第6話 額縁の少女

 翌朝、白い光の中でぼくは目を覚ました。


 狭いところですまないが、と前置きした上で先生が案内してくれたのは屋根裏の小部屋で、低いベッドに書き物机と椅子が一脚、それに小さな衣装戸棚が据えてあった。


 先生は食事もすすめてくれたが、その夜のぼくはあまりに疲れていたので、そのまま休ませてもらうことにした。先生もぼくの状態を察してくれたらしく、簡単に家の中のことを説明すると「おやすみ」と言い残して部屋を出て行った。一人になるなりぼくは服を脱いでベッドにもぐりこみ――次に目を開けたときはすっかり朝になっていた。


 ぼくはベッドの中でうんとのびをして身を起こし、室内を見わたした。傾斜した天井が低く下がった方に大きな窓があり、そこからたっぷりした朝陽が射し込んでいる。壁はところどころはげた白い漆喰塗り。うっすら埃のつもった床には、くすんだ赤を基調とした異国風の毛織物が敷いてある。机の上にきらりと光るのは、前夜に先生から借りたまま返しそびれていた眼鏡だ。


 ぼくはベッドから降りて窓に歩み寄った。上げ下げ式の窓を――がたついていたので多少苦労して開けると、さわやかな風が吹き込んできた。晴れわたった空の下、無数の屋根の連なりの向こうに、緑に抱かれた灰色の城館がかすんで見えた。それが女王陛下の居城エリントン宮殿だと、ぼくが知るのはもう少し先のことになる。


 ひとしきり窓の外を眺めると、ぼくは昨夜先生が運んでくれた鞄を開けた。持ち手の片方がはずれかけている黒い鞄は、教会のバザーで孤児院長が手に入れてきたものだ。そこに詰めこんでいたものを、ぼくは端からベッドの上に並べた。


 替えのシャツに靴下、冬用の外套と襟巻、靴紐ひと組、ブラシに石鹸、帆船の絵が描かれたマッチ箱、院長が持たせてくれた祈祷書。それから、ぼくの宝物であるスケッチブック。


 最後に、ぼくはハンカチにくるんだ小さな額を手にとった。ハンカチをめくると、見慣れた少女の絵が現れた。母さん、とつぶやいて、ぼくは少女の頰をそっとなでた。


 簡素な額縁の中で微笑む少女。金の髪を水色のリボンでまとめ、白い襟のついた青いドレスに身を包んでいる。ぼくの母の若い頃の姿を描いたものだと、祖母は言っていた。


 ぼくにとっての家族は、祖母と、この絵の中の母だけだった。母は、ぼくを産んですぐに亡くなってしまったのだという。父の顔は知らない。父はぼくがまだ母のお腹にいるときに戦場へ行ってしまったのだそうだ。


 大陸全土を巻き込んだあの戦争は、ぼくが生まれた年に終わったけれど、父は帰ってこなかった。帰ってなどくるものかね、とは、いつだったかの祖母の台詞だ。間違って口に入れてしまったものを吐き出すような祖母の顔を見て以来、ぼくは父の話を祖母にせがむことをやめた。


 その祖母も、ぼくが八歳の冬に亡くなった。記憶にある祖母の顔は、そのほとんどが深い悲しみ、あるいは怒りをたたえていた。原因はぼく──ぼくの目だ。


 祖母は、ぼくの目をうとんじていた。もっとはっきり言ってしまえば、憎んでいた。ぼくの目に映る「色」については絶対に口外しないこと。そう祖母はぼくに約束させた。たとえ見えていても目をそむけ、口をつぐんでいれば、それは存在しないも同じなのだからと。


 ぼくは母の絵を机の上に立てかけた。この作品は父が描いたものだという。画家としての父の腕前はよくわからないが、ぼくはこの絵が好きだった。眺めていると、胸のうちがぐような、不思議とおだやかな気持ちになれるのだ。


 題材が母でよかったと、あらためてぼくは思った。描かれているのが母でなかったら、祖母はとうの昔にこの絵を焼き捨ててしまっていただろうから。


 祖母によると、ぼくは母に似ているらしい。たしかに髪の色は同じだし、顔立ちにも通じるものがあるように思える。違うのは瞳の色だ。冬の湖面のような母の瞳に対し、ぼくの目は薄い紫色をしている。この目も母と同じ色だったら、祖母はもっとぼくを愛してくれただろうか。


 母の絵を前に、とりとめのない思い出にひたっていた、そのときだった。階下で何かが爆発するようなものすごい音が炸裂し、ぼくは文字通り飛び上がった。


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