第9話 金貨とボタン

「いいね」


 魔法使い、という言葉を聞くなり、先生は心底愉快そうに笑った。


「とてもいい。きみみたいな純真な年頃の子にそう言われると、自分がとても素敵な存在に思えるよ。そう、我こそは偉大なる魔法使い――」


 先生は芝居がかった仕草で両手をひろげた。


「なんてね。じつのところ、そうたいそうなものじゃない。ただの芸人、一介の幻術使いさ。きみ、劇場に行ったことは? 芝居のほかにもいろいろあるだろう。曲芸とか、手品とか。わたしもそんなちょっとした芸を披露して、日々のささやかなかてを得ているというわけさ」


 先生には失礼だが、そのときの先生の説明を、ぼくは何ひとつ信じることができなかった。


 ぼくを酔わせた「色」を白い霧に変えてくれた眼鏡。指のひと鳴らしで生まれた炎と、命を吹き込まれた砂糖壺のスプーン。あれがどうして「ちょっとした芸」などと言えようか。


 なにより、先生がソートン通りでロブソン氏に放った十ダカット。たとえ、ありとあらゆる不思議な現象に説明がついたとしても、ダカット金貨十枚を「ささやかな糧」で片付けられるほど、ぼくは純真な子どもではなかった。


「疑って……いや、怒っているかな」


 骨ばった指でかきあげられた白い髪の間から、からかうような視線がよこされる。


「無理もない。もともと、わたしは正直な人間じゃないからね。ああ、昨夜の金貨について気にしているなら、その必要はないよ。あれは金貨に見えて、じつはただの古ボタンなんだ。財布から出して半日もたつと、もとの姿に変わるという仕掛けで……」

「本当ですか⁉」

「さあ?」


 先生は人の悪そうな笑みを浮かべた。


「だったらおもしろいと思わないかい」

「そんな……どっちなんですか。早く教えてあげないと、あの人捕まっちゃうんじゃ……」


 おろおろするぼくの前で、先生は目を丸くした。


「……これはまた」


 絶句してカップを取り上げた先生だったが、中身はすでにからだったようで、結局口はつけずに卓に置いた。


「まいったね。自覚している以上に汚れてるものだな。年はとりたくない……」


 意味不明なつぶやきをもらした後で、先生は「心配ない」と首をふった。


「金貨は本物だよ。あの親方が贋金使いの罪に問われることはない。まあ、せいぜいわたしに詐欺ペテンの嫌疑をかけられるくらいだろうな……」


 後半の独白もなかなかに不穏だったが、とりあえずロブソン氏は大丈夫らしいと、ぼくは胸をなでおろした。あまりいい「色」の人ではなさそうだったが、ぼくが孤児院を出るきっかけをつくってくれたという点では恩人なのだ。なるべくなら平穏に、幸せに暮らしてほしい。できればぼくの目に見えないところで。


「とにかく、きみがわたしに恩義を感じたり、ましてや金で買われたなんて思うことはないんだよ。きみはたまたまお節介な男に行き合って、一晩の宿を借りただけさ。それも朝食を作ってもらったから貸し借りは無しだ。きみが望むならすぐにでも、あの鞄をもって出て行けるんだよ。ただ――」


 そんなことはないと反論しかけたぼくを制するように、先生は長い指を立てた。


「きみさえよければ、ひとつ提案があるんだが」



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