南風

CKレコード

南風

彼女の実家は、喫茶店を営んでいた。


「喫茶店なんて、タッチみたいだな」


「タッチって何?」


「あー、知らないんなら、いいや。お店、ジャズ喫茶とかなの?」


「そんなカッコいいのじゃないよ。純喫茶っていうのかな?ごくごく普通の喫茶店だよ」


「コーヒーは水出し?」


「そう!何でわかったの」


「店の名前は?」


「え?なんだか恥ずかしいな」


「いいから教えてよ。まさか、南風?」


「南風?違うよ。えっとね・・・、ひらがなで、〝ふらふうぷ〝っていうの」


「可愛い名前だね」


「そう?ありがとう」


「たまにエプロンかけて店手伝っちゃったりするの?」


「うん。こう見えても、結構、常連さん達に人気あるんだから」


「ますますタッチやな」


「だから、タッチってな〜に?」


「今度、行ってみたいな」


「え〜、ほんと普通の喫茶店だよ」



遠距離恋愛だった。今思えば、俺にしては珍しく「真剣交際」ってやつだったのかな。両親への挨拶も兼ねて、彼女とふらふうぷを訪れた。


カランコロンコロン


「いらっしゃい」


マスターは、俺の予想に反して、細身の長身で、髪をオールバックに撫で付け、白いシャツに黒の蝶ネクタイを締めていた。思ったよりキッチリした店だな。彼女とカウンターに座る。マスターは不機嫌そうに、


「お前が男を連れてくるのは初めてだな」


とボソっと言った。ブレンド・コーヒーを注文する。


「あんた、福島県だってね。いい所なんだろうけど、うちの娘は家から離れた事が無くてね」


「ヤダ、お父さん何言ってるのよ」


「大事な事だろ。この店もね、小さい店だけど、将来的にはこの娘に譲ろうと決めてるんだよ」


俺は長男だった。出会って直ぐに内角の直球をグイグイ投げ込んでくるオールバック蝶ネクタイの印象は最悪だった。娘がよほど可愛いんだな。早く帰りたい。やっぱ来るんじゃなかった。俺はクソ苦いコーヒーを無理矢理空にすると、席を立った。「お代はいいよ」と言われたが、意地でも払った。


カランコロンコロン



あれから何年経っただろうか。たまたま仕事で、あの喫茶店のある駅を訪れた。懐かしいな。まだやってるだろうか、ふらふうぷは。御多分に洩れず駅にはスターバックスがある。このご時世、純喫茶の経営は厳しかろうな。果たして彼女があの店を継いでいるのだろうか。興味本位で、店を訪れる事にした。

あった!ふらふうぷ。名前も外観もあの時と全く変わってねえや。


カランコロンコロン


「いらっしゃい」


いた。細身の長身。髪をオールバックに撫で付け、白いシャツに黒の蝶ネクタイ。髪は白くなっていた。顔のシワは増え、白いヒゲも生やしていた。店を見渡したが、彼女はいなかった。店に彼女がいる雰囲気も、俺には微塵も感じ取れなかった。やはり彼女はいない。

俺は、あの時座ったカウンターの同じ席に腰掛けて、ブレンド・コーヒーを注文した。客が俺しかいなかったせいか、オールバックヒゲ蝶ネクタイは、俺に気さくに話しかけてきた。話題は、日本代表の事や、東京オリンピックのチケットの事やらだった。俺はたまに微笑みながら、テキトーに相槌して聞いていた。

すると、オールバックヒゲ蝶ネクタイが唐突に


「あんた、どこかで見た事あるね」


と言った。一瞬ドキッとしたが、


「いやあ、自分、よくいる顔ですから」


と俺は返した。出てきたブレンド・コーヒーは、あの時と同じようにクソ苦かった。彼女との色々な事を思い返しながら、そいつを時間をかけてゆっくりと飲み干した。


会計をする時、オールバックヒゲ蝶ネクタイが明るい調子で言った。


「わかった!あんた、大谷翔平君に似てるね」


「いやあ、あんまり言われた事無いです」


「いや、絶対、似てるよ。野球やってたのかい?」


野球なんか生まれてこの方やった事無かった。


「・・・まあ、死んだ双子の弟がやってました」


と、嘘をついて、店を出た。


カランコロンカラン

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