第379話 リンシアの記憶①

 そうやってスピアナーガ二体を葬ってしまっても、最も警戒していたデカい奴にここまで動きは無し。奇妙なことに俺達に対する害意・敵意どころか戦意も無いのは探査で感じ取れているし、なんとなく感じられる所作としてもそう見えている。


 魔法停止の合図を出すと、ニーナは掛けていた加重魔法を解除した。

「効いてないみたい。重力魔法への耐性がとんでもないわ」

 驚きと共に諦めを滲ませた口調のニーナの言い分はもっともだ。

 戦いの当初からニーナがこいつの動きを抑える為に掛け続けていた加重魔法は、想定外の効果の無さを認めたニーナがどんどん威力を増したせいで、サイクロプスの身体でも圧し砕いてしまえる程に強いものになっていた。


「効いてない訳じゃないけど、まあ確かに耐性は高そうだな」

 と、俺がそう応じたその時。


 不意に頭をもたげた巨大スピアナーガは首を回らせて、天井を見上げるように顔を上に向けた。

 反応しているガスラン達へ、咄嗟に俺は手をかざして動きを制止する。

「待って」


 大きさや得体の知れなさを割り引いたとしても、俺達がその気になればこのスピアナーガを討伐してしまうことはそんなに難しいことではない。

 しかし俺がもう少し様子を見てみようと思ったのは、頭をもたげたスピアナーガの目が閉じられていたからだ。自分を殺そうとしている俺達よりも大事なことがあるように、静かに奴は意識の大半を別のものに向けている。


 何かを待っている…?


 俺の脳内に浮かんだその疑問への答えはすぐに得られた。


 キュキュキユッ…、とアスファルトでタイヤが軋むような音が響き、そしてスピアナーガの体内で急激に膨れ上がった魔力だけでは無い不思議な力。それが一気に迸って巨大スピアナーガの中から虹色に輝きながら噴き出した。太い胴体の身体を中から突き破ったその波動は、次の瞬間には再び内向して収縮する。

 身体の内から発してまた元に戻る。そんな循環の動きを繰り返す波動が、次第にスピアナーガの身体を変質させていった。


 縮んでる? いや、それだけじゃない…。

 変身と言うべきか、それともこれも進化形態の一つなのか。


 異変が始まってすぐ防御態勢を取っていた俺達の目の前で、巨大だったスピアナーガの身体が、繰り返される波動の収縮に伴ってそれ自身も小さくなっていく。

 元の半分ほどの大きさになったところで、俺のすぐ隣でガンドゥーリルを構えているガスランが呟いた。

「どんどん小さくなって行ってるけど、これは進化…?」

「……判らない。今は鑑定が効かないんだ」

 ナーガから視線を外さずにそう応じた俺に、エリーゼが声を掛けてくる。

「なんとなく喜んでる感じ。縛られていた状態からの解放…、みたいな」

 魔眼にはそういう人間的な感情に近い色が見えているということなのだろう。

 ここでニーナも話に加わってきてエリーゼに問い掛けた。

「それって、それなりの知力があるからこそだよね」

「うん、元々知力は結構高そうよ…」


 輝く波動に包まれたスピアナーガの身体は更に縮小を続けている。

 警戒は続けている俺達だが、ダンジョンで未知の魔物に遭遇したこの状況なら在って当たり前の脅威は全く感じていない。


 そうやって見守っていると、満を持していたようにゆっくりスピアナーガの目が開いた。同時に振幅していた波動が弱まり始めて輝きを薄れさせていく。

 この妙な見世物もようやく終了かな。と、そんなことを思いながら、もう人間と変わらない程度の大きさにまで縮んだスピアナーガに向けて俺は鑑定を行う。しかし、その結果をちゃんと解釈する間もなく今度は一転して暗転の闇が瞬く間に広がり、俺達全員を含むこの広間一帯が暗闇に呑み込まれた。

 そしてすぐに俺の脳内に膨大な量の情報が流れ込んでくる。

 並列思考をフル稼働させながら精査していくと、とある街の風景が見えてきた。

 これに似た例を挙げるとしたら、アトランセルのブレアルーク子爵邸でフェルに憑りついていた悪霊を浄化したあの時。幼くして亡くなった子どもたちの記憶と想いを俺達の脳内に映し出した走馬灯。


 これは、誰かの記憶…。



 ◇◇◇



 水と緑が豊かな土地に、ヒューマンの小さな街がある。


 そこは国境いの街イシャルディーナと呼ばれ、国境近くの守りの要衝として位置づけられたこの街では、多くの武人・軍人が国の防衛のために従事していた。

 国境を接するエルフの大国とは諍いが絶えない。が、イシャルディーナの街を拠点とするヒューマンの軍もいざ戦いとなった際には勇猛さを最大の武器にして、巧みに魔法を行使するエルフの軍勢を度々撃退し果敢に対抗した。


 ある時期には二つの勢力の拮抗によって生じた均衡状態がしばしの平和な時間を保つことに繋がり、そんな頃、街で鍛冶屋を営む夫婦に娘が誕生した。その子はエルフの母親と鍛冶職人であるヒューマンの父親との間に生まれたハーフエルフだった。

 彼らは夫婦も娘も街の住民として認められてはいたが、敵対するエルフの血脈を持つ者として、母親のみならずハーフエルフの娘も謂れのない排斥や忌み嫌う眼差しを向けられることは少なくなかった。


 リンシアと名付けられた娘はハーフエルフらしく美しく花開く片鱗を見せながら、母親から勉学を習い家のことや父親の店の手伝いをして、両親によく似た芯の強い優しい性格の娘へと成長した。

