第279話 愚かな兄
魔法師を拘束する際は、魔封じの鎖と呼ばれる物で縛り上げるのが一般的だ。
それは単なる鎖ではなく手枷や足枷、時には首輪だったりと形は様々。しかし基本的な原理はどれも同じだ。
魔封じは、術者が魔法発動に使用するマナ・体内魔素の動きを阻害することと、それでも発動した魔法については照準を鎖で縛られている術者自身に向かわせる効果、大きくその二つで実現している。
魔道具文化が花開く遥か昔からある物だが、現代で言うところの魔道具となんら違いはないので、定着している魔法の解析と書き換えが出来るならば魔封じは無効化されてしまう。但し、そんなことができる魔法師は滅多にいないけどね。
あっという間にハリル・ハルムンゼスらの捕縛を終えた俺達は、合図で迎えに来てくれたリズさん率いる騎士団分団の馬車に彼らを詰め込み、別のもう一台の馬車に乗り込んだ。
「シュンさん、皆さん。ありがとうございました。おかげですんなりと危なげなく捕縛できました」
俺達が馬車の座席に腰を下ろすと、特務部隊の隊長さんは馬車のドアから顔を覗かせ俺達にそう言って頭を下げた。隊長さん自身は特務部隊の部下と共にこのアジトを詳しく調べるために残ると言う。
その後、すぐにアジトを離れた馬車に揺られてスウェーガルニの街区に戻ってきた時には、もう少しで夜が明けそうな時刻になっていた。
馬車の窓越しに街区を囲うスウェーガルニの高い外壁を見ながら
「騎士団分団本部に寄って捕虜の収容が終わったら、すぐ宿に帰ろうか」
と俺がそう言うと、
「賛成」
「マスターのご飯食べたい」
エリーゼとガスランも、早く宿に帰りたいという思いを隠さずそう答えた。
すぐに食べる食事だけではなく、収納に蓄えておく分もたくさん作って貰うつもりだ。双頭龍の宿のマスターとイリヤさんが作ってくれる料理はいつも多めに収納にストックしているが、人気があるので無くなるのが早い。
「ニーナ達にも持って行ってあげないとな」
「料理もだけどお菓子も買わないといけないの」
エリーゼはスイーツを買ってきてとニーナとフェルから頼まれているらしい。
街区に入り騎士団の分団本部に到着した俺達は、捕縛した全員が牢に運び入れられたところを見届けて宿に向かった。
◇◇◇
昼過ぎに起きた俺とエリーゼは、ちょっと久しぶりの二人きりの熱い時間も過ごせたので、気分爽快スッキリ爽やかだ。
二人で食堂に降りてイリヤさんが出してくれた遅い昼食を食べ始める。
先に起きていたはずのガスランは今は宿には居ない。ギルドに行ってくると書置きがあった。
食堂のテーブルで向かいに座るエリーゼはスプーンでスープを口に運びながら言う。
「ガスランは風魔法のことでフレイヤさんに聞きたいことがあるって言ってたよ」
「あ、そうなんだ…。けど、ガスランのはどっちかと言うとレヴァンテと同じ、攻撃に特化した風魔法だよな。エルフっぽくないって言うか…」
「うん。自分でも解ってるからフレイヤさんにも教えてもらいたいんだと思うよ」
「フレイヤさんの風魔法は無駄が無くて綺麗だからな…」
そんなことを話していたら宿の入り口のドアが大きく開けられて何人もの人が入って来る。それは男性が五人と女性が二人。全員が冒険者風の装いのエルフだ。
エルフか…。団体で居るのは珍しいな。
宿の中へ入ってきたそのエルフ達の様子を見て俺はそんなことを思った。
すると、すぐにその中の一人の女性が入り口には背を向けているエリーゼを指差した。
「エリーゼ、知り合いか?」
「え?」
俺の小さく囁くような問いかけに、エリーゼは視線を挙げて俺を見て次の瞬間には入り口へ顔を向けた。
「エヴェラード兄さん?!」
エリーゼの呟きと同時に俺も鑑定を終えていた。
エヴェラード・バウアレージュ。エリーゼと同じバウアレージュ姓だ。
金髪碧眼のいかにもエルフという顔立ち。髪の色は違うがこれがエリーゼの兄なのか。
「エリーゼ、やっと見つけたぞ」
エリーゼを指差したエルフ女性の後ろから進み出て近付いてきたその男は、そう言ってニッコリ微笑んだ。
エリーゼは兄を少しの間だけ見ていたが、すぐに向き直って俺を見た。
眉を顰めたその表情は兄への嫌悪感を隠せないでいる。
「シュン、傍に居てね」
声にならないほどの声で俺にそう言ったエリーゼに俺はコクリと頷きを返した。
更に近付いてきた兄に対峙するようにエリーゼは立ち上がり、抱き締める素振りの兄の手から逃れるべく俺の横に立った。
「食事中なの。話はあとにして」
「は? 何を言ってるんだ。久しぶりの再会じゃないか」
笑いを浮かべたままエヴェラードはそう言った。しかしエリーゼの鋭い視線に圧されたかのようにそれ以上近付くことはせずに居る。
エヴェラード以外の他の六人は入り口近くに佇んだままだ。
エリーゼは彼らに対しては笑顔を見せた。
「ここの料理はとてもおいしいわよ。昼食まだなら皆も食べたら?」
揉め事は勘弁してくれよと言いたげな他の客の咎める視線やイリヤさんの明るい声にも促されて食堂の奥にある広めのテーブル席へと案内された七人は、イリヤさんから勧められるままに食事を摂るようだ。エリーゼの兄は時折チラチラとこちらの様子を見てくるが、俺とエリーゼはそれは気にしないようにして食べ始めたばかりだった食事を続けた。
「エリーゼ。兄さんにはミドルネームが無いんだな」
ふと気になってそう問いかけると、エリーゼは兄が現れて以来うんざりしている様子だった顔を更に曇らせた。
「……エルロムという名は精霊が選んだ継承者の証なの。私が死ぬか他家へ嫁げば精霊が与えるこのミドルネームは別の者に移る可能性が有る。と言っても、兄が継承者に選ばれるとは限らないんだけどね」
「精霊が定めたと言ってたミドルネームって、家族全員が対象じゃなくてそんな意味があったのか…」
「煩わしいだけよ。こんな仕組みなんか無ければいいのにと思ってる」
「もしかしてエルロムの名が無いと家を継げない?」
「昔はそうだったみたい…。今はそんなことは無いんだけど、周囲からは良くは思われないのよ」
「ふむ…、めんどくさいな」
「ホントそれ。勘弁してほしい…」
食事を摂り終えて俺達は食後のお茶を飲み始める。
お茶を一口だけ口にしたエリーゼは、
「フレイヤさんに一緒に居てほしいって頼んでみる」
と、そう言って電話をかけるために厨房の方へ引っ込んだ。
◇◇◇
食堂の奥のテーブルの上が綺麗に片付けられて、そこで改めてエリーゼの兄達一行と対面した。
やっと俺も自分の名を名乗る状況になったということ。
「アルヴィースのシュン…。そうか、君がそうだったのか」
エヴェラードは、口元をピクリと動かした後はそう言ってにこやかに微笑んだ。
すぐにエヴェラードも自分の名を言って、共に居る他の六人を次々に紹介していった。
「……この者達は私が信頼する従者達だから、気兼ねしないで接してくれ」
そう言って締めくくったエヴェラードに俺は頷いた。
「それでシュン…。エリーゼが随分お世話になったようだね。いろんな話が私達の所にも伝わってきている。バウアレージュの名を高めてくれたことに礼を言うよ」
延々と社交辞令が続きそうだと思ったその時、エリーゼが割って入る。
「そんなことより兄さん。そろそろ用件を言ってください。私達はウェルハイゼス公爵家からの依頼を遂行している最中で忙しいんです」
「ウェルハイゼス…? ああそうか。ウェルハイゼスの殿下が一人パーティーメンバーの中にいるんだったな…」
そこまで言ってエヴェラードは、俺とエリーゼの顔を見つめた。
黙って言葉を待つ様子の俺達に彼は言葉を続ける。
「……エリーゼは、私と共にバウアレージュ領へ戻って貰う」
ふっと鼻で笑ったエリーゼがエヴェラードを睨みつける。
「時間の無駄でバカバカしいとしか思えないけど、一応説明してください」
さすがに笑顔が消えて、エヴェラードもエリーゼを睨む。
しかし、すぐにその目を逸らした。
「お前の結婚が決まったんだ。これはバウアレージュとしての総意だ」
苛立たしさを隠せない口調に変わってしまっている。
エリーゼは逆に落ち着き払った口調だ。
「それは父上も同意したということで間違いないんでしょうか?」
「先方からの強い要望だ。うちは断れないんだよ。だが、むしろいい機会だと私はそう考えている」
「質問に答えてください。父上は同意なさってるんですか?」
眼光鋭いエリーゼからは威圧が発せられている感じがした。
その時。
「それもだけど、先方というのはどこのことなのかしら? 私はその辺の事も気になるわ」
フレイヤさんの妙に明るい声がその場に響いた。
少し前から俺は探査で判っていたんだけど、ガスランと共にフレイヤさんが来ていた。
◇◇◇
エルフの一行七人全員が直立不動だ。
エヴェラードも席から立ち上がってフレイヤさんに頭を下げた。
そんなエルフ達をひと通り眺めたフレイヤさんは言う。
「うん、以前見たことがある人も居るみたいね…。そんなに硬くならないで皆、楽にしてね」
どうでもいいことかもしれないが、今この双頭龍の宿の食堂は、エルフ率が異常に高い。何人か居た昼食を摂っていた客は既に居なくなっているしマスターとイリヤさんは奥に引っ込んでるので俺以外は全員エルフ。ガスランを含めると10人だ。
全員を席に着かせるとフレイヤさんもエリーゼの隣に腰を下ろし、厨房の方に向かって大きな声を出した。
「イリヤちゃん、私とガスランにもお茶を貰える? ケーキもあると嬉しいな」
「はーい、今準備してます~!」
すぐにイリヤさんのそんな声が返ってきた。
エルフ達から崇拝されているに等しいフレイヤさんは、憧れや畏怖の視線を見せている全員を見渡してニッコリ微笑んだ。
「さて…、エヴェラード。質問に簡潔に答えてね」
「……はい」
「先方というのはどこの家?」
「……サラザール伯爵家です」
はあ? と、俺とガスランは揃って思わず声を上げそうになる。エリーゼ自身も呆れているのと驚いているのと両方の表情。
何だ、このタイミングは…。と俺は更にいろんな想像を掻き立てられてしまう。
アリステリア王国に隣接し王国からはバウアレージュ自治領と呼ばれるエリーゼの故郷の都市国家は、サラザール伯爵領に非常に近いということは聞いていた。主要な交易相手でもあると。
「ふーん、そう…。正直に答えてほしいんだけど、その話は誰が言い出したことかしら? サラザール伯爵家にしてみれば格が違いすぎる話だわ」
「……私が。バウアレージュの利益になると考えて持ちかけました」
ガスランとエリーゼから殺気がにじみ始めた。
ずっと俺の左手を握っているエリーゼの手を握り返し、右隣に座っているガスランの膝を俺はポンと叩いてなだめる。
俺達のそんな様子をチラッと見たフレイヤさんが、やはりガスランを宥めるように頷いた。
「貴方達の父親のことは私は貴方達以上によく知っているつもりよ。だから、エヴェラードが独断でその話を進めたとしか思えないのだけど…、私のその解釈は間違ってる?」
「……いえ、間違っていません。ですが、父上もバウアレージュの為だということは理解してくれるはずです」
「エヴェラードらしいと理解はするでしょうね。けれども、お父さんはそれは間違っていると貴方を諭すはずよ」
「……」
「貴方達にも言っておくわね」
フレイヤさんはそう言ってエヴェラード以外の六人に向けて話し始めた。
エリーゼ達の父親は彼ら六人にしてみれば忠誠を尽くすべき当主である。その当主に内緒でこんな話を進めたことを知っていたのか。エヴェラードは敬うべき殿下ではあるが側近として殿下の暴走に等しい行いを諫めることが何故できなかったのか。そんな話をした。
六人は一様に俯き何も言えなくなってしまう。
しかしエヴェラードは、突然のフレイヤさんの登場に動揺していたのが少し落ち着き、そして何か思うところが出てきたのか吹っ切れた顔つきに変わってまた口を開いた。
「切っ掛けはこちらからでしたが、サラザール伯爵は非常に強い関心を持ってくれています。むしろ今ではこちらよりも乗り気になっています」
「兄さん、それは何故か解ってる?」
すかさずエリーゼが問い返した。
言葉で応じることはせずに訝しげな表情と無言で続きを促したエヴェラードには俺が答えてやることにした。
「サラザール伯爵は、王国の第三王子のケイレブ殿下とウェルハイゼス公爵家のユリスニーナ殿下の暗殺計画を進めているんだ。そして一方的に敵視しているウェルハイゼス公爵家の専属冒険者であり大きな戦力だと見做している俺達アルヴィースの弱体化を狙っている」
「え?」
「王子の暗殺?」
エルフ達が驚きを隠せず口々にそう声を発した。
「既に多くの実働部隊や諜報部隊、そしてサラザール家の家臣のハリル・ハルムンゼスとその弟のキース・ハルムンゼスも捕縛している。ハリルは今日の朝、俺達が捕まえてきたばかりだ」
「ハルムンゼス男爵が?」
そう口走ったエヴェラードの顔を真っ直ぐに見て、威圧を放ちながら俺は言う。
「そんな状況の中、エリーゼをサラザールに献上するために連れ戻すとお前はバカ丸出しで言ってるんだよ。サラザールの悪事に加担しているようにしか見えないぞ」
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