第233話

 重力エレベーターで降りた所は広い草原。木々が少なく見晴らしの良いほとんど平坦なだらかな土地だが、そう遠くない所から緩やかな下り斜面が始まっていてその先に小さな入り江になった水辺が在る。上からも見えていた広く水を湛えたそれは潮の香りが感じられず、おそらく大きな淡水の湖なのだろう。そして水辺とは反対側の遠くに見える森林は山の稜線へと繋がっている。

 陽射しの割にここの気温は少し低めだろうか。日本の夏の高原のような爽やかな風がそよぐ中、山荘風の家へと俺とニーナは案内される。


 その山荘までの丈の短い草の上を歩いて先導する人型の背後から俺は声を掛けた。

「お前の事は、なんと呼んだらいい?」

 俺がそう尋ねると、人型は歩みを止めて半身で振り返って俺を見た。

 しかしすぐに視線を下に落として言う。

「以前レヴァンテと呼ばれていたことがあります」


「そうか…。じゃあそう呼ぶよレヴァンテ。俺はシュン、そしてこっちはニーナだ」

 応ずる言葉は口にせず、レヴァンテは俺とニーナを順に見て少し頭を下げると前に向き直ってまた草原を真っすぐに進み始めた。


 遠目には木造の家屋のように見えていたその建物は、実際にはかなり特殊な材料が使用されていることが近付いた俺には判ってくる。

 周囲を囲う背の低い柵も同様だ。

 家の敷地に入る所で、その柵に俺は触れてみた。


「木材に特殊な加工を施したものです。劣化風化することが殆どありません」

 レヴァンテが俺の仕草に気付いてそう説明してくれた。


 もちろん鑑定はしている。でも硬化木材という事しか判らない。知りたいのは加工の方法なんだけどね。おまけに、残存していておかしくないはずの土魔法の痕跡が全く感じ取れないのだからお手上げである。



 家の中は簡素そのもの。

 入ってすぐの広い部屋には最低限の家具はあるが、余計な物が全く無いことが生活感の無さを強調している。

 レヴァンテとテーブルを挟んで向かい合うように、応接のソファに腰を下ろした俺は飲み物を収納から取り出した。もちろん三人分。どうやらこの家の中には食べ物や飲み物の類は一切無さそうだったので、仕方なくセルフサービスということ。


 ありがとうございますと呟くように言ったレヴァンテ。

 俺は人間の習慣を無理強いしていないか少し心配になる。

「飲めなかったら無理しなくていい」

「いえ、いただきます」

 そう言ってひと口カップのお茶に口を付けたレヴァンテは、すぐにカップをテーブルに戻すと姿勢を改めてから俺に向かって話し始める。


「この地はビフレスタと名付けられた異界です。環境などはデルネベウムに準拠しております」


 ビフレスタ…。

 日本人の時の記憶に、ビフレストは人間界と天界を繋いだ虹の橋というものがあるが、名前の由来はその辺だろうか。


「俺達は、魔王と勇者が堕ちたと言い伝えられている奈落がここなんだろうと思ってる」

 レヴァンテはその話には特に何の感情の変化も見せずに淡々と答える。

「聖者がそう伝えたことは知っています。しかし実際には魔王様と勇者様はどちらも戦いで亡くなった訳ではありません。このビフレスタを二人で創造した後にお二人とも安らかに息を引き取りました」


 やはりそうか…。

 二人で創造した、レヴァンテははっきりとそう言った。


「ちょっと待って。二人がここを造ったの? 勇者と魔王が?」

 すぐにレヴァンテの方に身を乗り出したニーナが鋭い声で、やり場のない気色ばんだ様子を露わにして問い質した。

 俺はそんなニーナの肩にそっと手を置いて言う。

「落ち着けニーナ。信じられないという気持ちは解るが、俺は事実だと思う」


 ニーナの興奮には一切動じず、身じろぎ一つせずに姿勢を正したままのレヴァンテは、俺をじっと見つめると深く頷いた。


 俺はその視線を受け止めながら話題を変える。そもそものここまで来た本来の目的を果たさなければいけないと思っている。

「レヴィアオーブについて聞きたい」

「…はい」

「レヴァンテもそうだというのは分かっている。だが俺が聞きたいのは本体の方のことだ」


 レヴァンテは俺の言葉の真意を確かめるように真っすぐに俺を見つめ続けている。

 しかし何かを悟ったような表情に変わると話し始めた。

「レヴィアオーブの本体、私の母体の方もかつては名前で呼ばれていましたのでそちらで呼称することにします。それはラピスティと呼ばれていました…」



 ここに来てはっきりと解ったことは、この時空を創造した魔法は一つの世界を作ったに等しい創世級魔法だったということ。

 これだけの魔法を発動する為には、かなりの魔力量と緻密な制御の両方が必要だ。おそらく制御の多くはレヴィアオーブによるものだっただろう。しかし、魔力消費のピークである発動時点で必要な膨大な魔力はあの女神でも単独では到底賄えないんじゃないかと思えるぐらいだ。魔王と勇者は一体どうやってそれを調達したのだろうか。


「レヴィアオーブ、ラピスティは魔王様から与えられた役目を今も忠実に果たしています。主命ですのでその役目についての詳細な内容は申し上げられません」

「……」

 俺の隣に座っているニーナはまた何か言いたげだが、きっぱりと言われて返す言葉が咄嗟には出てこない。


 しかし俺はそんな空気を振り払うように少し笑顔になって言う。

「解った。いいよ…。その辺はそれ程間違っていない予想は出来てるつもりだ」

 俺がそう言うとニーナが睨んできた。

 早く教えろこの野郎。と顔に書いている。


 意外そうな表情でレヴァンテは俺を見る。


 俺はそのレヴァンテの無言の問いかけには頷きだけを返して話題を戻す。

「それよりも、レヴィアオーブ本体についての話を進めよう。ラピスティを見る、会うことは出来ないか? このビフレスタに居るんだよな」

「役目に大きく関わっている場所ですのでそのご要望には応じられませんが、私を通して会話のようなことは可能です。私とラピスティは繋がっていますから」


「そうか…。さっき外でも少し話したが、レヴィアオーブを手に入れようとしている者が居た。今回は俺達が阻止したが、今後同じようなことが起きる可能性を考えると対策が必要だ。今回ここへの入口がある地下神殿を見た者は少なくない。情報統制、極秘扱いを徹底してもこういう情報は少しずつ広まってしまうだろう」



 教皇国の邪な思惑など、ひと通りの説明を俺はレヴァンテに丁寧に続けた。


 真剣な表情で俺の言葉をひと言も聞き漏らすまいという姿勢のレヴァンテ。

 実に人間らしい振る舞いをする。見た目は普通の眼球に変じて以来作り物だとは全く思えないし、肌などの質感も人間の見た目と変わりがない。中身は全く異なるが、多分、体温なども忠実に再現しているんじゃないだろうか。

 神の御業と評するのが相応しい驚異的な技術だと思う。

 先にモルヴィを見ていなかったらもっと驚いただろう。


 ひと通りの帝国や王国なども含めた情勢の話が終わって俺は更に続ける。

「一つ大事なことを確認したい」

「はい、なんでしょうか」


「レヴィアオーブは異世界からの転生者にしか従わないという話を聞いている。それについてはどうなんだ?」

「それは正しくもあり、間違ってもいます。ですが、その詳細を語ることは禁じられていますのでご容赦ください」


 ふむ…。レヴィアオーブを意のままに出来る条件が他に有るのだろうか。

 マクレーンの自信たっぷりだった態度には理由があるはずだ。

 魔王を変わらず主と認めてその指示に従い続けているレヴィアオーブに対して、その有り様を上書きできる何かが在る。

 それは何だろう。俺が見過ごしているだけなのか?


