第302話 【幕間】王都の公爵妃③

 王国第五騎士団と関わりが深い非合法組織。

 そのアジトの強制捜査で押収した証拠物件に決定的な物を見つけた公爵家第一騎士団副団長のノイマンは、捜査の際に捕縛した者達の連行が完了するとすぐにユリアに上申した。

 自身も怪しい商人の家宅捜索から戻ったばかりのユリアだったが、報告を聞いて即断即決。その指示を受けたノイマンは、息つく暇もなく部下の騎士数名を率いて公爵邸を後にした。

 そして調査開始以来継続して監視をしていた特務部隊員の手引きで、勤務を終えて帰っていた王国第五騎士団の団長の自宅を急襲。

 その場に居た団長の護衛数名と戦闘になるも、難なく制圧して団長の身柄を確保拘束した。


 翌日の午後。


 公爵邸に書簡を持参した王城の使者をメイドに見送らせたユリアは、受け取ったばかりの書簡に目を通してしまうと、椅子のひじ掛けに頬杖をついて考え込んでいた。


 パティはいつものように警護役としてユリアの執務室の中で控えている。

 昨夜の捕り物についての報告など、王家とのやり取りは未明から朝の早いうちまでで済ませてひと段落していることから、パティは書簡の差出人が誰なのか何となく察し始めたところだ。

 考えに耽っていたユリアは、パティの物言いたげな視線を感じてキョトンと虚を突かれたような表情を見せる。しかしすぐにパッと笑顔に変わった。

「誰からの書簡なのか気になるわよね。ごめんなさい、すぐに教えてあげればよかったわね」

「すみません。もちろん気にはなっていますが、そのことも含めて今後のことを考えていました」


 机の上に在る水差しの果実水をグラスに注いだユリアは、一口飲んで喉を潤すと話し始めた。

「秘密にしておくようなことでもないし、ここで話しても構わないわね…。書簡は第二妃からよ」

「はい、なんとなくそうじゃないかなと思っていました」


 うんうんと首を縦に振ってユリアは続ける。

「第二妃ジョゼーレ・ドヌーブ。彼女は以前、この公爵邸によく来てたのよ」

「……」

 そんなことは初耳だったパティはさすがに少し驚く。が、黙ってユリアの話の続きを聴くことにする。


「第二妃として王の元へ輿入れしたばかりの頃から、二年間ぐらいだったわ。二人でお茶を飲んで長い時間お喋りをしたものよ。王都に知り合いが殆ど居ないから話し相手になってやってくれと王に頼まれたのが切っ掛けで、時々うちに招いていたの」

「そうだったんですか…」


「私はニーナを産んですぐの頃で、アトランセルから王都に戻ってこれから本腰入れて改めて王都のいろんなことを把握していかなければと考えていた時期だったし、割と親しく付き合ってたわ…。それで、その場にナディア。王妃を呼ぼうとしたこともあったの。でも、ジョゼはまだ覚悟ができてないってことで結局それは実現しなかった…」

「……」


 パティは、さっきユリアが書簡を読んだ後に物思いに耽っているように見えたのは、きっとその当時のことを思い出していたからなのだろうと思った。


 ユリアは近くの椅子を指で示して、パティにそれを持って来て座りなさいという素振りを見せる。

 会釈をしたパティはユリアの机の横でその椅子に腰を下ろした。


 果実水を注いだグラスをパティの前にも置いてユリアは話を続ける。

「それで話をこの書簡のことに戻すと…、第五騎士団は今日から活動停止になったからでしょう。第二妃の側付きや警護は暫定的に第一騎士団が代行しているらしいわ。そして、第二妃からこちらへの要望が二つ…。第五騎士団についての取り調べの結果を教えてほしいということと、出来たら処分に関しては第二妃に任せて貰いたいって感じのことよ」


 パティは思わず眉を顰める。

「今すぐではないにせよ、身柄を引き渡してくれということですね」

「まあそうね。都合がいいこと言ってるなってパティは思うでしょ?」

「はい、ダメです」


「ダメよね…。でも落としどころとしては悪くはないかなと、私は思ってるの」

「え?」

「もちろん無条件では飲めない話なんだけどね」



 ◇◇◇



 王都アルウェンの外壁を出て西に乗合馬車なら約4時間ほど進んだ所に、バーガンディ村という小さな村が在る。草原の緑豊かな緩やかな丘陵に在るその村は、王都の近辺では珍しいお茶の栽培を行う者達と各種薬草を採取することを生業としている者達が集まって出来た村である。

