第312話 女神降臨(進化の勧め)
フェルとレヴァンテの為に撃ち抜いた壁の穴から俺とニーナも外に飛び出て、その少し上の壁を今度は外から撃ち抜いた。
そうやって開けた穴をくぐって目にした封印の器。
それを俺は、大きな砂時計のような形だと思った。
封印を為しているこの透明の器は、高さ30メートルほどの円筒の中央を極端に細く絞った形だ。
器の中央の砂時計で言うところの最も狭い箇所は青く輝いていて、そこに何かが有ることは確かなのに一体何なのか、どんなものなのか。青い光に隠されていて判らない。
こうして中央部分の青い輝きに注意が向いてしまいがちだが、現在もっとも気にするべきは、フロアの床に接している器の底の部分。直径約10メートルの円を為すこの器の底に居る魔物だ。
俺はその魔物をじっと見つめたまま、ニーナに小声で言った。
「ニーナ、気を付けろ。あれはおそらくリッチだ」
それを聞いたニーナは不敵に鼻で笑ってみせる。
「ええ、おぞましさをビシビシ感じるわ。冥界の王だと言われても納得よ」
以前、ブレアルーク子爵邸事件の際に邪に染まった魂魄を鑑定しようとして出来なかったことがある。その時のようにこいつにも鑑定が通らない。
今回も鑑定が拒否・レジストされている訳ではない。
各種属性や個体の情報、ステータスなどこの世界の規格とは合致しないものを見ようとしているような、そんな気がする。
但し、気配察知・探査で得ている反応は明らかな魔物。高位の魔物だというのははっきりしていて、それは隠蔽・偽装を施していない時にドニテルベシュクが発していた魔族の存在感にどこか似ている。
真っ黒な長いローブに包まれた身体つきは良く分からない。
身の丈は190センチはあるだろうか。ガスランと同じぐらいか少し高い。
異様なのはすっぽり被っているフードから見えている顔だ。
蜃気楼でも見ているようにゆらゆらと見え方が変わって、その風貌は安定しない。
赤い瞳の壮年の魔族の男のようでもあり、かと思うと、ある一瞬にはスケルトンのような骸骨の顔に変わって見える。
そんな風にとにかく得体は知れない。
しかし、こちらはかなり乱暴な現れ方をしたのにまだ反撃してくる様子はなく、むしろ俺達を見定めようとしているような、少しは話が出来そうな雰囲気を俺はなんとなく感じている。
すると、ゆっくりと顔をこちらに向けたリッチが口を開いた。
「こんな所までようこそ、と言えばいいのかな」
『ギャハハハハハハハ! 喰われに来たか人間どもが』
ニーナと俺は思わず顔を見合わせる。
眉を顰めながら首を傾げるニーナに、俺は頷きを返してまたリッチの方に視線を戻した。
ふむ…。
口が悪い方の言葉はスケルトンの顔が発したものだったが、それは何を意味しているのだろう。
並列人格という言葉が俺の頭をよぎっている。
グレイシアへの処遇で感じていたディブロネクスの人間としての善性が残っていそうな人格と、邪に染まったもの。二つが混ざり合わずに同居していて、それは代わる代わるに顔を見せるのではなく常に両方が同時に存在しているということなのか。
俺は内心で首を振ってそんな思索を中断する。どういうものであれ目の前に居る一体の強大な魔物として真剣に対峙するべきだ。
「お前の名はディブロネクスで間違いないか?」
『人間どもに名乗る名など無いわ!』
「そうだと言ったらどうするのだ」
俺は思わず苦笑してしまう。どっちの言葉に返すべきか悩んでしまうし、これは会話のリズムが掴みにくい。
「まあ、答えてくれなくてもいい。今日は顔を見に来ただけだからな。お前とやり合うとしてもまだ先の話だ」
「意味が分からない。遺産目当ての盗賊ではないのか」
『次があると思ってるのか! 虫けらの分際で』
俺はもう構わずに言いたいことを言うことにする。
「時間無いから、用件を言うぞ…。時空断絶結界を解除しろ。聞き入れない場合は実力行使も俺は厭わない」
「断る。対抗できると言うならば力を示して見せよ」
『お断りだ! ゴミムシども!』
うん、言い方は違うが初めて二つの言い分が一致している言葉を聞いた。
交渉決裂だな。そういうことならばと思った時。
最初から想定済みなので意外ではないが、案の定先手を打たれた。
やはり魔法の発動速度は人外らしく規格外もいいとこである。俺やドニテルベシュクに匹敵する。
ピキッ…ピキッ…
と微かな音が聴こえてきたかと思うと、あっという間に俺とニーナを冷気が包んだ。そして同時に周囲に黒い風が渦を巻くように舞い始め、俺達に吹き付けてくる。
