第307話

 謎の球体の中を覗いてみたら謎の美女が眠っていた。


 今の状況を簡単に言うとそんな感じになる。

 美女の正体はグレイシア。王国の大公家の姫様だ。

 ニーナの親戚なので決して「謎の…」という訳ではないのだが、どうしてこうなったという意味では十分に謎である。


 球体の皮をひと皮剥いて露わになってからは、俺とレヴァンテはグレイシアとグレイシアを包み込んでいる球体のすぐ傍で観察と解析を続けている。


 青天井の空中コロシアムの中心。

 ここに居るとレイスのような敵が再び襲撃してくるのではないか、その懸念は当然ある。

 だがグレイシアをこのまま放置しておくこともできず、取り敢えずはここで一晩を明かすことを決定した俺達のチームリーダー・セイシェリスさんは、続けて難しい判断を迫られている。

 球体から少し離れた所に設営したテントの前で、椅子に腰掛けテーブルの上で手帳に何やらペンを走らせて、そして眉を顰めて考えている様子。


 球体の横に立ったまま、情報を共有する為に少しずつ見えてきたことをボソボソと話し合っている俺とレヴァンテ。傍で俺達の話を静かに聞いているのはフェルとニーナとティリア。

 ガスランはクリスとウィルさんと一緒に晩飯の準備中。

 クリスが今夜の食事には少し手間をかけると言っていたが、ノンビリできる安全地帯ではないしそれほど時間はかからずに間もなく料理は終わるだろう。

 シャーリーさんとエリーゼは今は見張りの番で、コロシアムの入り口を入ってすぐの所で並んで椅子に腰かけている。このコロシアムは段下がりに中央に向かって低くなっているので、今二人が居る場所がここでは一番高い位置になるし、ひとつ前のコロシアムに通じる橋の様子も同時に見ておくことが出来る。


 俺はレヴァンテに言う。

「最初の印象通り、この中の時間が完全に停止されているのは間違いないと思う。けど、それが維持できているのはやっぱり時空分断領域があるからだな」

「そうですね。分断の領域で閉鎖してから、その中の時間を凍結した。そんな感じなのでしょう。おそらくは遅延発動で行使したのではないかと」

 コクリと頷いてそう言ったレヴァンテに、俺は尋ねる。

「ラピスティに訊いてみて欲しいんだが…、時空接続が有れば、停止した時間を外から緩やかに進めて時間の流れを同じにすることは可能だろうか」


 俺の問いかけを聴いたレヴァンテは目を大きく見開く。

「シュンさんもそれを考えているのですね。同じことを、現在ラピスティは検討中のようです」

「そうか…。まあ、俺もラピスティも。考えた末に行きつきそうなところはそう大差ないってことだな」

 そう言って俺が笑うとレヴァンテもニッコリ微笑んだ。


 そこに、フェルと見張りを交代したエリーゼが近づいて来る。

 俺はエリーゼに手招きをして、球体の裏側の方に俺自身が歩きながら

「丁度良かった。エリーゼもグレイシアの背中の傷を診てもらえるか」

 と、そう言った。


 エリーゼは口を尖らせて苦々しい表情を見せる。

「うん、正面からしか見てなかったから、今フェルに言われるまで知らなかったんだけど。そんなに酷い?」

「普通なら致命傷だと思う」

「そう…」


 詳細に調べる為に球体の周囲をぐるぐると回り、グレイシアの全身をくまなく見始めてから気が付いたのが、グレイシアの背中にある刺し傷だ。

 血の跡やそこに血が出ている様子がないので気付きにくい。比較的細く薄い刃先だったのだろう。鎧下を突き破ったそれは身体の奥深くに達している。



 ◇◇◇



 普段のように羽目を外すまで行かないが、それなりに和やかな雰囲気で皆で食事をした。

 もちろん全員が周囲への警戒は忘れていないし、探査が効く場所なので、いざ敵襲となっても対応の為の時間は十分にとれるだろう。


 クリス特製のソースを使ったパスタが美味しくて、それを最後までパクついていたウィルさんやニーナの食事がひと段落した時、ずっと静かだったセイシェリスさんが口を開いた。

「何人かには相談したが、今回の攻略はここまでにして撤退しようと思ってる。もちろんグレイシアをどうにかできるのが前提にはなるのだけど、連れて帰ることを最優先にしよう」


 全員が黙ったままシーンと静まり返った中、ニーナはふむふむと納得済みのように頷きながら、俺の方を見て問いかけてくる。

「シュン、この時間凍結は解除できそう?」

「すぐには難しい。皆も理解していると思うけど…」


 球体を覆っている時空分断領域は残り一つだということは皆が理解している。さっきやったように、青い侵食の光でこれをまた消してしまうと時間凍結されたグレイシアを飲み込んでいる小さな球体状の時空が剥き出しになってしまうのだ。

 それは時空の秩序維持の為の是正の対象。

 時空にとって時間改変は大きな脅威だ。しかも今回のこれは時間停止。

 おそらくはルミエルの時のように閉鎖空間として切り離され、虚空の海を漂う塵の一つになってしまうだろう。


「でも時間はかかるが、なんとかできそうな方法をラピスティと一緒に考えた」

 俺が続けてそう言うとニーナは一瞬俺を睨んだ後、ニヤリと笑う。

 それを先に言いなさいよ、と顔に書いている。


 ニーナのそんな顔には頷きを返して俺は説明を始める。

「セイシェリスさんには話したんだけど、グレイシアをこの状態のまま球体丸ごとビフレスタに持って行こうと思う」

「えっ?」

「はあ?」

「ビフレスタに?」

 真っ先に驚きの声を上げたのはガスラン。

 ニーナが続いて、そしてエリーゼも、まだ俺は説明してなかったのでかなり驚いた表情だ。


 他の人達はビフレスタについては話を聞いたことがあるだけで実感がない。なので今は、ただおとなしく俺の話を聴こうという姿勢。

 しかしフェルだけは、隣に居るレヴァンテに小声で質問しているようだ。


「ビフレスタに移そうというのはラピスティからの提案なんだ。こんな魔物だらけの所ではゆっくり作業できないという理由もあるが、ビフレスタならラピスティが能力を100%発揮できるというのが最大の理由」


 驚きはすぐに飲み込んでしまい思案気な顔つきに変わったエリーゼが俺に問う。

「それでシュン、ビフレスタでラピスティに何をしてもらうつもりなの?」


 俺は球体を指差した。

「これに重力エレベーターを作ってもらう。ビフレスタに降りた時のあれの超ミニチュア版だから時空接続と言った方がいいな。重力エレベーターを廃止した今も、代わってビフレスタとデルネベウムを繋いでいる時空接続と同等のもの」


「「「……」」」

 ガスランもニーナもエリーゼも沈黙。しかし三人とも頭の中はフル回転で目まぐるしく考えているのが表情からも判る。

 しかしいち早くパッと明るい表情に変わったのは、意外にもニーナだった。

「あのエレベーターは二つの時空を繋いでた。しかもビフレスタは時間の流れが違うのに繋がってた」


「そういうこと。異なる時空を繋いでしかもそれを安定して維持できる。そして…」

 エリーゼがすかさず口を挟む。

「接続した時空に魔法で直接介入できるのね」


 俺はニッコリ微笑んで大きく頷いた。

「その意味では今回はかなり特別な接続になりそうだ。時空魔法は通せるから停まっている時間を動かし始めることは可能だろう。そして精霊魔法も接続を通じて作用させることが可能」


 中に生身の人間が居る以上は、激しい変化は厳禁だ。そして、同じ理由で時空からの介入は絶対に避けなければならない。ソフトランディングさせるためには、時空改変されている要素を少しずつ減らしていくしかない。

