病、あるいは神話

たけむらちひろ

病、あるいは神話

 少し昔、ある都会の外れに一人の女の子が生まれました。

 小さな頃から、彼女はワクワクするような冒険や友情に溢れた物語が大好きでした。そういう世界に自分が登場する空想にひたっては、ぶつぶつとうわ言を言っているような、とても大人しくて、とっても奇怪おかしな少女でした。

 だから、友達は出来ませんでした。

 仲間との友情どころか、冒険に出るその前に、旅立ちの村が敵だらけになってしまったのです。

 思い描いていたのとは違う登場人物達の手によって彼女の下駄箱はゴミ箱になり、ランドセルでは半分死んだ虫が蠢き、『死ね』という挨拶に笑いを表す文字が続いたメッセージをたくさん受け取るようになって、教室に入ろうとすると『帰れ帰れ』と合唱されるようになりました。



 優しい教師は、本気で彼女の事を心配してくれました。

 愛情あふれる両親は、喋り方を教えてくれる先生の元に連れて行ってくれました。

 大人たちは、決して彼女が悪いとは言いませんでした。

 それでも、自分には何かが足りないのだと彼女が理解するのには十分でした。

 彼女の様な不適合者を括る『妄執病』という概念など、作られてもいない頃の話です。

 やがて小学校を卒業すると、特別に勉強ができた彼女は遠くの優秀な中学校に入学することになりました。

 学校の最寄り駅を乗り越して、更に遠くの図書館へ通うことが増えました。本は、彼女を受け入れてくれました。喋るのが苦手な彼女にも、たくさんの事を話しかけてくれるのです。そうして本棚の端から順番に読破していった本によって、彼女は『神話』に興味を持つようになりました。

 妙に人間臭い神様の姿が、実に滑稽に思えたのです。


 いつしか彼女は、机に向かって自分だけの神話を書くようになりました。

 真っ白なノートに、幾つもの神と、幾つものエピソードを夢中で書きつけます。

 それは、彼女が生み出した彼女だけの世界。裏切りも不倫も争いも無く、どこか足りない神様達が互いに助け合いながら生きていく幸せな世界。

 学習机に広げたノートの上が彼女の遊び場であり、生きがいであり、そここそが彼女の生きる場で、それが世界の全部でした。

 そして彼女は考えます。本当は現実だってこうなんだと。この素晴らしい世界を、どこかで少しずつ写し間違えてしまっただけなのだと。

 だから自分は喋るのが下手なのだと。こんなに苛立ってしまうのだと。孤立するのだと。人はいがみ合うのだと。一体何がこの自分と理想の自分を隔てているのだろうかと。自分の何が駄目なんだろうかと。

 この世はどこで何を間違えたのかと。


 考えて考えて、紙が足りないから家の壁いっぱいに文字を書きました。

 誰にも読むことのできない、彼女が生み出した神の文字で。思い出したくもない思い出や、どうしようもないくらいに悲しくて腹が立った事などを。黒の文字に赤が混じり、黄色が重なり青がやってきて。世界が色付く様でした。


 そうこうするうち、彼女は自分を構成する十二の感情にたどり着き、それら一つ一つを司る神々と彼等の物語を作り上げていきました。

『喜び』『怒り』『哀しみ』『嫌悪』『劣等感』『嫉妬』『後悔』『幸福』『欲望』『空虚』『孤独』『愛』

 左手、左足、左胸、右胸、右足、腹、両肩、両腰、首、額、そして最後に、余った自分の利き腕に衝動的に十三人目の神の名を彫り上げた時、彼女は部屋を覆い尽くした神話こそが正しい世界なのだと確信します。


 自分が、自分であると証明することが出来た気分でした。

 心の中に芯が出来ると、人は優しくなれるモノです。


 そうして彼女は考える様になりました。

 理想の世界のために自分は何ができるのかと。

 優秀な高校を卒業し優秀な大学に通う間、彼女は信じられないくらいの金を稼ぎました。

 大ブームとなる小さなゲームやアプリを開発し、投資し、様々な賞金を稼ぎ、考え得るすべての方法と時間を使って必死になって働きました。心配ばかりかけた両親を何の心配もいらない素晴らしい施設に入れてあげてもまだまだ十分な金が手元に残りました。


 本気でやれば誰にでも出来ることのはずなのに、努力を忘れた人々は彼女を称賛し、妬み、物乞いをするようになりました。

 だから彼女は、金の無い奴に金を与え、仕事の無い奴には仕事を与え、寂しがる人に笑顔を振るまってあげました。すると、感謝され、あがめられ、彼女の周りにはあっというまに人が群がるようになりました。簡単な事でした。

 それでも、彼女には友達がいませんでした。


 人の間に堕落してしまった人間達には手の届かない知性と名声と孤独と狂気が彼女にはあったから。せっかく良くしてあげたのに、彼女の元を離れようとする者や、彼女を悪く言う奴までいる始末。

 それでも彼女は、自分が悪いのだと思いました。自分がもっとうまくやれば、上手にやっていさえすれば、もっと仲良くなれたのにと思いました。彼らを理解できず、愚行に走らせてしまった自分が全て悪いのだと。

