第356話 城塞

 海からの偵察を行った翌日の午後、俺達は崖の上を辿って城塞に向かった。


 イアンザード城塞は、ほぼ正方形の外壁の中に更に正方形の内壁が造られている構造だ。上から見れば、それは『回』の字のような形。外壁と内壁の高さは同じで、通常の家屋で言えば五階建てぐらいのもの。そして、そんな二重の壁に囲まれた中にこの城塞の本丸だと見做されている建物がある。

 外壁、内壁共にその厚みはそれぞれ5メートル、10メートルと強固なものになっていて、どちらにもその内側の面に回廊や階段がある。

 敵に対する銃眼のように機能する窓が外壁の上層と内壁の中層以上に間隔を置いて作られていて、外壁は海側の面を除いてその窓の所には兵が多く配置されていることが探査で判っている。


 敵の軍に脱走者が相次いでいる話が示すように、城塞に居る兵士達の士気は高くないのだろう。それは肉眼でも見えてきた璧上や門前に見張りに立つ兵士の振る舞いからも感じられる。誰一人として真面目に職務を全うしているとは言えない様子だ。

 そういった肉眼で見える情報と探査などで得る情報を精査しながら、いつものように先頭が俺で少し遅れてガスラン、その後にニーナとエリーゼが続くという布陣。隠蔽魔法で身を隠し断崖の縁に沿って歩いて城塞の南東の角の部分を目指した。


 結界が張られている直前で俺は停止の合図を出す。

 振り返って、俺の後ろで身をかがめた三人に変わりがないことを確認した俺は、結界の無効化の作業を始めた。


 慎重に進めたせいで少し時間はかかったが、結界全ての部分的な無効化の作業が終わると俺達はその結界無効化の穴をくぐる。

 さて、ここからは最初の山場となる予定の純粋な肉体労働だ。

 俺はガスランと二人で、海に面した外壁を見上げる。

「ガスラン。ボルダリングの時間だ」

「うん。帝国でやった特訓以来。久しぶり」

 ガスランは、暇に任せて全員でいろんな訓練をしたロフキュールでのことを言っている。


 海側の警戒は無いに等しいことは判っているので、割と大胆に俺とガスランは外壁を登った。

 いざとなったら重力魔法を使うつもりだが、今日はここまで隠蔽と結界解除以外の魔法は使わずに来ている。敵の魔力感知能力については未知数。出来ることならギリギリまで感知されることは避けたいと俺達全員が思っている。


 スルスルと二人で登り、辿り着いたのは外壁の最上部。銃眼のようなと表現したが、人が一人潜り込める程度には広い窓の所に達した。中に入って、そこからロープを垂らしてエリーゼとニーナが上がるのを待った。



 ◇◇◇



 現在サラザール伯爵軍の総本部は、イアンザード城塞の二重の城壁によって守護された城塞の本丸に在る。その中層のさほど広くはない一室では、今日も軍議が行われようとしていた。

 一同に遅れて席に着き、集まった面々の顔ぶれを見たサラザール伯爵は軍議を開始するよう目で促した。


「……我が軍の現戦力は総勢約三万となっていますが、魔法を使える兵が多く残っていることから籠城の戦力としてはいまだ十分であるという報告が各団から上がっております。継続して警戒と迎撃のための備えを行う、とのことです…。続いて、沿岸地域南部の隊ですが…」


 そんな耳ざわりがいい事柄を選んだような報告が参謀武官の一人から続けられている中、サラザール伯爵はその内容には反応することなく無表情で、ただ思案に耽っている。



 当初、胡散臭いとしか思えなかったディアスの言葉をサラザール伯爵が信用してみようかという気になったのは、彼が聖櫃の場所を正しく示したからだ。


 過去に幾度となく伝説の真偽を確かめるべく調査されてきた。

 城塞の中は徹底的に繰り返し調べ尽くされ、それは城塞の周辺にも及んだ。

 王の血を引く者もそうではない者も、力の魅力に取りつかれたかのように。

 王国の正史には控えめな表現でしか綴られていないそのことは、領内にその当地があるサラザール家では正確に史実として残されている。

 結局、この謎に挑んだすべての者が聖櫃について手掛かりの一つすら見つけることが出来ず、次第に伝説は事実ではなかったのだと解釈されるようになった。


 そんな聖櫃の在り処をいとも容易く示したディアスによって、サラザール伯爵は伝説を目の当たりにすることが出来た。聖櫃を見た瞬間に胸が高鳴り、同時に大きく膨らんできた野望は、元々くすぶっていたサラザール伯爵の不満と欲望に火が点き燃え上がったものだ。



「……まだだ。ここまでやって諦められるか」

 つい、そんな言葉がサラザール伯爵の口から洩れる。


 えっ? と、問い返すような眼の色で伯爵を見た参謀に、サラザール伯爵は言葉を投げかける。

「傭兵はどの程度残っている? かなり逃げ出してしまっただろうが、まだ少しは居るだろう?」



 ◇◇◇



 俺達は城塞の中に降りて、内壁の南通用門の近くに辿り着いた。第一段階として目指していた木造二階建ての建物がここにある。

 この建物は冒険者ノエルが住み込みで働いていた商会の店舗兼住居だ。軍の了解を得て商会がここに建てたもの。

 歩哨が立つ通用門からは死角になっている裏口を開けて、その無人の建物の中に俺達は入った。


「食べ物屋?」

 と、ガスランがこの家の一階店舗部分に残る匂いを感じたのかそう言った。

 その言葉を受けてニーナが応じる。

「なんでも屋って感じじゃない? ノエルはそんな感じで言ってたし」

 エリーゼがうんうんと頷いて、

「下着とか生活雑貨、お酒や飲み物と軽い食べ物だったかな。たまに屋台みたいな感じで店先で焼き物を売るとたくさん兵士が集まったとか言ってたね」

 そう言いながら、何も残っていない棚だけの店の中をぐるりと見渡した。


 住居として使われていた二階部分に残っている物は、少しのごみの類の他には何も無く、俺達はそこで日が暮れ夜が更けるのを待った。


 そうする間もずっと探査で意識して見続けるのは主に中央の建物の中だ。

 外壁や内壁、そしてその間の中庭のようなスペースに数多く張られたテントに居るのは一般の兵士だと思われる。かなりの厚みがある内壁の中には兵の居住区もあるという話を聞いているが、今の兵士の数ではそこに収容しきれないのだろう。