「今回も転生者が一人居た。そいつはレヴィアオーブを自分の物に出来るという自信を持っていた。適合条件についてお前たちが自ら俺に明かしてしまうことは出来ないだろう。だが、危ういと思わないか?」

「貴方は、ラピスティが居るここを完全封鎖しろとおっしゃってるのですね」

「そうだ。誰にも絶対に手が出せない所にしてしまうべきだ。例えここに最後の守り手が居るとしてもだ」



 ◇◇◇



 少しの間、検討する時間が欲しいとレヴァンテは言った。

 俺とニーナに異存はなく、待っている間は家の外に出ていてもいいかと尋ねたら了承された。


「シュン、最後の守り手って何?」

 外に出るとニーナがすぐにそう尋ねてきた。

「エレベーターを降りてからずっと感じていたんだ。この方角だな…」

 俺はそう言って、遠くに連なる山の方を指で示した。

 ニーナは俺の指先に釣られるようにその方向を見る。

「何か居るの? あっ…、それって…もしかして?」

「そう。ドラゴンだと思う。そしてそこがラピスティが居る所だろうな」


 もう一度俺が指し示した方角をひとしきり見続けたニーナが、思い出したように俺に振り返って言う。

「ねえ。予想してることを訊かせてよ」

「え? ああ、あれか…」

「ああ、あれか…。じゃないわよ! 私だけ蚊帳の外だったじゃない」


 そんな可愛く怒るニーナに思わず吹き出しそうになりながらも、俺は並列思考の半分では別のことを考えている。

 自分の死を悟ったマクレーンは、あの時俺にこう言った。

『レヴィアオーブはな…、転生者しか持つことが出来ない、使えない物だ』



 あまり放置してると更に怒られそうだったので俺はニーナに言う。

「予想してることは、世界樹」

「へ…?」

 キョトンとした表情に変わってニーナは俺をじっと見つめた。


「まず、前提として理解しといて欲しいことがある。俺達が通ったあの重力エレベーターは時空が接する境界を維持している。それは二つの時空を繋いでいるということなんだ。だからこそ俺達がやったように人の出入りが可能になっている」

「…う、うん」

「但し、時空が異なるという特性と相まって魔法そのものやスキルによる作用は通さない。一部の魔法的パスだけは例外」

「だからマーキングは有効でも探査は効かなかったんだよね」

「そういうこと。だけどなニーナ…。魔素を通さない訳じゃないんだよ」

「…んん? 魔素? てことは…? あっ、そうか!」

 眉を顰めていたニーナは、ハッと目を見開くと拳を握り締めながらそう言った。


「他を排するのなら閉じてしまえばいいのに、重力エレベーターという扉が開いている理由はそれだよ」

「地脈の大交差の恩恵が必要なのね。だから重力エレベーターはあの地下に通じてるんだ」

「うん。理解が速くて助かる。それで本題なんだけど…。世界樹の弱体化を予見していた魔王と勇者は共に協力して世界樹の復活の為に働いていたんだと思う」

「……」

「具体的にはその為にこのビフレスタを造った…。それはここで世界樹を復活させる為なんだろうと思う」

「でも、勇者はバステフマークを切ったんだよね」

「その理由はまだ判らない。だけど、復活の為にここが造られたというのは間違いないと思うよ。世界樹が育ちやすい環境をここで再現しているんだろう」


 ニーナは期待半分と畏れ多いものに近付いたかもしれないという畏怖の両方を抱いているような複雑な顔つきになっている。

「ねえシュン。もしかして、ここには世界樹があるのかな」

「魔王と勇者だ。その可能性は高いと思う。時間が加速されているのもおそらくはその為かな…」


「でもさ…。そんな二人ともここを造ってすぐに死んでるんだよね。なんだかなぁ、だよ」

「いや、ニーナそれは違う。多分だけど…。二人が死んだのはここを造ったからだ。こんな時空創造魔法をどうやって発動したんだろうかとずっと考えてたんだよ。けど、レヴァンテの話を聞いてほぼ確信が持てた」

「……」

「魂…。魔王と勇者二人分の魂魄魔法で発動させたんだと思う。膨大な魔力を産み出す代わりに魂はその根源を失って霧散してしまう…。後のことは全てレヴィアオーブに託したんだろうな」

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