 しかしそれは、今は凍り付いているグレイシアの時間が動き始めるということ。

 致命傷への対処、治癒をいち早く始めなければならないのだ。


 エリーゼは最後の俺のひと言が意味することを悟るとキュッと唇を噛みしめた。そして俺を見詰めて頷く。既に自分の役割を理解してくれている。


 なんとか話に付いて行こうと、皆が今聴いたことを懸命に頭の中で反芻している雰囲気の中。フェルがポツリと。

「だけどシュン、どうやってこれをビフレスタに持っていくの?」

「移動は広範囲時空転移を使う。これも直接はラピスティの仕事だな」


 魔王がその原型を作ったラピスティの広範囲時空転移は、ビフレスタが創造される前からラピスティが実装している能力だ。

 なぜなら、ビフレスタで育ったユグドラシルをデルネベウムに移植する際には絶対に必要な魔法だから。

 発動に際しての制約はある。だがむしろ今回は、その制約をラピスティは少し面白がっている節もある。



 ◇◇◇



 翌朝。

 準備を整えた俺達は作業を開始することにした。


 セイシェリスさんの頷きを合図に、俺は皆にも聞こえるように声をかける。

「レヴァンテ、そろそろ始めよう」

「畏まりました」

 と、レヴァンテが言い終わらないうちに目の前にラピスティが転移してきた。


 前回会った時とは服装が違っていて、冒険者の魔法師っぽく見えなくもない。


 ラピスティを初めて見る人たちはかなり興味津々。

 そんな視線を受けてラピスティは少しはにかんだような顔になった。

 しかし真っ直ぐに俺を見た。

「お久しぶりです。シュンさん」

 俺はラピスティが差し出してきた手を握り返した。


「うん、久しぶり。悪いな、わざわざ来てもらって」

「いえ、たまには僕もこちらに来てみたいですからね。ちょうどいい機会です。と言っても、あまり長居は出来ないのですが」


 ニコニコ微笑みながらそんな話をするラピスティは、前回会った時と同様に少年の姿だ。まだしばらくはこの姿で通すことに決めているようだ。


 ラピスティは現在ではほぼビフレスタと同化してしまっていて、この人型を為しているのは彼の核の部分だ。豊富な魔力によって実現しているこの分離形態は更に進化し続けていると言うが、その実態については俺も詳しくは聞いていない。

 長居できないと言っているのは、やはり核が不在だとマズイことが有るからだろう。


 笑顔のまま周囲を見渡したラピスティは少しの間フェルに視線を留めるが、すぐに俺の方を見るとさっと真顔に変わって言う。

「ノンビリ話をする猶予は無さそうですね。早速、転移の準備を開始します」

「ああ、そうみたいだ。よろしく頼む」


 予想以上に迅速な敵の反応が、俺の探査には見え始めている。

 エリーゼの声がコロシアム中央付近に集まっていた全員に向けて発せられる。

「敵です。前回と同様、レイス約千体が北西から」


「しっかり監視してたみたいね。ラピスティの転移を察知したんでしょう」

 全員が自然と警戒態勢になった中、そう言ったセイシェリスさんの方を球体の傍に跪いていたラピスティは振り返ってニッコリ微笑む。

「セイシェリスさん。ご迷惑かけますが、よろしくお願いします」

「ううん、こちらがお願いしたことだもの。絶対に貴方の傍には魔物一匹たりとも近付かせないわ」

「はい、お願いします」


 続けてセイシェリスさんは、全員に予め決めていた配置を指示する。


 飛んでくるレイスは今回はそのまま突っ込んでくる様子はなく、遠巻きに散開し始めた。ショットガンの脅威は十分に身に染みたのだろう。


 そこに更なる飛行してくる魔物の群れが探査に現れた。

「ほう、ハーピーもこのフィールドに居たのか」

 一体どれだけの種類と数の魔物を準備しているのかと俺が感心しながら呟くと、エリーゼがそんな呟きに反応した。

「多いね…。二千ぐらい? これってシャフトで出てきたのと同じ亜種だと思うよ」


 そんな話をエリーゼと交わした俺は全員にハーピーのことを告げた。


 コロシアムをぐるっと囲っている壁の上に立っているレヴァンテとニーナの方を見たラピスティが、次には俺の方に顔を向けた。

 