 だから、彼らの心を少しでも知ろうと彼女は犯罪者の精神に関する書物を読み漁りました。中でも特に気に入った『思い込みや妄想的不安から社会的に孤立し、同類との共感・限定的交流という生活を通じてその妄執が生活に支障をきたす程に根深くなってしまう社会病』というニッチな『妄執病』の概念をもがき苦しんでいる人間に与え、自分を肯定して生きられる場所を与えてあげました。それだけで、とてもたくさんの人が彼女の下で生活を送るようになったのです。

 嬉しかった。

 涙が出る程嬉しかった。

 自分に救われたと言ってくれる彼等を見て、本当に救われたのは自分なのだと気が付きました。

 そして彼女は、目の前に広がる暖かな世界を『箱庭ガーデン』と呼ぶことに決めました。

 そこではみんな幸せでした。

 きちんとした教育が与えられた子供達には笑顔が溢れ、森の中を駆け回る彼らを見る大人達も笑顔でした。みんなみんな、幸せだったのです。


 そうして、もっと多くの人に認めてほしかった彼女は、もっとたくさんの人に褒めてもらいたかった彼女は、ガーデンを外に広げようと考えるようになりました。

 この快適で幸せな空間を、もっと多くの人に知ってほしかったのです。

 彼女にとって、ガーデンの外側は呼吸をすることすら苦しいような空間だったから。大嫌いだったその世界にも、同じ様な思いの人たちがたくさんいることを知ったから。

 あの人達も、仲間みんなに入れてあげようと思ったのです。

 どうすればあの人達がこっちに来ることが出来るのかをたくさん考えて、彼女はガーデンと外側を隔てていた柵を壊してあげることにしました。

 そうしたら、世界中が幸せになれる。

 自分が統治するこの愛の庭が世界に広がったとき、世の中はとても快適になると考えたのです。そうするべきだと思ったのです。人は、一歩先へ進むべきだと考えたのです。彼等ならば、精神的に進化する事が出来ると思ったのです。



 そのために、彼女は十二人の御使いを用意しました。

 彼等は皆、彼女の世界ガーデンで生まれ育った優しい子供でした。

 神聖な儀式を終えて十三の神の頂点たる『愛』の神イリアラとして生まれ変わった彼女は、かつて作った大切な神の御名とそれに相応しい武器を子供の一人一人に与えました。

 世の中に蔓延る偏見と誰も彼もの中にある悪を討ち滅ぼして確固たる正義と善を取り戻し、皆が笑顔で幸せな庭を作るため。自分の分身である彼らの手で革命を起こすのです。


 手始めに、優秀な技師が作成した便利で愉快なコミュニケーションアプリを無料でばら撒き、数年後に行動に移しました。罵詈雑言と美辞麗句を使い分けて仲間を作り始める《疑心暗鬼》と言う名のその素敵なウイルスで、回線や電波を通して繋がっていた世界は混乱し、遮断され、見せかけのつながりはあっという間に崩壊しました。


 その頃、人はあまりにも広く繋がりすぎ、足並みは早くなりすぎていたのです。一部の人間が転ぶだけで、経済や社会などの『人の繋がり』という物は連鎖的に崩れていく物だと知りました。

 そうやって転んでしまい、指をさされて笑われる人と誰にも相手をされないまま置いてきぼりになってしまった人達を助け起こしながら、ガーデンの革命は続きます。


 せっかく作り上げた便利な柵を守ろうとする人の手によって、たくさんの罪の無い血が流れました。

 どの人の死にも、イリアラの目からは涙が溢れました。

 いつか自分の世界が広がって、その中で誰かが別の柵を作ろうとしても、自分は決して仲間達に血を流させるような事はしないと涙ながらに誓いました。


 それでも、古臭い神話の様にその涙が誰かにとって都合のよい奇跡を起こすことは無く。

 ご存知の様に、長い抗争の末、彼女の庭は暴力によって蹂躙されました。

 彼女が想い描いた現代の神話は、夢物語のまま終わることになりました。



 これがガーデニズムと呼ばれたあの運動の全てであり、また私の中で息づく彼女の人生の全てでもあります。


 闘争の日々が終わり、この世の常として、勝利者達の手によって彼女達は悪とされている事でしょう。

 私自身、テロルという単語が幾度もメディアを賑わしていたのを知っています。

 ですが、あの儚い夢物語の間、ただの一度も、人を殺すことが目的だった事はありません。彼女達が行ったのは、あくまでもあの錆びついた柵の破壊でした。それでも、実際にあなた方の大切な誰かの命が失われた事をとても悲しく、申し訳なく思っています。

 公に『死ね』と言われるようになった今でも、彼らの人生を想う度に涙がこぼれます。

 あなた方が彼女を恨むのはもっともです。

 それらの悪意が、どうかこの身の死によって浄化されますように。


 願わくば、あの庭で笑っていた子供達が、幸せな人生を送れますように。暴力に利用され、巻き込まれる事がありませんように。そちら側の世界に放たれた彼らが、『死ね』とも『殺せ』とも命じられることがありませんように。

 鉄の柵に囲まれ随分と小さくなった庭の中で、それだけを、他でもないあなた方に祈っています。 

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