第371話
丈の短い枯れた草や緑の少ない灌木程度しか生えていない丘陵地帯を進んだ。
王都アルウェンからレヴァイン大公領の領都ロルヴァーナへと向かう行程の二日目からは、そんな丘陵を幾つか越えていく道行だった。
「少し早いですが昼食休憩にしま~す」
と、大公家の騎士が発した声が馬車の中で揺られていた俺達の耳にも届いた。
大きな波のような緩やかな起伏の一つの頂点で停まった馬車から降りて周囲を眺めると、この街道はもう少し先に進めば高さのある丘に挟まれた小さな谷間に続いているのが判った。
同じように周囲を見渡していたニーナがぽつりと呟く。
「今の季節だと本当に殺風景…」
「夏に来ればもっと気持ちのいい草原だったんだろうね」
そう言ったエリーゼには、肯定と共に仕方ないねという表情を見せながらニーナは頷いた。そして、地図と周囲の様子を見比べているディブロネクスが手にしている地図を横から覗き込んだ。
「あの丘の辺りからは少し様子が変わってくるよ。そこから先は魔物も出てくるって話を聞いてる」
ニーナの話を受けて、ディブロネクスはその丘の方に目を向けた。
「ここらだとグレイウルフか、コボルトと言ったところかの?」
「それに加えて、たまにゴブリンって感じみたいよ」
停車してから改めて範囲を目いっぱいに広げた俺の探査には、街道からかなり離れた位置に少しだけ魔物の反応がある。
同様にエリーゼも探査に集中する仕草を見せながら言う。
「うん、グレイウルフ六匹と…。それより遠い所にゴブリンの反応もあるね。三体ぐらいだけど」
煙が上がっていたり余程大きな音を立てるなどというようなことがなければ、日中ゴブリンが遠隔から察知してやって来ることは無い。しかしグレイウルフは知覚的なテリトリーが広い。1キロ程度の距離なら察知して様子見のために近付いて来る。
一行はローデンさんが率いる大公家騎士団約二十名に俺達が加わった大所帯で、多くの騎乗した騎士達と馬車二台という構成だ。それにダンジョンの中の魔物と違ってフィールドの魔物には数の論理がそれなりに機能するので、こちらの数が多ければ大抵の魔物は衝突は避けて離れていくはずだ。しかしそこはやはり捕食を目的とする魔物のこと。空腹だとその限りでは無いという想定はしている。
ガスランと共に座っていた御者台から降りて二人で馬の世話をしていたステラが、続きは任せてくれという感じで近付いた騎士と何か言葉を交わし終えると、
「多分だけど、グレイウルフはこっちに気付いてる」
と、俺が探査で見つけているのと同じ方角を指差した。
馬の世話を引き継いでいた騎士が、ステラのその言葉で俺達が話題にしているのが魔物のことだと察したのだろう。こちらに顔を向けて言った。
「この人数ですから通常なら街道まで来ることはないと思いますが、今の時期この辺りの魔物は飢えてますから普段より警戒が必要です。くれぐれも注意してください」
道中にローデンさんから聞いた話によると、この街道を行き来する商人たちは、近付いてきた魔物の群れには餌を撒いてその場をしのぐことが多いという。魔物の数に対して戦える人数が少ないなどやむを得ない場合があるのは解るが、街道での餌付けのような結果になっていることは否めない。
「殲滅しとくべきかもな…」
俺がそう呟いたらガスランがうんうんと頷いた。
続けて俺は、ステラに声を掛ける。
「ステラ、魔物の巣や拠点を見つけたら教えてくれ」
ステラの超遠隔視は俺やエリーゼの探査よりも有効範囲が広い。
「オッケー。て言うか、コボルトのそれっぽいのは一つ見つけてるよ」
◇◇◇
手っ取り早く出来合いのもので済ませる昼食をあっという間に食べ終えた俺とガスランは、地図上でステラにその場所を教えて貰うと二人で空間転移をした。
転移して現れたのは高さおよそ100メートルの空中。
すかさず重力魔法でガスランと合わせて二人分を支え始めていた俺は、既に下を見下ろしているガスランが指差した方向に視線を移した。
「シュン、あそこだ」
木立に囲まれた中で判りにくいが住居のようなものが幾つか見えて、探査でもコボルト達の反応を捉えていた。
「ん? あー、そうだな。20体ってとこか」
地上に降りてからはガスランと二人で剣で蹂躙。
5分と掛からずに殲滅し終えた俺達は、死体を回収し終えると再びの空間転移。
皆が昼休憩で留まっている所に戻る方向へ飛んだ俺が目指したのは、グレイウルフの群れの上空だ。
今度は現れたのが高さ30メートル程ということもあって、目敏いグレイウルフ達はすぐに俺達に気付き空を見上げて吠え始めた。
「めんどくさいからスタン撃つよ」
「了解」
同じような手順で探査で見えていたゴブリンも討伐し終えると、またもや空間転移で皆の所に戻った。
その最後のゴブリンの死体を回収して転移する直前、ひと通り仕事を終えた意味を示す合図として俺が金色バージョンの光球を打ち上げたら、ガスランが少し間の抜けたような声を発した。
「ん、あれ…?」
一旦、皆の居る所の上空に出て、それから重力魔法で地上に降りてからも思案気なガスランの様子は変わらず。
「お疲れさん。早かったね」
ニコニコ微笑んで声を掛けてきたニーナも、そんなどうかするとボーッとした様子のガスランに対しては怪訝そうな顔になった。
「ガスランどうした?」
さすがに見かねて俺がそう尋ねると、ガスランはくるりと身体ごとこっちに向き直ってじっと俺を見つめてきた。
「……シュン、なんか解った気がする」
「え…? なにが?」
自分の顔の前に右手の人差し指を立てたガスランが、視線の焦点を指先に移して
「ライト…」
と呟くと、ふわりとその指先に灯ったのはとても小さな光球だった。
「おっ、光が発現したのか! おめでとうガスラン」
そう言って俺はニッコリ。心の中でこっそりガッツポーズだ。
実は、先日の神殿での対処の際にガスランには光魔法が必要だと俺は痛感させられていた。随分前にそんな推論を立てたこともあったんだけど、ガンドゥーリルに本来の力を発揮させる為には光属性を持っていることが望ましい。いやむしろ必須なんだろうと、女神のサポートの様子を見てそう理解していた。
全員からもみくちゃにされるという祝福を受けたガスランは、それから馬車に乗っている間も野営の為に降りてからも光魔法の訓練に集中して取り組み続けた。
先生はつきっきりでエリーゼ。
光魔法はフェルが発現した時もシャーリーさんが魔導書で発現させた時もエリーゼがみっちりと指導をしたので慣れたものである。
そんなことがあった翌々日。
ロルヴァーナまでの行程もいよいよ最後となり、登り詰めた丘の頂に達した所で隊列の進行が停まって大きな湖とその湖畔に広がる街並みの風景が目に入ってきた時。帝国の海辺の美しい街ロフキュールを初めて見た時と同じような、どこか懐かしさを覚える感慨を俺は抱いた。
白一色だったロフキュールと違って、ロルヴァーナの街並みはベージュや薄い灰褐色の石と木で造られた家屋と赤っぽいオレンジ色の屋根が多く並んでいる。
土の色や木の植生もここに至るまでの枯れた草原が多かった道中とはすっかり変わり、湖と街の周囲は常緑樹が大半だ。
落ち着いた雰囲気の建物の色合いが、湖の水の煌めきと街中にも点在する森の緑に調和しているような気がする。
そして、そんな街並みの中にはひと際大きな建物が二つ在る。
一つは王国で最も美しい城と称されるロルヴァーナ城。
もう一つが、ロルヴァーナ高等学院だ。
平民の優秀な文官を多く輩出し、大公領のみならず王都の文官の多くがレヴァイン大公家が設立したこの学院の出身者だという。そして武の面においても忠義に厚く強靭な騎士・兵士を数多く育成して世に送り出した実績が高く評価されている…。
