第380話 リンシアの記憶②
突如、エルフの軍勢がヒューマンの街イシャルディーナを襲った。
先行したエルフの大軍によるヒューマン支配域への侵攻は、結果としてヒューマンの軍勢の多くを街から離れた地に誘い出すことに成功し、手薄になった街に別動隊が襲撃を仕掛けた。
エルフの狙いは、憎き宿敵ヒューマンの軍の拠点となっている街を叩くこと。
どうやら最初からその一点に狙いを絞った作戦だったことを後に住民たちは知る。
襲撃から命からがら逃れることが出来た住民は少なくはなかったが、リンシアの両親はそうでは無かった。敵に追われて逃げる住民を助けるべくエルフ軍の兵の行く手に立ち塞がり、母親は魔法を幾度も撃ち父親も矢を放ち剣を振るい、最後は互いをかばい合うようにして力尽きた。
その日リンシアは素材の買い付けの為にイシャルディーナの街から半日ほど離れた小さな鉱山がある山村へ出かけていた。異変を聞いてその村に駐在する兵士達と共に街に戻った時には既にエルフの軍勢は引き上げていて、戻ってきた兵や住民が救援活動を始めている中、多くの建物が焼かれた焦げ臭さが惨事の生々しさを物語るように残っていた。
リンシアは、変わり果てた両親の亡骸の前で一日泣き続け、そして弔いを行った。
家同士で互いに支え合ってきた隣家のアレックスの家族は誰一人として行方は判らず、父親の仕事仲間数名が参列しただけの寂しい葬儀だった。
不幸中の幸いだったのは、街の中心からは外れているリンシアの家もアレックスの家もエルフ兵が放った火を免れていたこと。家の中も特に荒らされてはおらず、鍛冶仕事を行うことに支障は無かった。
アレックスの家族が戻ってくるまではと、リンシアは自分にそう言い聞かせて隣家の雑貨店も自分の家と共に守りながら数日を過ごした。
「リン!」
出撃していた隊と共に街に戻ってきたアレックスが、リンシアの家へ走り込んできた。アレックスの目に浮かんでいるのはリンシアの無事を知った安堵と、怖い思いと心細さを味合わせてしまったことを悔やむ色。
「アレックス、あのね…。お父さんとお母さんが…」
大粒の涙を流してそれ以上は言葉を続けられないリンシアを、アレックスは強く抱き締めた…。
その翌日には、軍に保護されてそのまま治療を受けていたアレックスの母親が痛々しい姿で戻ってきた。彼女は多くの住民と共に街の外の森を目指して逃げていた時に、追ってきたエルフから矢の攻撃を受けたという。
再会を喜んだリンシア達三人だったが、アレックスの他の家族の消息は結局、判明することはなかった。
アレックスの母が戻ってからは、リンシアは鍛冶仕事に没頭した。
生き残っていた職人でもまだ仕事を再開していない鍛冶職人が多い中、いち早く仕事を始めたリンシアの元には街の復興に必要な工具、武器や防具などの注文が数多く寄せられた。
今は質よりも量だと、リンシアは特別な仕上げは施さない安価な製品を多く作っていった。それでも一般的な基準で言えば相当に良い品に仕上がっていて、その評判が新たな客を呼び、既製品を求める来客や注文は途切れることが無かった。
両親を失った悲しみを紛らわせるようにリンシアは日中は市販品の生産に勤しみ、夜はアレックスのための武器や防具の改良点を考察し試作品を造る日々を送った。
そんなある日。一人の女の旅人がリンシアの店に現れた。
店頭に並ぶ何点かの商品を購入してから、女はひと目見ればすぐにかなりの業物だと判る自身の剣をリンシアに見せて、是非ともリンシアが武具を造る様子を見学させてほしいと言った。リンシアは試作品の武器や防具を見せて女が発する質問に答えたり、温めているアイディアなど時間を忘れていろんな話をした。
日が暮れて、リンシアはこの家で良ければと女に自分の家に泊まることを勧めた。