 街道沿いには旅人の休憩の場である停車場が設けられ、そこに隣接する村の商店は特産品の茶葉などを旅人にも販売する直売所としても機能している。


 ノイマンとパティを含めた騎士15名と共にその停車場に来たユリアは、停められた馬車からゆっくりと降りた。

 15名とは別に先行して停車場に着いていた騎士の一人がユリアに近付いて囁く。

「相手方は少し前に到着しました。こちらの特務とバックアップの騎士は配置完了しています」

「了解よ」

 周囲をぐるりと見渡して短く応じたユリアに騎士は続ける。

「事前に通達された以外の勢力の姿は今のところありません」

「まあ、それはそうでしょうね…。でも油断しないようにね」

「畏まりました」


 ユリアがまた乗り込むと、馬車はその停車場の横から始まる街道の脇道となっている小さな道を進み始めた。

 その緩やかに昇っていく道は、目の前の丘の頂点付近へ続いている。

 ユリアに同行する騎士は変わらず15名。

 御者席に二名、馬車の中にはパティが添乗していて、残りはすべて騎乗して馬車の前後左右を囲みながら進んだ。


 丘の頂に着くと、そこには先程の騎士の報告でも既に到着しているという話があった相手方の馬車が一台。そしてその警護の者達の姿があった。

 彼らの横、風に少したなびいている天幕には公爵家の紋章が描かれていて、その脇には公爵家騎士二名が立っている。

 天幕を挟んで反対側に停まった馬車からユリアが降りると、同じように相手方の馬車からも一人の貴婦人が降りてきた。


 互いに天幕の方に歩み寄った。


「公爵妃様、お久しぶりでございます」

 天幕の前で立ち止まって先にそんな挨拶の声を発したのは、ジョゼーレ・ドヌーブ第二妃。

 そして横に付き添っている一人の男性騎士が第二妃のその声に合わせるように頭を下げた。


 ユリアも立ち止まるとニッコリ微笑んでその二人を見た。

「こちらこそご無沙汰してます…。ジョゼ、以前も言ったけど堅苦しい挨拶は無しよ。そしてベンも、元気そうですね」


 ベンと呼ばれたその騎士は王国第一騎士団団長ベネディクト・ビアゾフ。

 王国騎士団の総団長も兼ねている王国騎士団の最高責任者である。

 ベネディクト団長はユリアの笑顔に同じように笑顔を返しながら応じる。

「ユリア様もお変わりなく、何よりでございます」

「こらこら、堅苦しい物言いはなしよ」

 もう一度そう言ってユリアは笑顔で頷いて見せた。


 ユリアは二人に指し示して天幕の下に進ませる。


 用意されていたテーブル席の一つを第二妃に進めてからユリアがその向かいに腰を下ろすと、続いて第二妃とベネディクト団長も椅子に座った。

 第二妃の後ろにはもう一人王国騎士が立ち、ユリアの後ろにはノイマンとパティが立った。


 ユリアはパティが出してきた茶器でお茶を淹れ始める。

「ここに来たら、やっぱりバーガンディのお茶を飲まないとね。割といい物よ。期待してて」

「ユリア様…、懐かしいですわ」

 第二妃は緊張気味の顔に、それでも少し笑みを浮かべるとそう言った。


「ええ、そうね。ここにジャスティン王子も連れてきたわね。王子はお茶の美味しさがまだよく分からなくて、甘い果実水ばかり飲んで…」

「あの頃はまだ小さくて、そうでした。今では紅茶が大好きでよく飲んでいます」

「そうなの…。でも、ホントに懐かしいわ」


 それはジョゼーレ第二妃が産んだジャスティン王子が、まだ二歳ぐらいの頃の話。

 ユリアが、たまには郊外に出てみようという提案をして連れだってこの場所に来たことが有るのだ。

 ちょうど季節も同じ頃。

 美味しいお茶を買いに行こうという目的と、この高台のような丘を吹く風の気持ちよさをユリアが知っていたからだった。


 その後、ナディア王妃が第三王子のケイレブ王子を産んだことで状況が変わり、プッツリとユリアとジョゼの付き合いは無くなり疎遠になっていったのだが。


 静かにお茶を堪能した時間は決して短いものではなかった。

 その静寂を掻き消したのはユリアの言葉。

「さてジョゼ…。私達が内乱予備と見做した王国騎士団同士のいざこざにも問題は有るわ。けれどケイレブ王子を殺めようとしたことは絶対に看過できない」

 第二妃の表情が一瞬で強張った。

 それは立ったままの王国騎士も同様だ。おそらくはその騎士には初耳だったのかもしれないとユリアはそんなことを思うが、ベネディクト団長は一切表情を変えず黙ったままだ。


「現時点で判っていることをまとめた報告書を見せておきましょう」

 ユリアがそう言うと、パティが書類を第二妃とベネディクト団長のそれぞれの前に置いた。

「今、拝見してもよろしいですか?」

 ベネディクトのその言葉に頷いたユリアは、もう一度今度は別の茶葉を使ってお茶を淹れ始める。それは時間を掛けて構わない、よく読みなさいという意思表示だ。


 その後、読み終わった二人が顔を上げた所で、新しいカップに注いだお茶をユリアは二人の前に置いた。

「その書類は持ち帰ってもらって構わないわよ。もちろん情報全てが記されている訳じゃないことは理解しているでしょう」

「いえ、それでもこの情報は助かります」

 と、ベネディクト団長は即答した。


 黙ったままじっとカップを見詰めている第二妃にユリアは声をかける。

「ジョゼ。貴女の教唆が無かったのか、もしかしてあったのか。私達は知らない。それは第五騎士団のバカな行動とケイレブ王子襲撃どちらについても」

「……」

「ジャスティン王子がケイレブ王子と肩を並べて、リオネル皇太子を支えていくという未来では駄目なのかしら?」

「それは…」

 ジョゼーレ第二妃は言葉に詰まる。


 ユリアは思う。

 ジョゼは東部貴族の一つに名を連ねる彼女の実家、実父の言い分を無視できないでいるであろうことを。そして、そこにサラザール伯爵の強い野心が絡んでいて話がややこしくなっているのだと。

 むろん、彼女の我が子への思いが根底に有るのは間違いがない。

 我が子を王にしたい。

 第二妃だ、第二妃の子だと蔑まされてきたと感じている複雑な思い故の反発の類も心のどこかにきっとあるだろう。


「貴女の実家の事情は理解してるわ。でもね、サラザールは自分が王になるつもりよ。最悪の場合、王国を二つに割った形をとると貴女には言っているのかもしれないけど」

「……」

「王都アルウェンを掌握出来なかったら、ジャスティンを擁立して東部は独立を宣言。アリステリア東王国なんてものを立ち上げるのでしょうね。王家の権威を削り合うそれは兵も民も犠牲になる内戦ということよ。その後、仮に彼らがその状態を維持できたとしても、それはそんなに長くは続かない。時機を見てサラザールは必ずジャスティンを殺すはずだから」


「ユリア様、そこまでの話になりますか?」

 ベネディクト団長が鋭い目つきでそう尋ねた。

「与太話で終わればいいんだけどね。残念なことにサラザールの手の内の者はそう考えているみたいよ。東部貴族こそがこの国の真の支配層になるべきだと言ってるらしいわ」

「「……」」



 その後、沈黙を続けてただ考え込んでいるばかりの第二妃。

 ユリアは話題を変える。

「王国第五騎士団は、取り調べが終わって罪状が確定したら、ベン…。その後のことは王国騎士団に任せたいと思っているの。公爵家からは告発だけして捕縛している騎士達の身柄はそちらに引き渡すという形ね。不問に付す訳にはいかないでしょうから処分について貴方が王と相談するのは当然。お任せするわ。ジョゼの考えも聞いたうえで、ベストだと思う処分にしてほしいと思ってる。但し…」

「はい、何か条件がございますよね?」


 ユリアはほんの少しだけ苦々しい笑みを浮かべた。

「あの第五騎士団の団長は完全にサラザールに毒されてるわ。そもそもだからこそ団員達もあんな風になってしまってると私は思う。そういう訳で彼だけはこちらで処分したい。それを了承して貰えるかしら?」

「公家の権能に基づいた話ですから、私には何も言えません。その話を受け入れるしかございません。それに…、敢えて厳しい処分は公爵家が公爵家の手で下してくれるのですね。王国騎士団内部の揺らぎを最低限にとどめる為に」

「まあ、そんな感じだと思ってくれてて構わないわ。もしも王国騎士団員にこのことで恨みが残るのならば、それはウェルハイゼスに向けてくれればいい。それだけよ」


 この時パティは、話の流れをしっかり理解しようと懸命に考え続けていた。

 後ろに立っているせいでユリアの表情は分からない。

 だがきっと、それは少し悲し気で。それでも誇りを持った凛々しい顔つきなのだろうと思った。



 ◇◇◇



「ユリア様…」

「うん、どうしたの?」

 それぞれ馬車に乗る間際になって、やっと再び口を開いたジョゼーレ第二妃はユリアに語り掛けた。


「少し時間をください。ですが、私はもしかしたらもう引き返せない所に居るのかもしれません。そしてジャスティン。あの子は今回おっしゃられたことについては全く関与していないことだけはお心に留め置いてください。ベネディクト団長もそこはよろしくお願いします」


 ユリアもベネディクト団長も黙って頷くだけであった。



 王都の公爵邸に戻ったパティは今日の話し合いの、主にユリアが語ったことについて頭の中で反芻して考え続けている。

 何度もひしひしと痛いほどに感じたのは、ユリアのとても大きな悲しみ。

 心の中では泣き叫んでいるのかもしれないとまで思ったほどだった。


 ユリアはジョゼーレ第二妃とジャスティン王子を救いたいと心の底から思っているのだとパティはそう受け止めている。

 それは親しい間柄だったからなのか、それとも同じ女として第二妃の境遇に何か思うところがあるからなのか。


 パティがそんな風に、悶々とした思いを抱えたまま数日が過ぎた。


 そしてこの日。

 勤務を始めたパティが聞いたのは、第二妃失踪という耳を疑うような事実。


「ジョゼーレ妃が離宮の外に出て王宮に向かって歩いている時だったそうです。突然足元に現れた魔法陣が輝きを増してあっという間に転移が発動。ジョゼーレ妃はその転移魔法によってどこかに連れ去られた模様です」


 特務部隊員のそんな説明の言葉が、呆然としたパティの頭の中で何度も反響し続けていた。

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