第381話 リンシアの記憶③
リンシアとアレックスの結婚式は、アレックスの軍隊の仲間が大勢駆け付けて祝福してくれたことで騒がしくも和やかな、たくさんの人の笑顔が溢れる良い式だった。
そして、交流を持っていた亡き母と違ってリンシアにとっては顔見知り程度でしかないが、同じ街で暮らすエルフやハーフエルフも何人かお祝いにやって来て精霊の祝福の祈りを捧げてくれた。リンシアは母親が空から見てくれているような錯覚を覚えると同時に、自分の半分のルーツについて改めて強く再認識する日にもなった。
結婚してからもリンシア自身の仕事に対する取組み方や生活パターンは大きく変わることはなく。しかし、仕事中ふとした時に自分の殻を少し打ち破ったような感触を得ることが増えてきて、これがアイリーン・アドラーと名乗ったあの魔族の女性が言っていた『覚醒』の始まりなのかとリンシアはそんなことを考えた。
「……リンシアちゃんは、いつになるのかは分からないけれど大きく覚醒する時が来ると思うわ。と言っても実際には既に覚醒してるから、二度目の覚醒ということね」
◇◇◇
リンシア達が結婚して半年が過ぎた頃。
いつものように街の外の任務に出ていたアレックスが負傷して戻ってきた。
アレックスが所属している部隊は、最近ではもっぱらエルフ領との間に在る深い森の中の探索を行っている。
多くのエルフの軍勢が自領深くに退いてしまった状況ではあるが、間違いなく警戒監視のために森に隠れ潜むように居残っているはずのエルフ兵を探して、あわよくば彼らから情報収集することを目的としている。
家に帰ったアレックスは肩に矢を受け腕を釣った状態で、大丈夫。大したケガじゃないと言いながら、駆け寄ってきたリンシアに向けて苦笑いを見せた。
「油断したよ。と言うか、お互い出会い頭みたいなもので一瞬ポカーンと見合ってしまったんだ。俺、咄嗟に民間人かもなんて思ってしまってさ…」
「それって、相手は軍装じゃなかったってこと?」
「そう。今までに見たことがない装備だった」
「もしかしてエルフの村の自警団とかなのかな…」
「うん…。そうかもしれない。ちゃんと確認出来ればよかったんだけど、そいつら矢を放ってすぐ逃げて行ったし、こっちも初めて踏み込んだ辺りで日が暮れそうな時間だったのもあって追撃はしなかったんだ…」
矢を受けた肩は利き腕側で、アレックスは完治まで大事を取ることになった。
ケガの具合を見て貰う為に二日に一度程度は軍の診療所に出かけることは有るが、アレックスが何日間もほぼずっと家にいる状態はリンシアにとっては新鮮だった。
片腕を固定しているだけで他は元気なアレックスは店番をして客の相手をしてくれたりと、いつか年を取ったらこんな風に過ごすかもしれないと想像していた生活が突然訪れて、リンシアはささやかな幸せを感じた。
しかし、まさにケガの功名とも言えるそんな穏やかなひと時も、アレックスの怪我が治ると終わりを告げてまた元の生活パターンになる。
アレックスが軍務に復帰して間もない頃。
従来のようにリンシアが店の奥の工房で、この日は街の農家から依頼された農具を製作していた時のことだった。
「……リンシアという女鍛冶職人がここに居ると聞いてきたが?」
店先から中を覗き込むように顔を突き出して居丈高な口調でそう言ってきた狐顔の男と、他に背の高いもう一人。彼らは軍服を着ている。
リンシアは小走りで駆け寄って頭を下げた。
「夫がいつもお世話になっております。第一特殊部隊のアレックスが妻リンシアは私に御座います」
声を発していた狐顔は首を傾げるが、もう一人は頷いている。
「ああ、そうか。アレックスの奥さんだという話は本当だったのか…」
この一言で、まさかアレックスに何かがと頭をよぎっていたリンシアの懸念は薄れた。アレックスの妻としての自分に用が在って訪ねてきたのではないということ。