街の食料事情は商人の往来が復活したうえに周辺の町や村からの支援のおかげもあって不足はない。しかし家などの建物はまだまだ復興の最中で、今の街には旅人が泊まれる宿は十分ではない状況だ。
連れも居ない女の一人旅。同性としての懸念もあったが、リンシアはその女が醸し出している自分の母親とよく似た長命種ならではの落ち着きある雰囲気や惜しみなく訊かせてくれる様々な見識の深さに魅力を感じていたのだった。
二晩をリンシアと共に過ごした女は朝食を食べ終わると、その日の昼に旅立つ予定だと告げて出立の用意を始めた。そして親身にもてなしてくれた礼として、女はリンシアにかなりの金額を無理やり手渡してくる。
金額の多さに逆に恐縮してしまったリンシアだったが、同時に寂しさと名残惜しさも感じていて、あと少しの間はこの人と話をしていようと気持ちを切り替えた。
すっかり打ち解けた二人の関係を示すかのようにリンシアは何気に女に尋ねた。
「アドラーさんは、エルフじゃないですよね」
「ええ、見ての通り。エルフの血は全くこの身体には流れていないわよ。ん? どうしてそんなことを?」
「あ、その…。私は見ての通りのハーフエルフで、エルフの母をずっと見てたからなんとなく感じるんですけど…」
「なるほど。長命種じゃないかって意味ね…。ふふっ、リンシアちゃん鋭い。まあでも、見る人が見ればわかるものよね。それに二人でずっと、あんなにたくさん話をしたから判って当たり前かな」
「はい、雰囲気が。ですね…」
女はニッコリ微笑んだ。
「リンシアちゃん、他の人には内緒にしててよ。私はね…、実は魔族なの」
「えっ? 魔族…? ですか」
「そう。噂ぐらいは聞いたことが有るわよね。今だと、エルフとの間で大きな戦争が始まりそうだとか…」
「はい、本当なのかどうかも良く解りませんでしたが、そういう話は友達から聞いたことがあります…。って、もしかしてアドラーさんは隠密なんですか?」
リンシアがそう言うと女は吹き出すように笑った。
「ぷっ、あはは…。うん。そうね、お忍びだというのは間違いないんだけど、ヒューマンの国と敵対はしてないからそんなのじゃないわよ」
女は、考え込んでしまったリンシアを優しげな笑みでしばし見つめたが、今度は悪戯を見つかってしまった子どものような笑顔に変わる。
「まあでも…。身分を偽ってるのは事実だし怪しまれても仕方ないわね。実はこのアドラーという、アイリーン・アドラーという名前も偽名なんだ。ごめんね、騙すようなことして」
あ、そうそう。と女は話を続ける。懐から取り出したネックレスをリンシアの目の前で広げて見せながら。
「これをプレゼントするわ。正体を見抜かれた口止め料って訳じゃないわよ。元々渡しておくつもりだったの」
「……?」
「着けてあげる。少し調整する必要があるのよ。魔法を弄るからじっとしててね」
リンシアに背中を向けさせた女はネックレスをリンシアの首筋で留めると、リンシアには全く解らない何か意味不明の言葉を囁きながらネックレスに魔法を掛けた。
「……この通り、短いからずっと着けてても邪魔にならないわ。そしてこのネックレスはこうしてちゃんと着けてしまうと実は周りの人からは見えなくなるものなのよ。じゃあ何の為のアクセサリなんだって思うでしょ…。これには特別な魔法が掛かってるの。そうね…。いざという時に守ってくれる類だと思ってちょうだい」
「えっ、そんなの凄く高価な物じゃないんですか?」
この質問には答えずに女は真っ直ぐリンシアの顔を見つめて話し始めた。
「リンシアちゃん、貴女は鍛冶の天才よ。神の祝福と呼ぶべきなのか私にはわからないけれど、貴女のその天賦の才はおそらくはこの世界で唯一と言ってもいいもの」
「……」
