大きすぎるソファのクリスマス
綾鷹伊右衛門
第1話
「こんばんは」
背後からいきなり老人の声がしたので、驚いて振り返ろうとしたが首のロープが邪魔をして振り返ることが出来なかった。
しかし勢いよく身体をひねったので椅子の上に立っていた俺はバランスを崩してしまった。
「うぉっ!おっ!っとっとっと!…!」
思わず首にかけていたロープを外して俺は椅子から飛び降りた。が、よろめいてそのままドスンという音とともに尻もちをついた。椅子も派手な音を立てて倒れた。
「いてて…」床に転がったまま視線を上げると一連の動作を穏やかな表情で見つめている老人が目の前に立っている。
その老人がサンタクロースの格好をしていると認識するのに少し時間がかかった。
「あんたは…」
言い終わる前に老人が答えた。
「サンタクロースというものです。」
「え?は?えーと、え?」
俺が混乱していると老人は俺の存在など気にかけていないように語り始めた。
「若い人はご存知ないかもしれないですね。私達はサンタクロースと言いましてクリスマスイブの夜に子どもたちにプレゼントを渡すことをなりわいとしておりまして。」
いや、普通にサンタクロースなら知ってるし、と呆然としていたら、老人はまた語り始めた。
「そもそもサンタクロースはもとは聖ニコラウスという4世紀ごろの…」
「ええー…(そこから?)」
構わず老人は続ける。
「サンタクロースの衣装の色はコカコーラ社が宣伝の為に決めたと言われてますが、あれ、実は都市伝説なんですよ。」
「へえ、そうなんだ。」
「ええ、コカコーラには都市伝説がたくさんあるんです。例えばコカコーラの原料を知っている会社の重役は全員が同じ飛行機に乗らないとか。もし飛行機が墜落したら全員死んでしまうから、会社が潰れてしまうということですって。」
何でサンタクロースがそんなに都市伝説に詳しいんだ、と思っていたが、飛行機が墜落したら全員死ぬ、「死ぬ」というキーワードで老人が現れる前の心境を思い出した。
そうだ、いま俺は死のうとしているんだ。
そう思ったら急に静かな気持ちになり、立ち上がってまだ説明に夢中な老人を見据えた。
「第一、原料の不明な飲料に認可が下りるわけがないのでコカコーラの原料が秘密なはずがないんですよ。そうそう、こんな話もありまして…」
話を遮り俺は努力して感情をなくした声で言った。
「もういいから。俺、死ぬから。出てってよ。」
老人は一瞬動きを止め、話も止まった。しかし、すぐに老人はまた語り始めた。
「いや、これはまだネットには載ってない都市伝説なんです。聞いてもらえますか。実はとなりのトトロの…」
「あー!もう、うるさい!出て行け!警察呼ぶぞ!」
「呼んでもいいと思いますが、なんて言うんです?」
「うるさい!お前には関係ない!」
「いきなりサンタクロースが僕の部屋にやってきて都市伝説を語り出しました。来て下さい、って言うんですか?誰が信じますかね。」
「…叩き出すぞ!なんなんだお前は!」
「だからサンタクロースだと言ってるでしょう。」
俺は頭にきて真顔のサンタクロースに思い切り言葉をぶつけた。
「何しに来たんだよ!」
「やっと本題に入れますね。やれやれ。座っていいですか?あなたもどうぞ座って。」
俺の家なのになんでこいつが仕切ってんだよ。と思ったがだんだん疲れてきたので言う通りにした。というより情報量の多さと展開の速さと意外性の大きさに頭がついていかない。俺はただ首を吊ろうとしてただけなのに。
さっきまで死ぬつもりでいたから心が沈み切っていたがこいつのせいで気持ちがつかみきれないでいる。戸惑いと怒りと不安と疑惑と悲しみが脳内で攪拌されてるような不思議な感覚だった。
ずっと床に転がったままだった俺は、床に胡坐をかいて目の前に立っている変な赤い服を着た老人に向き直った。ふん、確かにどこからどう見てもベタなサンタクロースだ。自称サンタクロースはよっこらしょと言いながら正座した。
サンタクロースが正座してやがる。
それから俺を真っ直ぐに見つめて変に気取ったような声でゆっくり言った。
「おめでとうございます。あなたは今年選ばれました。」
「は?」
「ご存知ないんですか?やっぱりまだ若いから。」
「若いのは関係ない!というか、頼むから最初から分かりやすく丁寧に教えて下さい。お願いします。」
思わず敬語になって懇願する。
「そうですか。どの辺りから説明しましょうかね?やっぱり4世紀ごろの東ヨーロッパ辺り?」
「それはもういい!何故俺のところに来たのか理由を教えてくれ!」
そもそもサンタクロースが実在するのかどうかとか確かめるべきことはあったかもしれなかったが、とにかくこの状況を理解したかった。
老人はまだまだサンタクロースについて語り足りなそうな顔をしていたが、俺の質問に答えた。
「あなたは今年の送り先に選ばれました。毎年、サンタクロースたちが集まって世界から一人だけプレゼントを贈る相手を決めるのです。そしてプレゼントを渡す。これが私がここに来た理由です。」
