第33話 園遊会の朝
それからしばらくは、まず平穏な日がつづいた。ぼくは先生のために卵を焼き、お茶を淹れ、キャリガン夫人と掃除や洗濯に
幻術師としての先生の評判はかなりのものらしく、行く先々でいつも丁重に迎えられていた。ぼくはと言えば、たいてい舞台の袖か天井で、先生の「ちょっとした」幻術の手伝いをしながら、目の前で次々と生み出される幻影に、ただただ見入っていた。
夢のように美しい先生の芸術にひとつだけ文句をつけるとしたら、それは先生が最後に必ずお客の記憶をいじってしまうことだった。無用な騒ぎは避けたいからね、という先生の説明にはうなずくしかなかったが、それでもやっぱり、心の底から納得することはできなかったのだ。
「そりゃ当たり前だ」
そう言い放ったのは先生の赤毛の従弟、ダリルさんだった。ダリルさんは、ぼくのための買い物がひととおり済んだ後も――ありがたいことに帽子は翌週見つかった!――ちょくちょく家にやってきては、居間でお茶を飲んでいくようになった。
「こいつのやっていることは、つまるところ
「自覚はしているが、きみに言われると腹が立つな」
なんだかんだと言い合いつつも、二人の仲が決して悪くないことはわかっていたので、ぼくは安心してお茶を飲み、キャリガン夫人お手製のケーキを頬張った。
ダリルさんの訪問で、いちばん得をしたのは、ぼくかもしれない。いつダリルさんが来てもいいようにと、キャリガン夫人は以前にもまして頻繁に、お菓子をこしらえてくれるようになったのだから。
ひとしきり先生と話すと、ダリルさんは腰を上げるのだが、なぜかそのままぼくを街に連れ出すようになった。ぼくの買い物のためではなく、ダリルさんの新しいステッキとか、手袋なんかを物色するためだ。
いつもぴかぴかの馬車で店の前に乗りつけるダリルさんに荷物持ちが必要とは思えず、ましてダリルさんの買い物でぼくの意見が参考になることは万に一つもないだろうに、ダリルさんは毎回当然のようにぼくを連れまわし、そして先生もダリルさんを止めてくれるどころか
「あの男の面倒見の良さについても、学生時代から有名でね」
苦笑まじりに先生が口にした言葉の、本当の意味を知ったのは、仕立屋エドワーズに注文していた服が仕上がった日のことだった。
「まあ、こんなものか」
新品の服に袖を通したぼくをざっと眺めわたすと、ダリルさんは街の高級喫茶室にぼくを連れてきた。どこもかしこも豪華で上品で、まわりのお客も裕福そうな紳士淑女ばかりといったその空間に気後れするぼくに、ダリルさんは「要は慣れだ」と面倒くさそうに告げた。
「こんなもの、数をこなせば自然と慣れる。場違いだの何だのと余計なことは考えるな。おまえはただ下を向かず、胸を張っていればいいんだよ。たとえ虚勢でも、くりかえすうちに本物になるもんだ」
そう言われて、ぼくはようやく気づいた。ダリルさんがわざわざぼくを伴って高級店を訪ねまわった
「……ありがとうございます」
なんと返していいかわからず、結局ありきたりな感謝の言葉を伝えることしかできなかったぼくの頭を、ダリルさんは「だから下を向くな」と、くしゃくしゃにかきまわした。
それから数日後、めでたくぎりぎり及第点――ダリルさんの評価――の紳士となったぼくは、ついに園遊会当日の朝を迎えた。
「準備はいいかい、ルカ君」
舞台に立つときの格好とは少し違う、だけどやっぱり普段の姿とは見違えるような正装に身をつつんだ先生は、シルクハット片手に不敵な笑みを口元にひらめかせた。
「はい、先生」
胸ポケットにおさめた眼鏡を布地の上から確かめながら、ぼくはうなずいた。
こうして完璧に武装を整えたぼくと先生は、キャリガン氏の馬車に揺られて園遊会へ乗り込んだのだった。
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