寸前にヴォルメイスの盾を構えながらニーナが張った重力障壁は効いている。
しかし、その減衰は速そうだ。
女神の指輪はリッチの魔法を受けた瞬間から震え続けている。
すかさず実行した解析で指輪の防御でも防げそうだということが判ってくると、少し気が楽になる。
そして最初の冷気の正体は、氷雪魔法の類ではないということも判ってきた。
「ほう、石化魔法。珍しいものを見せてくれる。そしてこの黒い風はドレインの一種だな。レイスが使っていた呪縛魔法に似ている…。もしかしてあれのオリジナルはお前か?」
俺の問いかけに応える声は無く、リッチの二つの人格は共に無言のまま魔法の威力を上げてきた。
それに対抗すべく、俺の斜め後ろ少し下がり目に位置しているニーナが重力障壁を二重に張って備えた。
リッチによって更に威力を高められながら、ごく狭い範囲ではあるがニーナの重力障壁の周囲は石化と生命力吸収の嵐が吹き荒れる。
「ニーナ、この魔法はいざとなったら指輪でもヴォルメイスでも対抗できるから心配するな」
俺がそう言うとニーナはニヤリと笑う。
「そう…。でも骸骨の出来損ないなんかには負けないわよ」
その時。
遠くでドラゴンのブレスが発射されたことを俺は微かに感じとった。
入る時に壁に開けた穴の方を振り返って見ると、ドラゴンが低空飛行をしているらしき様子と、おそらくはそこからフェル達が投げたと思われる爆弾が爆発した時の光雷の迸りが確認できた。
爆発は次々と絨毯爆撃のように続き、その他にもいろんな魔法が地上に向けて撃たれていることが解る。そして今またドラゴンのブレスが、地表を舐めるように撃たれた。
聞いていた空中コロシアムの地表到着予想時刻まであと僅かだ。
さて、そうしているうちに俺の準備も万端整った。
「ニーナお待たせ。始めるよ」
「うん、チャチャッとやっちゃって」
準備を終えて発動を待つのみとなっていた、この封印の中から外に向かう魔法を喰らい尽くす光の侵食を封印の器全体をターゲットにして発動する。
俺の足元から器の方へ、床を這うようにして光がサーッと押し寄せていく。
侵食の光は器の表面をまるでコーティングでもしていくように周りを隙間なく埋め尽くしながら下から上へと昇っていく。
すぐに砂時計のくびれの部分に到達し、更にその上に向かう。
俺とニーナの周囲で猛威を振るっていた魔法の黒い嵐が急激にその勢いを失っていった。
そして光が封印の器を覆い尽くした時に、リッチの魔法の全てが停止した。
空中コロシアムから大きなピンクの光球が一つ空に浮かんだ。
それを俺と同じく見ていたニーナが、くすっと笑う。
「あれはエリーゼだよね」
「ラピスティが転移の発動を開始したんだろうな」
そしてしばらくの後に、今度はドラゴンの背中から射出されて空に浮かんだのは金色に輝く光球。これは間違いなくフェルによるもの。
「よーし、ラピスティは転移できたみたいね。りょーかいっと」
もう既に障壁は解除しているニーナがそう言って、空に向けて大きな火球を撃ち上げた。
直後、エンシェントドラゴンの存在が消えた。
もちろんそれは背中に乗っているレヴァンテとフェルも、ということ。
俺とニーナを除く全員が、グレイシアを包み込んだ時空の球体と共にビフレスタへと転移した。
こうして今回の攻略は撤退となってしまったが、全員無事なうえに優先すべき目標としたグレイシアの身柄も確保できた。今はそれでいい。
だが、近いうちにリベンジマッチだ。
俺はその決心を固めていた。
◇◇◇
「シュンさ~ん、起きて~♡」
はぁ…。
いや、きっと夢だろう。
さっきニーナと、ロフキュールの温泉良かったな。また行きたいな。
なんて話をしたせいだ。
その流れで、あの時に見た全裸の女神をついつい思い出してしまっていたからだ。
「突っ込みませんよ~♡」
ちぇっ、久しぶりだとノリが悪いな。
寝そべっていた長椅子から身体を起こして座り直した俺は言う。
「お久しぶりです、女神様。お元気そうで何よりです」
「シュンさんも元気そうですね~♡」
と、そんなことを言ってニコニコ微笑んでいる女神は、俺が寝そべっていた長椅子の横の椅子に座って暢気にお茶を飲んで寛いでいる。
既に超絶可愛さ色っぽさ美しさが満開。
以前より露出が気持ち多めなのは久しぶりだからのサービスですか。全裸もド直球で良かったけど、これはこれであちこち目が離せなくて色っぽさがとんでもない。
エリーゼのような素敵な子が彼女でも、若い男の子にはこの女神の攻撃はなかなかに大きなダメージがある。
