自分の気持ちを言葉にするのは難しい 前編
今日はとても暖かい。
朝から事務仕事という、何時もなら面倒な事も、この春の陽気のような前では気分が良くなり、つつがなくのんびりと処理する事が出来た。窓から漏れる相も変わらず淡い光は机上の書類をほんのりと照らしている。
ふとその照らされた次の書類を見ると、どうやら黎からの依頼の様であった。
「しまった、これ今日のだな」
書類には一人の少女の履歴が記されている。何故か顔写真だけが貼られていない。
書類の概要に軽く目を通しつつ、門が開く予定を思い起こす。記憶が正しければ、門が開くまで二、三日はあるはずだ。今日見送りの仕事が来るのはおかしい。もしかしたら緊急の仕事かもしれない。どちらにしろ急いだ方がいいだろう。
持っていた書類を読むのもそこそこに屋根裏部屋へと続く箱階段の収納から貴重品を取り出す。
「初、龍、見送りに行ってくる、すぐ戻るから留守番を頼むよ」
そうして忙しなく一階へ箱階段を使って降りる。
「いってらっしゃいませ」
初からは直ぐに返事が返ってきた。龍の声が聞こえないが、ここでもたつくわけにもいかない。羽織を掴んで、階段を降りながら着る。
「ん?………ねぇ薺、これさ───」
龍が何か言いかけたようだが構わず共用玄関に向かい、草履を履いて飛び出していく。無視する様な形になってしまったが仕方が無い。後で謝っておこう。
店番をしていた宇留志を勢いよく横切った時、宇留志は驚きつつも声を掛けてきた。
「おぉ!?薺気ぃつけぇや!あんま急いどったらコケんで!」
「はーい、いってきます!」
遅れて行くと黎に何を言われるか分からない。駆け足に向かっていくのだった。
**
唖然とした。
「え……っと、つまり来て欲しかったのは初ですか?」
慌てて来てみたはいいが、真逆骨折り損になるとは。
黎が言うにはちゃんと資料に書いてあったはず、との事だ。
でももしかしたら黎が書き忘れたのかもしれない。言い訳じみているし、だっても糞もないが、自身の記憶にそんな事が書いてあった覚えがない。
「ワシはちゃんと書いたぞ。女性で頼む、とな」
黎は送られてきたのと同じ紙を見せながらそう言った。
矢張り言い訳は言い訳だ。資料を持って指摘されると言い返す術がない。
「……すみません、うっかりしていました」
素直に頭を下げるとよろしい、と黎が言う。
「取り敢えず連れて帰ってくれ。嬢ちゃん!迎えが来たぞぉー」
「はーい」
そう言って出てきたのはセーラー服の、所謂高校生らしき女子生徒であった。
だがその少女は泥という泥で汚れていた。脚に泥が跳ねている、とか可愛いものではなく、全身に茶色い泥がこれでもかというくらいこびりついていた。おまけに樽の水を被ったかのように全身水浸しだ。
これには見た瞬間思わず唖然とした。
「君がお迎えのおねーさん?同い年くらいかな?」
泥など気にした様子もなく笑って話しかけてきた。気持ち悪くはないのだろうか、いや、それ以前に何故服を脱ごうともしないのか。
「……着替えないのですか?」
「着替えが無いんじゃよ」
黎が即答する。
「だからそこのおじいちゃんに銭湯連れて行ってもらえって。初って言うんだよね?君」
そう言えば先程からこの少女、『おねーさん』『初』と完全に人違いをしている。それよりも自分は男と見られていないのがかなり心外だ、確かに、髪は少し長いが。宇留志と円にも、住み始めた最初の頃は女と思われていたが。
「………私は薺です。初ではありませんよ。因みに私はおにーさんです」
「え!?女の子じゃないの!?もったいな〜!」
ああ言えばこう言う、と言うより弾丸の様に話した事に直ぐに返事をしてくる。こういう気質の人間は余り好きではない。良くも悪くも、女性らしい女性はそこ迄好きになれない。姦しい、という字の通りと言ったら失礼だが、なんというか、その文字を表す状況は頗る苦手だ。
そういう点では初や円は、それ程口達者でもない自分も一緒にいて落ち着くし、会話も無理なく楽しめる。
「では黎さん、お預かりします。此方に返したらいいですか?」
門が開くのは確か明日だ。
「いんや、出来るならそっちで預かってくれんか。その通り爺が相手をするには少々手に余る」
「分かりました」
黎が相手出来ないのなら自分達も出来ない様な気がするが、それはこの際置いておこう。
取り敢えず少女を家に連れて帰るべく、声をかけた。
「行きましょうか」
そう促すと「はーい!」とこれまた元気に返事をした。
死んだかもしれないのに随分悠長だと思ったが、空元気には見えない。若しかしたらこの少女は生きているのかもしれないと思った。
そもそも、見送りというのは妖の国に紛れ込んでしまった人間を現世、もしくは冥土に送るための仕事である。
大体この国に迷い込む人間の行動としては大まかに二つある。物凄く慌てるか、逆に異様な程落ち着いているかだ。
そう考えると、この少女は少しどころか大いに変わっている。
そしてその後、迷い込んだ人間を『門』へ送り届ける。それを自分達に仕事として斡旋してくれているのが黎だ。そして初、龍、自分を拾い、宇留志達の所に預けてくれたのも彼だ。黎への感謝はしてもし足りない。
「取り敢えず、家に帰りましょう」
そう言って少女を先導して歩くと雛のように後を着いてきた。
着いて歩く度に泥の足跡が残されていく。
周りの妖から奇異の目を向けられても少女は何処吹く風といったように歩き続けていた。寧ろ少女は顔だけ後ろを向いて歩きつつ、「めっちゃ足跡ついてるじゃん!」と能天気としか思えない発言をしている。
「……怖くないのですか?」
人型をとっている妖も多いが、人型はよく馴染まない、と伝えられた姿其の儘──つまるところ人間が伝えた人外の姿──で生活をしている者も多い。
人型と言っても普通の人間に比べるとあっと驚く見た目の方が多いが。
「貴方達人間から見ると我々は『化け物』でしょう?」
そう言うと少女は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした後、緩く、優しく笑った。
「人間の方がよっぽど怖いよ」
そう言ったと思うと直ぐに満面の笑みに戻り「まだ〜?めっちゃ遠くな〜い?」と、また初めて会った時の能天気な態度に戻った。
もうすぐ着く旨を伝えながら、一瞬垣間見えた少女の闇に少々興味を持った。
**
数分歩くと段々と家が見えてきた。
「着きますよ」
指で指し示す。
「うお!めっちゃ和風!二階建て!」
そう言って子供のように走っていってしまった。それに合わせて泥や水が走る振動でぼたぼたと落ちていく。相当乾いたはずと思っていたのだかどうやらそこまででもないらしい。
ここでの姿は現世での姿に大きく影響を受ける様なのでそのせいかもしれない。若しかしたら今日の現世は雨かもしれない。
宇留志は新聞を取っていたはずだから見せてもらおう、と予定を立てていた時、丁度店番をしていた宇留志が出迎えてくれた。相も変わらず着物にスカジャンと何とも言えない格好である。
「おう!薺おかえり!」
やけににやにやしながら迎えられた。
これはきっと失敗に気づいている。初は自分の事に余り関心が無いから失敗に気づいても宇留志には話さない。多分言うとしたら龍か円だろう。そう言えば行く時の龍が何か言いかけていた。失敗に気がついて教えてくれようとしててたのだろう。人の言うことは聞いておくものだ。
「お疲れ。お前は女みたいな見た目やけど女ちゃうからな………。次から気ぃつけや」
「分かってますよ」
案の定絡んできた宇留志を軽くあしらう。この人のそういう所は少し苦手だ。
しかし次に見た時には、宇留志は少女に目を向けて、人好きのする笑顔を浮かべた。だがこれは余所行きの笑顔だとひと目でわかる。
「初が準備してくれてるからそのまま連れてって貰い。そんな泥んこ塗れんのは気持ち悪いやろ」
少女はその笑顔を少し訝しげな表情で見つめた。意外と察しの良い子なのかもしれない。
「……おじさんありがと〜!」
「礼を言うのは初に言いや、俺は何もせえへん」
しかしその後はたと動きを止めて自分を見た。
「でも門開くのて明日やない?今日のは終わったやろ?」
首を縦に振って肯定する。
「なので一晩だけ家に置きたいと思っていたのですが………大丈夫ですか?」
「嗚呼、ええよそんくらい」
快く了承してはくれたが、続いては何処に泊まらせるのか悩む。
寝室は円と宇留志で一部屋、初と龍と自分で同じく一部屋である。少女を円と宇留志の部屋に放り込むのは流石に気が引ける。だからと言って自分達の部屋に放り込むのも少し可哀想な気もする。
少女は不安そうにこちらを見ている。一晩とはいえ余り気を使わせるのは宜しくない。出来るだけ一人の部屋を提供したい。
どうにかならないものかと暫く家の間取りを思い出しながら考えていると、一つ心当たりを思い出す。
「宇留志さん、客室使ってもいいですか。玄関を入って右手の奥の」
「ん?空き部屋?ええよ、使い」
いつの間にか店番用の椅子に移動していた宇留志から返事がきた。新聞を開きながら話しているからか生返事気味だが、一応言質は取った。使わしてもらおう。
「私の部屋!?おにーさんありがと〜!おじさんもね〜!」
そう言いながら宇留志に向かって手を振る。宇留志はそれに少し微笑んだだけでこれといった反応は示さなかった。
「薺さん、代わります」
肩を叩かれる。そこには当初の予定であるはずだった初が立っていた。
その顔は相も変わらず無表情だ。
「ん!?今度こそおねーさん!?めっちゃ美人さんじゃん!」
そして此方も相変わらずである。
そんなに喋って疲れないのか。若者の行動は些か理解し難い。
「うわぁ、顔の造形がマジ神ってる。おにーさんも神ってるとは思うけどそれとはまた違う……!」
目の前で怒涛の速さで話続ける少女を前に初は戸惑っている。滅多に自分に助けを求めない初が珍しく此方に目で助けを求める。少し笑って小さく首を振ると、使えないと言いたげな渋い顔をされた。
「わ、分かりましたから、落ち着いてください」
そう初が言うと少女はやっと静かになった。だがしかし、きっとそれは只の一時停止に過ぎない。また暫くしたら、次は龍か円に対して叫び始めるだろう。
「おっと、ごめんごめん!つい興奮しちゃった!おねーさんお風呂連れてってくれるんでしょ?よろしくお願いします」
戸惑っている初に向き合って行儀よく礼をする。
「……いいえ、もうこれ以上は興奮なさらないでくださいよ」
呆れたよう初が言うと少女が「ごめんなさ〜い」と頭を搔く。長い髪についた泥がぼたぼた落ちた。
「でもおねーさん美人さんなのは本当だからね!おにーさんもそう思うでしょ!」
真逆自分に会話を振られると思わず、もう用は済んだ、と家に引っこみかけていた。動きを止めて初を見る。
「それはもう」
微笑んでそういうと初ははぁ、と一つ溜息をついた。
「ご冗談を」
「本当だよ」
笑ってそう言うと、初はバツの悪そうな、何とも居た堪れない顔で此方を少し睨む。
「……おにーさんとおねーさん付き合ってるの?それともおにーさんが軟派男なだけ?」
「後者の方です」
即答。随分な言われようだ。
「失礼な。私には………心に決めてる人がおりますのに」
静かに胸に手をあてる。生ぬるい温度が手に伝わってくる。
「えー!超一途じゃん!」
少女が何だか楽しそうにはしゃいでいるのを微笑ましく見守る。やはりお年頃の子は色恋が好きなのだろうか。
初が呆れたようにそれよりも、と話し始めた。
「何時までもその格好では風邪をひいてしまいます。銭湯、早く行きましょう」
「そうですね。いってらっしゃい」
「はーい!」
大きく手を振りながら、少女は初と一緒に銭湯に向かって歩き始めた。
暫く見送った後に二階の事務所兼自宅に向かうべく、共同玄関に行く。
「薺、今日も一緒に飯食うから作っといてくれへん?ここの店番終わったら俺も手伝うから」
新聞から顔を上げていた宇留志が言う。特に断る理由もないので快く了承しつつ、草履を脱ぐ途中に思い出した。
「宇留志さん、現世の今日の天気は何ですか?」
宇留志は新聞の天気の欄を見ながら答えた。
「………雨みたいやで。どしたん、急にそんな事聞いて」
「いえ、先程の少女について少し気になって………泥と水と言ったら雨が思い浮かんだので」
「そうか」と宇留志は新聞に目を落としたまま続けて言った。
「あんま情もったらアカンで」
「………分かってますよ」
今度こそ草履を脱いで夕飯の仕込みをするべく台所に向かった。
妖の国 麗月 @reigetu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。妖の国の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます