第354話 ラスペリア

「あいつは、ラスペリアは魔族でも人間でもなかった…。リリスだったよ」

「リリス?」

 俺は、思わず大きな声でそう問い返した。


 ステラは険しい顔つきのままで頷く。

「シュンもこっちの神話で読んだことくらいあるでしょ。半神半魔。全ての悪魔種の祖と言われる、あのリリス」


 並列思考が唸りを上げ続けているそこに、俺は処理を無理やり追加で捻じ込む。

 脳内ライブラリを検索…。


「ちょっと待ってくれ。頭が追い付かない。タイム、少し時間をくれ」

 俺はカップに手を伸ばしてそこに残っていた紅茶を飲み干した。



 堕ちた神の一柱だという話と、ヒト種との間に生まれた神の落胤・落とし子だとされた二通りの起源が書に著されているリリス。共通しているのは、その姿は神々しいほどに美しいものであったということ。だからこそ半神と称されている。

 神界に戻ることは叶わず世界に留まったそのリリスこそが、後に多くの種が出現する悪魔種の祖であると伝えられている。

 但しリリスは、サキュバスやヴァンパイアのような現代の人間社会の記録にも明記されている存在とは一線を画す悪魔種だ。リリスの現代における実在を示した記録は、俺が知る限りでは無い。


 俺は何度目かの溜息を吐いて、ずっと俺を見つめているステラを見つめ返した。

「リリスが悪魔種の祖だという話は俺も知ってるが、逆にその程度しか知らない」

 ステラはコクリと頷く。

「本当に全ての悪魔種の祖なのか…。それは私には何とも言えない。ただヴァンパイアの間で語り継がれている話には、リリスは神によって種の存続を封じられていたという話もあるのよ」


「それは、増えないという意味でいいのか?」

「うん。リリスはリリスを産みだせないというのが正確な表現ね。だけど実際のところは分からなくなったよ」

「その話が本当なら種としては絶えているはず」

「そういうこと」


 しかし、サキュバスのように永遠に生きそうな悪魔種もいる。それは目の前にいるトゥルー・ヴァンパイアのステラだってそうだ。本人は全くそんなことは望んではいないけれど。


 バックグラウンドではまだ考察の嵐が続いている。しかし一旦リリスについて考えるのは止めて、今回戦う羽目になった経緯を俺は尋ねた。


 ステラは、そうね。そこから説明しないとね。と言って話し始める。


「私、シュン達がやっつけてしまったあの軍団の後を付けて来たの。イアンザード城塞を監視してたら、いきなりゾロゾロ出てきたからね」

「ふむ…」


 ステラは、サラザールの騎兵軍団がエゼルガリアに入ってからも街の外からの監視を続けることにした。俺達の足手まといになりそうだったから。そして、もし他の諜報機関が監視をしていたら、接近して素性を確認するつもりだったからだと。


「……戦闘が終わった頃、突然何かから視られてることを感じた。それはドニテルベシュクに視られたあの時の感じに似ていて。でも、アイツみたいなおぞましさ、身の危険を感じるほどでは無かったけど」


 俺は、エリーゼが焼いたクッキーを入れた皿を取り出してステラの前に置き、紅茶のお代わりをステラと自分のカップに注ぎながら問う。

「視線は、ステラをずっと見てた? それともその時から?」


「その時からだと思う。たまたま私に気が付いたみたいな言い方だったから、最初は街の様子を見てたってことなんだろうと理解してる」

「いつもの隠蔽は掛けてたんだよな」

「もちろん」



 ◇◇◇



 見えている実際の爆発よりも爆発音が遅れて聞こえてくる。

 エゼルガリアからは遠く離れた森の中。

 アルヴィースが行う破壊行為を超遠隔視で観察していたステラは、サラザール城が沈んでいく様を見て。あ、これで終わりだな…。そう思って少し緊張を緩めた。

 それでも、ウェルハイゼス公爵軍が次々に街へ入り始めたことを知ると、思い直したように今度は周囲の監視に注力した。

 かなりの数の兵士が街から逃げて行ったのは、最初の頃から見えていた。東に向かう者は少なく、大半は南へ走っている。


 エゼルガリアを中心とした周囲をぐるりと視ながら、逃げた兵達の行く末をいろんな意味で案じていたステラは、次の瞬間身体を強張らせた。

 突然頭の中に警鐘音が響いたからだ。

 ステラが真祖の本能のまま常に張り巡らせている警戒レーダーのような自動探査のようなものが、あのドニテルベシュクの時以来の警告を発していた。


 しかしステラは驚きの直後、あの時とは警告の強さが違うことに気が付く。


 視られてる…。けど敵意は無い?


