第2話
(前話までのあらすじ)
全てに絶望していた俺は首を吊って死のうとしていた。そこへ本物のサンタクロースが現れて俺に「欲しいものをなんでもいいから1つだけやる」と言ってきた。しかし俺は断った。俺は難しい病気にかかっていたからだ。
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真っ赤な服の老人はポケットから取り出したiPhoneを慣れた手つきで操作している。
「あなたの病名は?」
「言いたくない」
「どこの病気ですか?」
「うるさい」
「ん-見たところ体の異変はなさそうだし、精神の病気ですかね」
「もういいよそれで」
おれはぶっきらぼうに言った。もうどうにでもなれ、と思っていた。
「統合失調症だよ」
老人は器用にiPhoneをフリックして「とうごうしっちょうしょう」を検索し始めた。
「ほうほう、なるほど、なるほど、なるほどねぇ。うん。うん。だいたい、はあ、なるほど、そういう、うん。ええ、分かりました。」
自殺しようとしていたら背後にサンタクロースが出現し、都市伝説を語り出し、プレゼントをやると言ってきたので断ったらiPhoneを取り出して統合失調症を調べだした。
今までの流れをまとめるとこうなる。
何だそれ。
子どもの頃に、グループごとに文節を区切ってそれぞれ考えた言葉を繋げる遊びがあった。
「福井県鯖江市で、田坂先生が、ジャパネットたかたの社長と、カルビとロースを食べた。」
こんな感じだ。そんな遊びを思い出した。とても信じられないが今そんな状況が目の前にある。
もしかしたら、と頭に浮かんだのは統合失調症の幻覚なのかもしれないということだ。幻覚妄想。なるほど、そうかもしれない。それならば全部説明はつく。
しかし俺はこの病気になり始めた時には、自分を責める声が聞こえたがそれは自分の内側から来る自分の思いが声になって聞こえるのだと思っていた。だから幻聴に悩まされたことはそれほどない。まして幻覚を見たことは一度もない。もちろん自分の見たものが幻覚かどうかも分からないほど症状が悪化していれば別だが、俺は日常生活や仕事は苦しみながらもなんとかこなしてきた。他人とのコミュニケーションも必要最低限ではあるが何とか出来る。
たぶん目の前のサンタクロースは幻覚ではない。何故かそういう自信はあった。
「陽性症状と陰性症状とあるんですね」
老人の声で我に返った。俺は視線を赤服の老人に移す。
「統合失調症ですよ。」
「ああ、うん。そう。」
「陽性症状は幻覚とか幻聴とか。陰性症状は意欲の低下。感情の起伏がなくなる。陽性症状のほうがマスコミ受けしそうですね。これは余計かな。」
ほんと余計だよ、と考える。
ひとこと多いサンタクロース。なんて歌のタイトルにもならない。
「そして原因が不明で治療法が確立してない。厄介な病気に見込まれましたね。」
「大きなお世話だ。」
思わず声が出た。それでもやはり老人は構わず語っている。
「新しい病気なんですね。病名がついたのが2002年。よく分かっていない病気なんですね。」
「病気そのものは以前からあった。昔は精神分裂病と呼ばれていた。」
「おや、よくご存知で。詳しいですね。」
自分の身に起きたことを少しでも知ろうとして調べた時期があった。調べれば楽になるんじゃないか、そんな期待があったからだ。
「しかし分からないですねぇ。」
「何がだ。」
俺は自分の声が怒気を含んでいることに気づいた。イライラし始めているのかもしれない。
「確かに統合失調症は完治が難しい病気で、寛解と呼ばれる状態を目指す治療が現時点では行われている、とありますね。」
「それがどうした。」
今度ははっきり怒った声になっていた。目まぐるしく変わる状況について行けない不安感を覚えた。しかし、何故かこの状況を楽しんでいる感覚もわずかにあった。
そんな俺の心の動きなど一向に構わず老人は答えた。
「現時点では完治が難しい病気であっても、サンタクロースのプレゼントなら治せますよ。」
「ドラゴンボールを集めなくてもいいのか。」
「ええ、雲のマシンで今日も飛ばなくてもいいんです。」
赤服の老人がニヤニヤしながらこちらを見ているのに気づいて、俺は何故か頭にきていた。ちくしょう、俺まで何を言ってるんだ。だいたい俺は今から死のうとしてるんだ。命の瀬戸際だ。馬鹿にしてるのか。俺はこんなにつらいのに。ふざけるのもいい加減にしろよ。何でこんな目に遭うんだ。なんなんだよ、こいつは!
