第396話
ニーナがウィル達との話を終えてダンジョンの前に戻った頃には、出現後ゆっくりと高度を下げ続けていた浮遊城は地上から約50メートルの位置で停止していた。
その浮遊城から、ニーナが戻ったタイミングに合わせたかのようにラピスティとステラが舞い降りて来る。
「皆さん、お疲れさまです…」
そう言って会釈をするラピスティに、今はそんな社交辞令は不要だとニーナが食い気味に言葉をかぶせた。
「ラピスティ挨拶はいいから。急いだ方がいいんでしょ」
「はい、すみません。そうさせて貰います」
笑顔でそう返したラピスティは、くるりとダンジョンの入り口の方に向き直ると走っていく。
なんとなくその後ろ姿を全員で見送る形になるが、ラピスティが洞窟の中に入って見えなくなったところでステラが話し始めた。
「ディブ爺はヴァルズゲートから、ここら一帯に結界を張り始めてるよ…」
まずはそう言って、ひと呼吸おくとすぐに言葉を続ける。
「大体の状況は私も理解してるつもり。で、私の仕事は皆に一緒にやってほしいことでもあるんだけど、それはこのダンジョン周辺の監視と警戒…。防ぐべきは外部からの侵入、干渉、攻撃。ラピスティが最も懸念しているのは、ダンジョンが他からの影響を受けること」
「ステラ、それって…?」
問い返すことで詳しい説明を求めたエリーゼに、ステラがコクリと頷いた。
「高ランクの魔物、最悪は悪魔種やそれ以上の存在がやって来る可能性がある。そんな連中からもし今ダンジョンが攻撃されたら、シュン達が戻ってこれなくなるかも知れないという話…。ラピスティもまだ確信はないみたいだけど、今回の特殊な転移が発動した所には転移先との繋がりみたいなものが、おそらく残っているはず。そんな言い方だった。だから万が一にもそれが壊されることが無いように、何が何でもダンジョンを死守しなければならないということなの」
少しの沈黙の間に更に厳しい顔つきに変わったエリーゼがステラに尋ねた。
「魔物達は、直前に発生したあの魔力の波動で…?」
ハッと気づいた表情で大きく目を見開いたニーナが、それだとばかりに続く。
「あれが、魔力に興味を持つ輩の呼び水になってしまったのね?」
通常、ダンジョンが魔力を外に漏らすことはなく、それはダンジョンの階層が別の時空として形成され外部とは隔絶されているからだ。
特別な経路が設定されていなければ魔力、魔素は時空を超えられない。
現に階層を超えて行われるダンジョン内の魔物への魔力供給は、ダンジョンとの契約に近い形で生成された魔法的パス・供給経路を通じて実施されている。
もし豊潤に蓄えてられているダンジョンの魔力を得たいなら、ダンジョン内の魔物のように隷属的な扱われ方を良しとして契約を受け入れるか、最深部に到達してそこに存在するダンジョンコアから直接奪うしかない。
だから、魔力、魔素を好むとは言えフィールドに生息する魔物や悪魔種にとってダンジョンは割に合わず決して魅力的な所ではないし、そもそも魔力が外に漏れないせいでダンジョンの存在自体を知ることがほとんど無い。
しかし、今回のようにダンジョンから大量の魔力が地上にあふれ出てしまった場合はどうだろうか…。
ステラはダンジョンから溢れ出た魔力について言及したエリーゼとニーナ、二人を見て大きく頷いた。
「皆は発生源に近過ぎて規模が判り辛かったと思う。だけど、魔物の上位種だったり悪魔種以上の存在ならかなり遠くからでも感知できただろうというのが、現時点の見立てよ。大規模な魔力災害級に広い範囲で感知可能なものだったみたい」
ここまでのステラの話を聞いて、だからなのか。とニーナは納得した表情。
「フェルの一大事だから当然こうなるだろうと私は勝手に確信してたけど。ヴァルズゲートを持ってきたのは、そんな理由があったのね」