「今後、貴女の周囲にはいろんな人が集まるでしょう。それは決していい人ばかりとは限らない。ううん、むしろ邪な目的が在って貴女を利用しようとする人が多いと思う。だからそんなことに困った時。もう逃げだしたいと思ったら、このネックレスに魔力を籠めながら思いをぶつけて頂戴。必ず私に届くわ。そうしたら私は、なるべく早く助けに来るからね。だから少しだけ待ってて…」
◇◇◇
エルフの襲撃から約一年が過ぎた頃。
街の復興は進み、広く焼かれていた街も以前の様相を取り戻してきた。復興に先立ってイシャルディーナの軍は大幅に増強され、もう二度とエルフ軍の好きにはさせないという決意がそこには表れている。
そのことを内外へ如実に示したのは新しく着任した軍司令だった。
中央政府から派遣されたその司令官は、イシャルディーナの軍の体制を改めると同時に街の改革にも乗り出す。街の代官をも凌ぐ権力を伴った彼の方針は徹底しており、ヒューマン支配域への侵攻に対する防衛と民間人を大量虐殺するという暴挙に及んだエルフへの報復に注力したのだった。
リンシアは相変わらず一般の住民向けの日用品を中心に頑丈で使い勝手のいい品物を作成しつつ、アレックスのための武具の改良を続けていた。
目指したのは、あの魔族の女が見せてくれた業物の剣だ。
「この剣はダークエルフに所縁があるらしいわ…。前の持ち主に会ったことはないから、らしいってだけで正確なことは私も知らないの。でもね、ダークエルフは戦闘に特化した種族だと言われてるんだけど、それだけじゃなくてその武術を支える優秀な鍛冶職人が居るのは事実よ…」
女の剣で試し斬りをさせてもらった時の感触など、昨日のことのようにリンシアはその身体で覚えている。
同じようなものは造れなくても、完全な武具というものに対する自分なりの解釈で優れたものが造れないか。日々、そのことに腐心してリンシアは考え悩み、試行錯誤し続けた。
一方、争い続けていたエルフの国との関係に変化の兆しが見え始めた。
ある日偵察の任務から戻ってきたアレックスが、リンシアにこんな話をした。
「……明らかに戦闘を避けてるんだよ。以前だったらすぐに魔法を撃ってきたエルフが、最近だと姿が見えたと思ったらさっさと退却していくんだ」
「それって、やっぱりこっち方面からは手を引いてるってことなのかな」
「大規模な侵攻でもしない限りは、ヒューマンはほっとくみたいな…、なんとなくそんな感じ」
「魔族との戦争に備えてるから?」
そう尋ねたリンシアにアレックスは大きく頷いた。
「うん。どうやら、その線が濃厚というのが軍としての見立て。魔族は強大だからエルフは全戦力を結集する必要があるんだろうって」
「……じゃあ、ここが今平和なのは、魔族のおかげってことになるね」
リンシアはそんな呟きを漏らしながら、何でも受け止めてくれそうな母親のようでありながら友人のような親近感を覚えた魔族の女のことを思い出していた。友人が少ないリンシアにとって、あの魔族の女と共に過ごしていろんな話を交わした数日間はとても大切な一生の思い出として残る経験だった…。
元々このヒューマンの国としてはイシャルディーナより先の未開の地に領土を広げるような野心はなくただ国境線を維持したいだけだ。エルフ側からしてみれば、そもそもイシャルディーナの辺りは自分たちの土地だったという言い分はある。
そんな双方の言い分や両者に鬱積した怨恨や不満はともかくとして、これ以上争うこと無く平和が維持されるのは、そこで暮らす住民たちにとって現実的に喜ばしいことだ。
だが、報復よりもそんな平和を大切にしていたい住民たちの思いはいざ知らず。軍司令は、増強した戦力を背景に攻勢を強める決断をする。それは、その頃には軍の精鋭部隊に抜擢されていたアレックスがまたもや最前線に送られるということを意味していた。
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