 そして、中央にある建物にはサラザール軍の精鋭部隊や幹部連中、そしてサラザール伯爵含めた貴族たちが居ると推測している。ここまでまだディアスたち魔族の反応が無いことを訝しく思っているが、奴らは地下深くの例の隠蔽された領域に居るに違いないと俺は睨んでいる。



 夜が更けて兵士の動きも少なくなり、そろそろ次の行動に移ろうと思い始めていた俺は、突然現れた反応に注視する。


 ふむ…。やっと出てきたか。


 それは中央の本丸の地下。

 隣に座り込んで半分居眠りしているガスランの肩を叩いた俺は、

「魔族が出てきたよ」

 と、全員に聞こえるように言った。


「二人…、だね」

 エリーゼがすぐにそう応えた。

 今回の騒動に関わる魔族の残りはディアス含めて、あと三人から四人と見ている。


 二人は何をするのかと思っていたら、現れたばかりのその地下室に居た五人と共にすぐに反応が消える。

「転移か…。間違いなくそうだろうとは思ってたけど、やっぱやっかいだな」

「転移魔法はどんなのか分かった?」

 そう尋ねてきたニーナには、首を横に振る。

「そこに行けばちゃんと解析できるだろうけど、今は固定転移だなっていう程度。なんとなくダンジョンのゲートっぽい感じ。魔法の隠蔽はかなりきっちりやってて今も発動したから分かっただけで、待機状態の時に探すのは難しいかもしれない」


 これはディアスたち魔族の技術だろうか。

 俺の勘は違うと言っている。おそらくは聖櫃を置いた当時の神殿の技術。

 ディアスは、この転移装置の場所と起動方法を知っていただけだろう。


 目的の場所へ繋がる手掛かりは掴めたので、俺達は予定を少し変更することに。

 とは言え、城塞の中心の建物に侵入する方針は変わらないけど。


 さて、感知されることを懸念しての魔法自粛期間はこれにて終了。


「さーて、いっちょ派手に行きますか」

「「「了解(待ってました!)」」」



 ◇◇◇



 サラザール伯爵は、ディアスと予め決めていた時間に地下室に来た。

 自身の近衛である親衛隊の兵三名と、城塞に残っている傭兵達のリーダー格の男と共に。


 城砦中央の地下三階に該当する場所にあるこの地下室は、神殿が城砦の建造に積極的に関与したことを示すような聖堂の様式になっている。一般に認知されているのは、この地下室の本来の目的は地下シェルターのようなもので、いざという時の避難場所として造られたというのが通説。

 この床部分に巧妙に隠されていた転移装置を起動したのがディアスだ。


 時間になって床に魔方陣が浮かび上がって光ると、そこに現れたのはディアスの部下二名の姿。

「さあ、行こうか」

 誰よりも早くそう言ったサラザール伯爵は、転移魔法の範囲内となる床に進む。

 親衛隊員が、驚いているばかりの傭兵の背中を押して後に続くことを促した。



 転移で現れたサラザール伯爵達一行を一瞥したディアスは、人数の少なさに内心がっかりした思いは表に出さずサラザール伯爵に微笑んだ。

 そんな愛想笑いには反応せず、サラザール伯爵はディアスの耳元で囁いた。

「取り敢えず一人やって見せてくれ。それで意味があるなら、続けるかを決める」

「解った。そうしよう…。あの傭兵風の男か」


 その傭兵の男は転移に驚き、そして今は前方に見えている台座に安置された聖櫃の神々しさに圧倒されている。


 施された緻密な装飾の美しさを際立たせるような淡い金色の光を発している聖櫃は、シュン達が見たらド派手な特別バージョンのダンジョンの宝箱かと言いそうな物だが、その大きさはどうかすると少し大きめの棺のようにも見えるものだ。そして宝箱や棺なら有って然るべき開閉可能な蓋の部分が、聖櫃には見当たらない。

 そんな聖櫃が置かれた台座の周囲には底が見えない幅2メートル程の溝が在る。こちらの床と台座がある所に繋がった部分はどこにも無く、そのせいで聖櫃に容易に近付くことは出来ない。


 サラザール伯爵が選んで連れてきた傭兵の男の最後は呆気ないものだった。

 聖櫃に近付く伯爵たちに倣うように足を進めた彼は、床が途切れている縁からその深い溝の中を何気に見下ろしたその直後、後ろから付き飛ばされる。

 叫び声が響き、黒い闇の中に男の身体が落ちると、ジュッと一瞬で男が燃え尽きてしまったような音がした。そして溝全体の底から黒い煙のようなものが吹き上がる。

 聖櫃の神々しい金色の輝きとはあまりにも対照的なその黒い煙は、人の背丈よりも高い位置まで伸びるがすぐに鎮まって溝の中に戻り、その禍々しい煙は消える。


 ディアスは、溝の中を覗き込んで思う。

 明らかに、さっきよりも水位が上がったかのように上昇した溝の中の黒く渦巻いているもの。


 ───ラスペリアは100人と言ったが、この分ならあと2、30人か。


「伯爵、あと30人といったところだ。さて、どうする?」

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