第388話

 まだ俺が手にしたままのオプタティオールが封印を斬り裂く直前に発していた輝きは、今は完全に失われている。

 少し悩んだ末に俺は、オプタティオールを女神から与えられたマジックアイテム、女神謹製財布と呼んでいる特別な収納に仕舞おうとした。


 しかし、それは出来なかった。

 そればかりか、元々中に仕舞っていたはずの物も見当たらないし取り出せない。


 ───女神とのリンクが切れた…? いや完全に切れてる訳ではない…?


 一瞬で並列思考が唸りを上げるが、俺はそれをバックグラウンドに追いやって眼の前のことに集中する。

 女神のアイテムとは違って特に変化はない自前のマジックバッグにオプタティオールを収納した俺は、当面の安全確保のための行動を始めた。

 洞窟の奥行きは15メートル程。中の高さと幅はどちらも約3メートルで、出口の方が僅かに低くなっている傾斜がある造り。床も壁も天井も削った岩盤がむき出しの状態で、粗くは在るが不自然に整ったこの状態は洞窟が誰かの意思で造られたものだということを示している。

 この洞窟の中に今すぐ変化を起こしそうなものは感じられない。そして魔法が仕掛けられている様子も痕跡も俺には検知できない。

 そんな風に洞窟内の自分達の周囲のひと通りの確認を終えた俺は、そのことをレヴァンテとフェルに告げる。

「この洞窟の中に異常なものは感じ取れない。薄気味悪いのは確かだが、外の様子が判るまではこの洞窟の出口近くに居ることにしよう。あと、二人とも自分の装備と収納に持っている物の確認をしてくれ。何か無くなってたり使えない物があるかもしれないから」

「……了解」

 そう答えたフェルの声は掠れていた。

 フェルの肩に手を置いたレヴァンテが、静かだが明るい口調で俺に言ってくる。

「シュンさん、私はもう少しここを精査してみます」

「あ、そうだな。頼むよ。俺は外の様子を見てみるからフェルはレヴァンテの傍を離れるな」


 俺は低い姿勢で壁に身を寄せて身を隠しながら洞窟の出口に近付いた。中からも見えていた通りに、洞窟の外は夜の闇に覆われている。星は見えているが月の無い夜だ。

 ふと気が付いて足元を見ると、いつの間にかモルヴィが俺を追って隣に来ていた。

「モルヴィ、何か異常を感じたらすぐに知らせてくれ」

 ミュー…


 能動的探査をフル稼働させながら洞窟の外を見た俺は、本格的に動き始めるのはやはり夜が明けてからにしようと決める。


「……探査で判る範囲に人や魔物は居ない。動物は少し居る。夜明けまであとどれくらいかは分からないが、外に出るのは明るくなってからにしよう」

 洞窟の出口に隠蔽と遮蔽の結界を張る魔道具を設置し終えた俺が振り向いて二人にそう言うと、自分の装備などの確認をしていたフェルがその確認の手を止めて大きく頷いた。


「遮蔽結界張ったから明かりを点けるよ」

 続けて俺はそう言って、収納から取り出したランタン状の魔道具で弱めの光を灯した。結界の外からこの光は見えない。

 首飾りの暗視効果のおかげで明かりを灯す前からある程度見えてはいたんだけど、洞窟内がほんのり明るくなってフェルの顔を見ると、これまで見たことが無い程に緊張しているのがハッキリ判った。

 俺はニッコリ微笑みながら手を伸ばしてフェルの頭を撫でた。

「フェル。俺とレヴァンテが傍に居るんだからそんな顔するな…。いろいろ考えなきゃいけないことは多いけど、とにかく情報がない。明るくなったら三人で情報を集めることからやっていこうな」

「うん…。そうだね」

「と言っても、いつ夜が明けるか判らないから、今は横になってた方がいい。警戒はモルヴィも居るし俺とレヴァンテがやるからお前は身体を休めておけ」

「……解った。眠れそうにない気もするけど、横になっとく」


 この先、何が起きるか判らない。だから休める時に休んでおけという俺の意図を察したフェルは、大きめのクッションを取り出してそれに体を預けて横になった。その上に俺は薄手の毛布を掛ける。

「そんなに寒くは無いし、この薄いのでいいかな」

「ありがとうシュン」


 かなりナイーブになっているフェルの状態も気になっているはずだが、レヴァンテは最優先事項は精査だとばかりに洞窟の中を調べている。

 俺達がこの洞窟の中で最初に立っていた床や近くの壁を念入りに指でなぞるように触れてじっくりと調べ、今はそこから更に範囲を広げて続けている。

 俺の言葉に反応したレヴァンテが、壁に指を這わせている姿勢は変えずに顔だけをフェルの方に向けた。

「フェル。夜が明けたら起こしてあげますからね…」

「うん。お願い」

 フェルはそう言うと、自分の顔のすぐ横に寄り添っているモルヴィに手を添えたまま目を閉じた。


 そんな一人と一匹の様子に微笑みを浮かべたレヴァンテが、俺に視線を移して囁いた。

「夜でもあまり寒くはないですから、今は冬という訳ではなさそうですね…」



 光の封印を起点とした魔法の構築も発動もあっという間だった。それは異なる時空へ飛ぶ時空転移によく似た転移魔法。但し、通常の時空転移では使用されることが無い時間軸上の一点を意味する座標もその中に記されていたのだろうと推測した。