俺達はニーナ以外ここロルヴァーナに来るのは初めてなので、おそらくは俺達の為に隊列は止まっていて、景色のいいこの場所でゆっくりと街を眺められるように少し時間を取ってくれているようだった。
その時、馬車の窓の近くにやって来た騎乗のローデンさんが声を掛けてきた。
「ようこそロルヴァーナへ。シュン達をこの街に迎えることが出来て嬉しく思っている。歓迎するよ」
◇◇◇
王都を出る前に、レヴァイン大公家はニーナの親戚筋でもあるしロルヴァーナ城への滞在をかなり勧められた。それを固辞したら、ならばとやはり強く勧められた宿に滞在することになって、そこは貴族や成功した商人が使うようなメチャクチャ高級な宿だ。もっとも、宿代は俺達の指名依頼主の大公家が負担してくれるんだけどね。
ちなみにレヴァイン大公家のグレイシアはまだスウェーガルニから戻っていない。
もうしばらく静養した方が良いという考えとケイレブの場合と同様にキナ臭くなっていた内戦の推移を比較的安全なスウェーガルニで見守るべきだという二つの判断が為されたのだろうと俺は思っている。
さて、宿に到着して部屋に落ち着くとすぐ、ステラは情報収集をしてくると言って宿から出て行った。さり気なく主にニーナの警護のために周囲に張り込んで居る大公家の特殊部隊のような軍人たちは全員確実にそれに気付いていない。
出がけのステラの口ぶりから察するに、このロルヴァーナにも帝国の密偵が居るんだろう。おそらくはその人達との情報交換。俺は、ステラに匹敵する隠蔽能力を持つディブロネクスを念の為の護衛として同行させた。
その後、風呂も夕食も済ませていつものパターンで俺とエリーゼの部屋でノンビリ四人で寛いでいると、やっとステラとディブロネクスが戻ってきた。
「お帰り。悪いな、食事は外で済ませるんだろうと思ったから俺達だけで食べたよ」
と、俺がそう言うとステラは微笑みながら首を横に振った。
「ただいま。ううん、その通りだから気にしないで」
「うむ…、ステラのご同胞お勧めの店の料理はなかなか美味であった」
ディブロネクスはかなり満足げな顔だ。
するとニーナがその話に喰いついた。
「ディブ爺、何食べたの?」
「こう、肉の上にたっぷりとチーズが掛かっておってな…。そして肉自体の味付けもなかなかのものじゃった。お好みで何種類かのソースに少し漬けて食べたりするのじゃ。そして少し硬めのパンが出されてな。意外にこれがなかなかに良い味での…」
と、食べ物談義が始まった中。
ステラが目だけは真剣なものに変わって俺に囁いた。
「ダンジョンのことは、既にかなり噂が広がっているみたいよ。特に商人と冒険者たちの間で」
「そっか…。ローデンさんはそれを一番心配してた。冒険者ギルドは少し浮かれすぎてて情報の封鎖がきちんと出来ていない感じだったから」
「だね。ロルヴァーナ近辺に居る冒険者が先を争って一攫千金狙いで無茶するんじゃないかって、そんな言い方だったね」
俺とステラの話を聞いて心配そうな顔でそう言ったエリーゼに、俺は頷いた。
思わずため息が出てしまう。
「先立って大公軍に出動命令は出してるっていう話だったから、そんな奴らより先に軍が封鎖してしまってるといいんだけどな」
ダンジョンのボス部屋やモンスターハウスで出現することが多い宝箱などのアイテムは、二度と同じ場所には出ないと言われている。第一発見者だけの特典だという考え方が根強い理由がそれだ。冒険者や商人が大公家とギルドの調査が及ぶ前にそれらをゲットすべく殺到する様が容易に想像できる。
中の難易度の判定も出来ていないから危険がどの程度か分からない上に、無法地帯と化して争いごとの火種になり兼ねない。全くもって悩ましいばかりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます