第6話 モブお嬢様は先輩への想いを確かめました

 木漏れ日のような、父の手で頭を撫でられる瞬間が好きだった。


 目尻の皺が柔らかく刻まれて、言葉少なに「頑張ったな」と言ってくれる。

 父娘であり、当主と跡継ぎ。厳格な父と触れ合える時間が欲しければ、認めてもらえるだけの力を示す必要があった。


 父は私の憧れであり、その背中を見て育ってきた。

 褒められたくて、喜んで欲しくて、課せられた分以上の成果を出して、階段を駆け上がっていく日々は平穏そのものだった。


――その、普段と変わらない日に、崩れた。


 力なく倒れる父を前にして、私は気丈に振舞った。

 半狂乱の母がいたから冷静でいられたのか。主治医や祖父母が迅速に対応していく様を、固く目を閉ざした父の顔を、眺めていた事しか覚えていない。


 それきり父に会えない日々。

 跡継ぎとしての教育が厳しくなるにつれ、稽古事の一つ――空手に打ち込む時間が少なくなるのは正直堪えた。


 空手は、私の中で非日常で、無になれる時間。

 年が近かった二人の少年とは対戦する機会が多く、組手で張り合っては師匠に怒られたりした。


 やんちゃで驚異的な回復力をもつ『ミドリ』と、大人顔負けの技でノックアウトをかます『ジュン君』。

 運動のセンスがある二人とは一緒に面倒を見てもらって、少年部で黒帯を取るまでの期間を過ごしていたけど。互いの家事情とかは話した事がなかった。


 苦い思い出の中で、私はたしかに支えてくれる友人が傍らにいたんだな。

 まあ、空手をほぼ同時期に辞めてその後どうなったとか知らなかったけど…

 

――まさか、同じ学校に通っていたなんて…


 翠がそうだと言うのなら、『ジュン君』も同じ学園にいる?

 その話題には何故だか触れられなかった。元気でいてくれたらいいんだけど。



 徐々に浮上する意識の中、鮮明に残る悪友の姿に眉を顰めてしまう。


「昨日の今日だし、夢も見るか…」


 懐かしくも苦い思いが蘇ったのは、もしかして…と思った所で、被りを入れる。

 感傷的になるつもりはなかったのに、昨日の再会が夢を見させたようだ。


 壁に掛かっている新品のブレザーを見やり、昨日の事を思い出す。


 帰宅した私の元に、訳ありげに届けられた制服一式と、添えられた会長様のサイン入りのカード。渡りに船とはいえ、素直に喜べる筈もない。


 向こうは学園の生徒会長様である以前に、一財閥の御曹司。親衛隊や周囲から警戒される前に、どこかでこの借りは返そう。


 気持ちを切り替えて家を出た私はそのまま職員室に向かい、部活動とサロン、各申請用紙を提出した。



§



 学内の主な話題は生徒会や学内合宿、そして再来月に行われる体育祭。

 チラリと学内サイトを見ると、トピックスには『今注目の美少女・河永咲が親衛隊発足』、『今年の親衛隊ランキング中間発表』、『期待の新入生たちに直撃☆インタビュー』等々。


 気になっていた親衛隊ランキングをスクロールしていくと…



 1位 成瀬翠

 2位 志賀崎淳しがさき じゅん 

 3位 真瀬香月

 4位 あららぎ蒼良そら

 5位 京極きょうごくがく

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 :

 9位 羽馬拓翔



 先輩の名前を見つけて、胸の内がドクンと鳴った。


 全く会えていなかったから、先輩がこの学園にいると実感できていなかった。


 先輩はいるんだ。今日にだって会えるかもしれない。

 会いたい。一目でいいから。


♪~


 気持ちに引っ張られて頬が緩みかけた所で、手元の携帯が震える。


 ――礼緒さんからだ。約束の時間じゃないけど何だろう。



 §



 自然に囲まれた新緑が映えるガラス張りの食堂には、目的に応じたプライベート用の個室やレトロなカフェスペース、VIPルームが設けられており。

 私は礼緒さんから、急遽自習になった4限に集まるように言われ、渡り廊下を進んでいた。


 食堂の奥まった場所に並ぶなか、指定の個室前で生徒証を翳すと。解錠の音に続いて扉が開き、黒髪の頭がズイッと現れた。


「あ、枢木さん!どーぞっ、入っちゃってください!」

「え、あの?」


 背を押されるまま、礼緒さんとショートボブの少女の向かいに座らされ、私の右隣に座ったセミロングの彼女はニマニマと穴が開きそうなくらい凝視してくる。


「さて、集まった事だし、まずは注文しながら自己紹介しましょうか。」


 礼緒さんの隣が、難波愛莉さん。

 日焼けした肌と小柄でありながら引き締まった体つきの彼女は、陸上部で短距離とハードルが得意らしく、スポーツ推薦でこの学園に入ってきたのだとか。

 無口な割に、ズバズバと本音で話す様子は見ていて気持ちがいい。


 私の隣が、宮前香夏子さん。

 無造作に跳ねるふわふわ髪とドーリーなメイクが非常によく似合っている彼女は、有名パティシエの父とブライダル関連のファッションデザイナーを母に持つご令嬢。本人は少しも鼻にかけていない、見た目通り可愛らしい人のようだ。


