第31話 老舗の仕立屋

 ダリルさんとぼくを乗せた馬車は、大通りに面した一軒の店の前で止まった。「仕立屋エドワーズ」という金文字の看板が掲げられた、いかにも老舗しにせといったたたずまいの店だったが、重厚な扉に下げられていたのは、あいにくと「本日休業」の札だった。


「めずらしいな」


 首をひねりながらも、ダリルさんはためらいなく扉を開けた。いいのかな、と思いつつ、ぼくもダリルさんに続いて中に入った。


「これは、チェンバース様」


 薄暗い店内で、まず視界に飛び込んできたのは大きなカウンターだった。その向こうで、灰色の髪を綺麗になでつけた老齢の紳士がダリルさんに会釈をした。


「休みのところ悪いな、エドワーズ」

「いえ、お気になさらず。それより、本日はどのようなご用向きで? 先日ご注文いただいた品は、まだ仕上がっておりませんが」

「いや、それはいい。今日はこいつを――」


 ダリルさんはぼくの背中を押して前に立たせた。


「見られる姿に仕立ててやってほしくてな」

「ああ」


 この店のあるじおぼしきその紳士は、頬に上品なしわを寄せて笑った。


「噂の園遊会でございますね。おかげさまで、当店もこの有様ありさまでございまして」

「うちが迷惑をかけているのか?」

「逆でございますよ。昨日から、新しい服を仕立ててほしいというお客様がひっきりなしにいらっしゃいましてね。皆さま口をそろえておっしゃるには、チェンバース邸の園遊会に招かれたからだと。今朝まではご注文をお受けしていたのですが、これ以上は職人の手が足りませんので、このとおり店を閉めさせていただいている次第です」

「なんだ、やっぱりうちのせいじゃないか」


 ダリルさんは顔をしかめて赤い髪をかきまわした。


「なら、今回は他をあたらせてもらうか。邪魔したな、エドワーズ」

「お待ちください」


 きびすを返しかけたダリルさんを、エドワーズさんが呼び止めた。


「チェンバース様に無駄足を踏ませたとあっては、当店の恥。どうぞご遠慮なく、ご用命くださいませ」

「しかし、手が足りないのだろう」

「さすがにチェンバース様のご礼装をということでしたら、少々厳しいところですが、そちらのお若い方のお仕立てでしたら、なんとでも都合はつきますので。その代わりと申してはなんですが、ただいまご注文いただいている品のお引渡しについては……」

「もちろん、いくらでも待つさ。では、ありがたく頼むとするか」

「あの……」


 ぼくはたまらずダリルさんに声をかけた。ぼくのせいで店に負担がかかるのも、ダリルさんの注文の品が遅れてしまうのも、どちらもぼくはごめんだった。


「ぼく、やっぱり園遊会には行かないことにしようかと……」

「おまえが行かなかったら、誰があいつの面倒を見るんだよ」


 ぼくの訴えを一蹴して、ダリルさんはさっさと店の奥へ歩いて行ってしまった。


「坊ちゃんも、どうぞこちらへ」


 エドワーズさんが案内してくれた先は、大きな鏡が据えられた小部屋で、巻き尺を首からさげた採寸役の職人さんがぼくを待っていた。


「季節柄、軽めの生地がよろしゅうございますね。でしたら、このあたりでしょうか」


 ぼくが採寸されている横で、エドワーズさんは次から次へと新しい生地を広げてみせる。それらを眺め、あるいは手にとり、注文をつけるのはぼくではなく、もっぱらダリルさんだった。


「黒はだめだな。こいつには重たすぎる」

「では、こちらなどいかがでしょう。先週入ってきたばかりの品ですが、織り目がなかなか凝っておりましてね」

「悪くないが、少し明るすぎやしないか」

「坊ちゃんくらいのお年でしたら、このくらいの色目のほうがむしろよろしいかと。髪の色にも映えますし」

「なるほどな。となると、スカーフの色はどうする」

「そこは坊ちゃんのお好みも伺ってみては」

「おいルカ坊、これとこれだったら、どっちがいい?」

「……どちらでも」


 生地の織り目やら色合わせのみょうなんかについては、てんで不案内なぼくだったが、目の前に並べられた品々が、どれもとんでもなく高価だということは容易に想像がついた。


「なら、両方もらっていくか」

「右の方でお願いします」


 その後も、上着の襟の形だのズボンの丈だのといった細かな打ち合わせが続き、ようやく解放された頃には、もはや口をきくのも億劫おっくうになっていたぼくだったが、


「次は靴屋だな」

「まだあるんですか⁉」


 ダリルさんの無情な宣告に、情けない悲鳴をあげてしまった。


「あたりまえだろう。身だしなみは足元からだ。あとは、小物もそろえないとな」


 がっくりとうなだれたぼくの頭に、くだけた服装で長椅子に寝そべる先生の姿が浮かんだ。早く家に帰りたいと思いながら、ぼくはダリルさんに見つからないよう、そっとため息をついた。




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