屋烏の愛
団子(仮)
屋烏の愛
「ああ、そっかぁ。よつばを探してるのか」
住宅地の一角にわざと残された自然。自然といっても雑草に分類されるだろう草花は、ぼうぼうと生えてくる度に近所のおじさんによって刈られるし、人の手で植えられた樹木は春に花を咲かせる桜だけを残し、他は無情にも枝をばっさりと切られ丸裸にされたりする。管理されていると言えば聞こえはいいが、要するに人が楽しむ為の自然なのだ。それを維持管理するのも大変らしいけれど。
そんな場所に何処からともなく現れたその
「……見付かるかな」
遠慮がちに何をしてるのと聞いてきたから、私は四葉のクローバーを探しているとどぎまぎしながらも素直に答えた。今まで接点のなかった相手に話し掛けられたものだから、幼子の私はすっかり緊張していたのだ。恥ずかしかったというより、どう対応すれば分からなかったと言った方が正しい。
四葉と聞いてちょっと困った顔をしたその人は、風に揺れるレースのカーテンのように、ロングキュロットの裾をひらりとさせてその場にしゃがみ込んだ。
「――」
それは午後の日差しをやんわりと部屋に招き入れ、気紛れな風にふわりと揺れるカーテンそのものだった。初めての筈なのに、初めてじゃない。太陽の光、温かい空気、ゆったりと流れる時間。私の知っている世界、安心する世界。
「う~ん、四葉、四葉かあ……」
彼女という世界が私の遊び場である草花の絨毯に、私の隣にしゃがんでいる。膝を付いて手を伸ばせば届いてしまいそうな距離だ。
私に話し掛けていたと思ったら、今はもう地面に目を向けていた。髪がはらりと頬に沿って滑り落ちるのを、彼女は耳に引っ掛けて後ろに流す。それを収まりがつくまで数回繰り返した。
手を付いて目を凝らして。私の為に雑草の中から四葉のクローバーを探してくれているらしい。頼んではいないのだけど、私が小さいから遊んでくれているのだ。
それでも不思議に思って顔を上げると、少し離れた場所にいる私の母親が誰かと話し込んでいる。知らないその人は彼女の母親だろう。この人は親同士のお喋りが終わるまで相手をしてくれるつもりなのだ。
それを理解して、私はまた四葉を探す遊びに専念し始めた。
クローバーは群生していると言ってもあっちに少し、こっちに少しと疎らな生え方なのは否定出来ない。だからさっきから探すのに苦労しているわけだが、その分見付けた時は喜びも
「……なかなか見付からないね」
困った声で呟いて、お隣のクローバー群に移動していく。
私はそれを横目に見ながら、さっきよりも遊びに気合が入った。もし四葉のクローバーを見付けられたのなら、きっと今までで一番嬉しいと感じるに違いない。
……今までで、一番? どうして?
まだ何も知らない幼子に代わって考える。
「どうしたの?」
「うん……お姉さんごめん、ちょっと待って」
「うん、いいよ」
探す手を止めた彼女は、キュロットが汚れるのも気にせず腰を下ろして背伸びをした。手で日陰を作って、少し眩しそう。
暖かい日差し。手入れされた自然。草花の絨毯。四葉のクローバー。いつもの遊び。
ひらりと揺れるロングキュロット。風に揺れるレースのカーテン。ゆったりとした時間。初めてなのに知っているモノ。
頬を滑る髪。耳に引っ掛けるしぐさ。一緒に四葉を探してくれる
「なにか分かった?」
「そうだ! 貴方は初恋の人――!」
ぶわり、足下から風が吹き荒れる。木の枝がしなって、雑草の絨毯が風に煽られて慌ただしく波打った。
目の前には虚をつかれて、ちょっと驚いた表情を浮かべるお姉さん。それもまたかわいい。言ってみるものだ。
「それ本当? ぜんぜん気が付かなかったなあ」
急激に太陽の光がきらきらと輝きを増し、やがて虹色の光となって辺りを包み込む。強い風に足がふわりと浮いて、残された時間なんてないことを悟る。
「私の初恋の人、この真情をありがとう」
「一緒に四葉のクローバーを探しただけだよ。それじゃあね」
「うん」
手を振ってくれるわけではないけれど、空に飛び立つ私を見送ってくれるその
何度も繰り返したのち、不意に雲を抜けた先に広がっているのは――。
「わあ」
太陽の光を遮るものは何もない。目的地に着いた私はその場に留まってこの空間を思いのまま堪能する。
「いい気持ち」
雲の上は静かだった。街の喧騒もここまでは届いてこない。いつも空に張り付くように立ち籠めていた、錆びたような色の空気もここにはない。眩しい太陽の光に照らされた
静かに目を瞑ってみれば、吹いてくる風を肌で感じられる。向こうは風が強いのかもしれない。このまま飛んで行って確かめてみたい気もするが、それはまた別の機会にしよう。
重要なのは五分も掛からないあっという間だった道中を楽しむことで、雲の上の景色を期待して昇って来たわけではないのだ。長く滞在するつもりはないし、この場所に思い残すこともない。
私は体をくるりと回転させて下降を始めた。地球の重力に引っ張られ、すぐに物凄いスピードが出る。強風のなかロケットのように地上を目し、街が見えたと思ったら草花の絨毯に戻ってくるのはあっという間だった。そこに彼女はもういなかったが、会えただけで十分だった。それに、何時までも彼女をここに留めて置く権利など誰にもないのだ。
「ねえ、聞いてる……?」
「わっ……あ、環奈。なに?」
「だから、水やり終わったなら早く帰ろうって」
友人に肩を揺すられて、私は自分が無事に地上に戻っていることを知った。
目の前には小さいながらも花壇が広がっている。左手にはじょうろが握られていて、自分が園芸部の活動の最中だったことを思い出した。ついさっきまで四葉のクローバーを探したり空を飛んでいた筈だが、もう遠い昔の出来事のように思える。
「ごめん、もうここだけだから」
「すぐ終わるじゃん。はやく」
「わかったってば」
実際に空を飛んだわけではないみたいだけれど、荒々しい風や壮大な景色を体が覚えている気がする。何となく足下が覚束ない。今はもう天にも昇るような高揚感はないけれど、現実に戻って来た私の心は雨上がりの空のように晴れやかだった。小さい頃にポケットに入れて置いたものの。それが何なのかよく分からずにここまで来てしまったが、今やっとそれが何なのか認識することができた。私はまたひとつ成長したようだ。
友人に急かされながら後片付けして、校門を出る。
「それでさあ」
「うん。その話もいいけど、井川の話はしないの? 聞きたいんだけど」
「――え?」
私は友人が何時もの話を振ってくるのを待っていたが、どうやら今日は収穫がなかったらしい。さっきから小さな愚痴ばかりだったので、今日ばかりはつい止めてしまった。
「だって、今日は井川と廊下ですれ違ったりもなかったから……」
「ああ、それは残念。私が同じクラスだったら色々と教えてあげられるんだけど」
「ええ……」
覚えたての感情がどうもくすぐったくて嬉しくて。にこにこしていれば流石に友人も何かに気が付いたようだ。
「ね、どうしたの? 恋愛とかまだ分かんないって言ってたのに。好きな人もいないって――あ! もしかして好きな人ができたの?! 誰! 同じクラス?!」
一気に興奮して詰め寄ってくる友人には悪いが、意識したことがなかったのだから当然同級生にそんな人は存在しない。
「好きな人ができたってわけじゃないんだけど。興味が出てきたっていうか、加奈が好きな人ってどういう人なのかなーって。ね、いいでしょ、井川のどこが好きなの?」
「……なーんだ、好きな人ができたわけじゃないのね。というか、今更それを聞くの? 前にも言ったのにぃ!」
「ご、ごめん。今度タピオカ奢るからさ、ちょっとだけ聞かせてよ」
「別に、いいけどさあ。ちゃんと聞いててよ……」
「うん、ちゃんと聞く」
加奈は照れ臭そうにしながら、しぶしぶといった様子で話し始めた。相槌を打ってやればすぐに調子が出てきて、好きな人のことを思い浮かべながら話してくれる。
それはとても楽しそうで、私はまたにこにこしてしまうのだった。
屋烏の愛 団子(仮) @dango_ya
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