 三人とも、入学してすぐ打ち解け合い、特に気が合う仲らしい。

 仲の良さに感心し、名前呼びを強制されるまであっという間だった。


 雑談をしているとそれぞれの注文分がウェイターによって運ばれてきて――


「積もる話もあるでしょうけど、ご飯食べながら耳を傾けてちょうだい。」

「え~、ご飯がまずくなる話ならパ~ス…――」

「大丈夫よ。かなちゃんが好きそうな、イケメンの話もあるから。」

「本当っ!?それは食事より大事!」


 途端に目を輝かせて耳を傾ける香夏子ちゃんに対し、愛莉ちゃんは箸でぐつぐつ煮立つしゃぶしゃぶ鍋や湯葉丼をつつきながら礼緒さんを見ている。


「今日で勧誘ウィークは終わるけど、今や学園内は最初の恒例行事――『体育祭』の話題で持ちきり。最大の魅力でもある親衛隊を持つ美男美女が矢面に立つのですから、仕方ありませんわね。合宿を間近に控える私達一年も出遅れる訳にはいきませんわ。」


 私も国産豚のハンバーグ定食の汁物に口をつけながら、とくとくと話す礼緒さんを見つめ、次の言葉に危うく喉を詰まらせそうになった。


「それぞれ気に掛けるべきは、保護対象とのイチャイチャ種目ね。参加希望が殺到しますから、取り仕切る親衛隊長の皆様は忙しくなるわ。」

「え、何それ!ご褒美じゃない!」

「ペア競技の二人三脚や姫抱き徒競走みたいに、過度なボディタッチがあるもので、お近づきになりたいと考える人は多いのよ。」


 不覚にも、むせた私は想像してしまった。

 先輩と肩を組んで息を合せながら走ったり、先輩の心音を聞きながら抱きかかえられたり…――って、親衛隊持ちの先輩とは難しいか。


「へへ、私は会長様にとびっきりの笑顔を向けられたら昇天しちゃうよ!」

「…香夏子ってば単純。」

「もおっ!あれだけカリスマも人望もあって、イケメンで財閥の御曹司とか、夢見たくもなるよ。あいちゃんはもう少しイケメンに関心持った方がいいよ!」

「香夏子みたいな子が沢山いれば、体育祭も動物園と化すのかもしれないね。」

「あいちゃんの意地悪ぅ!」


 ポンポンと言い合う二人に目を瞬かせていると、礼緒さんの手が割り込みヒートアップした会話が中断された。随分と手慣れてらっしゃる。


「かなちゃん、ひとまず種目決めの抽選券を渡しておくから、うまく利用してみて。上級生たちによる強奪戦がそろそろ始まるから心してかかるように。」

「!頑張るけど、どっちに転んでも気絶しそう…」


 抽選券。保護対象に該当する美男美女の相手枠をかけて抽選会があるらしく、かなりの激戦だと聞く。

 私も先輩と…なんて考えはしたが、最初が肝心なのだ。ただの追っかけと思われても困る。それくらい、この想いにも年季があって――

 

――そう。私は先輩に自分を知ってほしい。


 胸の内にわだかまりがあるからか、何だか言い知れぬモヤモヤが残る。


「愛莉は…大会が近いものね。体育祭にも身を入れてほしいけれど…」

「大丈夫。勝負事はは手、抜かないから。」

「ふふ、頼もしいわね。」


 講義というより女子会に近い会話は暫く続いた。

 礼緒さんは、私と二人を会わせるのが目的だったようで。昼休憩を半分残す頃にはお開きとなった。



―――

――――


 

 食べ過ぎを解消すべく校内を歩く私の耳に、遠くの歓声が入ってくる。

 運動部は大会を控えている所が多いから、練習中なのかもしれない。


 中庭に面した一階の廊下を歩きながら、考えていた。


「先輩は、普段学園に居ない…とか?」


 四六時中先輩の事を考えている訳ではないが、学内で単独行動をするのは先輩を探すためだったりする。

 どんなに根が優しく思いやりのある人だろうが、先輩は中学時代から授業をサボったり、女の子を引き連れて学内外でフラフラしたり…と、自由な人でもあった。


 高校に上がって行動が変わった可能性も捨てきれない。


 真っ青な空を見上げて眩しい太陽を眺め、自分の微妙な立場を恨めしく思う。


 幸城学園を選んだのは私の意思。それでも母方の実家への報告をして、何も言われなかった訳ではない。

 実家の力は借りず、でも跡取りとして恥じない行いをしなさい――だったか。


 本当なら、なりふり構わず先輩を探しに行きたい。


 段々足取りが重くなり、ついに立ち止まる。

 さっきまで穏やかだった風も荒々しく、木々を揺らしている。

 いつの間にか遠くの音も聞こえなくなっていた。



――… ――、どこだ! いたら返事しろ…!


 吹き荒れる中、誰かがそう呼ぶ声と同時に、目の前に見えていた太陽が一瞬見えなくなる。


 目の前を横切った人影を目で追い、ただただ目を開く事しかできずにいた。


「―――っ!!」


 すぐそこに、ずっと探し求めていた先輩の後ろ姿があったのだから。  

       

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サブヒロインに昇格したモブお嬢様は、問題≪フラグ≫を放っておけませんでした。 @eru_frbw8

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