は?何を言ってやがるんだこいつは
「プレゼントって何を?」
「何でも。望むものなら何でも。」
「何でも?例えば世界征服とかでもか。」
「ええ。」
まるでコンビニでここトイレありますか、と聞いた時のように老人はあっさり肯定した。
「何でも…ってもし俺がとんでもなく悪人だったらどうするんだよ」
「大丈夫です。そうならないように送り先は厳正なる抽選の結果選ばれます。」
「いや待て、俺は良いことなんか何ひとつしてないぞ。第一、どうやって選ばれるんだよ。サンタクロースって子供にしかプレゼントしないんじゃないのか?」
「質問の多い人ですねー。ダーツを投げて決めてます。」
老人が答えた。俺は思わず叫んだ。
「はぁ?!」
老人は何か問題でも?という顔で澄ましている。俺はさらに叫んだ。
「極悪人に決まったらどうすんだ!」
「大丈夫です。その時はその時。世の中なんとかなります。現に何世紀もの間、不思議なことにプレゼントが悪用されたことはありません。」
「本当に不思議だな」
思い切り嫌味を込めて言ったが老人は意に介さない。
「それに今年は悪人に当たったらどうしよう、と考えながらダーツを投げる緊張感は何ものにも代えられないのですよ。」
「老人のスリルを満たすために世界を危険にさらすな」
「いいじゃないですか」
「よくねーよ!」
「まあ、そういうわけでして。あなたが欲しいものを言って下さい。」
「そんなもん…」
あるか!と言おうとして今の状況を思い出した。
現実感がいきなり俺を包み絶望感に代わった。
今までのおちゃらけた雰囲気が一気に消し飛ぶ音がした。
外では冷たい風が吹いてガラスが泣いている。
俺には欲しいものなんて本当になかった。
俺は死のうとしていたのだ。
「欲しいものなんて、ないよ。」
立ち上がってから視線を落とし、呟くように声を搾り出した。床の上を爪先で拭うようにしながら、ふと天井の梁からぶら下げてあるロープのことを思い出した。ロープの先は輪っかにしてある。
「どうしてです?何を願ってもいいんですよ?」
「俺はもう、終わった。これから死ぬ。今、首を吊ろうとしてたら、あんたが入ってきたんだ。分かっただろ。もう出てってくれ。死なせてくれ。何も欲しくない。何もいらない。」
「それは困ります。」
「止めても俺は死ぬぜ。」
「止めませんよ。」
「え?」
「それは私たちの仕事じゃないので。それにあなたは意思が強そうだ。止めても死ぬでしょ?」
予想外の答えに戸惑っていると、老人は、そういうことではなくて、とため息混じりに言うと、続けて一気にまくし立てた。「プレゼントは年に1人だけと決められているから、決める時には盛り上がるのです。もう今年の送り先は決まってしまった。サンタクロースたちはみな来年に向けて気持ちを入れ替えている。そこへ、すみません、送り先の人間がプレゼントを辞退しましたのでもう一度ダーツ投げましょう、ってなったら、私たちはどんなテンションでダーツを投げればいいんですか?1回決まったけどもう1回だけいいよね、なんて許されないのです!分かります?」
「はあ」
あまりにも意外な展開に戸惑っている自分がいる。
「何がなんでもプレゼントを要求して下さい。」
「だからいらないって」
「あ、そうだ!」
老人と思えないような大声だった。
「そもそも、何故死のうとしてたんですか?」
普通、最初にそれを聞くだろう、と思ったが黙っていた。
「関係ないだろ」
「いや、あります」
「なぜ」
「あなたが死ななければならない原因を無くせば、あなたはプレゼントを要求できますよね。それか死ななければならない原因を無くすというプレゼントはいかがですか?」
実は俺も少しだけそれは考えた。俺の自殺する理由をなくして欲しい、という願い。
「いや、やっぱり無理だよ。」
いつの間にかまだ綺麗に正座している、この赤い服の老人を見つめていたことに気がついて、何故か急にまた床を見つめフローリングの板目に沿って爪先を動かした。
「なぜですか?叶えられない願いはありませんよ。」
「俺は病気なんだよ。薬は飲んでる。医者にもかかってる。でも治らない。もう無理だよ。」
呟くような声しか出せない。
「だから、どんな病気も治せますって。」
「そうじゃない。そんなんじゃない。病気も確かに苦しいが、それ以上に生きてるのが苦しいんだよ。」
「病気じゃなくても生きにくいということですか?」
「そうだよ。願いが叶って病気が治っても世の中も俺も変わらない。俺はずっと世間から落ちこぼれて生きていくんだ。それには耐えられない。」
待って下さいね、と言いながら老人は赤服のポケットから四角い板を取り出して触り始めた。まさか、と思ったがそれはやはりiPhoneだった。もう突っ込む気もなくなっていた。(第2話へ続く)
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