第301話 【幕間】王都の公爵妃②

 公爵家の騎士達が非合法組織アジトの強制捜査の為に集合し始めた頃。

 ユリアは、特務隊員二名と共に王都の商業地区の外れを歩いていた。もちろん、目立たないよう距離をおいてその二名の他にも護衛は付いている。


 向かっているのは特務隊員が前日に情報を得たばかりのとある商人の店舗兼住居と目されている場所で、ハルムンゼス兄弟が持っていたパミルテの薬の入手経路を辿る調査の中で浮上してきた。

 その店には時折、貴族風の客が出入りしているという噂もある。

 ユリア自身が同行しているのはお忍びの貴族客に扮する意図が有るからなのだが、魔眼スキル程には決定的なものではないにせよ、人の言葉の真偽を見抜くことに於いて彼女が長けているからということもその理由としては大きい。

 それにユリアも、他家から輿入れした身ではあるがウェルハイゼスだ。

 危険な場所に自ら飛び込んでいくウェルハイゼスらしさは公家としては極めて常識外れなもの。だが、自分の身を守る術以上の力量をソニアやニーナ達の母親らしく彼女も持っている。


 この日は朝から空がどんよりとした曇り空しか見せていなかった。そしてユリアが商業地区に入った頃からはポツポツと雨が降り始めた。

 先導する隊員の一人がユリアの方を振り向いて囁く。

「大丈夫ですか?」

「ええ、このくらいの雨なら平気よ」


 しかし雨が降り始めたおかげで、元々ローブのフードを深く被っていた自分のその装いはかえって不自然さが無くなって好都合だとユリアは思った。


 通りを歩き続け、次第に周囲には人が行き交う姿が無くなってくる。

 あと数ブロック進めばスラムというこの辺りまで来ると灯りが点っている家は皆無で、そもそも昼間でも人が居るのかすら怪しい建物が多い。

 小さな脇道の陰から一人の男が出てくる。

「お待ちしておりました。監視開始後の状況変化は有りません」

 現れた男も特務隊員の一人だった。

 今度はその男が先導して更に歩みを進めていった。


 何度かスラムの視察を実施した事があるユリアが、もうここは既にスラム街だろうと思い始めたその時。更にもう一人特務隊員が合流してくる。

「配置完了しております。予定通りです」

 彼はそう言うとすぐにまた脇道へと消えて行った。


 間もなく、先導していた隊員はとある一軒の家の階段の上り口の前で足を停めた。

 何も言わずにユリアに向かって頷いたその隊員は、やはり物言わぬユリアの首肯を確認すると階段を昇り始めた。

 続けてもう一人の隊員、ユリアはその後に続いた。


 階段を昇りきってしまう直前に、先頭を進んでいる隊員が停止の合図をユリアたち後ろに続いている者へ示した。

 顔を半分だけユリアたちの方に向けたその隊員が囁く。

「血の臭いがします」

 そう言ってすぐに彼は、ヒュッヒュッと小さな、音になるかならない程度の口笛を吹いて階下に待機していた隊員を呼んだ。

「ユリア様はここで待機していてください。様子を見てきます」

「了解よ。気を付けて」


 閉じられてはいるがカギは掛かっていないドアを静かに開けて、隊員が一名また一名と静かにその部屋へ入って行く。

 すぐに、僅かに開けたままのドアの隙間から隊員が灯した明かりが漏れ始める。そしてドアが開いたせいで、まだ階段の途中のユリアにも血の臭いが感じられるようになってきた。


 隊員が一人中から戻ってきた。

「目的の人物と思しき男が殺されています。室内には争った様子などは有りません」

「そう…。先手を打たれたのかしら」

「死体の状況はおそらく昨日か、遅くとも今日の朝という感じです」

「直後ではないけどそんなに前でもないということね」

「そうですね」


 特務が監視を始めたのは今日の昼過ぎだったはずだが、それ以前にこちらの動きが察知されたのだろうか。サラザール伯爵を筆頭に大半が東部貴族の第二王子派閥の連中が王都でそんなことが可能なのだろうか。

 それとも、今頃は騎士達が踏み込んでいるはずの非合法組織の傭兵団。それに類する存在が他にも居て王都で暗躍しているのだろうか。


 ───いや、間違いなく他にも居るわね。と言うか東部貴族が召し抱えている程度の軍の部隊じゃなく、もっと優秀な影の傭兵…。外国から流れ込んできてるの?


