第280話
俺の話を聞いてまだ絶句したままのエヴェラードは、見ていて大丈夫かと心配になるほどに青ざめている。さぞや頭の中に様々な思いが駆け巡っていることだろう。
それは他の六名も程度の違いこそあれ同様だ。
エヴェラードを含めた彼らは、弱小エルフ一族の世渡りの方便だと自分達を納得させたりしていたのだろうか。彼らにとっては近隣の有力者であるサラザール伯爵家に、何とかして気に入って貰おう目をかけて貰いたいと取り入ったことはおそらく初めてのことではないのだろう。
「……最低な野郎だ」
なかなか怒りを抑えきれないでいるガスランが我慢できずに小さくそんな言葉を吐き出した。
こんなにまで怒ったガスランを見るのは俺は初めてだ。
そんなガスランの様子に気が付いたエリーゼがガスランと俺に微笑む。
「ガスランいいのよ。今に始まったことじゃない。家を出る前からこうだったの」
エリーゼのこの言葉を耳にして、従者たち六人のうち半分ほどは唇を噛みしめたり表情に明らかな変化を見せている。少しは負い目や罪悪感のようなものを感じているのだろうか。
場の重苦しい空気を吹き飛ばすように、ふぅっとフレイヤさんが溜め息をついた。
「うん…、頭を冷やす時間を置きましょうか。エリーゼ、シュン君とガスランも…。今後のエヴェラードとの話は私に任せてもらえるかしら?」
「はい、フレイヤさんにお任せします」
「……エリーゼの望むままに」
エリーゼに続けてガスランがそう答えるとフレイヤさんは俺を見た。
「ええ、俺もそれで構わないんですが…」
「ん…?」
「いや、いいです。大したことじゃありませんから」
どうやら、スウェーガルニではとても目立っていたであろうエヴェラード一行には当然のように尾行が付いていたようで、この『双頭龍の宿』の周囲に居る特務部隊の動きが活発になっていることが俺は気になっていた。
◇◇◇
約束の時間ギリギリになったので、俺とエリーゼは分団本部へと急いだ。
元々、捕縛したハリル達の尋問にも立ち会うことになっている。
ガスランはフレイヤさんをギルドへ送ってから分団に来ることになった。
分団本部に着いた俺達は、迎えてくれたリズさんと共に取調室の一つに入る。
そこではラルフさんともう一人の騎士が、手足を鎖で縛られ目隠しもされて椅子に座っているハリルと対面していた。
あれっ、もう始めてたのかと俺が思っていると、ラルフさんが立ち上がって俺達の傍に来た。
「丁度良かった。今から始めようとしていたところだ」
「分かりました…。いつものやり方で」
小声でそう応じたエリーゼにラルフさんはうんうんと頷き、頼むぞという意味が込められた微笑みを見せた。
その後、間もなく始まったハリル・ハルムンゼスへの尋問は、ハリルが何かを言う都度その真偽を判定したエリーゼがサインを出すといういつもの形で進んだ。
少しずつ明らかになってきたのは、後続の刺客・実働部隊はハリルが知る限りでは手配されて無さそうだということと、今回踏み込んだアジトで押収したハリルの私物の中から見つかったパミルテの薬はハリル個人によって自分の楽しみの為だけに準備されていた物らしいということ。
今日のこの第一回目の尋問は2時間ほどで終了。
ハリルは意外にもこちらの質問に素直に答えてくれている印象を俺は持った。
留置所へハリルが連れ戻された後で、そのまま取調室に残ってラルフさん達と共に尋問で得た内容のまとめと検討をしていた時にリズさんが言う。
「なんか、既に観念してる雰囲気でしたね。あっさりサラザール伯爵からの指示について話すとは思いませんでした」
それについては全員が同意だ。
ラルフさんは少し呆れているような複雑な表情になっている。
「家臣の癖に、あれはサラザール伯爵への忠誠心なんてほとんど無いな」
普通ならば、もっと主君を庇ったり主君の関与を否定したりするものじゃないかというのがラルフさんの言いたいことで、情報を得たいこちらとしてはありがたいことではあるものの忠誠を誓ったはずの家臣としてはどうよ、ってこと。
今後、ハリル達の取り調べは長い期間続くだろう。
ケイレブの守護が最優先なので俺達がその全てに立ち会うことは出来ない。可能な時には立ち会うことを約束して俺とエリーゼは取調室を出た。
廊下でエリーゼが俺に言う。
「ガスラン来てるけど、あっちの部屋に居るよね」
探査で俺にも見えている。
「うん…。エヴェラード達も居るよ」
「えっ…!? なんで?」
さっき初めて会ったばかりだが、エヴェラード達一行全員に俺はマーキングを撃ち込んでいる。そんなのが無くても判るガスランが居る所には、特務の隊長さんとエヴェラードが居るのだ。他の六名は少し離れた部屋に全員が一緒に居る。
ガスランが居る部屋は取調室の一つだった。
俺は部屋の前に立つ騎士にガスランを呼び出してもらうことにした。
「解りましたシュンさん。ちょっと待っててください」
にこやかな笑みで俺に頷いた騎士が部屋のドアを開けた時に、中の様子が僅かに垣間見えた。
椅子に座らず立っていたガスランは開いたドアに気付いて、俺とエリーゼの方を見た。エヴェラードは椅子に座って深く俯いた状態なのでこちらからその表情を見ることは出来なかった。
すぐに廊下に出てきたガスランが俺とエリーゼの耳元で言う。
「逮捕じゃなくて一応は任意同行の形。けど、騎士団の人達は割と厳しかった」
「そうか…。特務がマークしてるなってのは気が付いてたんだけど、早かったな」
「ガスラン、その場に居合わせたの?」
「うん。結局ギルドの近くまで一緒に行ったんだ。フレイヤさんが7人が泊まれる宿を紹介するって話になって…。で、ギルドの方に歩いてる途中で騎士と特務の人達から呼び止められた」
廊下で三人、頭を突き合わせるようにしてこそこそと話していると、そこに特務の隊長さんも出てきて事情を説明してくれる。
「うちの別部隊が公爵領内に入った時点から監視はしていたようです。サラザール家と関与しているのが明らかですので、こういうことになりました」
領内に入った時点からということは、特務は既にエリーゼの家のことなどもある程度は把握済みなんだろう。
「当然の対処ですね。ただ、彼らは襲撃には関わってないと思うんですけど…」
俺がそう言うと、隊長さんは解ってますと言いたげに笑みを浮かべた。
「同感です。しかし、あちらの雰囲気などいろいろ語って貰いたいと考えています。なので、何日か拘留しますけど構わないですか?」
最後の質問は主にエリーゼに向けられたものだった。
エリーゼは少しだけ考える様子を見せたが
「私からどうのこうの言うつもりはありません。隊長さん達は私達に遠慮せずご自身の職務を遂行してください」
そう言って隊長さんに深々とお辞儀をした。
「エリーゼさん、ありがとうございます」
隊長さんはエリーゼに向かって、エリーゼに負けないほどに深く頭を下げた。
その後、兄はどうでもいいが他の六人には会って話をしたいというエリーゼの要望は快諾された。
そして案内された部屋、六人は全員が同じ部屋に居た。但し騎士の監視付きで。
部屋に入ってきたエリーゼの顔を見て安心したような表情に変わった彼らにエリーゼは言う。
「皆、騎士団の人から訊かれることにはちゃんと正直に答えてね。兄を庇う必要はないから…。うちの家の恥となってしまうことであっても隠さず事実を話して」
すると、六人の中で一番気弱そうに見えていた女性がエリーゼに駆け寄ってきた。
今にも泣き出しそうな顔だ。
「エリーゼ様、私達はどうなるのでしょうか」
「ハッキリ言って心証はかなり良くないと思うから、今言ったように正直に知ってることを話して。そして、これ以上バウアレージュ領や父上に迷惑をかけないように今後はちゃんと父上に従って頂戴」
女性は、その場によろよろと崩れ落ちるようにしゃがみ込んでしまった。
ガスランが手を伸ばして助け起こしながら、部屋にあるソファに横たわらせる。
見ると血の気が無くなったように白い顔色だ。意識はまだあるようだが呼吸は弱い。俺はすぐに魔力探査などでその女性の状態の確認を始めた。
「……心労かな。精神的な負担からだと思うけど、心臓が弱ってる感じだよ」
傍にやって来たエリーゼが女性の顔を覗き込みながら俺の腕に手を添えて言う。
「そう…。シュンちょっと代わって」
「オッケー、任せた」
ソファに横たわる女性の横で膝をついたエリーゼは、軽く右手を女性の胸の上に置いた。
そして目を閉じて声にはならない声を呟く。
あっという間に辺りが静寂に包まれると、エリーゼの右手から淡い虹色の光が輝き始めた。
すぐにその光は女性の胸からその全身へと広がり始める。
光量が上がり直視できない程の光が女性を包み込み、それはエリーゼをも包み込んでいく。
しんと静まり返った部屋の中に居る人々は、幻想的な光のショーに魅了され言葉を失った。それはエルフ達だけではなく、その面会の場に立ち会っていた公爵家の騎士達と特務部隊の隊長さんも同じだ。
六人のうちのもう一人の女性従者であるエルフの女性が、跪いてエリーゼの方に祈るように手を合わせた。
彼女は涙を流している。
静かで暖かな光が更に広がって部屋の全員を包んでいく。
ガスランがゆっくりと周囲を巡る光を首を左右に振って見渡しながら笑顔だ。
「綺麗だな」
俺が小さな声でそう言うと、ガスランは更に笑顔を弾けさせて何度も頷いた。
俺自身もいつしかガスランと同じように笑顔になっていた。
◇◇◇
静寂の帳が無くなり光が消えていくと、すっかり呼吸が落ち着いた女性がソファで眠りについている様子が見えてきた。
「ん…、もう大丈夫だと思う」
そう言って立ち上がるエリーゼの手を取りながら俺は女性の状態を診た。
「ああ、大丈夫そうだ…。お疲れさん」
戸惑いと驚愕、憧れ。そして畏怖、または畏敬。そんな感情を続けざまに呼び起こされた状態だった人々が次々と我に返ってくる。
「今のは…?」
エヴェラードの従者の一人、男性エルフが掠れた声で尋ねるがその問いに答える者は誰も居ない。
「もしかして精霊の加護ですか…」
結局、自答する形になって彼はそう呟いた。
「いえ、加護ではありません。精霊の癒しを行使しただけですから」
エリーゼは静かな落ち着いた口調で応じると、これ以上の質問は受け付けない空気を漂わせた。
涙を流していた女性エルフがエリーゼに最敬礼のお辞儀を続けている。
「エリーゼ様、ありがとうございました」
その女性に黙礼を返したエリーゼは、口を閉ざしたまま俺達と一緒に部屋から出た。
予定外のいろんな事に時間を取られてしまった俺達。
ちょっと急がなくてはいけない。
「買う物考えてるよね。イリヤさんから料理受け取らないといけないし…」
「二手に分かれる?」
「いや、まず双頭龍の宿に行ってそこから商店街経由してダンジョンフロント行きの馬車乗り場に行けばいい」
分団本部の門まで隊長さんとリズさんが見送りに出てきてくれる。
彼らの方を振り向いた俺は言う。
「それじゃあ俺達、買い物してからダンジョンに戻ります。あまりサボってるとニーナに怒られちゃいますから」
リズさんがニッコリ微笑んだ。
「ふふっ、殿下によろしく言ってくださいね。それとフェル達のことお願いします」
「分かりました。リズさんもあまり無理しないでください」
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