第355話
ステラは、ラスペリアは南の方に去って行ったと言う。
いったいどこに行こうとしているのか。
そして、ディアスの協力者
俺にひと通り話し終わった頃にはエリーゼ達が起きてきて、今はまたステラはもう一度最初から三人に説明をしているところ。
五人でこのまま食事にしようと思って、俺はテーブルの上に料理を並べている。
そうしていてもずっと考えてしまうのは、ラスペリアのこと。
リリスという存在、悪魔種について…。
◇◇◇
イアンザード城塞に向けて、海岸線に沿った街道を俺達四人は北に進んだ。
今回は隠密行動が基本なので全員徒歩。
途中、サラザールの軍が駐留している町はさっさと隠れて通り過ぎて、イアンザード城塞の南側。城塞に最も近い海辺の村に到着した。特務部隊とステラからの情報によると、この村に常駐する兵は居ない。
通り過ぎた町でも駐留していた部隊の人数は少なかった。
これは、既に周辺にまでは手が回らなくなったサラザール軍の実情を表していると思った。
この村は、小さな畑から僅かな作物を得る農業と海辺近くでの漁を生業としている少数の民が暮らす、戸数も数えるほどしかない村だ。
海に面する断崖はこの村から北に進むにつれて高さを増し、城塞がある辺りが最も高くなっている。しかし、まだこの村からは崖を下る急な階段のような小径を通って海に降りることが出来る。村人はここから海に出て細々と漁をしているのだという。
村はひっそりと静まり返っていた。
まだ日が高い時刻なのでてっきり村人は漁に出ているのかと思ったら、村の外れの小屋で合流した特務の隊員が言う。
「漁としてはこの時期は季節外れなことと城塞の方で緊張が高まっていることで、この村の民は南の町に避難していきました」
この隊員は、エゼルガリア陥落後にイアンザード城塞周辺を含むサラザール伯爵領の沿岸地域に何人か送り込まれた公爵家第一騎士団特務部隊の一人。
「舟の準備はできています」
続けてそう言った隊員にニーナは、ねぎらいの言葉を掛けた。
そして、俺達を振り返って頷く。
「急ぎましょ」
「だな」
「そうね」
「行こう」
真下に海を見下ろせる崖の天然の裂け目と海の方に出張った岩の連なり。そこに人が作ったほぼ階段状の小径を降り始めてすぐに、先頭を進む隊員が立ち止まった。
「ここから城塞が見えます」
彼がそう言って指さした方向には、高い断崖の上に建つイアンザード城塞。濃い灰色の城壁が海に面していて、まるで身を乗り出して海を監視しているかのようだ。
低い位置から見ているので城塞の全貌は見えない。しかしそれでも肉眼で見えてきたおかげでいろいろと捗ってきている。
双眼鏡で見ているニーナが、
「ステラが言った通りね。海側の壁には見張りは居ない感じよ」
と、そう言った。
崖を降りた所に在ったのは小さな船着き場。
岩場の海面に近い所を削ったそれは決して広いものではないが、小舟が余裕を持って横付けする幅はあり、今は一艘の舟が繋がれていた。
その舟に乗った俺達は、静かに船着き場を離れた。
舟の動力は、この世界の船舶では一般的な水魔法だ。船底と船尾に着けられた水流を操作する魔道具で推進力を得ている。
しばらくの間、陸から離れて沖に出るように舟を進めた隊員が、緩やかな弧を描きながら舟の向きを北に変えると海に面した城塞の姿がよりハッキリと見えてくる。
イアンザード城塞に張られている結界は、魔法防御と侵入検知。そして物理防御。
いずれも効果はさほど高いものではない。
通常戦力の相手なら城塞自体の強固さを加味して十分なものだが、王国東部の結界技術は、軍団の屈強さの割に弱点だと評価されているウェルハイゼス公爵領の技術と比べてもまだ数段劣るという戦前からの分析を裏付ける代物。
正面に城塞を見る位置に着いて停船させると、隊員は舟の進行を止めて陸に対する向きが変わらないように操舵し始めた。そうしながら、彼は全方位の海中をかなり気にしている様子だ。
目敏くそのことに気付いたニーナが隊員に声を掛けた。
「警戒は必要だけど、そんなに心配しなくていいわ。舟全体に隠蔽掛けてるから魔物には気付かれないはずよ」
「あ、はい…。村の漁師もこの辺は、ほとんど魔物は出ないとは言っていましたが、どうしても気になりますね」
王国東部の沿岸地域に出没する魔物の代表格は、海のゴブリンとも呼ばれるレブンゴブラ。体長2メートルほどのそれらは群れを成して船舶を襲い、硬い鱗に覆われた身体で体当たりして巨大魚のような大きな口と鋭い歯で船体を食い破ることもある。
特徴は二つの長く伸びたヒゲ。これを自在に操って船上の人を搦め獲っては海中に引きずり込む。魚型の魔物らしく泳ぎはとても速い。
