第390話

 この不可侵の領域を生成している魔法に既視感を感じた俺は、レヴァンテに質問を投げてみることにした。おそらく彼女にとっては禁則事項のストライクど真ん中だ。


「レヴァンテ、もしかして魔王は精霊魔法が使えたんじゃないか?」

「……」

 俺からそう問われたレヴァンテは困った表情を浮かべるだけで無言だった。

 しかし、その沈黙は雄弁でもあった。

 申し訳なさそうな目の色で俺を見つめるレヴァンテの肩に俺はそっと手を置いた。

「いや、魔王個人のそんな情報は話せなくて当たり前だな。すまない」

「……いえ、こちらこそすみません」


 この少し気まずくなった空気を吹き飛ばしたのはフェルの普段通りの明るい声。

「シュン、レヴァンテを困らせちゃダメでしょ…。て言うかさ、そんなこと訊くってことはこれって精霊魔法なの?」

 悪かったよ。という思いを込めて俺はフェルのお叱りの視線に応える。

 なんだかまだ年端も行かない妹に叱られている情けない兄貴になってしまった気分だが、それは置いといて、俺はフェルの疑問に答えることにした。


「あー、うん。確証は無いけど。エルフの伝承にある森の恩寵と同質のものじゃないかなと思ってる…。精霊が宿る森が外敵を排除する防壁としても機能していたという話は、いろんな文献に載ってるからフェルも読んだことあるだろ?」


「うん、知ってるよ…。でも、実際に属性としても精霊魔法だと感知できたの?」

 この質問に対しては、俺はコクコクと首を縦に振ってから応える。

「エリーゼの精霊魔法に似てるという程度にはな…。まあ、なんにせよ取り敢えず一時的にでも無効化出来るといいんだけど、どうやら簡単じゃ無さそうだ」


 その後、ここで無為に立ち止まって悩み続けるよりも、と再び行動を始めて俺達はまた森の奥を目指して進み続けた。それは俯瞰視点でマメに確認しながらの行程。


 仮にこの広範囲領域隠蔽のような地味だがとてつもなく大規模な魔法を根本から消し飛ばしてしまう手段があったとしても、それはもう先制攻撃と同じなので論外。

 俺達に掛かっている効果を打ち消すか、あくまでも一時的な解除が望ましい訳で、但しそんなことが出来そうな可能性を俺はこれっぼっちも見いだせないのだから、行動の選択肢は限られている。

 俺が苦労すればいいだけかと開き直って、俯瞰視点スキルを駆使し続けることにしたのだ。



 ◇◇◇



 さて、そんな俺の苦労が報われたのは、あの最初の洞窟を出て森の奥を目指し始めてから丸一日半が過ぎた時のこと。この森も以前のガルエ樹海と同様、一寸先も見えない程の木々と草が視界も行く手も阻み続けるので進行は遅々として捗らなかった。

 しかし、密な木々の連なりが唐突に途切れて、それはまたしてもブラウンスライムの巣かと思いきや、俺達の目の前に現れたのは長く続く森の中のトンネルだった。


「うわ、これ道だよね」

 と言ったのはキョロキョロと左右の道を見ているフェル。

「ですね…」

「道だな」


 頭上も覆い尽くす木々の枝のせいでトンネルのようになっているこの道の、横っ腹を突き破る格好で俺達は出てきた。

 左右のどちらの先も蛇行しているせいで遠くまでは見通せないが、草が生えていない土の道の上には微かに轍の跡がある。頻繁ではなくとも、人が馬車がここを通っているのは間違いなさそうだ。

 ここでもう一度俯瞰視点スキルで確認した俺が右側を指差すと、フェルは「だよね」と。自分もそう思ったと言わんばかりに嬉しそうにニッコリ微笑んだ。



 それから森の中のトンネル状の道を歩き続けて約一時間後。

 俺達は侵入検知の結界に直面した。

 道を横断し遮るようにその結界は張られている。

 俺と同様にレヴァンテもハッキリと感知している結界の存在を、俺はフェルにも伝えるが、敢えて何も手は加えずにその結界に素で飛び込むことにする。検知されてその結果対処されることも覚悟の上だ。


 そうして検知されるに任せて尚も歩き続けた俺達の前方に探査の反応が現れたのはその後、間もなくのことだった。

 時間遡行で飛んで来て以来、俺は初めて自分達以外の人間の反応を捉えた。

「ふむ…。お出迎えが来てくれたみたいだよ。15人」


「えっ、それってなんか多くない…? 確実に殲滅しようってことかな」

「どちらかと言えば、私達を捕縛しようと考えているのでしょう。いずれにせよそうならないように話をしてみるしかないですね。こちらが全員エルフ種ではないのは好材料だと思いますから…」


 言ってる内容とは裏腹にどことなく楽し気な感じを漂わせたフェルの言葉に、レヴァンテはダークエルフと敵対関係にあるのはエルフだということを思い出させるような話を返した。


「こっちの目的なんかは知りたいはずだから、いきなり殺すつもりで襲って来ることは無いと思う。が、警戒はしておこう。あと、昨日も言ったけどヴォルメイスは剣はもちろん盾も使用禁止。こことは因縁が深すぎると思ってる。それとモルヴィはなるべく腕輪の中に居てくれ。戦闘になっても手を出さないように」

「解った」

 ミュー…

 森のトンネル道を歩き始めてから、普段と違って敢えてアダマンタイト剣を腰に佩いていたフェルはその柄に触れて剣の感触を再確認する仕草。そしてモルヴィはそんなフェルの左腕の腕輪の中に潜り込んで姿を消した…。



「そこで停まれ!」

 さり気無く警戒しながら歩き続けていた俺達に向けて四方から大きな声が響いた。

 どこから声が発したか悟らせないように魔法で制御されていることは明らかだ。

 だが、声色が加工されている様子は無く、この声を発した者は聴こえているままの印象通りそこそこ年齢のいった男なのだろうと俺はそんなことを思った。

 声の主を含めた15名は隠蔽魔法を纏って姿と気配を消しているが、彼らが道を塞ぐように並んでいるのは俺達の前方50メートルほどの所。


 先頭に立つ俺の左右両方の斜め後ろにフェルとレヴァンテが並ぶ状態で俺達が立ち止まると、そんな俺達の所作を確認したタイミングでまた声が響く。

「お前達はどうやってここまで来たんだ」


 この質問は予想していたものでもあるし、話を早く進めたい俺は畳みかけるように言葉を吐き出した。


「俺達は魔王の側近からダークエルフの里がこの辺りにあると聞いてやって来た…。どうやって、ということについては密林の中を苦労して辿り着いたとしか言えないし、それが事実だ。里の中に入りたい訳ではなく、俺達は里の長と面談がしたい。そういう風に伝えてくれないか」


 かなりの間をおいて戻ってきた返答はひと言だけだった。

「……少し待て」


 おそらくはこの15名の中に居る術者。その者が展開している隠蔽魔法で彼らの姿と気配はかなり隠されてはいる。しかし俺の言葉を切っ掛けに、その魔法の範囲内に生じた戸惑いと続く慌ただしさと、そして人が何人も動き始めた雰囲気を探査で判る情報と共に俺は感じている。

 奥に戻って行った一名とは別に、数名が俺達の側面と背後に回り込もうと動き始めた。その密林の中を移動する速さは常にこの環境に身を置き慣れている故なのだろう。


 フェルの方を半身で振り向いた俺が目線だけで人が横と後ろに回り込もうとしていることを知らせると、フェルは解ってるという顔で少しだけ口元を緩めた微笑を返してきた。



 ◇◇◇



 その後、それほど待つことなく再び前方で慌ただしい動きが見え始めて間もなく。隠蔽の帳を突き抜けて俺達の目の前に姿を現したのは、一人だけ武装していないダークエルフ女性と、その彼女のすぐ後ろで身構える武装した男性ダークエルフ達だった。


 女性は訝し気に俺達の姿を見ていた様子から一転するとハッと息を呑み、大きく見開いた目でまじまじと俺達三人を見つめながら明らかに深く動揺している表情を見せた。そして自分のすぐ傍で剣や弓を構えている男たちに向けて手をかざすと厳しい口調で言った。

「……なりません。武器を降ろしなさい。この方たちへの失礼な言動は慎みなさい」


 そう言われて驚いているのはダークエルフの男達だけではない。

 俺も、いったいどういうことなのだろうと脳内ではいろいろとフル回転。


 そんな俺の疑問には、そのダークエルフの女性が自ら答えてくれる。

「里の警護の者達が失礼いたしました。私は里のおさのユプクローネ・ヴォルメイスと申します。大したおもてなしは出来ませんが、どうぞ私の家にお越しください」


 鑑定で見えている名前とは異なる名乗りを聞いて、ユプクローネが現れてから突然丁寧な扱いに転じたことへの疑念は脇に置いてしまった俺は、


 ───ヴォルメイス…。やっぱり。


 と、ヴォルメイスという名に反応して一瞬感慨に耽ってしまう。


 そんな無言になってしまった俺の様子を見て、ユプクローネは自分の説明の言葉が足りないと思ったのか。俺達三人だけに聞こえる程度の小声で言い添えた。

「魔王様から、お三方の風貌と共にいずれ里を訪れるだろうとお話を伺っておりました。どうぞ魔王様への忠義を示す機会を私にお与えくださいませ」


「えっ、魔王が…?」

 と、思わず問い返した俺は、かろうじて大声にはならずに抑えることが出来た。

 ユプクローネは、ニッコリ微笑んで大きく頷く。


 魔王は、こうなることまでも予見していたということ。

 並列思考の大半のリソースをそのことに割り振ったまま、俺はユプクローネの案内に応じる形で里の中へと向かう歩を進めた。

 俺の後に続くフェルとレヴァンテも思案気な表情は隠せない。

 そんななんとも妙に静かな面持ちのままで、俺達はダークエルフの隠れ里の中へと入って行ったのだった…。

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