第300話 【幕間】王都の公爵妃①

 アリステリア王国の王都アルウェン。


 王城と共にその王都の中央を広く占める特別な区画にあるウェルハイゼス公爵邸の騎士団執務室で、公爵家第一騎士団副団長ノイマン・ベレイラは復号化された書類を手にしたまま考え込んでいた。

 しばらくの後、金縛りが解けたかのように身動きを再開したノイマンは書類をデスクの上に置くと、今度はデスクに両肘をついて彼自身のこめかみを押さえた。


 そんな彼の様子をじっと見つめているのは、同じく第一騎士団の女騎士パティ・クロウ。

 彼女はノイマンへ書類を手渡してからもずっとデスクの前に立っている。


 視線はデスクに置いた書類に落としたままだったノイマンがその視線をパティの方に向けると、パティは口を開く。暗号化されていた書類の文章に復号を実施したのは彼女だ。当然内容は目にしている。

「副団長、公妃様への報告は?」

「すぐしよう。ユリア様には今日は外出の予定は無いはず」

「了解しました。こちらにお呼びしますか?」


 パティのその問いかけにノイマンが頷くとパティは執務室から出て行った。


 自分の執務机に着いたままのノイマンは、再び書類へ目を通し始める。不機嫌そうに口元をきつく結んだ彼の頭に渦巻いているのは、決して小さくはない怒りと、いつかそう遠くない頃にはと予測していたその時が遂に来たかという思い。

 書類の前半はスウェーガルニに派遣されている第一騎士団特務部隊によって記された報告書だ。スウェーガルニで発生したケイレブ王子襲撃事件のこと。そしてニーナをも狙う計画があったことなど。


 ───なりふり構わずか…。そういう段階になったということなんだろう。



 ◇◇◇



 ニーナの母であり、ウェルハイゼス公爵妃であるユリアスヴェイル・ルツェイン・ウェルハイゼスは、自分の居室にやって来た女騎士パティのいつもとは微妙に異なる微かに強張ったその表情で、すぐさま何かが起きていることを察した。

 その気付きは努めて表には出さずに、ユリアはパティに微笑みかけながら問う。

「どうしたの?」

「ノイマン副団長が騎士団執務室へご足労願いたいと申しております」

「西から連絡が届いたのね」

 言外に「最高機密の」というニュアンスを滲ませながら続けてそう尋ねたユリアに、パティは無言で微かに頷くだけで応じた。


 機密性が高い話や諜報に関わる会議は邸内の騎士団執務室で行うことを常としているせいで、ユリアがそこに出向くのはこの公爵邸では珍しい光景ではない。

 来客を迎え入れることもある自分の執務室などでその類の話をすることをユリアは良しとせず、逆に騎士団の執務室には騎士とユリア以外は長年屋敷に勤務しているメイドですら立ち入ることが出来ないという徹底ぶりだ。



 ノイマンが待つ騎士団執務室に入ったユリアは、彼女の指定席のようになっている会議用のスペースに在るテーブル席の一つの椅子に腰を下ろす。

 パティの

「いつもの紅茶でよろしいですか?」

 という問いかけにユリアは笑顔で頷いて見せると、同じくテーブル席に移ってきたノイマンから渡された書類に目を通し始めた。


 すぐにユリアの小さく溜め息をつくような息を漏らす音がして、その後に呟くような声が続いた。

「パミルテ…。あの悪魔の薬が王国にも…」


 樹海の神殿の転移トラップで帝国の最果ての地へと飛ばされたニーナ達の、そこから始まった帝国内での波乱万丈な数々の出来事については娘のニーナ自身が記した詳しい報告書をユリアは受け取っている。だからパミルテの薬の凶悪さについても理解している。


 続けてケイレブ王子襲撃事件についての報告を読んだユリアは、既にお茶を淹れ終わって席に着いていたパティとその隣のノイマン二人を見て尋ねる。

「特務と第一騎士団分団のどちらの見解でも、学院襲撃時にアルヴィースの六名が護衛としてその場に居なかったならば撃退は困難だったと思われるとあるのだけど、二人はこれについてはどう思う?」


 ノイマンがまたもや苦虫を噛み潰したような顔に変わる。

「襲撃時の敵の構成や手筈の印象としては、その可能性は高いです。特に王子を警護していた王国騎士のほぼ全員が麻痺毒で倒されている状況は一方的ですから」

 パティはため息をつき、しかしその表情ではノイマンへの同意を明らかにして言う。

「吹き矢への対処は困難だったでしょう。これは我が騎士団でも同様だと思います…」


 二人の言葉を聞いて少し考えを巡らせた様子だったユリアは、その話に区切りをつけるように言った。

「ケイレブ王子は運が良かったわね。アルヴィースがスウェーガルニに居た時で」

「まさに不幸中の幸いですが、逆に襲撃した者達はアルヴィースのことは想定していなかったのでしょうか」

 パティのこの疑問にはノイマンが応じる。

「アルヴィースの噂はこの王都にも知れ渡っていることだが、今はまだ我々以外は実際に彼らがどの程度の強さなのか正確な情報はそれほど持っている訳ではない。我々もアルヴィースに関する問い合わせには一切応じていないからな。俗に言うSランク冒険者という存在、そんな程度でしか測りきれていないはずだ。それに加えて冒険者が少ない東部の貴族や軍人は冒険者を軽んじる傾向が強い」


 東部に限った話ではなく一般的に軍人は、冒険者は対人戦闘は不得手だという認識を持っている。だからこそ軍が必要なのだという自負と共にそう考えているのだ。



 その後、書類の最後まで読み終えたユリアは、その時になってようやく目の前にあるカップに手を伸ばした。優雅な手つきでカップを口に寄せて、その香りを嗅ぎながらも考え続けている表情は崩さない。


「まるで開戦前夜ね。いいえ、もう始まっていると考えるべきかしら…」

 カップのお茶を半分ほど飲んだユリアはそう口にすると、目を閉じて考えをまとめる作業へ没入して行った。



 ◇◇◇



 早くも翌々日にはユリアの声掛けによって王妃との茶会が開かれた。

 学生時代からの自他ともに認める親友同士で今でも頻繁に互いを呼び合って茶会の場を持っている公爵妃と王妃だからそれ自体は特に珍しいことではない。但し、今回はスウェーガルニからの報告を受けての一刻でも早い密談を行うためのものである。


 茶会の場所となったレヴァイン大公家の屋敷は、現王妃セルナディア・ソリス・アリステリアの生家だ。

 ユリアが、学生時代にはよく訪れていたこの大公家の屋敷に今も残るセルナディアの私室に通されて懐かしさを感じていると、輝かんばかりの笑顔で迎えたその部屋で待っていたセルナディアがユリアを抱き締めて歓迎した。


 ユリアはセルナディアの耳元で囁く。

「ごめんねナディア。私の方から誘ったのに大公家で場を設けさせてしまって」


「いいえ、元々次は私が呼ぶ番だったじゃない。それに…、今回は王宮でも公爵邸でもない方がいいと思ったの」

 そう言った時の、口調は穏やかで口元には笑みを浮かべながらも目は笑っていない王妃ナディアの顔を見て、ユリアはやはりある程度の情報が既にナディアにも届いているのだと確信する。


 互いに楽に座れる広めのソファで向かい合い、メイドたちの世話がひと段落したタイミングでナディアが人払いを命じた。

 二人の他に部屋に残ったのはナディアの側付きの騎士が一人とユリアが同伴していたパティだけとなった。


「さて、ユリア。この部屋の結界は万全よ」

「そう…。ナディアはどこまで知らされているの?」

「ケイレブが襲撃されたけど無事なこと。そこまでよ。いろいろ推測していることはあるけれど、その辺はユリアが教えてくれるんだろうと思ってるわ」

「うん、その為に来たからね」

「でも、最初にお礼を言わせて…。ケイレブが無事なのはウェルハイゼスのおかげです。いつもありがとうユリア。公爵閣下と公爵領の優秀な武人たちにも感謝の意を伝えてください」


