第12話 屋根裏の大掃除
「ほかにもお部屋はあるんですよ」
床をモップでこすりながら、キャリガン夫人はその日何度目かの嘆きをもらした。
「いつお客さまがいらしてもいいように、ちゃんと整えたお部屋がね。なのに、どうして旦那さまは坊ちゃんをこんなところにお通ししたんでしょうねえ」
こんなところ――ぼくが一夜を過ごした屋根裏部屋で、キャリガン夫人とぼくはせっせと掃除にはげんでいた。
はじめ、手伝いを申し出たぼくに、キャリガン夫人は「坊ちゃんにそんなこと」と難色を示したのだが、ぼくが所在なさげにしているのを見てとると、すぐに窓掃除を割り当ててくれた。ついでに「坊ちゃん」はやめてくれないかとお願いしたのだが、これについては「坊ちゃんは坊ちゃんです」と一蹴されてしまった。
「……まあ、本当はねえ」
笑みを含んだ声に、ぼくは雑巾片手にふりむいた。
「わかっているんですよ。旦那さまがどうしてこの部屋をお選びになったかは。坊ちゃんはこれからもこの家にお住まいになるんでしょう? だったら、最初から自分のお部屋を使うほうがいいと思われたんでしょうね。旦那さまらしいお考えですわ」
呆れと諦めと、それ以上に先生への敬愛がにじんだキャリガン夫人の笑顔に、ぼくはどう応じればいいのかわからなかった。弟子入り――の芝居の申し出に、ぼくはまだ答えを出せていなかったのだ。
「……キャリガン夫人」
「はい、なんですか」
気持ちのよい返事をくれた夫人に、ぼくは頭を下げた。
「すみません。ここに住むかどうかは、まだわからないんです。せっかくのお掃除が、その……無駄になっちゃうかも……」
キャリガン夫人はぱちぱちとまばたきをしてぼくの顔を見つめ、それから「とんでもない!」と首をふった。
「お掃除が無駄になることはありませんよ。磨けば磨いただけ、家も長生きしてくれますからね」
ふたたびごしごしと床をこすりはじめたキャリガン夫人の腕には、心なしか先ほどより力がこめられているように見えた。
「坊ちゃんがどうされるかは、坊ちゃんがお決めになることですから、わたくしがとやかく申し上げることじゃありません」
けどねえ、とキャリガン夫人は歌うように言葉をつづけた。
「旦那さまは、もうすっかりその気でいらっしゃるみたいですよ。坊ちゃんがお嫌でなければ、しばらくここに留まってみてもよろしいんじゃありませんか。若い方がいると、それだけで家も明るくなりますから」
そこで「あらいやだ」とキャリガン夫人は朗らかな声をあげた。
「旦那さまも十分お若くていらっしゃるんでした。いまの話は旦那さまには内緒にしておいてくださいね」
もちろんですとぼくは請け合い、それから夫人のおしゃべりに相槌を打ちながら窓ガラスを磨き上げた。澄んだ青空が映るくらい、ぴかぴかになるまで。
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