新しいカップを取り出した女神は、テーブルのポットを手に取って俺を見る。
「同じものでいいですか~? これはとてもいいお茶なんですよ~」
あれ、なんかこういうのは初めてだな、ちょっと新鮮。
「ふふっ、たまにはシュンさんとお茶したりいちゃいちゃしたり。私もしてみたいな~と思ったのです~♡」
いや、そのイチャイチャはいいから。俺はエリーゼ一筋だ。
◇◇◇
ディブロネクスが閉じ込められていた封印の器を、俺は光の侵食魔法でシールドしてしまって奴が発動中の全ての魔法を封じた。
まあ全てと言っても、肝心なものは時空魔法と闇魔法だというのは解っていたからその二属性に限定しては居たんだけどね。
皆のビフレスタへの転移が完了したことが確認できた俺は、すぐにニーナと一緒にシャフトに通じる大きなバルコニー状の窓の前まで一気に空間転移で飛んだ。
そこからなら直前まで皆が残っていた空中コロシアムの状態も確認できる。
下降させられ地表が目前に迫っていたはずの空中コロシアムは、また元の高さに浮かび上がろうとしていた。それはもちろんディブロネクスの魔法が中断したからだ。
ダンジョン本来の配置としてはやはり当初の空中に在るのが正しい状態ということなのだと思う。時間はかかるかもしれないが、引き千切られた橋なども修復されるのだろう。
あまりぐずぐずしているとディブロネクスに探知されて面倒だなと、その後、俺とニーナはさっさとシャフトに入って上昇。
第9層サブボス部屋と呼んでいる、以前オクトゴーレムが待ち換えていた部屋を抜けてそこからは第10層を目指した。
途中遭遇する魔物がなんだかめんどくさくなっていた俺達は、隠蔽をずっとかけたままで10層へ。そして同じようにして戦闘は行わずにゲート広場まで辿り着いた。
戦闘はほとんどしていないがほぼ休憩なしだったので、ノンビリ食事を摂ってからは交代でロッジに在る風呂に入ってその後は爆睡。ニーナはロッジの部屋の中だけど、俺は一応警戒も兼ねてロッジの前に出していた長椅子で横になった。
そして、無慈悲な女神に叩き起こされて今に至るということ。
今、時計見てみたら、3時間ぐらいは眠れたみたい。
◇◇◇
「うん、これホントに美味しいな」
女神が淹れてくれたお茶を一口飲んだ俺がそう言うと、女神は嬉しそうに微笑む。
なんか、実に久しぶりでいろいろ訊きたいことや恨み言も言いたいことがたくさんあったはずなのに、何故かまったりしている俺。
むむ…、もしかしてこれは女神の精神操作なのかもしれない。
と、そんなことを思ったら女神が話し始めた。
「シュンさんは、そろそろ進化するはずです~♡ それは、今そっちで眠ってる可愛い姫ちゃんもそうなんですけど~」
はあ…?
この瞬間、爆発的に更にいろいろ言いたいことが増えたのに俺は絶句。
「ちょっ、説明してくれ」
と、これが精いっぱい。
軽いノリで話し始めたことなのに、女神は少し真面目な顔つきに変わった。
「シュンさんが今考えているような指輪を持っている影響というよりも、継続の種子からの影響なのです。継続の種子はいずれ世界樹へと芽吹きますが、その過程で精霊の加護を所持者に分け与えます。これが進化をもたらします」
「ふむ…。進化ってのは具体的には?」
「シュンさんも姫ちゃんもヒューマンですから、次はハイ・ヒューマンです。今後の為にもしっかり進化しておくことをお勧めします~」
フェルと一緒ということか…。
しかしハイ・ヒューマンというものについて俺はそれほど情報を持っていない。
以前に聞きかじったことに、ヒューマンで唯一勇者を輩出できる種族だというのがあったが…。
「魔王っ子ちゃんは、とても面白いですね~ シュンさん可愛くて仕方ないでしょう?」
俺は、思索を振り切ってその女神からの話題に乗った。
考えるのはあとでいい。
「あ、うん…。俺、日本で一人っ子だったからかな。妹っていいもんだよ」
女神はニッコリと実に優しげな笑みを見せて頷いた。
そしてこの話に区切りをつけるように黙ると、優雅な仕草でティーカップを口に運んだ。
カップをソーサーに戻すと、女神は今度は妖艶な雰囲気に変わってじっと俺を見つめる。
「そう言えばシュンさんに~♡ もう一つ伝えることがありました~」
おっと、何だろ。
またもや女神に悩殺されかけていた俺は頭を切り替える。
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