感情のミックスジュースがどばどばとあふれ出した。こんなのは何年ぶりだろうか。しかし、それとは全く違う、異質な感覚が少しずつ大きくなっているのも事実だった。さっきから感じているこの感覚はなんなんだ。
もしかして…
感情のコントロールに四苦八苦しているところに老人の声が聞こえた。
「冗談が言えるんですね。」
そうなのだ。俺は長らく感情の起伏のなさに苦しめられている。テレビを見ても面白いとは思えない。本を読む集中力が全くない。字を読んでも、ストーリーが入ってこない。入ってきても心が動かない。だから、冗談なんて思いつくはずもない。という状態が何年か続いた。数年かけてようやくテレビを見て笑えるようになったが、それでも楽しいという感情が病気にかかる前より激減したのは確かだった。
病気にかかる前はけっこう多趣味で、貧乏ではあったが貯金して旅行するのが好きだった。行く先々で旨いものを食べ、いろんな人と写真を撮り、楽しかったんだろうなと今では思う。
病気になった後にそういった思い出のすべてがつらく、すべての記録を捨て去ってしまった。人間関係でさえも。
しかし、今、俺は確実に感情の波に翻弄されている。さっきから感じている不思議な感覚は確実に高まっている。
やはり…
「うるせえ」
俺の中で高まっている何かを本能的に恐れているのか、それを打ち消すように俺は小さく呟いた。気づくとまた、フローリングの木目や板目を爪先でなぞっていた。まるで拗ねている子どもだった。
「で、何ででしょう?」
「何が?」
まさに拗ねた子どもの声だなと思った。
「病気を治すことも望まない理由です。」
「ああ、それか。」
確かに病気が治れば楽になれそうな気がした。以前のように人生を楽しめるかもしれなかった。しかし、俺にはそれ以上に怖いものがあった。
「もし、病気が治っても、俺の心も、ましてこの世界は変わらない。誰も信じられない。そうなればまた元どおりだ。」
「そうなんですか。」
そうだ。どうせ俺のことなど誰も気にも留めない。
病気になってからしばらくは鬱状態が激しすぎて誰とも関わりたくなかった。しかし少しずつ回復し始めて社会復帰を始めたころから新たな不安が大きくなった。周囲は俺に優しく接してくれたが、たまにネットで目にする精神に病気を抱える人たちへの冷たい視線。それに触れるたびに生きていることを申し訳なく思った。生きていることを誰かに許してほしかった。認められたかった。穏やかな人間関係が欲しかった。
すると今度は他人が自分から離れることを極端に恐れるようになった。生きていれば様々な人と関わるが、その距離は様々だ。その中でも自分に近い関係になった人が遠くへ行くのが怖くなった。
「忘れられるのではないか」常にそういう不安を抱えたまま生きている。
それが辛くても誰にもどうしようもなかった。俺の味方などいない。誰も頼れない。だから死ぬ。死ぬんだ。そう思って今日に至った。
「困りましたねぇ。」
老人が本当に困った声で言った。
「あんたも俺を面倒なやつだと思ってるんだろ」
「面倒というよりは困りました。私、これでは帰れないので。」
「勝手にしろ。俺は今から死ぬ。そこで困ってろ。死んだ後のことなど知るか。じゃあな!」
俺は床に転がっていた椅子をガタンと乱暴に起こした。何かを吹っ切ろうとしていたんだろう。それからその上に立ち天井から下がっているロープを持ったところで、ふとある考えが浮かんだ。
それは、完全に気まぐれだった。
なぜ、そんなことを言い出したのか、理屈では説明できない。突然湧いた考えだった。
「あのさ、」
「はい?」
初めて俺から問いかけたからか、サンタクロースはキョトンとして正座したまま椅子の上に立ってロープを握りしめている俺を見上げた。
「そのプレゼントって、誰かに譲れるのか?」
「はあ」
間の抜けた声が出たサンタクロースは面倒くさそうに答える。
「プレゼントを誰かに譲る?どういうことですか」
「そのまんまだよ。俺に送るはずのプレゼントを他の誰かに譲れるのか、と聞いてるんだ。」
「それは…」
前例がないですねぇ、とサンタクロースは答えた。ほら見ろ。願いをかなえてやるって言われて権利をドブに捨てる奴なんていない。人間はみんなそうだ。
「譲りたい相手がいるのですか。」
「実はいる。」
少し勿体ぶって俺は言った。この会話が始まって初めて主導権を握れた気がした。
「この近所にさ、病気の女の子が住んでるんだ。」
「そりゃ住んでるでしょうね。どっかに。」
「黙って聞け。とても難しい病気にかかってて、日本では治療法がないから、ドイツに行って手術するしか助かる方法がないらしい。しかし、ドイツに行くためには特別な改造を施した飛行機に乗らなきゃいけないし、治療費を合わせると何千万とかかるらしいんだ。」
「へえ。」
あまり関心が無いのか、熱のこもらない声でサンタクロースは答えた。
「その子の病気を治してくれ。いや、その費用が集まるようにしてくれ。」
その時だ。さっきまで消えかけていた、あの感覚が確実に高まっているのを感じた。
間違いない。これは、…
「何でそんなに詳しいんですか?もしかして、ストーカーですか?」
「違うわ!」
思わず叫んだ。俺はサンタクロースのほうを向いて言った。ただし、椅子の上に立ったまま。ロープがプラプラと揺れて床に影を落とした。
「スーパーに行った時に募金をしているチラシが貼ってあったのを見たんだよ。費用を集める募金の。確か8000万とかそのくらい必要だったと思う。」
椅子の上から俺はサンタクロースに続けて言う。
「病気を治してくれ、と思ったが病気を治すのはあの子だ。しかし、費用が集まらないならあの子は努力のしようがない。だから、費用が集まるようにしてくれ。それが俺の願いだ。何ならその願いをかなえるのを俺へのプレゼントにしたっていいぜ。」
俺の話を聞きながら、サンタクロースは手にしたiPhoneを手で転がしている。しばらく、手帳型ケースの蓋を開けたり閉めたりを繰り返していたが、俺の話が終わると手が止まった。
分かりましたよ、と小さくサンタクロースは言った。よっこらしょと立ち上がる。
「本部に聞いてみますね。」
「本部?」
それには答えず、サンタクロースは手で弄んでいたiPhoneで電話をかけ始めた。しばらく呼び出した後、少し大きな声で話し始めた。
「ああ、もしもし、フィッツジェラルドです。今ロナルドさんはお手すきですか?…いない。じゃあ、センター長は?ああ、代わって頂けますか?ああ、はい。」
この爺さん、フィッツジェラルドなのかよ、と思っていると、新たな相手と代わったらしく再び話し始めた。
「もしもしー。お疲れでーす。こんばんはー。ああ、時差があるから。…ええ。あれは、ジローに任せました。大丈夫でしょう。えとですね。お電話したのはですね、今年の送り先の方がいたでしょう?ええ、そうそう。日本の。その方がですね、プレゼントを他人に譲れないのか、とおっしゃってて。…ええ。そう。そうなんです。…それも、はい。…お伝えしました。ええ、それも、はい。その通りにお伝えしたんですよね。それでも、…ええ。そうですそうですそうですそうですそうですそうです。」
ぶんぶんぶん、と音が聞こえてきそうなくらい、そうですを連発しながら首を縦に振っている。
「それでー、出来ますかねー。本部長に聞かないとダメですかね、やっぱり。…大丈夫。ああ、そうですかー。分かりましたー。はいはいはいはい。…あ、あり、…ああ、はい、ありがとう、…ああ、分かってますよー。それは分かってますよー。ありがとうございますー。はいはい。えー、分かってます。はい。どうもお忙しいところありがとうございます。では失礼します…はい。」
電話を切るとサンタクロースは椅子の上の俺を見て言った。
「オッケーです。」
「いいのか。」
「ええ、特に問題はないそうです。じゃあ、その子の所に行ってきますね。」
「ああ、頼むよ。住所は分からない。確かチラシに電話番号があったと思う。」
「大丈夫です。これがあるので。」
サンタクロースはさっきまで通話していたiPhoneを顔の高さまで持ち上げて軽く振った。
