エンゲージ!! 

こたろうくん

馴れ初め

 纏った外套を四枚の翼に変え、月夜の空に舞い上がる漆黒の“魔女”、ラズ。

 その四枚と、闇に溶けるかのような黒髪を変化させた六枚目の対の翼を羽ばたかせた彼女がその手の杖を振り、呪文の刻み込まれた環が幾つも連なった先端を突き出す。


「さぁ、ザック。凌ぎきれるかな?」


 愉快そうなラズの、鈴の音のような声が木霊した。

 同時に彼女の周辺に複数出現したのは、真紅の環の内側に広がる闇。転移門ポータルだった。


 その転移門からラズが手にするのと同じ作りをした杖が差し伸べられ、ずらり並んだその先端から一斉に真紅の閃光、サイクブラストが放たれる。


「ナメやがって。見ていろ、今日こそは……必ずだ!」


 赤色に照らし出された闇の中、地上に降り注ぎ大地を焼き、吹き飛ばして行く破壊の閃光の雨の中をそれは忌々しげな言葉を残し右へ左へ、跳び回りながら駆け抜けた。


「その愛らしい姿で……厭きぬヤツだ」


 闇同様に照らされるその姿。ラズがその目を細める。

 全身を灰色の長い体毛で覆い尽くし、脚は常に爪先立ちをしているのと、異様に長い土踏まず故か膝が逆に曲がったように見え背中は丸く、肩から先に繋がった腕は肘から先が肥大化しその五指を備えた手には鋭利な鉤爪が並ぶ。

 長い鼻、鋭い牙に目付き、そして頭頂部でピンと立った耳。


 狼男ウェアウルフ

 より正確には犬と猫の混血種である彼はそれに劣るが、純血種と比べ華奢ではあるが小さい体は犬同様速く機敏で、猫のように柔軟。

 猫の耳は自在に動き、背後から迫る閃光が空を焼く微かな音も逃さず捉え方位も違えない。


 犬猫けんみょうの彼、ザックは跳躍すると共に身を捻り、自身に迫る光芒の数々を紙一重で躱す。

 だが直撃こそ無かったが、手足やその内側、脇腹だとか閃光が通過した箇所の体毛が焦げて煙を上げていた。

 男前が台無しだと彼は落胆しつつ、猫の立ち直りよろしく再び宙で身を捻ると両手足を地面に向けて着地を成功させる。


 着地した四つん這いの姿勢のまま、まこと畜生の如くぐわりと上を向いたザックは、その黄金瞳目一杯に瞳孔を広げ、月を背に相変わらず高いところから人を見下ろすラズの真紅瞳を見詰めた。

 彼が犬のように唸り、黒い唇を剥いて鋭い牙を外気に曝す。


 直後、ザックを取り囲むように無数の転移門が開いた。

 環の内側の闇に紅い光が灯る。すぐにでもサイクブラストの閃光が溢れ出すことだろう。ザックはそうなる前に、四肢を屈め力を蓄える。


 そして紅が瞬いた刹那、ザックの体が風と化し舞い上がった。その残像を幾重にも交差したサイクブラストの閃光が八つ裂きにする。

 驚異的な跳躍力で、ザックの獣としての姿が空の魔女へと迫った。


 薄ら笑いを浮かべたラズが杖の先端に紅い刃を纏わせ、槍か剣のようにして振るう。だがザックはそこでも猫のようなしなやかさで上体を捻り振るわれた刃を避ける。

 そのまま更に体を捻り続け、再び姿勢をラズに向かう形に正した彼は、爪を引っ込めた両手の五指で彼女の両腕を掴み上げ宙の彼女に組み付いた。


 そうして、ついと杖を手放したラズは自らも落ちて行く杖と同様に、そしてザックと共に落下を始める。

 その勢いは重力のままに落ちて行く杖と違い緩やかであった。魔法の翼の作用であろうか。


 やがて二人は焼かれ砕かれ、荒れ果てた草原の上に到達した。

 ラズの外套も翼からもとの形状へと戻り、その長い黒髪も疎らになげうたれ広がる。


 狼男と言う広い括りの中では比較的小柄な犬猫のザックではあるが人と、女性と比べればそれでもずっと巨大である。

 両手を掴まれ、そんなザックに組み敷かれたラズに脱出は普通に考えれば不可能である。ラズが非力な女性であるのならば、普通は。


「――ようやく、捕まえた」

「ふふ、そのようね。それ、で――」


 獣化に際し唸りのように濁ってしまう声でザックが言うと、しかし彼の恐ろしい面構えを前にしても余裕の態度を崩さないラズはやはり、何処か不敵な微笑みを浮かべて言う。

 ――が、それを遮るように大きく開いたザックの口から挙がった咆哮が響き渡る。


 その時ばかりは、ラズの表情からも笑みが失せる。

 牙を剥いたザックの顔が迫る中、しかしラズは逃れるような仕草一つ無く、ただ彼の顔を、その目を見詰め続けていた。

 唸り声がその音を大きくする。


 しばし沈黙が二人の間に降りる。

 するとなにやら諦めか、はたまた呆れたかのような溜め息で鼻を鳴らしたラズ。彼女の右手には密かに小さな杖が虚空より現れ握られていた。

 そしてそれを振るおうと彼女がした直後であった。ザックの大顎が開き、鋭い牙の配列が剥き出しとなった。

 ラズが息を飲む。そして――


「――一緒に、なってください」


 ザックの発した一言に、ラズから「あはっ」と間抜けた笑声が生じた。しかし何故かその表情は明るい。

 だが単純に明るかった表情もすぐになにやら生意気な笑みに代わり、ニヤニヤとした目でラズは眼前のザックを見る。

 そして彼女は顔を彼から僅かに背けると、耳を傾けるような仕草と共に「う~ん……?」と首を傾げる。

 ザックは鼻柱や眉間に皺を寄せた。獣化すると表情筋は減り、怒っているようなその顔が今の彼の困惑した表情なのである。


「だからオレと……い、一緒になってくださいって――」

「顔を見せて」


 は? ――と思わずザックが聞き返してしまうと、ラズは同じ言葉を繰り返した。

 そして徐々に獣だったザックの顔が人間のものへと変化して行く。長かった鼻は短くなり人のものへ、耳も下がると体毛も頭髪や眉を残して塵に消える。


 そうしてすっかり人の姿に返ったザックは浅黒い肌をして、しかし瞳だけは金色をした男性の姿をラズの前に曝す。

 直後、そんな彼の手を払い除けラズの両腕が彼の首に絡み付く。間抜けた声を挙げるザックであったが、迫ったラズの顔を最後にそんな声も出せなくなってしまった。

 彼女の赤い唇が、彼の唇を塞いだのであった。


「っ……こ、これってえ!?」


 やがてラズの唇が離れて行くといの一番、ザックの驚嘆が木霊する。

 そんな彼の唇や、頬に繰り返し口付けを繰り返し口紅で汚して行くラズはその後、一旦動きを止めると言う。


「無論、オッケーだ♡ 待たせ過ぎだぞっ、ザック・ザカリー・ザカライアス」

「おっ……おけ……お……ほんとに?」


 裏返るザックの声。

 頷くラズが飛び付くと、彼は力無く彼女に押し倒されてしまうのであった。


――――

――


「――あったわねぇ、そんなことも。懐かしいわ」

「オレは何も言ってないぞ!?」

「本当も何も、私を負かしてオレのモノにするって息巻いていたのは貴方なのにね。それから負け続けて幾数年……よくも諦めなかったものだわ。……そんな貴方に、結局私も絆されちゃったんだけどね」


 一人でしみじみと、巨大な鍋を前に語り続けるラズ。彼女が被っている尖り帽子だけが振り返り、そして素っ裸で磔にされているザックを嘲笑った。


 そんな帽子に対し獣化した顔で吠えるザック。

 だが気が付くと帽子だけでなくラズも彼を見ていた。


「おい、ラズベ――」

「その名前嫌いなの。それ以上呼ばないでね、ザック」


 ザックの開けた口を左手で鷲掴みにして閉ざしたラズ。更に彼女はその毛むくじゃらな彼の口にキスすると、次にずいと何やら光る紫色の液体で満ちたフラスコを突き出した。


「なにこれ」


 と、ザックが訊ねるとラズはフラスコを傾け中の液体を指につける。するとそれを一舐めした。

 その直後から彼女に何やらピンク色のオーラが立ち込める。ザックには嫌な予感がして、ラズに今度は語気強めに「なんだそれは!」と同じ問い掛けをする。


「精力超増強剤。以前作ったものの改良版にして決定版。これを飲めばたちまちにして――もう我慢利かないかも」


 赤い顔をして説明するラズであったが、それも中途半端にして彼女は磔のザックに迫った。吐息に鼻息も酷く荒く、明らかに正気ではない。


「逃げられそうにない。気が済むなら、ちょっとだけ――」

「全部飲んで」

「はあ!? 一舐めでそんな有り様なのに、全部飲んだら爆発しちまうよ!!」

「お代わりもあるから」

「ああ!? ウソ、ダメダメ!! ダメだってほんと! 頼むよお願い! ヤメ――」


 ザックの溺れたような悲鳴が響く。ラズの頭から落っこちた尖り帽子が彼女の足元でやはり笑う。そしてそれの上に彼女の纏う黒衣が落ちてきて、その笑声を曇らせた。


 いつも暗い森の中、そこにある沼の真ん中に立てられた一軒家からはいつも不気味な笑い声やら悲鳴やらが響いていた。

 今日そこを通り掛かった旅人はその時、家がピンク色の爆発を起こしたのを目撃したと云う。


 それから絶え間なく聞こえてくる“猫の鳴き声”に恐ろしくなった旅人はその場から逃げ去ったとさ。


 なにこれ。

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