 親しくしている隣の雑貨店の家族を除けば鍛冶屋に来る客以外は訪れる者などほとんど居ない家で、リンシアは父親の仕事ぶりを見て過ごすことが多く、またそれが大好きだった。いつしか父親の真似をすることから始めた鍛冶仕事も、成長するに従って女性らしからぬ技量を得る程になっていった。



「リン、鍬の刃が欠けたんだ。なんとかなる?」

「アレックス…。貴方また力任せに畑の石を砕こうとしたんじゃない…?」


 鍬を手にして鍛冶屋の店先から声を掛けてきたアレックスと呼ばれた少年は、リンシアの家の隣で暮らす雑貨店一家の末っ子でリンシアとは同い年。


 この街ではどの家庭でも家の近くに自分の畑を持っていて、そこで僅かでも日々の糧を得るのが普通だ。そして商店を営むような家庭では畑仕事は子どもたちに割り振られた大事な仕事である。


 てきぱきと修復を施して刃を磨き直し始めたリンシアの隣で、その仕事ぶりを眺めているアレックスがリンシアに問い掛けた。

「リンは、親父さんのこの鍛冶屋を継ぐつもりなんだよな?」

 チラッとアレックスの方を見たリンシアは、微笑みを浮かべながら手先に視線を戻して答える。

「女の癖に、とか言う人も居るけど。私はそのつもり…。お母さんがいつも応援してくれるの。エルフの国には女の鍛冶職人もたくさん居るから、リンもやれるよって」


 うんうんと頷いたアレックスだったが、少し黙り込んでしまう。


 程無くして、意を決したようにリンシアを見直したアレックスが話し始めた。

「リン。俺やっぱり軍隊に入ろうと思う」

「そう…。アレックスは兵士になるのね」

 以前から仄めかされていてある程度は覚悟していたことだが、不意に発せられた決意表明に思わず手を止めてしまって寂しげな表情に変わったリンシアは、そう言って相槌を返すだけだった。

 場を取り繕うような笑顔のアレックスは精いっぱいの明るさをリンシアに向ける。

「心配するなって。リンの親父さんが鍛えた剣だったら、きっと誰にも負けないよ」

「うん…。じゃあさ、そのうち私がもっといい剣をアレックスの為に打ってあげるから楽しみにしてて」

 リンシアも、アレックスの男の子としての決心に対して明るく送り出してやろうとばかりに懸命に元気を振り絞った声でそう応じた…。



 数年後、リンシアもアレックスもこの世界で一般的な成人と呼ばれる15歳は既に過ぎて、たまにしか会うことすら叶わないながらも互いに日々思いを馳せ、それぞれが自身の仕事として選んだ道を歩んでいた。


 その頃のアレックスが従軍した街の軍隊が相手にしているのはエルフの軍勢だけではなく、最近とみに街の周囲で増加傾向が顕著な魔物と対峙することも少なくなかった。一年ほど前に同期の中では群を抜く速さで見習い兵士から正式な兵士として認められたアレックスも、この日、長期に渡る魔物討伐の任を終えて久しぶりに街に戻ってきたところだ。

 行軍の末に街が見えてきた丘の上で、安堵と喜びをかみしめるアレックスは思いっきり息を吸い込んだ。片手を腰に差した一本の短剣に添え、その硬く確かな感触を感じながら、アレックスは自身の胸の内で大きな声を発していた。


 ───リン、帰ってきたよ!


 街の為、街の人々の為。表向きも含めた大義としてはその通りなのだが、なによりもリンの為に地域の平和を維持したいというのがアレックスの原点だ。

 自分が頑張ればリンを守れる。

 そんな思いは、一兵卒としては目覚ましい戦果を上げる度にアレックスの心の中で一層強く確固たるものになっていった。

 一方、リンシアも常にアレックスの無事を願って神への祈りを欠かすことは無かった。そして御守りだと言って成人の儀の時にアレックスに贈った短剣が、彼女が思いを込めて鍛え上げたとおりに万が一の際には役に立ってくれることを願った。



「今ね、凄くいい剣が仕上がって来てるのよ。土魔法がびっくりするぐらい良くなってるって魔法を見てくれるお母さんも驚いててね…」

「えっ…!? この前くれたこの試してみてくれって言われてる剣も凄いぞ。軍隊の誰の剣よりも頑丈で切れ味は鋭くて、言うことなしだよ…。リンはもう親父さんを越えて一人前なんだなって思ってた」

「まだまだだよ…。何があっても絶対にアレックスを助けられる剣じゃなきゃ」


 エルフの鍛冶職人は魔法を駆使する魔法鍛冶職人だ。その必須となる魔法適性はもちろん土魔法。リンシアの母親は幼いリンシアがいち早く土魔法を発現させたのを見て、父親のような鍛冶職人になりたいと言う娘の背中を押した。母は、ヒューマン社会ではまだ一般的ではない魔法鍛冶は今後の主流になるだろうと見ていた。


 リンシアが造り鍛えた剣は、誰しもが自分の目を疑うほどに特別な物だった。

 エルフの巧みな矢の攻撃に対して軍で支給されている盾が心許ないと愚痴をこぼしたアレックスの言葉を受けて造った盾も同様に。


 アレックスの天賦の才に努力が積み重なった武術とリンシアの無敵の武具は、リンシアの願い通りにアレックスを助けそして守った。

 しかし、その武功は同時にアレックスを多忙にもした。常に最前線で戦うことを求められ、誰よりも数多くの戦闘をこなさなければならなかった。


「リン、貴女の魔法は神様から特別な祝福を受けてるわ。エルフの熟練の魔法師でも真似できないものよ。だからこそ、その技を愛する者の為。大切な人のために使わなければだめよ」

 そう言って優しくリンシアを見守り続けた母親と、いつもリンシアにより良い物を造るためのアドバイスを与えてくれた父親。


 その二人に悲劇が起きた。

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