第391話

 ダークエルフの隠れ里は、前に訪れたエリーゼの故郷バウアレージュの里の雰囲気とよく似ている。

 実りを輝かせている畑。道端や家々の間を彩る綺麗に咲いた草花。

 陽光に照らされたそれらを静かに揺らす風が吹いている。

 苦労させられたあの鬱蒼とした密林に厚く囲まれていることなど全く感じられないのどかな風景が広がっていた。


 里の住民の日々の活動の中心は衣食住の食に関わる農耕と家畜を育てること。加えて生活に必要な物を作成する手工業も自給自足の為の大事な生業なりわいと位置付けられ、更には住民の中の戦闘技術や狩りに秀でた者は里の警備や狩猟・採取と言った里の外に出ることがある仕事にも就いていると、ユプクローネは俺達を先導する道すがら言った。

 里のおさを務めるそのユプクローネは彼女の弟子数名と共に里で唯一の鍛冶工房を営んでいる。俺達三人が案内されたユプクローネの家はその工房に隣接するこぢんまりとした家屋だった。


 質素だがとても清潔で快適そうな家の中に入り、通された応接間で遅ればせながらの自己紹介を済ませると、俺達はユプクローネが語り始めた話に耳を傾けた。



 ◇◇◇



「……幻惑の森を抜けて来たようだと聞いた時から特別な存在なのだと思っていましたが、私との面談を希望されていることと皆さんの髪の色や容姿を見てすぐに魔王様がおっしゃられていた未来からの来訪者なのだと理解しました…。しかし魔王様からのお話であっても、未来からということには少し疑念を持っていた私が納得した、その大きな決め手となったのは、皆さんが身に着けられているその装備です」


 ん? 装備…?


 俺の隣に座っているフェルも。えっ、装備? と疑問を呈する声が聞こえそうなほどに頭の上に解り易い疑問符を浮かべてユプクローネから続けられるであろう言葉を待つ雰囲気を漂わせる。


 そんな様子のフェルを見てユプクローネは微笑んだ。

「その剣と短剣…。そして防具の随所に使われているアダマンタイトです。防具に使われている竜種の鱗も希少なものだとお見受けしましたが、アダマンタイトを実用的なものとして加工できるようになるのは、それに熱心に取り組んでいるエルフ族でもまだ何世代か後になるだろうと言われています」


 じっくりと手に取って見分した訳でもないのにこの短時間でそこまで判っているということは、まず間違いなく…。

「そうか。ユプクローネは鑑定眼を持ってるのか…」

 と、そう言った俺の方を見てユプクローネはコクリと頷いた。

「低レベルなものですから誇れるようなものではありません。ですが、素材の鑑定にはある程度は役に立っています」


 ある程度どころか、瞬時にそこまで判別できているのなら物質の鑑定には充分なレベルだと思う。ただ、これは彼女の鑑定スキルが人間を含めた動物や魔物など生物の鑑定が可能な段階にはまだ至っていないのだと、ユプクローネはその点を指して自分は未熟だと言っている。

 確かフレイヤさんの祖母が得ていた鑑定スキルがそういうものだったと、随分前にフレイヤさん自身から聞いたことがある。

 俺は女神のおかげで早い段階から生物の鑑定も可能になっていたが、生物の鑑定が可能か否かというその一線を超えるのはエルフの長い生涯を掛けて挑戦し続けても到達は非常に難しいとも聞いている。


 ところで、さっきからフェルが「あちゃ~」という渋い顔で俺を見ているので、俺も同じく盲点だった迂闊だったなという顔でフェルの方を見て苦笑い。

 因縁が深そうなヴォルメイスの剣や盾はさすがに見せられないと、収納に隠した状態でここには臨んでいる。だが、アダマンタイトについては俺も含めて全員が無頓着で失念していたということ。レヴァンテも、魔族にはほとんど縁が無かったアダマンタイトの時代考証についてまでは詳しい情報は持っていなかっただろう。

 とは言え、逆にそれが決め手になったという話なので。まあ、結果オーライではあるんだけど。



「……リンシア殿の話をしますね」

 と、続けてユプクローネはリンシアについて説明を始めた。

 いかにも、ここからが本題ですと言わんばかりにその表情から笑みを消している。


 ユプクローネが魔王から直々に受けた指示は、リンシアというハーフエルフ女性をこの里で保護し匿うこと。彼女はヒューマンの街から転移魔法でこの里に飛んでくるだろう。その際には里の一員として迎え入れるようにと。


「魔王様はそのリンシア殿をとても大切に考えていると仰られていました。そして、里に慣れて落ち着いてくれば、工房を使いたいと言ってくるはずだ。とも言われておりますので、リンシア殿にはこの家で暮らしていただく予定です」


 知りたかったリンシアのことが図らずもこうしてあっさり聞けていることで、苦労してこのダークエルフの隠れ里にやって来た目的はほぼ果たされようとしている。


 俺達は時間を遡行した。

 遡行した結果、いったい今はいつなのか。

 時間遡行で俺達が飛ばされてやって来た『今』は、リンシアにとってどういうタイミングの時なのか。この大きな疑問に対して立てていた推測の裏付けが得られたので、俺はこの点に関しては少し安堵していたりもする。


 しかし更に詳細を知るべく、俺はユプクローネに質問の言葉を向けた。

「リンシアはいつ頃ここに来るのか。その辺の詳細は魔王から聞いてるか?」

 ユプクローネはこの質問が発せられることを最初から想定していたようだ。

 俺がそう尋ねると、予め準備していたかのようにすぐに澱みなく答えた。

「はい。魔王様がおっしゃられていた時期は遅くとも来年の春というお話でしたから、私どもとしてはあと半年ほどという心づもりで居ます」


 半年…。長いようで短い。

 俺はダンジョンで見せられたリンシアの記憶を脳内から引っ張り出して辿った。

 リンシアが初めてこのダークエルフの里にやってきた時の里の様子は確かに春だったと思う。

 そのリンシアが空間転移に身を任せた時を起点に半年前を思い出してみる。

 彼女が夫のアレックスを人質に捕られるような形で無理難題を突き付けられたのはもう少し後の出来事だ。おそらく今ならアレックスは最後の任務に就く前。まだあの街に、イシャルディーナに居る可能性が高い。


 ユプクローネは俺が黙って考え込んだ様子を見て、間を置くように口を閉ざした。しばらくして俺が視線をユプクローネに戻すと、魔王のもう一つの指示。魔王が俺達に渡せと言って彼女に託した物のことに話題を変えた…。



 さて、そんな諸々の話が終わった頃には既に日が暮れていた。

 そして明らかにホッとした表情で役目を果たした安堵感を滲ませているユプクローネから、この家で食事と寝床を提供したいという申し出が為される。

 俺はそれをありがたく受けることにした。

 解ってきたことが増えたからこそ一刻でも早くという、そんな焦燥が湧き起こって無い訳ではない。けれども、少し落ち着いて情報を吟味したいという思いもある。


 すぐに始まった夕食の席に共に着いているユプクローネは、俺が差し出したアダマンタイトの短剣を食事の手を止めて受け取ると、鞘から抜いて刀身全体を長い時間じっと見つめ続けた。

 そして、やっと刀身から離した視線を俺に向け直すと、寂しげな笑みを見せた。

「……何となく理解出来そうな加工の仕方とそうではないもの両方が在るような気がします。私達にはアダマンタイトはまだ時期尚早ということなのでしょう」

「この短剣は、ヒューマンの鍛冶師が造ったものだ。俺は鍛冶のことは詳しくは無いが、エルフやダークエルフの鍛冶仕事とは違う部分が多いんだろうと思うよ」

 俺達が生きている現代だからこそ。先人たちが長い時間を費やして到達した技術があればこそだろうということには触れず、俺はそんな言葉を返した。


 この日食卓にたくさん出された料理は、質素だがいろんな香辛料・調味料が使われた味わいの深いものばかりだった。

 フェルは美味しい美味しいとずっと言いながらかなりの量を食べているし、俺にしても、特に日本のギョーザと似た感じの食べ物には感心している。



 ◇◇◇



 寝室として提供された部屋に入ってからは久しぶりにモルヴィも腕輪から外に出てきてフェルはしばらくベッドでじゃれ合っていたが、すぐにモルヴィを抱き締めたまま眠りに落ちている。


 睡眠を必要としないレヴァンテが、

「シュンさんもお疲れでしょう。今日はゆっくり休んで疲れを取ってください。明日からも大変なことが待っているでしょうから」

 と、微笑みながら俺に静かな声でそう言って諭すように頷いた。


「あー、うん…。もう少ししたら、そうさせて貰うよ」

 時間遡行で飛んで来てからの精神的・身体的両面で蓄積している疲労のことを考えて自分でも同じように思っていた。


 俺は、今も並列思考が稼働中で頭が疲れている理由の一つでもあるレヴァンテが手に持ったままのスクロールを指差した。

 レヴァンテはこれを解析する為、じかに触れて確かめている最中だ。

「何か追加で判ったら、明日の朝にでも教えてくれ」

「畏まりました。と言っても、もうそれほど多くは見えては来ないと思いますが…」


 このスクロールが、魔王に託されたと言ってユプクローネが俺達に渡してきた物。

 渡されてすぐに、空間転移を発動させる類だということは判明した。

 まず間違いなくイシャルディーナに辿り着く為の物だろうと思っているが、この転移魔法は転移の受け側が予め設定された二地点間固定転移ではない。レヴァンテはスクロールに刻まれている魔法を解明して転移先の座標を割り出そうとしている。

