2.夕暮れの神社

「神社って暗くなると何か不気味だし、自転車で行こっか。」


 仁美の提案に三恵は頷いた。先ほどは何も考えずにこのお使いを引き受けたが、薄暗い神社に長井はしたくない。玄関を出て郵便受けを見ると、すでに夕刊は届いていた。三恵は神社から帰ったときに持って入ろうと思ったが、新聞と一緒に郵便受けに入れられている広告を見て少し気が重くなった。


「最近多いよね、塾の広告。」


 仁美の言う通り、それは塾の広告であった。三恵たちが住んでいる町では、数年前から再開発が行われており、子供のいる家族が引越してくることも多い。そのためか最近では学習塾が以前よりも増えているのだ。


「みっちゃん、まだお母さんに塾に行くように勧められるの?」


「塾というより私立中学だけどね。中学受験するとしたら遅くても五年生までには準備始めなくちゃいけないみたいだし…。」


 三恵は勉強が嫌いというわけではないが、他にやりたいことがあった。


「でも、みっちゃんは絵の教室に通いたいんでしょ。」


 それは三恵の本心だった。しかし、三恵はなかなか自分の気持ちを言い出せなかった。もともと自分の気持ちをストレートに言うのは得意ではなかったが、それ以上に、三恵が塾に通うかどうかで父と母の意見が完全に分かれているのだ。


 再開発が始まる以前、三恵たちの住んでいる町はのどかな田園地帯が広がっていた。そのような環境で育った三恵の父にとっては、小学生から塾に通いって中学受験をするなど全く考えられないことだった。


 逆に母は都心部で育ったせいか幼い頃から色々な習い事をして、小学生の頃には塾にも通っていたようである。母からすると小学生で塾に通うのは当然のことのようだ。このような考え方の違いから、最近では、いつも優しい父と母が口論する場面を三恵は何度か目撃していた。もし、「絵画教室に行きたい」などと言えば、母に怒られるだけではなく、父と母の仲が悪くなってしまうような気がしていた。自分が黙っていても解決しないことは三恵も分かっていたが、何かを言って悪化するくらいなら、このまま何も言わない方が良いのではないか思っていた。このことは仁美にさえ言っていない。


 三恵の家から神社に行くには商店街を横切る。商店街では店の軒先に提灯を設置している人を何人か見かけた。三恵は夏祭り当日の雰囲気はもちろん好きだったが、近所の人でわいわいがやがやと準備をしている光景を見るのも毎年楽しみにしていた。


 自転車に乗って十分ほど漕ぐと神社に到着した。ただし、境内へはここから長い階段を登らなければならない。階段の両脇には数メートルごとに三恵の背丈ほどのぼんぼりが設置されている。このぼんぼりは商人を導いた光の玉を模していると祖母から聞いたことがある。神社や夏祭り会場へ続く道には、提灯の他にぼんぼりも設置されるのがこの街の夏祭りの特色といえる。


 ひな祭りで見られるぼんぼりのように、夏祭りで使われるぼんぼりも灯りがくるくると回る。その独特な光景から夏祭り当日になると街の外からもやって来るため、夏の観光名所にもなっている。ただ、今は夕方のためか周囲に人はおらず、階段の外側に生い茂った竹やぶが風でざわざわと音を立てているのは少し不気味に思えた。


「さっとお供えして帰ろ。」


「うん。」


一緒に登り始めたものの、運動があまり得意でない三恵の足取りは徐々に重くなり、息も上がってくる。気づくと仁美は数段先を歩いている。目の前にある仁美の背中を見ていると三恵はなぜか安心感を覚えた。


「とうちゃーく!」


最後の10段ほどを仁美は走って駆け上がった。三恵も息絶え絶えになりながら何とか階段を上りきった。汗ばんだ体に風が心地良い。



「他の人のお供え物が見当たらないね。」


 祖母には『境内に入れば他の人のお供え物があるから、そこに置いてちょうだい』と言われたが、他の人のお供え物は影も形もない。


「ひーちゃん、どうしよう。持って帰ろうか。」


「うーん、あそこにお供えしておけばいいんじゃない?」


 仁美は境内の入り口に設置されているキツネの象を指さした。キツネをまつってあるだけあって、他の神社では狛犬のいる位置にキツネの象が建てられているのだ。


「もしかしたら、動物が来ないように神主さんが回収したのかもしれないし。」


 もっともだと三恵は思い、祖母の作ったお供え物をキツネの象の下に置いた。


「じゃ、帰ろっか。」


「うん。」

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