第34話 ぼくの自慢の

 ぼくと先生を乗せた馬車は、街はずれに立つ大きなお屋敷の前で止まった。より正確に言えば、屋敷の門からあふれる馬車の列に行く手をはばまれたのだ。


 おそらく、他の招待客たちが一斉にやってきたせいだろう。チェンバース邸の門前は、いずれも豪奢な二頭立て、あるいは四頭立ての馬車でひどく混み合っていた。


「だめだな、これは」


 外を見た先生は、すぐに扉を開けた。


「おいで、ルカ君。歩いたほうが早い」


 身軽に馬車から降りた先生を、ぼくも眼鏡をかけて追いかけた。馬車の間を進むぼくたちに、場の視線が集中するのがわかったが、それを恥ずかしいとは思わなかった。むしろ、先生と歩くのが得意でたまらなかったくらいだ。


 ぼくが自慢することでもないのだが、正装した先生は、それはそれは格好良かった。背が高く、手足の長い先生に黒い礼服が似合うのはもちろんのこと、先生の身ごなし、立ち振る舞いの一つ一つが、不思議と人目を引いてやまなかったのだ。


 誰が何と言おうと、とぼくはひそかに思ったものだ。今日の招待客の中で、いちばん格好良いのは先生に決まっている、と。


「これは、アーサー様」


 ぼくらが玄関前にたどり着いたところで、年配の紳士が足早に歩み寄ってきた。


「お帰りなさいませ」

「やあ、グラハム」


 雰囲気からして屋敷の執事とおぼしきグラハム氏の丁重な挨拶にも、それに親し気に応じる先生にも、ぼくはいまさら驚かなかった。


 チェンバース姓を名乗るダリルさんと先生が従兄弟いとこ同士であること。先生がチェンバース卿と呼んだあの紳士と、先生の声がひどく似通っていたこと。それらに先生とダリルさんの会話の断片をつなぎ合わせれば、自然と浮かび上がってくる仮説があった。


 そう、おそらく、あの闇色の紳士と先生は血縁、それもひどく近しい間柄なのだろう。たとえば、実の父子おやこのような。


「久しぶりだね。足の調子は、その後どうだい」

「おかげさまで、最近はだいぶよい具合でございます。アーサー様もお変わりなく……」


 グラハム氏はそこでぼくに目を落とした。謹厳そうな口元が、ほんの少しほころんだように見えたが、すぐに元通り引き結ばれた。


「このまま庭にまわっていいのかな」

「いえ、アーサー様とお連れ様におかれましては、先に書斎へお越しいただきたいと、旦那様が」

「そうきたか」


 先生はうんざりしたように天を仰いだ。


「すまないが、ルカ君、ご馳走はしばらくおあずけだ。まずは面倒事を片づけて、それからゆっくり楽しむとしようか」


 グラハム氏は自ら先に立って、ぼくらを案内してくれた。広い玄関ホールを抜け、絨毯敷きの階段を登り、グラハム氏が開けてくれた扉の向こうへ足を踏み入れたところで――


「え……」


 ぐにゃりと、視界がゆがんだ。とっさに目を閉じ、ふたたび開けたとき、ぼくは薄暗い部屋に立っていた。


「……先生?」


 あわてて左右を見るも、ついさっきまで一緒にいたはずの先生の姿はどこにもなかった。代わりに、


「こんにちは、坊や」


 暗がりの中で、しわがれた声がした。年老いた、だけどしっかりと芯の通ったご婦人の声だった。ぎくりとして声のした方に目をやると、厚いカーテンが降りた窓を背にして椅子に沈みこむ人影が見えた。


「あなたが、新しい“鍵番かぎばん”ね」


 質問ではなく、断定の言葉を投げかけるその人を前に、ぼくは声もなく立ちつくした。



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