 しかし今、レヴァンテがそれほど多くは見えてこないだろうと言った通りに、座標はわざと解析しづらくなるように手が加えられている。そしてこのスクロールには発動に対する条件が設定されていて、それは発動者の限定。

 ここからは半分俺の推測混じりだが、発動可能なのはおそらく魔王のみ。

 但し、魔王の魔核を受け継いでいるフェルには発動可能なのだろう。


 俺は、遡行してきた時からずっと心にもやもやとくすぶっていて、スクロールを受け取った時からはより明確な疑問として感じて考え続けていることをレヴァンテに話してみることにする。

「なあ、レヴァンテ…。どうして魔王は自分の手でリンシアの願いを叶えようとしなかったんだろう。こんな大掛かりなお膳立てをしてまで俺達にやらせたい理由が解るか?」


 少し間を置くと、シュンさん、おそらくそれは…。と、レヴァンテが俺をじっと見つめながら小さな声で言葉を紡ぎ始めた…。


 バス・トフマーク。


 有名なユグドラシルとは別にもう一つ存在した、元々は魔核を持つ者の世界に在った世界樹の名称だ。

 レヴァンテの口から出た最初の言葉はこれだった。

「長く続いていたバス・トフマークを巡る攻防が転換期を迎えようとしています。この時代がいつなのか、どういう時期なのかが次第にはっきりして来ましたから、私もそう明言できるようになりました」

「ふむ…、続けてくれ」


 邪神としかレヴァンテは言わなかったが、それが悪神メドフェイルのことを指しているのだということはすぐに察した。

 魂を持つ者に等しく恩寵を与える世界樹を、あろうことか神の一柱のメドフェイルは我が物にしようとした。自身の衰退がそれほどに顕著だったということの表れなのだろうが、それは創造神が定めたこの世界の摂理を覆してしまう暴挙だ。

 多くの悪魔種を従えたその邪神は、バス・トフマークを守り続けてきた魔族を排除し自分の手駒である悪魔種による支配に変えようと目論んだ。

 悪魔種の数の多さと強さと侵攻が多発的なこともあって、戦いは一進一退。膠着状態となる期間を挟みながらも、その戦いは長く続いた。

 邪神がエルフ種をも唆し巻き込まんと暗躍し始めたのが今、俺達が居るこの時代だとレヴァンテはそう言った。


「この先、エルフの参戦で魔族は大きく後退せざるを得なくなります。それは即ち、バス・トフマークがエルフと悪魔種によって支配される状況になるということです」

「それは勇者がまだこの世界に現れる前の話だな」

 俺が確認するようにそう尋ねると、レヴァンテは大きく頷いた。

「はい、その通りです。勇者様が女神によってこの世界に転移してくるのは悪魔種がバス・トフマークを手中にしてからのことでしたから」


 ふむ…。

 ならば、魔王は今は邪神プラス悪魔種との攻防が最優先事項というところか。

 だがこの話を聞いて俺が思うことは、万能なように思える魔王の未来予知も実はかなり限定的だということだ。もしくはその能力を自在には使えていない。知りたいこと全てが知れる訳ではない。例えば、遠い先の未来は予見できても近未来のことは予見できないとか…。


 俺は思索を切り替えてレヴァンテが話していたことに戻る。

「……なんとなく事情は理解出来た。この頃の魔王はリンシアのことに時間を割ける余裕はなかったはずだということなんだな…。実際、今はそういう状況なんだろう。だけどレヴァンテ、俺の妄想か。嫌な予感めいた考えすぎなことかもしれないけど、思っていることは少し違うんだ」


 何を言い出すのかと、レヴァンテは眉をひそめて俺を見るが沈黙のまま。その視線で俺に続きを促した。

 応ずるように俺は頷いてから話を続ける。

「おそらく魔王はリンシアがオプタティオールを造らない未来は望ましくないと知っている。だから一度はリンシアにつらい思いをさせなければならなかった。更には魔王が自分以外の者に時間遡行をさせてまで託す今回のミッションにはその達成の為に必要不可欠な要素がある…。それは、これを果たそうとする者が異世界から来た使徒であること。そうじゃなければこんな大掛かりな時間改変はこの世界の秩序で弾かれてしまうからだ。俺はもちろんその条件に適合しているし、フェルも魔王継承者としてそれと同等の存在だから…。俺はそんな風に考えてるよ」


 あっという間にレヴァンテは、大きく見開かれ確信めいた思いがこもった目で俺を見詰め始めると、大きく首を縦に振った。

「そうですね…。私もシュンさんのその推測にはほぼ同意します」

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