では、いったい何の用だろうか…。
そんな疑問を抱いたリンシアに、高圧的な態度の方の男が言う。
「お前が造った武器を見せてみろ。軍で使える物があれば、だがな」
「……は、はい。少々お待ちください」
リンシアは店の棚に少しだけ並べている短剣と、そして工房から持ってきた市販を想定している既製品としては最高品質の剣を二人に見せた。
アレックスのために精魂込めた特別な剣とまでは行かなくとも、軍隊で支給される剣より良い物を見せるべきだとリンシアは思ったからだ。アレックスの妻が造る剣はなまくらだと夫に恥をかかせたくはない。
「ほう…。これはいいな」
と、アレックスの奥さんだったのかと言ってきた方の背の高い武人の面持ちの男は抜き身の刃を見て感嘆の声を漏らした。が、高飛車な狐顔の男は疑わし気な眼つきでリンシアを睨みつける。
「見た目はよさげだが、すぐ折れたり曲がったりするんじゃないだろうな」
「あ、いえ。そんなすぐに壊れることはないとは思いますが…」
材料は何を使っているのかと尋ねられたリンシアは、剣について説明をした。もちろん最大の秘密は明かさないが、それでも亡き父から受け継ぎ、その後も幾度も改良と試行錯誤を繰り返して辿り着いた成果などは簡単に説明した。
「……という父から教わった技術を用いています」
「ふむ…。それにしても手に持ったバランスと言い、非常に使い勝手は良さそうだ」
「はい、その辺は夫のアドバイスがあったからこそです…」
結局、その後も製作に掛かる必要な時間や費用を尋ねたり剣の試し斬りと、しぱらくリンシアの店で過ごした軍人二人が店を出たのは夕方近くになってからだった。
また連絡するという言葉を残して去った軍人二人の思惑を測りかねていたリンシアは、夜になって家に帰ってきたアレックスに早速この一件を話した。
「……そんな感じで品定めしただけだったんだけど。なんだったんだろうね」
「それって多分、調達班だ…」
「調達?」
「軍の資材・消耗品とか装備の買い入れとその調達した物の管理をしてる部署だよ。最近、標準装備の質が落ちたんじゃないかって文句言う奴が多いから、その流れだな…。俺からひとこと言っとく。うちの妻の鍛冶工房は軍隊向けに大量生産するタイプの所じゃないって」
「ええ~? それって、私に軍装備を造らせるんじゃないかって話…?」
「うん。個人的に買いに来たのならそう言うだろうし、間違いないと思う」
「……」
◇◇◇
妻に今以上の仕事などさせる気が無いアレックスの思いと根回しは功を奏さず。件の軍人たちが再びリンシアの店にやって来たのは二日後のこと。
彼らが店に入って来るなり手渡してきた書類に目を通したリンシアは驚く。
「えっ、六十日以内に三十振りの剣ですか…」
「その前に各隊に周知する為のサンプルを納めるのも忘れるでないぞ。書類上はサンプルは三本ということになっておるが、念のため五本程度は持ってきた方が良い」
狐顔の男が意地悪そうな顔つきでそう言った。
サンプルと言うが製品であることに違いはない。一昨日に見せた剣を含めて在庫として二振りの剣は在るものの、でもまだ足りない。
「申し訳ありませんが、私は一人で工房と店をやっています。この前も説明しましたようにそれなりに時間がかかる物ですので、この納期までにこの本数は無理ですし。何より必要な量の素材が準備できないと思われます」
するとニヤリと笑った男が待ってましたという顔色も滲ませながら応じた。
「ふむ…、隊にはエルフが造る剣などもってのほかだという意見も多いのだ。だが、そんな差別意識は捨ててアレックスの妻の手腕を評価しようという話なのだがな…」