 と、ユリアは一瞬だけ考える間を置いたが隊員へ指示をする。

「……話は聞けなかったけれど家宅捜索は行いましょう。私も手伝うわ」

「了解です」


「なるべく血を踏まないでください」

 そう言われて慎重に足を置く場所を選びながらユリアは中へと進んだ。

 部屋に入ってひと際強く感じる血の臭いは、部屋の中央にうつぶせで転がっている男の死体とそこから広がっている血だまりから。首から上は、そのうつぶせになった身体から少し離れた所に転がっている。

 死体の検分を続けている隊員の横からユリアは死体の様子を覗き込んだ。

 今は死体が身に着けている衣服ポケットなどを検めている隊員がユリアに言う。

「後ろからバッサリですね。この切り口は剣、刃物と言うより魔法のようです」

 灯していた明りの光量を増やすと、首から噴き出した血が部屋の入口の方に飛んで行った様子が良く分かった。来客用の椅子とテーブルだろうか、入り口の横に在るそれらの家具にも血は飛び散っている。

「風魔法…? みたいね」

 ユリアがそう呟くと隊員はコクコクと頷きながらユリアを見た。


 死体に関することは引き続き任せて、ユリアは部屋の中の机などの引き出しの類と整理タンスのような家具の中を見始めた。


 この殺された男が薬物を売っているという話は事実だったようで、タンスの引き出しの中からは幾つもの商品が出てくる。

 一般的な治癒ポーションを始め各種ポーション、高価なのに誰が買えるのだろうかと言いたくなるこんな所には似つかわしくない高級MP回復ポーションもある。

 そして鍵が掛かっていた机の引き出しの中からは、ほぼスラム街の中と言ってもいい場所のみすぼらしい店には不釣り合いな意外なほど多くの現金が出てくる。


 ユリアはその引き出しを元に戻しながら言う。

「物盗りじゃないのは明らかね」

「はい。物色した形跡はないですね。口封じ…、なんでしょう」


 奥の部屋を調べていた隊員が顔だけをユリアの方に覗かせて言ってきた。

「壁に隠し金庫のようなものが在ります」

「罠に気を付けて」

「了解です」



 ◇◇◇



 一斉にライトの魔道具で客室が20程度の宿屋のような造りの二階建ての建物が明々と照らされた。

 それを合図として事態は動き始めた。

 鬨の声などを発する者は一人としておらず粛々と、但し迅速に突入していく騎士。その突入の隊の総数は20名。


 パティの班は、主力が踏み込んでいく建物の正面入り口を封鎖する担当だ。

 突入した騎士達を掻い潜って建物から逃げてくる者が居れば無力化し捕縛する。

 と同時に、無関係の者が立ち入ろうとすればそれは阻止する。

 そういう役割だが、突入した騎士達の首尾が上手くいかなければ入り口近くに居るパティの班は後続部隊として踏み込むこともあり得る。


 騎士達が踏み込んですぐに耳に入り始めた諍いの物音。

 それは剣戟がぶつかり合うような音、ガラスが割れる音、何かが倒れるような音、怒声、そして抗う声と叫び声。


 第一段階の目標は建物内の完全制圧だ。

 その為に必要な、中に居るこの組織の構成員の無力化についてはその生死を問わずとされている。

 諍いの物音は一旦静まると以降は散発的な音となり、それもしばらくすると無くなっていった。


 正面の入り口から騎士が一人走り出てきた。

「制圧完了です。捜査を開始します」

 その言葉はすぐに騎士達へ伝達されていく。


 制圧が終わったことを告げてきた騎士は言葉を続ける。

「敵の総数13。死亡6、捕縛は7。最優先ターゲットは捕縛済みです」

 この非合法組織で今この建物に居たのは13名で、討伐した6名を除いた7名を捕縛したということ。そして最優先ターゲットとされていたのはこの組織のリーダー格と目されている者。このターゲットが今夜この建物内に居ることは直前の監視でも裏付けられていた。

 パティは騎士に頷いて応じる。

「ご苦労さまです。捜査の増援を出します。捕縛した者の護送も開始します」

「はい、よろしくお願いします」



 この頃になると、何事かと遠巻きにして見守る住民が増えてきた。

 照明の明るさのおかげで騎士たち全員の装備に描かれた公爵家の紋章はハッキリ住民にも見えている。だからか、そんな野次馬の中にはパティたちが居る所近くにまでやって来て「何があったんですか」と尋ねてくる人も居る。