ニーナのこの話には、ステラは苦笑いを浮かべて応じた。
「いや。
と、ここでガスランがステラの言葉を拾い上げて疑問を呈した。
「ちょっと待って。フェルとラピスティのリンクが切れた?」
すぐにステラは、あっ、しまった。言い忘れてた…。
そんな顔に変わった。
「ごめん。それちゃんと言ってなかったね…。実は、モルヴィ含めた飛ばされた全員とのリンクが、ラピスティが転移だと感じ取った直後一斉に途切れたらしい」
「「「……」」」
「時空を超えて維持されるはずのリンクが一斉に…? どうして。どこに飛ばされたらそんなことになる?」
一連の会話を静かに聴いていたセイシェリスが、自問するようにそう呟いた…。
◇◇◇
そもそもこのダンジョンは謎が多く、加えて不可解なことだらけの転移。
これだけでも深刻なのにダンジョンの外も厳重な警戒を要する状況だと改めて認識した一同の行動は加速し、その後まもなくバステフマークの残りの四人とディブロネクスも加わった具体的な打ち合わせが行われた。
これに先立ってニーナは、ローデン騎士を始めとした大公家の騎士・兵士、冒険者ギルドから派遣されている調査チーム全員をジェムール村まで退かせた。
今の状況では到底ダンジョン調査どころではなく、ましてや危惧している最悪の事態が起きた時に守らなければならない人員が多すぎることにはデメリットしかないとしたセイシェリスの意見が色濃く反映されたものだ。
そして全員が行動を開始し、幾重にも張られた結界の内外、それに沿った巡回なども始めた頃には日没が近い時刻になっていた。
「こんなに早く警戒体制がスタートできたのは初動として大きいわ」
「浮遊城のおかげだね。結界張るのも早かったし」
この会話はニーナとティリアのもの。
ティリアは、今では隠蔽が施されて肉眼では見えなくなってしまった浮遊城が浮かんでいるはずの辺りを見上げている。
当初は広場の端に設営していたテントなどは、既にダンジョンの入り口の近くへ移してしまっていて、二人はテントの前で全員分の夕食の準備をしているところだ。
そのテントから、夜通しの見張りに備えて仮眠を取っていたガスランが出てきた。
くんくんと鼻を突き出すような仕草で匂いを嗅いで、嬉しそうな顔をしている。
「いい匂い…。ティリアの特製シチューだ」
そう言ったガスランには、鍋の前に立つティリアの上目遣いの微笑みが返される。
「ふふっ…、正解よ。今日のは一段と美味しくなってるはずだから期待してて」
「うん、楽しみ」
と、ガスランはティリアにニコニコ満面の笑顔を見せたが、次の瞬間にはニーナの方に顔を向けてこの場に居ないエリーゼのことを尋ねた。
「……ニーナ、エリーゼは?」
同じように微笑んでいた表情から明るさ成分が消えてしまい、ニーナは口をへの字に曲げてからダンジョンの入り口を指差した。
「……まだラピスティの所。今はセイシェも入ってるわ」
そんなニーナの表情を見て、ティリアも困ったような顔つきになってしまう。
そしてため息交じりで心配事を口にした。
「ふぅ…、エリーゼを見てるとなんか痛々しくて…」
「懸命に普段通りに冷静に振舞おうとしてる。実際、そう出来てるとは思うんだけど。今にも折れてしまうんじゃないかってね…。そこが心配」
親友のエリーゼのことが心配で堪らないニーナのこの話には、ガスランが頷きながら応じた。
「エリーゼも頭の中ではシュンは大丈夫だと理解してる。でも、こういう状況は喪失感が酷くて辛いみたい」
「それ、私とシュンがビフレスタに初めて飛んだ時からだったよね…。実はシュンも同じような喪失感を感じてたって後で聞いて…。ホントあの二人の絆って言うのかな。かなり特別だから…」
話を現在のことに戻すように、思案気だったティリアが彼女自身気になって考え続けている疑問を口にした。