そんなレブンゴブラも海の魔物の例に漏れず水深が浅い陸の間近まで来ることはないが、少し沖に出ればすぐに水深が深くなるこの東部の沿岸地域では身近な魔物だ。
そして、この海域で過去に幾度も起きた海の惨事で語られているシーサーペント。
レブンゴブラより深い海底から上がってくるそれは、小さな個体でも体長は15メートルを超える。
魔法防御に優れ、物理攻撃にもかなりの耐性を誇るシーサーペントは、その長い身体で大きな船に巻き付いて砕いてしまうほどの力を持っている。
今日は海が穏やかですと隊員が言っていたとおりに、静かにゆったりと波の上を漂っているような状態で俺達は観察を続けた。
こうして海から眺めると、城塞が建つこの断崖絶壁は海上に突き出た高い壁のように見える。着々とエリーゼと共に探査を進めていた俺は、城塞の中の兵の配置を確認してしまうと、続けてこの断崖を調べ始めた。
舳先に立っている俺は、舵を握っている隊員の方を振り向く。
「少しずつ近付いてくれ」
今回、海から接近することにした最大の理由は、この断崖を調べてみたいと思ったからだ。
断崖が目の前に大きく広がって来た時、断崖の垂直な岩の奥に探査が通っていない箇所があることに俺は気が付く。探査を無効化している強固な隠蔽と遮蔽が施されているのは城塞の真下。海抜200メートル程の断崖のちょうど半分辺りの所だ。
「エリーゼ、この辺」
俺は素早く描いた断崖や城塞の見取り図に、問題の箇所を記してエリーゼにも注意を促した。
「……確かに。遮蔽されてるスペースが在りそう。これって魔力隠蔽だよね?」
「そうだな。気配遮断もしてるっぽいからダンジョンに近い感じ」
「うん。あの辺りの…、50メートルぐらい奥かな」
断崖の真ん中辺りを指差しながらのエリーゼのその言葉に、俺は頷いた。
俺とエリーゼのやり取りを聞き、そして見取り図を覗き込んでいたニーナは双眼鏡を構え直した。
「んー、見えるところには特に何かありそうな感じはしないね」
◇◇◇
夕方近くになって船着き場に戻った俺達は、この日は村に泊まることにする。
来た時の小径を昇って特務の隊員が隠れ家にしている村はずれの小屋に戻ると、そこには先客が居た。
「大丈夫です。彼も特務ですから」
探査で敵ではないだろうことは判りつつも、一応の警戒をしていた俺達に隊員がそう言った。
ニーナへの密書を持参してきたその特務隊員は、書簡をニーナに手渡すとすぐに持ち場に戻ると言った。
そんな彼を、ニーナは食べ物を分け与えてから笑顔で見送る。
「もうしばらくの間、よろしく頼む。だが無理はするな」
「温かい品とお言葉ありがとうございます、殿下。畏まりました」
その後すぐに、ニーナは書簡に目を通し始めた。
読み始めて、その目が険しくなったことには俺達全員気が付いている。
届けられた書簡はソニアさんからのものだった。
イアンザード城塞に関するステラからの警告を受けたユリアさんとソニアさんが、迅速に行動してくれたのだと判る内容。
ソニアさんは神殿の神官達から聖櫃に関する話を聞き出してくれているし、そこの話から、俺がバウアレージュ領で書いた書簡が既に神殿に届いていることも判る。
「……聖櫃の鍵に聖者の祈りが満たされ資格有る者によってそれが開かれた時、聖なる力は授けられる…。神殿にはそう伝わってるみたいね…。ホムンクルスは、聖者の祈りまたは聖者の魂の代わりだと推察される。無垢な魂を生贄として捧げることで聖者の代わりとするつもりだろう…。ということみたい。聖者の話は意外だったけど、生贄についてはおおむね予想していたとおりね」
この聖者の祈りと言われているものは、聖者の魔力と同義だ。
長い時間を掛けて聖者が祈り続けることで、少しずつ聖者の持つ神聖な魔力が聖櫃に蓄積されていく。
その時間を掛けたくなければどうするか。
簡単な話だ。聖者を生贄にしてそこで魔力を迸らせるのだ。
今、この王国で聖者と言えば、おそらくそれはシスティナイシスしか居ない。
「奴らは、生贄にする聖者を連れてくることは出来なかった。そして、その代わりのホムンクルスは全員じゃないにせよ俺達が救い出した…」
俺がそう言うとニーナが頷き、そして俺の言葉に続く。
「イアンザードに動きは無い。それは聖櫃の鍵はまだ満たされていないってことだよね」
「祈りが足りない…」
ガスランがそう言うと、エリーゼが険しい目つきで言った。
「奴らが言う祈りって、生贄から得られる魔力のことだよ。聖者。次はホムンクルス。じゃあその次は…?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます