第389話 纏幻領域
この洞窟がある岩場の高台に昇った俺とレヴァンテは、時間を遡行する前の現代の地図と目の前の状況を念入りに見比べた。
長い年月の間に明らかに地形が変化したと思える箇所もあるが、大きな起伏については現代のそれと似通ったものが多い。そして、後にダンジョンの入り口が生成されたであろう洞窟があるこの岩場から見て東側、見るからに深そうな森が怪しいと目星を付けた。それはエリーゼが見つけた多くの精霊が集まっていた場所がある方向。
岩場を下った先からすぐに始まっているその森へ俺達は入った。
枝だけではなく互いの根までもが絡み合うように鬱蒼と茂った森の木々のせいで見通しも足元も悪い中を進む。せめて獣道でもあればとも思うが、どうやらここは小動物以外は滅多に足を踏み入れることのない領域のようだ。
「ガルエ樹海に入った時もこんなだったな…」
つい漏らしてしまったこの俺のボヤキにフェルが反応した。
「それってヴィシャルテン側から進んだ時の話だよね?」
「そう。あそこもこんな感じで進みにくかったんだ。おまけに公爵家から樹海をなるべく荒らさないようにという通達が出ていて、魔法は禁止だったし」
「ニーナが、燃やしてしまいたくてウズウズしたって。そんな風に言ってたよ」
と、そう言ってフェルは笑った。
ちなみにその時と理由は異なるが、今回も魔法は禁止。
隠れ里は文字通り隠されているはずなのでこちらは目視や探査で把握できなくとも、向こうはそうではない可能性がある。攻撃系の魔法など、そういうものを見られたり感じ取られたりは好ましくない。
山刀で切り開きながらしばらく進むと、木々の濃い連なりが唐突に途切れている箇所があった。ここだけ木が無い理由は判らないが、小さめのテントをふた張りは張れそうなほどのぽっかりと空いたスペースだ。
立ち止まって周囲を見渡した俺は、この森に侵入して二度目の小休憩を取ることにした。
腰を下ろすことはせずスペースの中央付近に立ったまま、それぞれ飲み物を手にしている俺とフェル。そんな俺達に背を向けたレヴァンテは、傍の木の根元にしゃがんで何かを観察し始めた様子だ。
しかしすぐに観察は終えたのか、レヴァンテは俺達の方に振り向いた。
「ここはブラウンスライムの巣のようですね。スライムの体液で汚染された跡が残っています。この広さを考えるとブラウンスライムでしょう」
「ブラウン、スライム…」
「……」
フェルは復唱するようにその名を口にして応じたが、俺は無言のまま脳内ライブラリを高速検索する。
ふむ…。魔法自粛中の身としてはあまり遭遇したくない魔物だなと思った俺は、すぐに進行を再開しようと二人に声を掛けた。
「なんかめんどくさそうだから、さっさと先に進もうか」
そして再び山刀を振るい始めてから、俺はフェルに説明を始めた。
「スライム亜種のブラウンスライムは、通常のスライム種と違って複数の個体が再結合する習性があるらしい。群体化するのではなく本当に結合してしまうみたいだ」
俺とエリーゼ、ガスラン、ニーナの四人は、群体となったスライムとメアジェスタで遭遇し殲滅したことがある。教皇国による魔物を使役したテロの予兆のような出来事だった。俺はその時の凶暴化したスライムの様子を思い出しているが、再結合したものはそれ以上にまさに一体化した振る舞いをするのかもしれない。
「スライムが再結合…?」
疑問符を頭に浮かべたフェルが俺に顔を向けて問い返してきた。再結合という聞きなれないワードが気になったのだろう。
「そう、再結合。まあそれも、また分裂する為の準備のようなものらしい。古かったり弱い個体の魔核は吸収してしまって全体の糧にしてしまう」
「生物としてはかなり合理的? なのかな…。だけどその再結合をした結果、さっきの空き地の大きさにまでなったってことだよね。それってちょっと怖いな」
「再結合は多い時は百体を超えるみたいだ。だとしたら、あれくらいの大きさになってもおかしくない」
と、そんな話をしていたら左前方に魔物の反応。
数は一体。スライム種だと判ったので、俺は指で示しながらフェルに声を掛ける。
「フェル…。モルヴィももう気付いてると思うけど、その先にスライムが一体いる。大きさは普通サイズ。もしかしたらブラウンスライムかも知れない」
「え? あ、うん…。モルヴィは、木の上に居ることが多いから気を付けてって言ってる」
「そうだな。ブラウンスライムはスライム種にしては珍しく普段から人間に対しても好戦的なようだから油断しないようにしよう」
「了解」
スライム種同士は厳密な同種以外は仲が悪く共存することはない。むしろ必ずと言っていいほどにどちらかの種が完全に排除されるまで争い続けるという。
俺達が立ち入ってしまったこの領域は、ブラウンスライムのテリトリーなのだろう。付近に他の魔物の存在が皆無なことも、密林の中という利を生かしたこのテリトリーにおけるブラウンスライムの優位性を表しているような気がする。
ところで、今は昔の現状では意味が無い話を付け加えると、このブラウンスライムというスライム亜種は俺の現代のデルネベウム知識では絶滅したことになっている。
自分より大きな個体、即ち人間に対しても攻撃的であること。そして金属をもある程度は溶融させることが可能なブラウンスライムの生態を人は脅威と感じて、積極的に駆除し続けた結果だ。
元々生息域は限られている。いつの頃からかその姿を見かけなくなって久しく、現在では既に絶滅してしまった種だと見做されている…。
◇◇◇
俺が自分の方向感覚が狂わされていることに気が付いたのは、探査で発見したスライムに留意しながらまたしばらく森の中を進んでからのことだった。
進行方向を確認する為に発動させた俯瞰視点で得た、自分を含めた広い範囲の位置情報と、イメージしていた自分の現在位置が大きく異なっている。
洞窟がある岩場から見て少し南寄りの東に進むつもりで、その方向だと思って今この瞬間も森を切り開こうとしている自分の目線のギャップに俺は驚きを覚えた。
不意に立ち止まって、木々の隙間から見える上空と自分達が進んできた後方を振り返って考え始めた俺をフェルが訝し気に見詰める。
レヴァンテは俺のそんな振る舞いで何かを察したように、やはり上空を含めた全方位の確認を始めた。
「方向感覚が狂わされている。これは認識阻害の一種だとは思うが…。もしかして精神干渉か…?」
俺はそう呟きながら、自身が状態異常になっていないかを素早く確認した。
ふむ…。異常は無し。
俺のその声が聞こえていたフェルは周囲を見回しながら不安を滲ませ、同じく俺の呟きに反応したレヴァンテは眉間にしわを寄せて俺の顔を真っ直ぐに見てきた。
「シュンさん、探査で何か感じ取れますか?」
「……いいや。これから全力のを試してみるつもりだけど、もしこれが魔法だとしたら、とんでもない完成度だと思うよ。真っ直ぐ進んできたつもりなのにこんなにズレてたなんて…」
そして、そのことに今まで気が付けなかったという点においても驚きは大きい。
俯瞰視点では俺達が大きく弧を描いて進んでいたこと。そしてこれから進もうとしていた方角がまた更にズレてしまっていることが判った。
肉眼の視界では、後ろを振り返って見ても直線的に進んで来たようにしか見えないのだ。それは異常に気付いた今でも。
肉眼での視界が歪んでいるようには感じていない。しかし、今の俺の遠近感や距離感。イメージする直線的なものは実際とは異なっている。
そういう状態だということを俺はフェルとレヴァンテの二人に説明した。
「状態異常じゃないが、五感。特に視覚を狂わされているのは間違いない」
「私も真っ直ぐ進んできたとしか感じないから、狂わされてるってことだよね」
口を尖らせて不満そうな顔になったフェルがそう言うと、レヴァンテは尚も思案し続けている様子のままで。
「フェル、私も同じです。どうやら私の知覚機能も狂わされています。人に限らず私にも作用しているのはどういう仕掛けなのでしょうか…」
と、そう言ってまた考え込んだ。
ミュミュー…
あー…。どうやら、モルヴィも同じ状態らしい。
「なんにせよ、これを打ち破るか無効化しないと簡単には先に進めそうにない」
「シュンの俯瞰視点スキルだと大丈夫なんだよね」
そう尋ねてきたフェルに俺は頷く。
「大丈夫。方角は修正できる。まあ最悪、マメにそうしながら進むしかないとは思うが。やっかいなのは、右に行きすぎたと思って左に寄ってもそれがまた行き過ぎてしまったり、足りなかったりというそんなことの連続になるだろうということ」
「何それ、めんどくさ!」
心底めんどくさそうな顔でそう言ったフェルに俺は苦笑いで応えながら、どうやら魔法自粛期間はもう長くは続けられ無さそうだなと頭の片隅で思い始めていた。重力魔法で飛んで空からというような派手なことはこれまで自重していたからだ。
「……シュンさん。一つ思い当たるものがあります。魔王様が一度だけ発動を見せてくださったことがある幻惑領域結界です。『
気が付いたら催眠術にかかってしまっていたような。そんな風に俺は感じている。
しかし、そうだと気付いても五感は狂ったままなのだ。
おそらくはレヴァンテが言ったことは的を得ている。全く、魔王の魔法はとんでもないものばかりだと改めて思う。
ダークエルフの隠れ里。
それを真に隠しているのは魔王が組み上げた領域結界だということ。
俺は前言通りに全力の探査を開始した。
俯瞰視点で判っている当初目指した方角を意識はしているが、基本は全方位に向けたもの。探査に指向性を持たせても、その前提となる認識すらも歪められているかもしれないからだ。
……その後。優に3分は経過した頃になって、俺はここから更に森の奥深く。その地下に在る結界の起点のようなものを微かに感じ取れ始めた。
「これは、解除できるのか…?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます