花を欲せど、華の散るらむ

 誰がために花は咲く。


 誰がために花は散る。



 きっと、それは誰のせいでも彼のせいでもなかった。そもそも、関係がない事だった。

 花が、自身のために咲く。

 花が、自身のために散る。

 花は、自身の、花のために生きている。ただ、それだけの事だったのだ。


 ただ一輪、そこにあり。ただ一輪、消えゆくのだ。



 それを手折ってしまうのは、誰だ。

 それを散らしてしまうのは、誰だ。

 それを枯らしてしまうのは、誰だ。


 それを殺してしまうのは、誰だ。



 命を、この手で感じたい。暖かな鼓動を、この手で。

 その己の欲望に従って、命を壊す事なく、殺す事なく感じられたらどれだけいいか。







 私が、最後に生きているものに触れられたのはいつだったか。


 冷えた両手に、手袋越しに息を吹きかける。


 記憶の蓋を開けて考えた。

 昔は色々なものに触れる事が出来ていた。草木、花々、虫、鳥に動物。そして、友人に触れても何かが起こるという事はなかった。


 別にあの頃に戻りたいと思うわけではないけれど。

 もう一度、この手で生きているものに触れたかった。



 皆が、素手で触れ合っているのを見る度に羨ましかった。

 私は皆に触れられる事はあっても、皆に触れる事は出来なかった。

 手から漏れ出る冷気のせいで、私の手は酷く冷たい。触れなんてしたら、皆を氷漬けにしてしまうかもしれないのだから。それに、氷漬けとまではいかなくとも凍傷を負わせてしまうだろう。仲間を傷付けてしまうなら、私のこの欲望は仕舞っておくしかなかった。


 それでも、私の胸の奥底ではその欲望が燃えていた。体は酷く冷たいのに、その欲望だけが酷く熱かった。

 それは私の体すら焦がして、融かしてしまいそうで。でも、それを望んでいる自分も確かに存在していた。既にぐちゃぐちゃに溶けて混ざり合った感情は、私すら飲み込もうと蠢いている。


 だから私は、願ってしまうのだ。



 ねえ、お願い。全てを寄越せとは言わないから。どうか、どうか皆に触れる資格が欲しい。

 私が触れられるだけでは嫌なの。私も、皆に触れたいの。



 そう願っても、それが叶う事などあり得はしない。だから、私は今日も妄想の追想に想いを馳せるしかなかった。

 常ならば、そうだった。


 でも、どうしてかその願いが叶ってしまった。私の手から、冷たさが消えた。いや、元々体温は低い方だったので決して暖かいとは言えないけれど。

 でも、あの今にも凍り付いてしまいそうな程の、凍えてしまいそうな冷たさが消えたのだ。私の周りに漂っていた、冷気すら消えた。

 寒く、ないのだ。


 私はとてもとても驚いて、もう今までで一番じゃないかってくらい驚いて。

 思わず駆けだして、すぐそこを歩いていたバルドに激突してしまった。


「ふぐうっ!」

 ただ、勢い余っていいところに入ってしまったのは許してほしい。バルドが涎を吐きつつ、鼻を垂らしつつ、涙を流しつつ私を受け止めた。顔じゅうから液体を噴き出しても倒れなかったのは、もはや意地だろう。

「おっ、おう。どうした、ルナ?」

 バルドは私に自分の体液を付けないよう片手で拭い、言った。なんだかんだ言ってバルドが優しいのは、皆知っている事だ。

 私はバルドの顔が青ざめているのが気になったが、構わずに言う。

「あのね、あのねバルド! 私、冷たくないの!」

「いや、ルナが優しいのはとっくに知ってるが」

「そうじゃないの! 私、寒くないの!」

 そういう私に、バルドは目が零れ落ちてしまうんじゃないかってくらい目を見開いていた。

「マジか!」

「マジ!」

「そりゃめでてえな! よし、今日は赤飯だ!」

「お味噌汁も欲しい!」

「よっしゃセインツとラトに言いに行くぞ!」

「うん!」



 そうして、私は今日の献立を考えているだろうセンとラトの元へ向かった。

 二人は私たちが考えていた通り今日の献立は何にしようかと話していた。勿論、ライとサトも一緒だった。

「邪魔するぞ! 今日は赤飯にしてくれ! ルナにめでてえ事があったんだ!」

 ぶっ、とその場にいる三人が噴き出した。ライも驚いたように跳ねた。どうしたのだろう、と首を傾げる

「えっとね、今日凄く嬉しい事があったの。だから、皆もお祝いしてくれたらもっと嬉しいなって」

 なぜかラトが頭を抱え、センはごほんと一つ咳払いをした。

「えっと、それは構わないんだけど。ルナはお赤飯でいいの?」

「うん。あ、でもお味噌汁も飲みたい」

 私がそう言うと、ラトは更に頭を抱えた。何かおかしい事を言っただろうか。

「うーん、でも今は小豆を切らしててね」

 私が首をもう一度傾げていると、センがそう言った。

「新しく買うならコールに相談しなきゃ」

 ラトも頭を抱えながらそう言った。それを聞いたバルドは目をきらきらさせて言った。

「よっしゃ任せとけ俺達が言いに行く! 行くぞルナ! セインツ、ラト、ライ、サト邪魔したな!」

「ばいばい」

 嵐のようにやって来て、嵐のように過ぎ去っていくバルドに手を引かれて私も手を振った。

 その後、セン達がどんな事を話していたのか、私は知らない。



 そして色々と走り回り、コール姉さんを見つけた私達は、姉さんの事を呼びながら手を大きく振る。

「おーい! コールー!」

「コール姉さーん!」

 手を繋ぎながら自分の事を呼ぶ私達に姉さんも気が付いたようで、苦笑して小さく手を振りながら歩いてくる。

「どうしたの、二人ともそんなに大きな声出して」

 そう言って笑うコールに、私達はにっと笑う。

「今日は赤飯にしてえんだ! でも小豆が切れてるらしい」

「だからね、小豆を買ってもいいか聞きに来たの」

「それは別にいいけど。どうして赤飯にしたいの?」

 コール姉さんは腕を組んで、そう私達に訊ねた。

「ルナにめでてえ事があったんだ!」

「私にめでたい事があったの!」

 私達は、そう口を揃えていった。コール姉さんは驚いたみたいで大きく目を見開いていた。

「そうなんだ。ようやくだねえ」

 コール姉さんは驚いた表情を笑みに塗り替え、私の頭をくしゃりと撫でた。その手つきはとても優しくて、温かくて、思わずもっと撫でてとすり寄ってしまいそうだった。

「小豆は買っていいよ。セインツとラトに伝えておいてくれる?」

「任しとけ!」

「任せて」

 もう一撫でされた後に、私達はコール姉さんに見送られてセン達のところへ戻って行った。



「たっだいまー!」

「ただいま」

 私達がそう言って部屋に入ると、何故か皆びくりと体を跳ねさせた。

「小豆買っていいってよ!」

「コール姉さん、オッケーだって」

 私達がそう言うと、何故かセインツとラトは引き攣らせた笑みを浮かべた。

「ああ、ありがとう。聞いてきてくれて」

「じゃあ、今日はお赤飯を作るよ。早速買い出しに行ってくるね」

 買い出しに行こうとするラトに着いて、サトも部屋を出て行った。セインツもこれから仕込みをするとの事で部屋を出て行った。

 なので、私達もどこかに出掛ける事にした。目的は特にないのでどうしようかとバルドに言ったら、にっと笑ってこう言われた。

「じゃあ、皆に会いに行こうぜ! 自慢しに行くんだ」

 その提案に私は飛びついて、元気よく頷いた。

「うん!」



 でも皆が今どこにいるのかは分からなかったので、とりあえず色々なところをふらつく事にした。それだけでも、私には特別な事のように思えて仕方がなかった。

 誰かと手を繋いでいるのなんて、何年振りだろうか。

 そう思うだけで、胸にぽっと火が灯ったようで温かくなるのだ。


 嬉しい気持ちで歩いているその時、身長の高い後姿を見かけた。ルークだ。

「おーい! ルークー!」

「ルーク!」

 私達は手を繋いだまま走り出して、ルークの腰に飛びついた。バルドと違って顔中の穴から液体を噴き出すなんて事態にはならなかった。流石ルーク。

「どうしたんですか、二人とも。そんなにはしゃいで」

「すげえ事があったんだよ! 今はそれを皆に言って回ってるんだ!」

「成程。でも、淑女がそんな風に男に抱き着くものではありませんよ」

 口調こそ咎めるものだが、その声音と表情はどこまでも柔らかい。流石紳士だ。

「あのね聞いて! 私におめでたい事があったの!」

 ぴしり、とルークの笑みが凍り付いた。

「えっと、それはどういう」

「言葉通りの意味だぜ! 今日は赤飯だから、ルークも盛大に祝ってくれよな!」

 ルークはなぜか霧になってしまったので、私達は体勢が急に崩される事になってしまった。二人でたたらを踏みながら、首を傾げる。

 どうしてルークは霧になってしまったのだろうと。

 まあ、考えても霧になってしまったルークはしばらく戻らない。なので私達はルークに悪いと思いつつも、歩き出した。次は誰のところに生けるだろうか。



 のんびりと二人でつないだ手を振りながら歩いていたら、向こうの方に小柄な影を見つけた。シシーだ。

 大きな声を出したいのを我慢して、私達はシシーに近づく。別に驚かせようとしているわけじゃない。シシーは耳が良いせいで、大きな音が嫌いなのだ。苦手なのだ。だから、そうっとそうっと近づいているのだ。

「どうしたんですか? バルドさんにルナさん」

「うおっ」

「わっ」

 私達が驚いてしまった。シシーは耳がとても良いので、どれだけ足音を殺して近付いかれても気付く事が出来るのだ。それに私達はそうっと歩いてはいたものの足音を完全に消していたわけではない。シシーはとうに気付いていたのだろう。

「えっとな、ルナにめでてえ事があったんだよ」

「それはおめでとうございます。どんな事だったんですか?」

「私の手の冷たさが消えたの。寒くもないの。だからね、これなら皆に触れられるの」

「そうなんですか。それは凄いですね」

 私達が言う事に、シシーは本当に嬉しそうに言ってくれた。そして笑みを零しながら、ぱちぱちと手を叩いてくれたのだ。その様子が、何とも可愛らしい。

 私は嬉しさに顔が緩みそうになりながら、シシーにこう言った。

「あのね、だからシシーにも触れていいかなあ」

 私がそう言うとシシーは当然だという風にうなずいた。

「勿論。僕でよければ思う存分どうぞ」

 そう言って笑うシシーに嬉しさが爆発しそうになった。思わず、バルドの手を離さずにシシーに抱き着いた。

 小柄な私よりも小さいシシーは私の腕にすっぽりと収まっていた。

「ふふ、何だか新鮮ですね。ルナさんの心臓の音が聞こえます。バルドさんの心臓の音も、聞こえます」

 バルドと手を繋いだままだったから、バルドもシシーを抱きしめていた。私とは反対側から。

「何だか安心しますね」

 そのシシーの言葉に二人で頷き、穏やかな時間がゆるりと流れた。



 そうしてしばらく抱き合ってお喋りをした後、私達は別れた。今度はのんびりと手を繋いで歩いている時に、次なるターゲットを見つけた。QMだ。QMはドーナツの箱を抱えながら、嬉しそうに歩いていた。

「QMー! ちょっとそっち言ってもいいかー?」

 バルドの大声に振り返ったQMは私達の姿を見つけると嬉しそうに笑って、両手を頭上に掲げて丸の形を作った。勿論ドーナツの箱は持ったまま。

 その形を確認すると、私達は顔を見合わせて笑って、QMのもとに走った。

「QM! あのねあのね」

「落ち着いて下さい、ルナ。まずは息を整えましょう」

 QMに窘められるようにそう言われて、私は一つ二つ深呼吸をした。そしてもう一度口を開いてQMに言った。

「あのね! 私におめでたい事があったの!」

「だから今日の晩飯は赤飯なんだよ」

 私達二人が笑顔でそう言うと、QMも大きく顔を綻ばせた。

「おめでとうございます! それはとってもおめでたいです!」

「えへへ、ありがとう」

 嬉しくて笑う私が、QMに触れてもいいかと聞こうとした、その時。

「これでルナも、大人の階段というものを一歩上ったんですね」

 そう言われた。意図が分からなくて、私は首を傾げた。

 バルドならわかるだろうかとバルドに視線を滑らせても、バルドもピンと来ていない様子だった。

 そんな私たちの様子を見たQMが、一言。

「え、だってそれ」


「初潮、というものではありませんでしたか?」


 その言葉に、バルドの動きが止まった。

 しかし、私にはいまだ分からなかった。初潮とは何だろうか。

 とりあえず、全員集めようとバルドが言ったので皆を集める事になった。



 そうして皆で円のようになるでもなくとりあえず集まり、適当に座って私とバルドから説明をした。とはいっても、私自体あまり事態が理解しきれていなかったので説明は殆どバルドがしてくれたのだけれど。