 そう言ってナディアはユリアとパティの二人に向けて頭を深々と下げた。

 一介の地方騎士でしかない自分にも頭を下げる王妃の姿を見て、パティはその畏れ多さを感じながら騎士としての正式な応礼の姿勢を取った。


 ユリアも礼を返すとすぐに、この堅苦しい空気を一掃するように明るい声で話し始める。

「ナディア、実は敵はうちのニーナにも手を出そうとしていたのよ」

 この情報は得ていなかったナディアは驚きを隠せない。

「えっ、それって…」


 ユリアは微笑みながら少しだけ首を傾げて見せる。

「彼らはうちと戦争をしたいみたいね。と言っても、今回は先走ったサラザール家臣の独断暴走っぽい感じでは有るのだけど」

「ニーナも無事なのよね…?」

「ええ大丈夫よ。でも、その謀略と襲撃も含めてウェルハイゼスの最も特別な街スウェーガルニで動いてくれた結果、逆にいろいろと背景が炙り出せたことは良かった。敵の大半、討ち死にしたもの以外は全て捕縛できていて、その中にはサラザール家の現役の家臣も居るわ」


 ウェルハイゼス公爵家の騎士団の活躍によって襲撃犯を撃退しケイレブ王子がかすり傷一つ負うこと無く無事だということは報告を受けているが、逆に言うならその程度しか知らない。公爵家がサラザールの家臣を捕縛していることまでは知らなかったナディアは、この新しく意義深い情報にふむふむと目を輝かせた。

「そう…。さすが精鋭揃いのウェルハイゼスね」

「アルヴィースが居るからこそよ…。まあそれは置いといて、分かってきたことについて一つずつ一緒に対応を詰めていきましょ。それほどノンビリもしていられない」

「ええ、そうね」



 ◇◇◇



 王都と近隣に居た公爵家第一騎士団特務部隊が集められて諜報活動を急いだ結果、有益な情報が得られたのはユリアたちの密談の五日後だった。


 騎士と特務隊員へのユリアからの指示の中で最優先だとされたのは、ハルムンゼス兄弟が持っていたパミルテの薬の入手経路、販売者と帝国から王国に流れた経路などを探ること。

 スウェーガルニからの報告書で直接は兄のハリルが王都で購入したのは間違いが無さそうだということと、そこに弟のキースも関与しているようだと触れられている。


 次に優先されていたのが、王国第五騎士団の傭兵となっていた非合法組織についての調査だ。同じ王国騎士団である第三騎士団をターゲットにしていたのは間違いがなく、調査で確証が得られれば即刻、この組織は一網打尽にすることをユリアは強い口調で指示した。


「先に手を出してきたのは向こうだ。王都だから、自分達は門外漢だからと遠慮する必要はない。私は公家の権能を行使するつもりだ。貴殿らの職務の結果についてはすべての責任を私自身が負う」

 騎士達への指示の最後にユリアはそう付け加えた。


 自分達の敬愛する姫殿下ニーナまでもが害されようとしていたことを知った騎士団員、特務部隊員の全員がその怒りをバネに精力的な調査を行った。


 そんな中、特務が先に手掛かりをつかんだのは、非合法組織の方だった。

 これは彼らが建前上は合法的な傭兵団の体を取っていたためである。

 スウェーガルニで捕縛してシュンが明らかにしてしまっていた構成員の本名が決め手となった。

 第五騎士団との裏の取り決めについてもそれを示唆する証拠は若干上がってきたものの、ユリアはこれに関してはまだ不十分だとした。決め手となり得る証拠を奴らのアジトから押収する必要がある。騎士達はそう理解した。


 そしてこの日。

 日が暮れてしまってから特務隊員と騎士の多くが公爵邸敷地内の一角に集合した。


 領都アトランセルではなんでも屋とも呼ばれる第一騎士団員らしく、パティは領都の勤務だった頃に対人の実戦経験もそれなりにある。それは遠征しての野盗の討伐だったり街で発生した犯罪捜査活動の中でのこと。犯罪を犯した冒険者を追った際に抵抗の激しさから結局殺害したこともある。


 しかし、今回の相手は殺人も厭わない犯罪のプロ集団だ。以前に対峙した野盗のような中途半端なプロではないとパティは何度も自分に言い聞かせている。


 突撃隊と周囲を包囲する隊という、大まかには二手に分かれて作戦は実行される。

 突撃する隊は実戦経験が豊富なベテランが多く編成され、パティは包囲する隊のうちの一つの班の長として組み込まれた。

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