れますね」
「先生、己村をもふもふしていい?」
牛馬コンビが魅惑的な体を揺らして近づいて来た。
「あっ、そうか。岩山の猛獣を確かめに来たんだな」
「どうぞどうぞ。みんな、この僕の体を使ってくれたまえ」
己村オオカミが山に寄りかかれば、あっという間に登れた。
***
岩山の頂上には、またもや魔獣と化した生徒がいた。
壬木の顔とライオンのたてがみ、逆三角形の胸襟、サソリの尾を持つ合成獣【キメラ】だ。
「何だてめぇら? 俺とやりあうってか?」
白目の壬木はうなって拳をポキポキ鳴らす。正気を失っているのか、演技かわからないが、生徒同士でケンカさせたらいけない。
「壬木、お前と戦いたくて来たわ、ぐわっ!」
急にヘルメット大の拳が俺の顔面を襲う。この威力だと顔が平面になっちまう。壬木の腕が大理石の柱みたく太く硬く長くなっていた。瞬間的にドーピングしたのか?
「弱い奴には興味ねぇんだ」
壬木は不敵に笑って、左腕も筋肉肥大化させる。
「せっ、先生、大丈夫ですかー?」
「俺が相手しましょうか?」
「いや、俺に任せてくれ」
生徒の協力ナシで格好良く決めたい。俺は鼻血をなめて、精一杯の険しい表情を作る。壬木は大きな両腕で顔を隠す。正攻法なら分が悪い。
俺は地面に手をついて、氷の波を想像する。氷よ出でよ、氷、おお、いくつもの霜柱が壬木の足もとへ。なすすべもなく彼の体は半分氷漬けになる。
「うおっ、何だ、これは?」
氷はひじに達し、拳を動かすのもままならない。俺は岩を踏み台にして飛び上がる。彼の脳天目がけて氷の拳をぶつける。
「喰らえ! 氷の鉄槌【アイス・ハンマー】!」
こっぱずかしい技名をつけてしまったが、効果は抜群だ。壬木の腕は元のサイズに戻り、氷も砕けてしまった。さらに彼の顔中にライオンの茶色い獣毛、背中にコウモリの黒い翼が生えて、キメラ度が上がった。
「あれ? ここ、どこ? 何でトラがいるの?」
「しっかりしろよぉ、壬木ちゃん」
子猫のように盛んに首をかしげる壬木を見て、皆で大笑いする。魔獣になっても、おちゃらけた糸目の壬木で一安心だ。
「みんな、ここにいたんだ。探し疲れたよ……」
空を見上げれば、眼鏡をかけた鳥人が羽ばたいている。それは南国の海の青羽、ライオンの茶色い胴体と尻尾を持つ。腹回りだけ短毛なので、割れた腹筋が確認できる。
「おう、乙山か。これで残るは辛谷だけか」
「いいえ、全員集まりました」
乙山の眼鏡が光ると、空にたくさんの魔法陣が出来る。そこから風が吹いて、俺達を吸い込もうとする。
「なっ、何だ、これは?」
「いやぁ! やめてよ乙山!」
岩を必死につかむが、魔法陣の吸引力が強いため、岩ごと体を持っていかれた。魔法陣の中央に体が溶け込み、数字と文字の螺旋を越えて、どこかへ飛ばされた。
***
目覚めれば、シミ一つない純白の壁、七色に光るシャンデリア、ルネサンス期の名画、緑で統一された植物を飾る大広間に立っていた。機械的な女性の歌声のみが、この大豪邸に似合わない。
この館の主は、魔法の杖を指で回しながら現れた。黒のタキシード姿の辛谷である。
「これはこれは、二年A組の皆さん。俺様の神秘の館へようこそ」
彼は威厳を高めようと、わざと低い声で喋る。
「何であんただけ人間のままなのよ!」
「ケルベロス嬢よ。その件については、こちらから説明しよう」
辛谷は動く度に自分のまわりに小さな星々を輝かせている。その効果は鼻筋の整ったイケメンがやるならともかく、細目のブサメンがやるとひたすら寒い。
「実はこの世界に転生するのは俺様だけだった。写真撮影時に崩落事故に巻き込まれて死んだのは神様の手違いで、お詫びに三つの願いを叶えてもらった」
彼は左手をかかげて指を立てていく。
「一つ目は、異世界の俺様が最強クラスの魔術師になること!」
乙山は口ばしを閉じてうなずく。
「二つ目は、クラスメイトと先生もここに転生させること!」
辛谷は三つ目を前に口角を上げる。
「三つ目は、クラスメイト達をモンスター化すること!」
言った途端、皆の悪口雑言が始まる。
「よくも、アンナをモンスターにしてくれたな!」
アンナが炎を吐こうとすれば、隣の庚武と戊川も続く。火が口から放たれた刹那、甲野の水流にかき消されてしまう。
「ちょっと! アンナ様の邪魔しないでくれる?」
「ち、違うんだ。体が勝手に……」
「フフフ。愚かなモンスター達よ。俺様はお前達を操ることが出来る。水を出すなら草、草を出すなら炎で止めてやろう」