 そして説明が終わった時。コール姉さんが深く息を吐いてまるで、戦闘時のような空気を醸し出した。

「そういう事は……」

 バルドと二人で首を傾げる。

「早く言えええええっ!」

 コール姉さんのその魂の叫びと共に、バルドの腹に綺麗な回し蹴りが決まった。

 バルドは顔中の穴から液体を噴き出しながら、吹っ飛んで壁に激突した。

「りふ、じん」

 その言葉を最後に、バルドは事切れた。死んではいない。恐らく。

 一仕事終えた、とばかりにふう、と息を吐くコール姉さん。そしてどこか疲れた様子の皆。

「まあ、確認しなかったあたし達も悪かったしね」

「よく考えたら、バルドは誤魔化さないで直接言いそうだよな」

「確かに」

「なになに? 何の話?」

 よく状況が呑み込めない私が訊ねると、皆一様に笑顔を浮かべてこう言った。

「ルナは何も気にしなくて大丈夫だよ」

「そうそう。ちょっと大人が勘違いしちゃっただけだから」

 そんな風に言われて、私は納得しないまま引き下がるしかなかった。そして、再び夕飯までは自由行動となった。

 解散の前、ゆずばぁに引き留められた。

「ルナちゃん。今度一緒にお勉強しましょうね」

「うん」

 何を勉強するのだろうと思ったけど、ゆずばぁが教えてくれるならいいかな。もしかしたら頑張ったら飴をくれるかもしれない。そう思って私は頷いて、ゆずばぁと別れた。去り際に、ゆずばぁに頭を撫でてもらった。



 バルドが動かなくなってしまったので一人で暇を持て余していると、目の前に突然ヨミが現れた。

「ルナ。私の薬はお気に召したかい?」

「薬?」

 にやにやと笑ったヨミにそう言われても、私にピンと来る事は思い当たらなかった。

「一日だけ願いを叶える薬さ。香みたいになっていてね。君にその匂いを嗅がせたのさ」

 その言葉に、今日の出来事に合点がいった。

 冷たくない、寒くないという事にだけ驚いていて、喜んでいた。理由を探すのを忘れていた。けれど、今のヨミの言葉で全て納得した。そうか、これは私が望んで、ヨミが叶えてくれた事なのか。

 ヨミは笑みを崩さず、私にずいっと顔を近付けた。

「さてさて、薬を使ってみてどうだった? 心からの欲が叶って、君はどう思った?」

 ヨミの様子はまるでプレゼントの包装紙を破く子供のようにわくわくとしていた。きっと、今のヨミを満たしているのは好奇心と知識欲なのだろう。

「とっても、よかったよ。一日だけでも皆に触れられて、嬉しかった。ありがとう」

 私がそう言うと、ヨミはどこか驚いたような表情をした。しかしその表情はすぐに仕舞い込まれ、ヨミはいつもの笑みを張り付けた。

「それはよかった。どうか君に喜んでほしいと、そう思って作った薬だからね」

 嘘だ。直感的にそう思った。確かに、ヨミは今言った言葉のような事も思ってはいるのだろう。しかしそれは、本心を覆う幕の一枚に過ぎないような気がした。

 しかし、私がそれを言葉にして伝えるのは難しい事だった。何と言えば一番正解に近付けるのか、分からなかった。

「さあ、私はこの結果を纏めなければならない。私は欲の研究者だからね。ここいらでお暇させてもらうとしよう」

 そう言って去ろうとしたヨミの頭の上に乗った、ぼうしから声が響く。

「お前は、きちんと己を持っているのだな」

 ヨミの動きが、止まった。

「お前は甘い嘘を選んで苦い真実から目を逸らすような事はしなかった。甘い夢に溺れて苦い現実に窒息する事もなかった」


「お前は、欲を持つべき人間だ」


 ぼうしのその言葉を残して、ヨミは消えた。

 そして、私の周りはまるで何もないように静まり返った。いや、実際に一人なのだ。私は、今一人なのだった。



 私は、ぼうしに言われた事を考えた。ヨミの表情を思った。

 今日の出来事を思い出した。薬自体についても感じる事を纏めようと思った。

 でも、今の私には難しかった。


 私は子供で、本当はもっと我儘でありたいと望む子供なのだ。

 したい事なんて、自分で把握しているだけじゃなくてもっと沢山ある。



 でも、もし夢が全て叶ってしまって。

 欲がすべて満ちてしまっても。



 大人にはなれない。そう思うのだ。

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こげつくおもい ‐Web再録‐ だいち @daichi-tukinari

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