 そう。俺達は過去に飛ばされた。

 解析で垣間見えたことから現状についておおよその見当は付けたものの、正確なことは何も判っていない。一つ一つ少しずつ明らかにしていくしかないのだが、俺達はここの今の季節が何かということすら答えられないのだ。

 実に途方もないことに巻き込まれてしまったと、自分達の立場を改めて痛感させられて俺は先が思いやられる。


「そうだな…。ここは岩場だけど、すぐ近くに森がある。森の植生が確認出来ればその辺のことももう少し分かると思う。まあ、暑くもなく特別寒くもないってのはラッキーだと思うしかないんだろうな…」

 と、レヴァンテに応じた俺の言葉の後半はほとんど自分に言い聞かせているような言い方になってしまった…。



 それからは外の様子が見える洞窟の出口から少し中に入った所の壁に背中を預けて俺は座り、長い時間考え続けた。眠れそうにないと言っていたが、フェルは既に熟睡中。おそらくはモルヴィのおかげで少しは落ち着くことが出来たのだろう。

 レヴァンテも洞窟内の細かな精査を終えてからは、やはり壁際に座って時折ポツリポツリと俺と静かに言葉を交わす以外は考え事をしている様子だ。


「ラピスティとのリンクは…?」

 俺のこの質問にレヴァンテは首を横に振った。

「途絶えています。完全に失われてはいませんので、一時的に接続先がロストしているという感じですね。もちろんリズやニーナ達と繋がっているパスも同じです。こちらのシュンさんとフェル、モルヴィとの間はこれまでと変わりはないのですが」


 今回のこの時間遡行に巻き込まれたのは結果として俺達三人とモルヴィだけだったというのは、あの魔法発動の瞬間に解析できたことの一つとしても理解できていた。言い換えるなら、エリーゼ達には何も起きてはなかったということ。


「今頃は…、今という言葉の使い方が難しくなっている状況ですね…。もしかしたらラピスティがあの場所に駆け付けているかもしれません」


 レヴァンテが居なくなっても、俺達全員が交わしている魔法契約は同時にラピスティとも通じているのでラピスティがエリーゼ達の元へ飛ぶことに支障は無い。


 確かに『今』という言葉はいったい、いつのことを示すのだろうか。

 何故か可笑しく感じてしまった俺は少しだけ笑いながら、レヴァンテに応える。

「ラピスティなら痕跡から辿れそうな気もするが、かなりの大仕事だろうな」

「はい、簡単ではないと思われます…」


 その後、俺がこの場に半径1メートル程度の小さな遮音結界を張ると、目的を察したレヴァンテがフェルの傍を離れて俺の方に移動してきた。


「あの時、オプタティオールを手にしていた俺が対象になったのは当然だと思ってる。そして俺以外に今回の時間遡行が作用対象にしていたのは…。多分、フェルだ」

「シュンさんもそういうお考えなのですね」

「俺も、ということはお前も同じ結論か…」

 レヴァンテはコクリと頷き、妙に真剣な目で俺を見詰めた。

「……時間遡行の対象はオプタティオールを手にした者とその傍に居た魔王様の後継者。そういうことだったのだろうと思っています。私とモルヴィはフェルの所有物と見做されて引っ張られてきただけだと私はそう結論付けました」

「まいったな。俺の推論と全く同じだ…」



 ◇◇◇



 結局、この洞窟に飛ばされて約六時間が過ぎた頃に東の空が白み始めた。

 フェルを起こしてから、経過した時間で考えれば遅い昼食のような食事を摂った。

 ひと眠りしたせいか、緊張もかなりほぐれた様子のフェルは今度は好奇心の方が勝ってきている。


 俺はそんなフェルを宥めてから、リンシアの記憶から読み取った内容とその後に得た少ない情報から判断した推測も交えた現在の状況の説明をした。

 時間は遡行したが場所はほぼ変化していないはずだということと、だからこそ今、俺達が居るこの洞窟がある岩場こそが、のちにダンジョンが生成されたあの場所なのだろうという話を俺は付け加えた。


 話を聞き終えて、目をキラキラさせているフェルが俺に言ってくる。

「じゃあ、まずはダークエルフの隠れ里を探すんだよね」

「そうだ。そこに行けば今がいつなのか正確な時間が判るだろうし、俺達がここに飛ばされた理由ももう少しはっきりするだろうと思ってる」

「そのリンシアって人と話をすれば元の時代に戻れる?」

「あー…。まあ、既にリンシアが居ればそういう流れになるかもだけど、俺は今はリンシアがダークエルフの里に飛んで来る前だろうと思ってるからな」


 キョトンとした表情から次第に考え悩む表情に変わったフェルは、しばらくそのままだった。そしておもむろに口を開いた。

「……てことはさ。シュンは、最終的にはそのイシャルディーナという街に行く必要があると考えてる?」

「そういうこと。おそらく間違いないとは思ってるけど、リンシアの願い、それはアレックスという名の彼女の最愛の人を救ってほしいということだろう。それが可能な時間、まだ間に合う時間に俺達を飛ばしたんだろうと、俺はそう思ってるよ」

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