「ウェルハイゼス公爵領で犯罪を犯した団体の逮捕と家宅捜索です」

 パティは周囲にも届くことを意識してそれほど緊張感は感じられないトーンで少し大きめの声でそう応じ、続けてやはり大きめの声で逼迫した感じは一切なく警告を口にする。

「まだ賊が潜んでいる可能性がありますので、あまり近付かないでくださいね」

 パティは剣技だけで言えば公爵家第一騎士団で五本の指に入るとも言われるほどの剣技を持つ実力者だが、まだ20代前半の若い騎士だ。

 うら若く童顔のせいで初々しさすら感じさせる女騎士がのんびりした口調で言うと、住民たちから緊張感というものがほとんどなくなっていく。


 近くで待機させていた護送用の馬車を建物の入り口前に横付けし、建物の中から一人ずつ連れ出されてくる捕縛した者にパティたちは再度の詳しい身体検査を行う。

 既に身ぐるみはほとんど剥がされてしまっているが、何か魔道具を隠し持っていないか、念のためにそういう物を検知する魔道具で捕虜の全身をスキャンしていく作業も行う。

 そうした後に、立って自分で歩ける者もケガで動けなくなっている者も、どちらも同じように厳重に縛り上げて馬車に乗せていく。

 死体は既に彼らの所持品などと一緒にマジックバッグへ収納済みだ。


 最後の捕縛者を馬車に乗せ終わり、いつでも公爵邸へ出発可能という段になったその時、馬車の進行方向である通りの先から騎乗の集団がやって来た。

 各々が馬の前を明るく照らす照明を点けているので、パティにもすぐにその集団のいかにも騎士というシルエットが判る。


「来ましたね。招待したつもりは無いんだけどな…」

 パティの声に隣に居る騎士が応じる。

「王国騎士団ですね。紋章が見えます…。あー、王国第五騎士団です」

 言葉の最後の部分はやっぱりという思いがにじみ、そのことについてはパティ達騎士の全てが同じように感じている。

「意外と早かったな」

 と、別の騎士が言ったことから明らかなように、事前のブリーフィングでもこの事態は想定済みだ。対処しづらく厄介なのは護送途中で停められることで、それよりは今の状況の方がいいかなとパティはそんなことを思う。


 騎士達の何人かがパティの方を見た。

 パティはその視線には頷きを返し、この場の全員に聴こえるように指示を出す。

「総員警戒防御態勢。入り口にも馬車にも近付かせるな」

 配置を整え始めた騎士に呼応するように、待機していた特務隊員数名が脇道の方に素早く入って行った。


 続けてパティは自分の後ろに控えている一人の騎士に向かって指示を出す。

「中の人達にこの状況を伝えてきてください」

「了解です」



 15騎の王国騎士は、公爵家騎士7名がパティを中心として防衛ラインを敷いたその10メートルほど手前で馬を停めた。

「照らせ」

 パティのこの一言で、一斉に王国騎士達に向けて明々と最大光量の光が当てられた。


「わっ、こら」

「眩しい」

「消せ、明かりを消せ」


 暴走されたり振り落とされることを懸念して驚き暴れる馬をなだめることを優先しつつも、自分達も突然の灯りで視界を奪われて動揺を隠しきれない王国騎士達。


 パティがさっと手を挙げると照明の光量が少し弱められる。


 馬を御して乱れた隊列を戻しながらパティたちを睨みつける王国騎士へ向けて、パティは声を掛ける。住民に声を掛けた時のようにノンビリ口調は継続中。

「こちらはウェルハイゼス公爵家第一騎士団です。そちらはどちらの方ですか?」


「……くっ」

 思わず吹き出しそうになった声を無理やり飲み込んだような音がパティの隣から発せられた。

 横目で音の主を見たパティは自分も釣られて吹き出しそうになるのをこらえる。


 王国騎士の一団の長なのだろう。隊列の先頭に位置していた年配の騎士が言う。

「捕らえた者達を引き渡して貰おう」


「すみません、それは出来ません。あと、名乗りもしない人の言うことをハイ分かりましたと応じる人は居ません」

「ふざけるな! 我々のこの紋章で名乗る必要もあるまい」


「王家の紋章があれば礼節を重んじる必要もないとおっしゃられるのですね。では尚更ご要望にはお応えできません」

 一転して冷たい低い声でそう言ったパティは一歩前に出た。

 同じ公爵家騎士ならばよく知る、パティの無為自然体の構えだ。いつでも剣を抜ける体勢。


「王国騎士団に刃向かうか!」

「生意気な」


 無言のままパティが左手を剣の柄に置くと、いまだに全員が騎乗したままの王国騎士の何人かが剣を抜いた。


 パティはその様子を見て呆れる。

 そして静かな声で言う。

「もう剣を抜くのか。そして、停まったまま動けない馬上の不利も知らないか」

 いつの間に手にしていたのか、最前列の公爵家騎士達は一斉に槍を構えた。

 後衛に位置する者は弓に矢を番えている。


 王国騎士の隊列の後方に居た騎士が、公爵家騎士達の槍先近くで馬を反転させることもままならない密集した状態の自分達の不利を悟ったのだろう、場から距離を置くべく馬の首を傾けて方向転換させ始めた。

