第5話 ガス灯通り
ソートン通りを後にして再び馬車にゆられている間、ぼくはずっと無言だった。話したいことがなかったわけではない。むしろ逆だ。先生に訊ねたいことが多すぎて、どこから手をつけていいのかわからなかったのだ。
なぜ、この人はぼくなんかのために十ダカット(と三クロシュ)もの大金を払ってくれたのか。やはり、ぼくの目のせいなのだろうか。先生も同じ性質を持っている? あるいは、身近にぼくと似たような人がいるとか。ひょっとして、グラウベンの都では、ぼくのような人間は珍しくもないのだろうか……?
疑問符だらけの頭をかかえたぼくとは対照的に、先生はくつろいだ様子で窓の外を眺めていた。その整った横顔を見ているうちに、ぼくの頭の中に散らばる無数の「なぜ」は煙のように薄れ、ゆらぎ、やがて寄り集まって白髪の紳士の形をとった。
そう、なによりぼくはこう訊ねたかったのだ。あなたはいったい何者なのですか、と。
「あの……」
思いきってぼくが口を開いたとき、ゆるやかに速度を落として馬車が止まった。
当然のようにぼくの鞄を手にした先生につづき、ぼくも外に出た。そこは
ぼくたちが馬車を降りると、御者台に座るがっちりした体格の男の人が無言で先生に会釈をした。ぼくにもちらと視線をくれたようだったが、帽子の下にどんな表情が浮かんでいたのかはわからなかった。
がらがらと車輪を鳴らして馬車が走り去ると、通りにはぼくと先生だけが残された。歩道にはガス灯の鉄柱が等間隔で立っていたが、灯ともし頃にもかかわらず、
「やれやれ、またか」
ガス灯を見上げて先生はぼやき、手をあげて指を鳴らした。とたんに、先生のそばに立つガス灯にぽっと明かりがともった。次いで、隣のガラスの内側にも橙色の炎が踊る。つづいてその隣、またその隣にも。暗がりの中をやわらかな光が連なっていくさまは夢のように美しく、ぼくはまばたきも忘れてその光景に見入った。
「あの呑んだくれの点灯夫を甘やかすのもなんだが、まあ今日くらいはね」
その声でぼくは我に返り、先生をふり仰いだ。ガス灯のぼんやりした明かりが、帽子の下の微笑に濃い影を落としていた。
――魔術師。
不意に、その言葉がぼくの頭のてっぺんから爪先までを貫いた。
魔術師。魔法使い。それは遠い物語の中だけの存在だと、ぼくはずっと思っていた。現実の裏側、影と幻の国の住人。それが突如、ぼくの前に姿を現したのだ。黒いローブのかわりに上等なコートをまとい、魔法の杖ならぬ古ぼけた旅行鞄を手にさげて。
「さて、ルカ君」
先生は通りに並ぶ家のひとつを手で示し、芝居がかった口調で言った。
「わが家へようこそ」
こうしてぼくは、魔術師の
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