辛谷は高らかな大魔王の笑いをし続ける。教室では、ついぞ見なかった顔だ。寝るか、苦虫をつぶした顔の記憶しかない。
「なら、この建物ごと壊してやるよ!」
巨狼の己村はウインクしてから、壁に体当たりする。シャンデリアが揺れて、塗装がポロポロはがれていく。
「フェンリルには罰を与えよう」
奴が杖を振れば、己村の鼻がピノキオみたいに伸びてブサイクな顔になる。
「なっ、何だ、これは? ぼ、僕の美しい顔が、ウオオオオオオ!」
己村は滝のような鼻水と涙を飛ばしてわめく。
「鼻でかフェンリルよ、お前は一生、自らの醜い顔に嘆くがよい」
「辛谷、ちょっとやり過ぎだよ」
「黙れ、グリフォン!」
己村が怒鳴ると、乙山の胸筋がたわんで膨らむ。そしてバニーガールの服に包まれる。
「ちょっ、あっ…、女の子……? イヤン」
乙山は赤面しながら柱を使ってリンボーダンスをし始める。
「俺様に逆らう奴は、さらに醜い姿に改造してやる。さぁ、ケダモノ達よ、互いの親睦を深めるために、お尻の匂いを嗅いで舐めるのだ!」
うう、体が別の意思で動かされる。両手を床につき、尻を突き出す恥ずかしい姿勢を取らされる。腹筋や背筋に力を入れても、金縛りのようにびくともしない。
「それでは、ユニコーンが白虎のお尻を舐めるショーをお見せしましょう。散々俺様を馬鹿にしてくれたお礼です!」
「辛谷の人でなし!」
「丁ちゃん、あいつ倒してー」
丁は生気のないロボットの歩き方で、完全に操られている。彼女は俺の尻に顔をうずめ、舌でくすぐってくる。イヤン、やめて。甘える子猫の声を出しちゃう。
「先生に力を与えますよ」
俺の脳内に丁のささやきが入ってきた。この意思伝達方法はテレパシーか? そういえば、彼女だけ能力を隠していたな。能ある馬は蹄を隠すってか。
彼女の声が届いてから、体の細胞が活発に働いているようだ。腕や太ももは空気を入れたように膨らみ、血管が浮き出ている。破裂の衝動は体の隅々に届き、背中が盛り上がって、力こぶがいくつも付いて、超マッスルだぜぇ!
立ち上がった俺は二倍の身長だ。ゾウみてぇなぶっとい脚をちょいと動かせば、逃げる辛谷に追いつける。ゴリラの豪腕で殴れば、天井へドンだ。
「おのれ、よぐも! グリフォン、俺様をた、なっ!」
グリフォンより早く飛んだマンティコア壬木が辛谷の腹にサソリの尾を刺す。痛そうだな、それ。あわれ辛谷は真っ逆さまに転落だ。足だけ出した無様な着地は地図に面白いぜ。
「先生、ありがとな!」
「礼を言うなら、丁に言え。俺に力を与えてくれたかんな」
丁は腕を組んだまま鼻を鳴らして笑う。俺もつられて笑う。笑う間に俺のダイナマイトマッチョボディはしぼんで、元の体型に戻ってしまった。それでも、ボディビルダーにボクサーの筋肉を足したぐらいの量はあるが。
「先生、こいつはどうします?」
「丁、俺のことはタイガと呼んでくれ」
もう先生と呼ばれるのが恥ずかしいので、見た目のままの名前を付けた。
「タイガちゃーん、こいつ何か変だよ」
マンティコアはヘラヘラしながら、敗北者の辛谷を指差す。彼の髪の毛が抜け始めて、落ち武者からツルピカになった。肌が黒ずみ、服から針が飛び出す。彼の体が縮んで、細長い蛇状になる。いやヘビそのものだ。
「シュ、シュ、シュー?」
「あら。ヘビになっちゃった。マフラーにしちゃお」
マンチは極悪魔術師の成れの果てヘビをマフラーにして、キメラ度を上げた。
「これで一件落着っスね」
「先生、じゃなかった、タイガ。これからどうするの?」
皆の輝く瞳が俺に集中している。姿形は変わっても、やはり皆は二年A組の可愛い生徒たちだ。
「ああ。これが、先生として最後の指示だ。俺たちが元いた世界の犯罪行為以外なら、何してもいい。これから永遠に自由行動だ」
大広間に歓声と電撃と水流と草と毒と炎が飛びかった。
***
この森に来てから何年経っただろうか。
俺・タイガはヴァルハーグンの森の王として君臨している。森の平和を乱す者は氷漬けだ。
グリフォンは癒しの乳と復活の卵を用いて、傷病者を治した。副作用で羽が生えるが、一向に患者は減らない。彼女は森の名医だ。
ケルベロス三姉妹は密猟者の始末をしていた。煉獄の炎でアフロ頭の裸にして追い出し続けた結果、最近は仕事が減っている。彼女達がイライラしないよう、骨っこを与えてご機嫌を取っている。
ミノ子(ミノタウロス)はたくさんの友達を作って、秘密の花園でミルク会を開いている。彼女はたくさんの魔獣に告白しているが、意中の相手がいると断り続けている。誰のことだろう?
