第55話 大人には難しい
その日、ぼくはクレイ館の窓辺で降りしきる雨を眺めていた。時刻は午後の三時前、広い館にはぼく一人きりだった。先生は隣町に用があるとかで、昼過ぎに馬車で出かけてしまったのだ。
「つまらない用事だよ」
一緒に行きたいと主張したぼくに、先生は肩をすくめてみせた。
「土地や屋敷の管理のあれこれで弁護士に会わないといけなくてね。きみが来てもおもしろいことは何もないよ」
それに、と先生は笑ってつづけた。
「きみはきみで約束があるんだろう?」
「約束ってほどのものでもないですけど……」
その日の午後、ぼくは村の子どもたちと川で落ち合う予定になっていた。グレンシャムにやってきて早
特に仲がよかったのは鍛冶職人の息子のジェスと、農場の娘のエレインだ。ジェスはぼくの一つ下で、エレインはぼくと同い年。年が近いせいか最初から何となく気が合ったぼくらは、よく三人で遊んだものだ。ぼくと違って二人とも家の手伝いが忙しかったので、毎日のようにとはいかなかったけれど。
「友達との時間は大事にしなさい。きみくらいの年頃の子は特に。大人になると友人と遊ぶのも難しくなるからね」
「そうなんですか」
「そうなんだよ。そもそも友達をつくるのが難しくなる」
そういうものなんだろうか、と首をひねりつつ、ぼくは久々にきちんと身なりを整えた先生を――なんて言うと、普段の先生がいかにもだらしない格好をしていたようだが、そんなことは……まあとにかく、いつもよりぱりっとした服に身をつつみ、帽子とステッキを
馬車が見えなくなると、ぼくも長靴に履き替え、釣り竿をかついで出かけたのだが、川にたどり着く前に空からぱらぱらと雨粒が落ちてきた。
雨はあっという間に勢いを増し、ぼくが館に駆けもどる頃には横殴りの大降りになった。ぼくは濡れた髪と服をふき、それから窓辺に腰かけて外の様子をうかがった。すぐにやむだろうというぼくの淡い期待をあざ笑うかのように、雨はざあざあと休みなく降りつづけた。
水煙に沈む景色にため息をつき、さて、とぼくは考えた。これからの時間をどう過ごそうかと。
川遊びの約束は流れたと思っていいだろう。となると、あとは家の中で絵を描くか、先生の書斎からぼくが読めそうな本を拝借するかだ。だけど、そのどちらも気乗りがしなかった。たぶん、皆とにぎやかに過ごすつもりでいた気持ちを、うまく切り替えることができなかったのだろう。
これが先生と一緒だったら、きっと話は違っていたはずだ。とりあえずお茶を淹れて、ジンジャークッキーでもつまみながら二人でカード遊びに興じたり、先生の気が向けばチェスの指し方を教えてもらったりもできただろうに。
ないものねだりの空想にしばらく
探検をしよう。そうぼくは思いついたのだ。どこを、だって? ぼくが毎日過ごしていた屋敷、クレイ館をだ。前にも言ったと思うけど、クレイ館の大きさはちょっとしたお城並みで、その広さを持て余したぼくたちは、屋敷のほんの一角しか使っていなかったのだ。
閉め切られた館の内部を隅々まで見て回りたいという思いは以前からあったものの、それまでのぼくはもっぱら戸外で遊ぶことを優先していた。雨に降りこめられたその午後は、かねてからの願望を実行に移すのにうってつけだった。
そうと決まれば、とぼくは台所に行き、壁に掛かっていた鍵の束をとってポケットに入れた。そんな人目につくところに鍵を置いていいのかな、と最初ぼくは心配していたものだが、先生いわく、鍵は毎日見えるところに置いたほうが良いのだそうだ。そのほうが
「盗まれて困るものもないしね」
こともなげに先生がそう言ったときは、本当かなと疑ったぼくだったが、つづけて「それより隠し場所を忘れたときのほうが困る」と言われて深く納得したものだ。それくらい、先生は平気でいろんなことを忘れる人だったから。先生にとってどうでもいいことに限っての話だけど。
鍵束がじゃらじゃら鳴るポケットをおさえながら台所を出たところで、遠くから時計の鐘の音が聞こえた。全部で三回、ボーンと尾を引く残響に手招きされるように、ぼくは屋敷の奥へと足を踏み入れた。
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