「……今回も別の時空に飛ばされたと考えるのが自然なのかな」
「私もそう思ったの。だけどラピスティは、そこは否定的に考えてるみたいよ。異なる時空に転移したとは考え難いって、さっき話した時には言ってた。今やってる解析が進めばもう少しはっきりしたことが判りそうだとも言ってたから、それを待つしかないわ」
ニーナがそう言って、話にひと区切りついた丁度その時。
ダンジョン前の広場の端からステラの姿が現れた。
「「「……」」」
ニーナとガスラン、ティリアも合わせた三人とも言葉も無く凝視してしまう。
それは、ステラの横を灰色の狼がてくてくと歩調を合わせて歩いているからだ。
「ねえ、あれって…」
ティリアがそう呟くと、ガスランも呟いた。
「可愛くなってる」
「確かに」
「可愛い?」
訳が分からず二人にそう訊き返したティリアにはガスランが答えた。
「あれはフェンリル。ステラが従えた眷獣の内の一体」
「フェンリルって、ヘルハウンドより二回りぐらい大きいんじゃなかった?」
「この前見せて貰った時は、そうだったんだけどね…。へぇ、こんなに小さく可愛くなれるんだ。これだったら街の中に連れて入っても問題無さそう」
と、ニーナが感心しているうちにステラと注目の一匹は三人の元へ到着した。
ステラに寄り添うそのミニチュア・フェンリルは、日本でよく見かける柴犬より少し大きめで、野生の狼とは全く異なる高い知性を感じさせる瞳が印象的だ。そして、まさに灰銀という色合いだった美しい毛並みは、今は少し地味になった感じの濃いめの灰色。
ステラは、三人から熱い視線がフェンリルに注がれていることが判って、ニッコリと笑顔を見せた。
「ティリアは初めてだね。これが私の眷獣になってくれたフェンリル。ニーナ達もこのサイズになった状態は初めてね。この子は『グレイ』と呼ぶことにしたから皆もそう呼んであげて。賢くて優しいとてもいい子だよ」
◇◇◇
全員がテントの所に戻って来て、当然のように関心を集めたミニチュア・フェンリルの話題を中心に、大声を上げることなどなく抑え気味ではあるが賑やかな雰囲気の夕食の時間が終わりに近付いた頃。
エリーゼが探査に反応を感じて意識を集中させるように顔を上げると、ほぼ同時にステラも遠隔視を行使する仕草を見せる。
「北東から…。これは、おそらくキラースパイダー」
このエリーゼの判別結果に、ガスランが確認の問いかけ。
「一体だけ?」
「うん。今、探査で見えてるのは一体だけなんだけど、スパイダー種はテリトリーから出た時にはそういう個体が集まって群体化することがあるから、そこは要注意」
エリーゼはガスランにそう答えると、目の前のテーブルの上に広げられた地図の一点を指で示しているステラにコクリと頷いた。
椅子から立ち上がってエリーゼの後ろから地図を覗き込んだディブロネクスが、
「やはり、まだ結界の外じゃな。もう少し様子見でいいかもしれんの」
と、そう言ってエリーゼの頭に手を載せると優しく何度か撫でた。
その所作でディブロネクスの顔を見上げたエリーゼに、慈しむような微笑を浮かべたディブロネクスは続けて小さな声で言った。
「エリーゼ、探査は儂やステラとグレイにもっと任せても大丈夫だぞ。お前ばかりがそんなにずっと頑張り続けなくて良い」
このやり取りを見ていたセイシェリスは、解ったという風に笑顔で応じているエリーゼから視線を外すと全員を見渡した。
「……予想通り北東から。キラースパイダーが最初のお客さんというのは少し意外だけど、ここから東、特に北東方面は大陸の端までずっと未開の地が続いている。この感じだと何が来ても不思議ではない。全員気を引き締めて対処しよう」
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