 が、しかし。その所作は停まる。

「なんだ、なぜこんな所に網が」

 隊列の後方には通りを遮断してしまわんばかりの網が横一面に張られていた。

 それはパティの指示を受けた特務部隊の隊員が張ったものだ。


「突け!」

 パティの号令で、一斉に王国騎士達の最前列の馬に向けて石突が突き出された。

 馬を殺すつもりはないのでもちろん手加減はしているが、馬にしてみれば痛いことには変わりなく嘶き暴れ始める。

 その前列のあおりを受けて狭い範囲で右往左往するばかりになった王国騎士たちの頭上から今度は直接網が次々と被せられていく。

 騎士の頭や手、装備などにも網が絡まり、馬の首や馬具にも絡まる。

 そうなった状態で網から逃れようとして動くと、同じ網に掛かっている他の騎士や馬を更に強く束縛して互いに身動きが出来なくなっていく。馬も暴れてより深く網に絡まっていった。


 王国騎士のほとんどは怒声を発するばかりで、もう剣を振るうことも馬を御することも完全に不可能な状態。

 そんな騎士の何人かが馬から降りてなんとか網から抜け出しても、待ち構えている公爵家騎士からの石突が繰り出されて悶絶しながら倒れていく。

 馬も一度バランスを崩すと立っていることは叶わず、まだ騎乗していた者は自分では降りられなくてもそうやって馬と共に地面に這いつくばっていく。


 幾重にも折り重なったような網の下から這い出てきた最初に声を発してきた年配の騎士が、言葉にならない言葉を喚き散らし目を血走らせんばかりの形相でパティを睨んだ。


「手出し無用です」

 パティは仲間の騎士達へそう告げるとその騎士の前に進み出た。


「貴様ら、許さんぞ。殺してやる」

 口から唾を撒き散らしてそう言った年配の騎士にパティは微笑む。

「公家の権能に基づく任務を遂行中のウェルハイゼス公爵家騎士団にまだそんなことを言うか。我々を阻止したくば王家の勅命を貰ってこい」

「公家の権能だと? バカな!」

「人の話を聞かずにケンカを売ってきたお前らの落ち度だ。よく見ろ」


 彼の眼前に突き出されたのは、公家の権能行使を証明するユリア直筆の署名と公爵家の紋章とアリステリア王家の紋章が重なるように刻印された分厚い羊皮紙。

 この証明が効力を発した際には、その発行者には重い責任が伴う。それは説明責任と結果責任だ。

 もちろん行使できる者は限られていて、公爵家で言えば公爵自身と妃のユリア、そして後継ぎとしてその地位を広く示されているデルレイス殿下までである。


 つい今しがたの激高ぶりが霧散し、見るからに迷いと気後れを見せ始めたその騎士。

 その彼にパティは続けて告げる。

「こんなことで、なぜと思っているのか? だが、お前ら王国第五騎士団には内乱予備罪の疑いが掛かっている。身に覚えが在る者も居るだろう」

「……内乱予備、だと?」

「王妃、王子殿下を守護する第三騎士団への計画的な職務妨害、傷害行為が内乱予備罪に該当するぐらいその平和ボケした頭でも理解できるだろ」

「……」


 パティの後ろに副団長ノイマンが近付いてきた。他の家宅捜索を行っていた騎士達も続々と表に出てきている。

 ノイマンが小声で囁く。

「パティご苦労さん。家宅捜索は終了したぞ。いろいろと興味深い物が押収できた」

「了解です」


 ノイマンは王国騎士の前に近付いて、そして大きな声で王国騎士たち全員に聞かせるように言葉を発する。

「ウェルハイゼス公爵家第一騎士団副団長ノイマン・ベレイラだ。貴様ら全員を公務執行妨害の現行犯と内乱予備罪の被疑者として逮捕拘束する。今夜はわざわざ出向いてくれてありがとう。ちょうど良かったよ。王国騎士団本部まで捕まえに行く手間が省けた」

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