リザードマンは傭兵として各地で活躍している。知恵と投擲に加えて、兵士の水分補給係として大活躍している。
フェンリルの糞尿は大地に恵みをもたらす物として崇められている。電化製品を動かしたり、避雷針になったり、何かと便利である。また、彼の長い鼻は魔鳥の憩いの場である。、
マンティコアは遊び人として各地で騒動を起こす。その度に相手をサソリの尾で麻痺させ、コウモリの翼で飛翔し、スネークマフラーで人を縛り上げて金をせしめるようだ。いつか奴にお灸を据えねばならない。
ユニコーンは俺の右腕として活躍している。様々な電化製品や建築物は彼女の手によって生まれた。
机に肘をついて王宮の外を見ながら、皆を思い返してみた。この色鮮やかで妖艶な森を守るため、俺達は幾度となく力を合わせて戦ったものだな。
「何をぼやっとしてるの、タイガ。今夜は隣国の王様との大宴会よ」
ユニコーンの角が俺の背中をグリグリする。
「イテテ…、なぁ、俺達って、人間の時はどんな関係だったか覚えてる?」
「さぁ。色々あったので、忘れましたよ」
立派な筋肉があるものの、ふくよかな胸に長いまつ毛に中性的なテノール声は、彼が美女だった証に思える。俺の中で、彼は部下以上に大事な存在になっていた。
「なぁ、俺と結婚しないか?」
俺の突然の告白に、彼女は鋭い蹴りを頬に入れてきた。
「わっ、私はタイガとは、結ばれな、いや、うーん」
興奮した彼は室内の家具を騒がしく浮遊させる。俺は頬を氷で冷やしつつフォローを入れる。
「いいや、嫌ならいいんだ。お前に似合うのは俺以外にたくさんいるはずだ」
「違う! タイガは父として好きだけど、本当に好きなのは――」
「もしかして、私かなー?」
扉が開いて、ミノ子がひょっこり顔を出す。ユニコーンは押し黙って俺から目を逸らす。すると、長いオオカミ鼻が俺達の間に壁を作る。
「タイガ君、イルミネーション作ったよー」
窓いっぱいにフェンリルが顔を出していた。
俺が「よし。後で豚百頭あげるぞ」と言えば、怒涛のごとく部下が訪れる。
「水広場の設営完了したっス!」と、リザードマン。
「「「肉の火加減は?」」」と、ケルベロス三姉妹。
「救護用の布が切れてます!」と、グリフォン。
「なぁ賭博場を作ってもいいか?」と、マンティコア。
「シューシュッシュピュッシュー」と、スネークマフラー。
あああ、俺の愛の告白が台無しじゃないか! 俺は氷の拳で机を二つに割る。
「タイガ、落ち着いてよ。私は、ここにいる皆が好きなあなたを独り占めしたくないだけ。あなたは、私達「はじめの八匹」の父親なんだから」
ユニコーンの黒い瞳が俺を見つめている。そうだ、俺は魔獣の王様なのだ。彼らと心体両方でつながっている。それ以上の関係を望まなくていい。
「そうだな。俺が間違っていたよ、みんな。それにしても、「はじめの八匹」ってのはダサい名前だな。これからは二年A組と名乗るのはどうだ?」
「えー、何それー?」
「めっちゃ変な名前じゃんか!」
「どこからそんな名前出たのかしら?」
こうやって一斉に文句を言われるのが、愛おしくて懐かしく思える。俺は人間時もこんな関係だったのかな。
俺は右腕に力こぶを作り、牙をむき出して号令をかける。
「さぁ、ものども! 宴の準備を進めるぞ!」
部下は力強い返事と力こぶを作って応える。
これからも二年A組は止まらない。
(結)
二年A組! 魔獣転生 鷹角彰来(たかずみ・しょうき) @shtakasugi
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