第192話

「聖域に行ってみたかったね」

「あー、エリーゼ言わないで。私、凄く心残りになりそうなの」

 ニーナが実に残念そうにエリーゼにそう言った。

 俺達はラズマフの高級宿で一泊。少しだけ羽根を伸ばせた。

 翌早朝からすぐに手分けして街で物資の買い出しなどを済ませた後、買い替えた馬車に乗ってその日のうちにラズマフを出立して遠ざかっているところ。

 街道を一路南西へ。目指すは帝都。


 聖域というのはエルフの北方種族の一氏族であるハイエルフの氏族が他を排するように守っていると言われている土地のことだ。そのハイエルフの氏族は、帝国の女帝アミフェイリスの実母の出身氏族でもある。

 ラズマフから北方種族自治領の連邦首都へは馬車で三日ほどの距離で、ニーナが悔しがるのはこれが理由。こんな近くまで来ているのに、という思いだ。

「だけど、行ってもどうせ中には入れて貰えなかったと思うぞ」

「遠目で見るだけでもいいから、少しでも近くに行ってみたかったのよ」

 俺がそんなことを言うとニーナはプイッとふくれっ面でそう言った。


 まあ確かに、こんなとこまで来るなんてもう二度と無いかもしれないしな…。


 街道はよく整備されていて、帝国のインフラ整備の充実度を実感する。すれ違う馬車が多いが離合に困るようなことは全く無く十分な道幅がずっと保たれている。

 あの麻薬製造村で置き去りにして別れを告げた15人の男達は、その後は俺の探査の範囲には入って来ていない。彼らは徒歩での移動なのでラズマフに着くには早くてもあと二日程度は時間を要するだろう。最後に探査で見た時は幾つかのグループに分かれて行動を始めたように見えていた。

 それにしても、監禁していた間に男達の禁断症状は一向に治まる気配が無かった。もちろん程度の大小は有ったし、それぞれ発作のようなものが来る周期も長短まちまちだったようだが、共通しているのは誰一人として治まっていなかったということ。

 彼らは常習的に、幽閉している女と交わる前には飲み薬を服用していたようだ。更に交わりの間はずっと女の膣内に塗った薬を直接自身も粘膜から吸収していただろう。そうやって体内に蓄積され続けた麻薬成分はおそらく人間の代謝では完全には排出しきれない類なのだろうと思う。


 途中の休憩はしっかりとるが、日が暮れてからも俺達は街道を進んだ。エリーゼとニーナが馬に小まめにヒールを掛けて機嫌を取りながら、徹夜で馬車を走らせた。

 そうやってある程度は距離が稼げたと判断した俺は、ラズマフを出立した翌日の夕方、目の前に見えてきた宿場町に泊まることに決める。

 入門の手続きに並ぶ列はほとんど無くすぐに順番が来た。

「ほう、Aランク。王国からか? 珍しいな」

「あ、はい。俺たちみんな旅が好きなんですよ」

「そうか、そろそろあちこちで収穫祭があるからな。楽しんで行くといい」

「はい、そうします」

 ケイトは俺達を案内してくれている冒険者仲間ということにしている。

「あーそうだ。今日は騎士団が大勢この町に泊まってるから、変な事したらすぐに首刎ねられるからな。気を付けろよ」

 そう言った門番の衛兵は半ば冗談だというのが解るようにニッコリ笑っていたので、俺もニッコリ笑って、気を付けますと応えた。


「騎士団ね…。あまりいい印象無いんだよな、帝国のは」

「確かに…」

 馬車に戻ってからそう言った俺の言葉に、ガスランがすかさず同意した。



 翌朝、エリーゼとの濃厚な夜の時間のおかげであちこちスッキリ爽やかな俺は、御者台で手綱を握っていた。そして、快調に馬車を走らせて3時間。その日最初の休憩の為に停車場に入った時のこと。

「シュン、騎馬だね」

「うん。騎馬だな、すごい勢いで来てる」

 泊まっていた宿場町の方からかなりの速さで近付いてくるのは、騎乗していると思われる6つの反応。

 それを聞いたニーナが心配げに言う。

「どうする? なんか嫌な予感しかないんだけど」

「逃げよう」

 と言ったのはガスラン。


 俺はすぐにそれは否定。俺の予想ではこの6騎は騎士団なんだよね。

「騎馬から逃げ切れるとは思えない」

「やっつける?」

 今日のニーナは武闘派。まあ割といつもそうなんだけど。


「いや、隠れよう」

「「どこに?」」

 ニーナとガスラン息ぴったりだな。


 停車場に入った時から俯瞰視点スキルでしっかり辺りは確認済みだった俺は言う。

「ここ出てちょっと行った所にいい感じの所が在りそうなんだ。急ぐぞ」

「「「了解」」」

 ケイトは話に付いて行けず、最後にコクコクと頷いているだけ。ケイトには俺達のいろんな秘密についてはほとんど話していないし、冒険者同士のマナーとして互いに詮索はしないということに彼女は結構忠実だ。


