第14話 はじめから、ずっと


 きみは学びたいのかと、逆に問われてぼくは困惑した。当たり前だと口にしかけた言葉は、なぜかのどにからんで出てこなかった。


「きみが本当に望むなら教えないこともないがね。まあ、やめておきなさいと言っておくよ。あんなものを覚えたところで、きみの役に立つとも思えないからね」

「そんなことは……」

「そうなんだよ」


 先生はゆるく頭をふった。


「ほかでもない、きみが証明してくれただろう? あんな力を使わなくとも、きみはちゃんと卵も焼けるし、お茶だって淹れられる。わたしよりずっと上手にね」


 冗談めかしてそう言いながら、先生は砂糖とミルクの壺をぼくの方へ押しやった。


「火をおこしたければマッチをすればいい。街はガス灯が照らしてくれるし、遠くに行きたければ汽車が運んでくれる。世の中は進歩しているんだよ。確実に、急速にね。そのうち空だって飛べるようになるだろう」


 らないんだよ、と先生は独り言のようにつぶやいた。


「この先の世界に、あの力は必要ない。われらは消えゆく一族だ。それを惜しいとは思わない」


 先生の言うことは正しくもあり、同時に何かが間違っているような気もした。その「何か」がなんなのか、うまく言い表すことはできなかったけれど。


「……なんで」


 気がつくと、その言葉がぼくの口からするりとこぼれていた。


「なんで、ぼくなんですか」


 ずっと考えていたのだ。掃除をしながら、お茶を飲みながら。先生がぼくを選んだ理由は何なのかと。それはやはり、この奇妙な目のせいなのだろうかと。先生のような魔法使い――というと先生は笑うけど――の興味を惹きそうなものといえば、この目くらいしか、ぼくは持っていなかったから。


「べつにこれといった理由はないがね」


 かるく首をかしげて、先生はぼくの予想をあっさり裏切ってみせた。


「茶番に付き合ってくれる相手を探していたところで、たまたまきみに出会った。それだけだよ」


 ぼくがいい、とは、先生は言わなかった。ぼくでなくては、とも。聞く人によっては、その熱のなさにがっかりしたかもしれない。だけど、ぼくはむしろほっとしていた。本当に、自分でも驚くほどに。


「ああ、もちろん、誰でもいいというわけじゃない。いくらわたしが変わり者でも、話も合わない人間と暮らす気にはなれないからね。その点きみとは上手くやっていけそうな気がしたから」


 旦那さまはすっかりその気。ふと頭の中によみがえったキャリガン夫人の声に、先生の穏やかな声が重なった。


「どうするかはきみ次第だ。ゆっくり考えて決めてくれればいい」


 不意に、ぼくはおかしくなった。先生だけじゃない。ぼくだって、はじめからずっとその気だったじゃないか。


「お引き受けします」


 背筋をのばして答えてから、「でも」とぼくは言葉を継いだ。


「ただで置いてもらうわけにはいきません。ここにいる間はできるかぎりお手伝いをさせてください。掃除でも洗濯でも、ぼくにできることならなんでも」


 先生の目元がふっとやわらいだ。


「そのあたりは、キャリガン夫人と相談するのがいいだろうね」


 折よく階下からキャリガン夫人がぼくらを呼ぶ声がした。お昼ですよ、早く降りてきてください。そんなやわらかな響きを、ぼくはもうずいぶん長いこと耳にしていなかった気がした。


「行こうか、ルカ君」

「はい……」


 お盆を持って立ち上がったぼくは、ほんの少し迷ってからその呼び名を口にした。


「先生」


 不意をつかれたようにふりむいた先生は、すぐに微笑んでぼくの肩をかるくたたいてくれた。


 ぼくと先生のいささか風変わりな暮らしは、こうして始まったのだった。




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