「シュンさん、やはり始まりました」

「ああ、判ってる。思ってたより構築が速いんだな」

 俺の探査でもピシッピシッと何かに刺されるようなものを感知し始めていた。


 しかしラピスティは何故か笑顔だ。

「だけど確定です。ディブロネクスの時空断絶結界で間違いありません」

「予想通りだな。ならば、尚更計画通りにやるしか無い。ラピスティは構築を進めてくれ。俺はまずは魔物の相手をして来るよ」

「了解です。準備完了したら合図出しますから」

「うん、待ってる」


 ラピスティの傍にはガスランとエリーゼとフェル、そしてモルヴィ。

 レヴァンテとニーナはこのコロシアムの入り口のすぐ横の壁の上で、他の人達は入り口と中央の間に散開している。


 そのレヴァンテの所に居たニーナが降りてくる。

「セイシェ、シュン! 敵は二方面から分かれてくるつもりよ」

 確かに、一旦停まった敵は横に広がってからは少しずつまた集まり始めていて、それは西と東の二箇所のようだ。

 俺はニーナに西の群れを示した。

「西の方が速そうだ。そっちに先手を打つか」

「その方がいいかも。シュンなら届くよね」

 ニーナも西の上空を見ながらそう言った。


 入り口部分でショットガンを手にしているセイシェリスさんに、俺が身振りと共にそれを伝えると大きな声で返事が返ってくる。

「いいぞシュン、先に撃て!」

「了解」


 レイス達はハーピーの群れの合流を待っている。先陣を切らせようとしているに違いない。そして、奴らが今留まっている位置からして、こっちのショットガンの射程を見切ったのだろう。だが甘い。隊列を組むならもっと遠くでやるべきだ。


 コロシアム中央部分から段差を二つ上がった所で俺は立ち止まり、西の上空に布陣したレイス達の方を見た。その後ろにはハーピーの群れが近付いている。


 バババッと展開した雷撃の円盤。その数は10個×2段重ねの計20個。

 それら全てが直径2メートルの円盤。


「撃つ」


 ズギュンンンンンッッッ!!!


 轟音とともに空気が震えた。

 少し角度がつけられた雷撃砲の極太の光が広がりを見せながらハーピーの群れにまで到達。その射線上と周辺のものを光雷の迸りの中に呑み込んだ。

 西に布陣していたレイスは全て消失。その後方に近付いていたハーピーもその大半が消えた。


 すぐ傍から興奮している様子が伝わってくる。


「凄い! シュンさんの雷撃砲は最高です!」

 ラピスティがそう言って飛び上がらんばかりに喜んでいる。

 そう言えば、ラピスティは直接見るのは初めてだったか。


 その時、ショットガンの音が鳴り同時にレヴァンテが大きな声で警告を発した。

「橋の向こうからオークが押し寄せて来ました!」


 レヴァンテは橋に向けてショットガンを撃ち続けている。

 そこに入り口からのセイシェリスさんによる射撃が追い打ちをかけた。

 近くのシャーリーさんが応援に向かう。


 俺は思わずぼやく。

「転移魔法陣をもう一つ開けたってことか」

 オークはひとつ前のコロシアム内にたくさんやって来ているのだろう。ニーナに上から叩いてもらうべきかと俺は考えるが…。


 まだショットガンの射程外だが、ハーピーの残党は少しずつこちらに向かってきている。


 セイシェリスさんが、シャーリーさんが来たことで自分はショットガンを撃つ手を止めて鋭い目つきで西からのハーピーと東のレイスの群れを確認する。

 そして俺とニーナへ大きな声で指示を出した。

「シュン、ニーナ! こっちは私達で食い止められるからいい。それよりも雷撃砲を見た東のレイスの群れがまだフリーズしている。そっちを殲滅してきてくれ!」

「了解」

「りょーかい。まっかせて!」

 確かに、オークに対峙し始めたこのタイミングでレイスからも襲撃されるのは面倒だ。

 セイシェリスさんは続けて他の全員にハーピーへの警戒を指示した。


 空中に上がったところで俺はニーナに言う。

「ニーナ、転移で飛ぶぞ。あいつらの後ろに」

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