 そう思いながら、決して性質のいいものではないことは判っている。

 相手からぞわぞわと感じるこれは、自分に対する強い関心、興味なのだと悟った。



 接近は、どちらからともなく互いから。


 ステラの遠隔視で見えているそのものの姿は人間の女性の形だが、本質は自分と同様の人外だということをステラは既に理解してしまっている。

 シュンがくれたショットガンをいつでも出せることを確認し、心の平穏と油断しない集中を呼び覚ますべく気合を入れながら、ステラはゆっくりと歩みを進めた。


 互いの距離が20メートル程に縮まった時、二人はほぼ同時に足を停めた。


「今日はいい日だわ。同族に会えるなんて」

「貴女は何者? 何をしてるの?」

 ほとんど同時にそんな言葉を発し、一瞬の間が空く。


 フフッと笑って女は口を開く。

「私はラスペリア…。今はそう名乗ってるわ。サラザール軍がやられるさまを見物に来ていて、偶然貴女を見つけたところよ」


 ステラは言葉が出ないほど驚いているが、それを懸命に払拭して問い返す。

「……その名前はディアスの協力者の名だと聞いてるけど。それは間違いない?」


 ラスペリアは目を見開いておどけるように驚いたことを誇張して見せると、またもや満面の笑みを浮かべた。

「凄いわね。そこまで判ってるんだ…。だけどその情報は少し古いわ。協力者だった、というのが最新情報よ」


「そう…。おとなしく捕まってくれる?」

 ステラがそう言うと、ラスペリアは一転して不敵な笑いに変わった。

「解っててそんなことを言うなんて、どういうことかしら。嫌だと言ったら力ずくで捕まえるつもりなの…? 貴女と私だと不毛な結果に終わると思うのだけど…」


 深々と辺りの気温が急激に下がり始めた。

 それは高位の悪魔種同士が、その威圧を滲ませ始めたから。


 ラスペリアはじっとステラを見つめながら再び口を開いた。

「ねえ、そっちの名前を教えてくれない? 私は名乗ったわよ」

「……ステラ。所属は言えないわ」

「ステラ…。覚えておくわね。きっとまた会えるでしょうから」

「逃がすつもりはない」

 と、ステラが言った瞬間にラスペリアから闇の渦が巻き起こってラスペリアの周囲を舞う。


「私は武闘派じゃないの。だけど身を守ることと逃げることには自信があるのよ」

 笑いが混じったラスペリアのそんな声が響く。


 闇の渦は霧のように細かな粒子が高速で巡っているもの。

 ステラは受け継いでいるリュールの、ヴァンパイア種としての記憶の中から、その正体を探し出す。


 闇の細霧ダーク・エルネブラ


 ステラはパーフェクトドレインの黒い槍で、自分にも迫って来たこの闇の細霧を討ち払っていく。

 霧の射出を止めていないラスペリアは、そんなステラを見て演技など全く入っていない驚きの表情を見せた。


「そう…。ステラ、貴女はトゥルー・ヴァンパイアだったのね。ヴァンパイア種なんだろうとは思っていたけれど、本当に今日は素敵な日になったわ」


「そういうラスペリアは、リリスね」


 ステラは、闇の細霧を行使し得る悪魔種を順に消去法で消していったところだ。

 にわかには信じがたいが、自分と同等かそれ以上ということも加味した結果。


「正解。さすが博識なヴァンパイア種。ますます楽しくなってきたわ」


 その時ステラは気が付いた。

 闇の細霧が確実に自分の四方から忍び寄ってきていたことを。

 細霧は障壁としても機能しているせいで、ドレインの槍をラスペリアに撃ち込めずに居る。攻撃力も持つそれは、ステラのステータスを蝕もうとする。

 更に、細霧には目にも気配としても感じ取れない程の極小のものが含まれていて、それは既にステラの身体に作用していた。


 ステラは自分の戦闘能力と経験の乏しさを悔しく思う。そして同時にラスペリアの狡猾さに舌を巻いている。


 気が付けばじわじわと拘束され自分のステータスが削られては、真祖の修復でリカバリしている状況。手足を動かすことが難しくなってきていた。


「残念ながら、これでケリをつけるには何日もかかるわ。だから、しばらくそこで足掻いててね。また会いましょうステラ。その時はもう少し仲良くできると嬉しいわ」


 一気に湧き起こったほとんど目には見えない闇の細霧が、ステラを何重にも包み込んだ。そしてラスペリアは最後にもう一度ニッコリ微笑むと、ステラに背を向けた。

 ラスペリアの微笑みの残像を脳裏に刻みながら、口惜しさと少しの安堵と。ステラはそんな複雑な思いを噛み締めてラスペリアの背中を黙って見送るだけだった。

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