先般のエルフによる襲撃の記憶が生々しい現在のこの街では、軍隊に限らずエルフに対する忌避感や憎悪が以前より強まっているのは事実だ。従来からこの街で暮らしているエルフやハーフエルフ達へ対しての風当たりも決して優しいものではない。
「ああ、それはその通りだ。軍でもエルフを嫌う者は少なくない。しかしお前の剣はとてもいい。一本でも多く我が軍の兵に持たせたいと考えているのは本当の話だ」
と、もう一人の背の高い軍人が半分申し訳なさそうな顔で付け加えた。
確かに一般兵の多くが使用する支給品の剣は大量生産品で品質も安定していない。リンシアがアレックスに対してそうであるように、少しでも良い物をと思う気持ちは理解できる。
そんないろんなことが頭の中を駆け巡って黙ってしまったリンシアに、狐顔の男は打って変わった猫なで声で話しかけてくる。
「材料・素材については商人に準備させる。軍の為ならばと一肌脱いでくれる頼りになる奴らだ。必要な物はすぐに相談するがよかろう」
最初から軍の依頼を断ることなど想定すらされていない雰囲気のうえに、リンシアにしてみれば軍内でのアレックスの立場についても気掛かりだ。
「申し訳ありません。夫と相談してからお返事差し上げるということでよろしいでしょうか」
こう言って場を収めるのが精いっぱいだった…。
リンシアは、軍人二人に言った通りにアレックスと話し合った。
強引だが街を守る軍からの依頼だ。今回は断ることまではせず、納期と納品数についてアレックスが調達班としっかり交渉をして無理のない範囲とした。
渋々始められた剣の製作は、そういった請け負うまでの経緯はともかく、夫アレックスの軍の仲間の為という点に関してはリンシアにとって大きなモチベーションと喜びでもあるので、作業そのものはそれほど苦にはならず。リンシアは丹精込めて市販品としての物よりも少し良い状態にまで剣を仕上げていった。
だが、リンシアがそんな風に前向きに取り組めて達成感を感じられたのはこの最初の依頼だけだった。
初回の納品が済んだ一週間後に突然、例の狐顔の軍人から依頼されたと言って商人が大量の素材を持ち込んできた。
「……いえ、そんな話は聞いてません。こんなにたくさん持ち込まれても困ります」
「そんなはずはないぞ。軍からうちへの注文書に、ほらちゃんと書かれているだろ。これ全部この鍛冶工房に搬入するようになってる」
「うちが依頼された剣の製作はもう終わっていますから、何かの手違いです」
とリンシアが言っても、文句は軍に言ってくれの一点張りだった。
間の悪いことに頼みのアレックスは短期間ではあるが遠征に出かけている。
やむを得ずリンシアが独りで軍本部に談判しに行っても、店に来た二人の軍人のどちらにも会えずじまいで、挙句には今になって注文書を渡される始末だった。
「この注文は、司令官直々にお前の夫のアレックスに話があって、アレックスも快く了承済みの話だそうだ」
話を取り次いでくれた兵士はリンシアにそう言ってくる。
こんな大事な話を夫が自分に言わないはずがないという言葉がリンシアの口から出そうになったが、何とか直前に呑み込んでリンシアは家に帰った。
何か得体のしれない不穏なものを感じて思い悩んでしまったリンシアが追い打ちを掛けられたのは翌々日。
狐顔の男が独りでリンシアの店を訪れてきたのだ。
「どうして製作を始めていないのだ? 軍からの注文の納期は絶対厳守だぞ」
「いえ、私は請け負っていませんから。夫からも何も聞いておりません」
「はぁ…。将来を有望視されているアレックスの立場が悪くなってしまうことは避けたいものだがな…。そういうことなら仕方ない」
「ちょっと待ってください。それはどういう意味でしょうか?!」
強い詰問口調になったリンシアを睨みつけるような。それでいて嘲っているような顔つきの狐顔の口が歪に開かれて言葉が発せられる。