 停車場から出て少しの所に脇道がある。そこに馬車を乗り入れた俺は言う。

「エリーゼ、ニーナ。轍を消してくれる?」

「「はーい」」


 水たまりまでは行かないがかなり水を含んだ土の道。そこを進む馬車の轍がしっかり残っている。これは目ざとい人には逆にいいなと思う。

 その道を更に進んで分岐した農道の先に農作業用の納屋のような建物がある。運良く無人のようだ。と言うか、その周囲の畑は収穫が全て終わっていてそれは当然という感じ。

 道からは納屋の陰になる所まで馬車を進めて停止。

 ガスランとケイトは馬の世話を始めて、ニーナは馬車が道から見えないか確認中。

 俺はエリーゼと一緒に、轍が残っている部分がないか消し方に不自然さは無いか確認する為に走って道を戻る。

 あ、うん。轍は綺麗に消されているね。さすが。ニーナの加重とエリーゼの遠隔での土魔法と水魔法の合わせ技。まあ、柔らかめの土の道だからこそパッパッとできたんだろうけど。


 すると、探査で騎馬の様子を見ているエリーゼが言う。

「停車場で止まりそうだよ」

「確認するんだろうな」

 俺達が停車場に停まっていた時には他にもう一台の馬車が停まっていた。その停め方から見て俺達とは逆方向、ラズマフ方面へ向かっている馬車だと思っていた。そして、その馬車は騎馬と入れ替わるように出発して停車場を出て行く。

「いいタイミング」


 騎乗した6騎は、一旦は停車場で止まるがすぐに停車場から出てくる。

「来るぞ」

 エリーゼと一緒に草むらの陰に隠れる。俺は一応隠蔽魔法をかける。闇魔法の熟練低いから不十分だけど、この際無いよりはいいだろう。


 脇道には見向きもせずにかなりの速さで走って行く馬に乗っているのは6人の騎士達。紋章と服装の色合いには見覚えがあった。

「騎士団って、帝国騎士団だったのか…」


 ラズマフ含めたこの一帯はとある伯爵の領地だ。てっきりその伯爵家の騎士団かと思っていたら、まさかの帝国騎士団。要するに皇帝直轄の騎士団ということ。

 悩みながらニーナ達が待つ馬車の所に戻る。もちろん、ちゃんと騎士達全てにマーキングを撃ち込んでいる。彼らはどんどん街道を先に進んで行っているところ。


 ニーナも首を傾げる。

「帝国騎士団だった?」

「槍使い…」

 ガスランが言いたいことは解る。俺達の帝国の騎士というものについてのイメージを悪い方向で強く印象付けた最大の功労者のことだからね。


 俺は皆の顔を見渡して言う。

「仕方ない、かなり早いけど今日はここで野営させて貰おうか」

「そうね。通り過ぎて行った6騎は多分戻って来ると思うわ」

 ニーナのその予想には全面的に同意ですよ。俺は大きく頷いた。


 フェイリス直轄の帝国騎士団だと言っても、女帝とは知り合いです仲いいです、そうなのか。で済むはずは無いので、とにかく今はどんな組織だろうと官憲に該当する者達とは極力顔を合わせたくない。そもそも俺達には今回帝国に入国した記録が無いのだ。密入国者みたいなものである。

 という訳で、ラズマフは仕方なかったとは思うが昨日宿場町に入ったのは迂闊だったなと俺は大いに反省しているとこ。



 どんどん進んで行った騎士達は探査の範囲外に消えた。

 その後のんびり昼飯を食べてお茶を飲んだり、ガスランと剣の訓練をしたりしていたら、午後を随分過ぎたところで騎士達が街道を戻ってきた。

「戻ってきた。一応隠れよう」

 全員で納屋の中でじっと座って、俺とエリーゼは探査で様子を見続けながら皆に実況。追ってきた時と違ってゆっくり戻っている彼らは脇道にも注意を向けている。

 そして俺達が居る所への脇道も調べ始めたが、少し入った所ですぐ街道に引き返した。馬の脚も少し埋もれるぐらいの、水たまりが渇きつつある感じの泥があるからだろう。さっき戻る時にエリーゼがそういう仕掛けをしていた所だ。そんな泥の上を馬車が通れば轍が残らないはずは無く、そのことにちゃんと気が付いてくれたのかな。

 その後も騎士達の街道を戻って行くそんなペースは変わらずゆっくりと進んでいたが、遂には昨夜泊まった宿場町の方に探査の範囲からも出て行った。


「ふむ…、昨日の門番さんは騎士団が大勢・・と言ってたけど、6騎は大勢とは言わないよな」

「あ、うん…? 言ってたっけ」

 ニーナは思い出せないのか、少し自信なさげ。

 ガスランはキッパリ。

「言ってた」

「おそらく騎士はもっとたくさん来てるってことだよね」

 エリーゼがそう言うと、ニーナは、ハッとした表情を見せた。

「全員でこっちに来なかったということは本隊は昨日の宿場町、それか既にその先に進んでる?」

 俺は頷いて言う。

「俺もそう思う。さっきの6騎は俺達を追って来たにせよ、本来はラズマフ方面に進もうとしていたってことだと思う」

「じゃあ、気が変わる前に移動する? 離れた方がいいよね。帝国騎士団は私もなんか嫌だ」

 エリーゼはきっと俺の考えが読めるんだ。

「うん。だけど日が暮れてからにした方がいいと思ってる」

 俺の言葉に全員が頷いた。

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