「サンタクロースのスマホには全ての人間の居場所が記録されているのです。説明すると長くなります。私はiPhoneなんですが他にも…」
「ああ、分かった分かった。早く行かないと、明日になってしまうぞ。」
俺が急き立てるとサンタクロースはiPhoneをポケットにしまい、そうですね、と言いながら床に置いていた白い大きな袋をよいしょ、と言って持ち上げて俺のほうに振り向いて言った。大きな袋が置いてあるのに今まで気づかなかった。
「では、行ってきますね。」
「よろしく。」
俺が言うとサンタクロースの姿は目の前から急に消えてしまった。
しばらく、椅子の上にいた俺はまだ微妙に揺れる首を吊るためのロープを見つめていたが、椅子から降りると床にペタンと座った。力が一気に抜けた。
さっきまでの時間が嘘のように静まっている。外の風で窓ガラスは相変わらず冷たくピューピュー泣いている。俺はなんとなく、ロープを見つめていた。
「偽善者だな。」自分に言ってみた。
そうだ。俺は偽善者だ。見も知らぬ女の子に恩を売って、いい気になろうとしている。優しい人間だと思われたいだけなんだ。
しかし、何故か、見も知らぬ女の子の命を救う力が俺にあるのなら、それをあの子に使いたかった。偽善者だと思われても良かった。それに願いを使うなら世界中で起きてる紛争を止めてくれ、でも良かったはずなのに。
見も知らぬ女の子なのに、無性に生きて欲しかった。会ったことも会話をしたことも、ましてや人生に関わったこともまったくない。たまたまスーパーのレジのところに貼ってあったチラシであの子のことを知っただけだった。そのチラシを見たときは特に心を動かされていなかった。チラシをよく見ていなかったから覚えていないが、確か10代の女の子だったと思う。連絡先がこの近所になっていたから多分この辺りに住んでるということくらいしか知らない。
なのに、なぜだか、生きてて欲しかった。
病気が治ったら何をしたいのかな、どんな子なんだろう、病気ならきれいな景色も見たことはないのかもな、どんなことでどんな笑顔で笑うのかな、
びっくりした。
窓を見るとそこに見たことのない、穏やかな顔があった。俺の顔だった。
「救いようのない、偽善者だ。」
自分が、醜くて仕方がない。誰かに恩を売っていい気になろうなんて。誰かにそうまでして認められたいのかよ。そんなに他人から忘れられたくないのか。
やはり、俺は死ぬんだ。死ぬべきなんだよ。
でも、と思った。もう少し、この幸せを味わいたい。偽善者にも許されるなら、見知らぬあの子の幸福を願わせて欲しい。
その時、俺はさっきから高まっていた、あの感覚が何なのか唐突に思い出した。
子どものころにサンタクロースに真剣に「お願い」をしたことがある。俺の家庭はまずまずの中流家庭だったが両親は毎日のように喧嘩ばかりしていた。お互いを罵り合い手当たり次第に物を投げつける両親を見たくなかった。
だから両親ではなく心の中でサンタクロースに直接お願いした。
「サンタクロースのおじいさん。ぼくのねがいをかなえてください。お父さんとお母さんがもうケンカしませんように。どうか、ぼくを助けてください。」
さっきから高まってきた感覚は「救い」だった。
サンタのおじいさん。どうか俺を救って下さい。俺のつらさを分かって助けて欲しい。どうか、どうか、俺を助けて下さい。でも自分を助けてほしいというのが怖いからそれを見知らぬ病気を抱えた女の子にすり替えたんだ。
なんてこった。俺はやっぱり、自分を助けて欲しかっただけなんだ。俺はやっぱり偽善者なんだ。
なのに、なぜ、こんなに心が穏やかなんだ。
やめよう。考えても無駄だ。
俺はもう助からない。せめて今はこの不思議な感覚に身を委ねよう。それぐらいいいじゃないか。
俺は、明日死ぬことにした。
今夜、死んでしまったら、あの子が幸せになれない気がした。
どうか、あの子が幸せになりますように。
不幸なのは、俺だけでたくさんだ。
大きすぎるソファのクリスマス 綾鷹伊右衛門 @ayataka_iemon
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