「……取り敢えずは、アレックスが参加している今の遠征の期間は延長されるかもしれない。そしてお前の夫はそのまま街に戻ることなく前線の哨戒任務に就くということもあり得るだろう。まあ、補給が可能な所ならよいのだが…。森の深い所では予測不能な事態も。特に最近は魔物が増えてきたとも聞いておるしな」
リンシアは血の気が失われるような感覚を覚える。
そして同時に怒りが込み上げてきた。
「……どうして。どうしてそんなこと言うんですか」
「元々、エルフの妻を持つ兵士はそんなものだ。一般の兵士以上に軍への忠義を見せるべきだからな」
泣きそうだが、泣いてる場合じゃないとリンシアは拳を握り締めた。
「私はハーフエルフです」
「ふむ…、エルフもハーフエルフも見分けがつかない。そこは区別されてはおらん」
◇◇◇
自分は罠に嵌められて理不尽な計画に無理やり組み込まれてしまった。
今になって振り返ってみると、素材を納品してきた時の一方的な言動が明らかに変だった商人は軍の調達担当であるあの狐顔の男と結託しているのだろう。そう推察したリンシアはただじっと黙って考え続けた。
エルフの軍勢から襲撃を受けて以降、街ではエルフ種に対する忌避や排斥感情による有形無形の差別があるのは事実だ。しかし、だからと言って今回の件にイシャルディーナの軍が組織立って積極的に関与しているとは思えないが、逆にどの程度の人数が関わっているのかも分からない。
正規の軍務の体裁を保ってはいるものの、アレックスを人質に取られて脅迫されているようなこの状況。軍の誰にこのことを相談すればいいのかリンシアには見当もつかないし、仮に狐顔の男の計画と無関係な人物に話が出来たとしても果たしてリンシアの言い分は信じて貰えるだろうか。
ひとまずは要求に応じる姿勢を見せるしかなく、とにかくアレックスが街に戻って来れることを最優先にすべきだ。
『……今後、貴女の周囲にはいろんな人が集まるでしょう。それは決していい人ばかりとは限らない。ううん、むしろ邪な目的が在って貴女を利用しようとする人が多いと思う』
苦悩するリンシアの頭の中では、あの魔族の女がネックレスを着けてくれた際に言ったこの言葉が幾度となく繰り返されている。他人には見えないネックレスを指先でそっと触れながら、リンシアは思った。
───アドラーさんは、こんなことが起きると予見していたのかな…。
それからのリンシアは剣の製作に没頭した。
これまでにないペースで剣を仕上げていくうちに、何か一つ壁を打ち破ったような感じで自分の技術が上がり製作効率の向上を自覚したが、リンシアはそれを素直に喜ぶことは出来なかった。
そんな最中。結婚のお祝いに訪れて以来、時折顔を出して世間話をしていくリンシアと同じハーフエルフの女性から聴かされた内容は、街の状況がいよいよ怪しくなってきていることを示していた。
「昨日またエルフが街を出て行ったよ。イシャルディーナに残っているエルフ種は、私達ハーフエルフを合わせても少なくなってしまったわ…」
「……そうですか。皆は街を出てどこに行ってるんですか?」
「エルフとの諍いが無い東方に行った人も居たけど大抵はエルフの国に行くしかないのよね。だけど、そこに行っても今度はヒューマンの国の住民だったという理由で差別は受けるみたい。それでもイシャルディーナに残るよりはましだろうって感じ…」
とにかくアレックスが街に帰って来てくれさえすればと、リンシアは一途にその思いだけで槌を振るって剣を鍛え続けた。そして不可能だと思えた数の剣の製作完了までやっと見通しがついた時、アレックスが送り込まれている前線からの知らせがリンシアに届いた。
リンシアの切なる願いは報われなかった…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます