Panとさんと僕

井筒 史

Panとさんと僕



ネット上で、ある「パントマイマー」が有名になりつつあった。







僕と“Panとさん”の出会いは小学生の頃。

母と電車に乗るため最寄りの駅の改札口に向かっていると、バスターミナルの横にある広場に不思議な装いの人が立っていた。


仮面をつけて帽子をかぶり、白色のカッターと黒のズボン。そしてサスペンダを付けている人は、「道化師ピエロ」のよう。小学生の僕はビジュアルから衝撃を受けた。


初めて見たパントマイマーに、僕は恐怖心を抱いた。一瞬たりとも微動だにせず、ただひたすら立ち止まっている。その光景に多少なりと疑問を抱く余裕はあったものの、不気味な真っ白い仮面に不信感を抱いた。



「母さん、あれ何?」


「ああ、パントマイマーよ。ほら、足元にお金を入れる場所があるでしょ?あそこにお金を入れると、動いてくれるわよ」


「そ……そうなんだ」


「……見てみたい?」


「えっ?」




母は僕の顔を見ていたずらっぽく笑う。




「いやいやいやいやいやいや」


「よし、行こう!」




僕の意見はまるで無視。母は僕を押してパントマイマーの目の前に立たせた。周辺には足を止めている人達もいる中で、母はあえて僕をパントマイマーの目の前に立たせたのだ。近くで見上げるとさらに怖さが増す。




「やめようって!やめようって!」


「いーからいーから」




母のやる気スイッチは入りっぱなしだった。そして母は、お金を入れた。


すると、その瞬間僕の目の前にいるパントマイマーが動き出した。そして僕に一礼をした。先ほどまでの恐怖心が一瞬消え、動いたことに少しだけ感動した。


と、パントマイマーは僕の前で「パン」と手を叩いた。僕は驚き、身体を仰け反る。


僕の顔をまじまじと覗き、僕を触ろうとするが、まるで僕の周りに見えないバリアーが張られているように“触れない”と困っている。


僕という存在のほんの数センチの空間で、この人は不思議な世界を作っている。その感覚を、“感極まった”と表現するほど、当時の僕は年齢は重ねていなかったが、胸に突き刺さったような感動を覚えたのは間違いない。


そして、僕の目の前のパントマイマーはジェスチャーでこう言っていたような気がした。




「きみの・まねを・するよ」



すると、広場をゆっくりと歩き続ける。ただの平坦としたアスファルトなのに、まるで階段があるように、上下に上り下りを繰り返す。腕を振り、所々上りでは疲れている様子を見せたり、しかし下りではタタタッと楽しそうに降りる様子を見せた。


その光景に周りの観衆も「おおっ」と声を挙げている。そして僕は、ただ人が歩く道で、あんなにも世界を作り出すパントマイマーに驚き、僕を真似てくれていることに感動した。僕の心を読んでくれているかのようだった。


その時のことを母は今でも忘れられないという。僕が夢中になってパントマイマーを見ている時の様子はとても楽しそうだったと。あの時百円玉ではなく、千円札を入れて本当に良かったと。


そして、パントマイマーは所定の位置に戻り、あれだけ歩き続けていたのに、息一つ切らさずにピタッと動きを止めた。


僕の恐怖心は完全になくなり、この不気味な仮面をつけた人を“Panとさん”と呼ぶようになった。





通学していた小学校で、Panとさんと会った次の日、友人に話をした。クラスの友人たちは一斉に食いつき「会いたい!」というものの、僕だってその日初めて会ったばかりだったので、Panとさんが毎日いるかどうかがわからず、曖昧な返答しかできなかった。




僕はわけあって、定期的に母と電車に乗る機会がある。そんな僕でもPanとさんと出会ったのはその日が初めてだったのだから、知らないのも無理はなかった。



「なら、Panとさんを見つけた人が連絡するってのはどう?」



一人の女子が提案し、みんなは賛同した。


その日から、Panとさんの目撃情報が、家の電話で来るようになった。初めてPanとさんを見るクラスメイトの中には「むりー!」と顔面蒼白になり逃げだす者もいた。Panとさんに入れるお金は、その日に集まったクラスメイト同士が持ち寄って、一人10円ずつ入れる。そうすると、Panとさんはいつものように一礼をし、「パン」と手を叩いてパントマイムをするのだ。


しかし、クラス中がPanとさんに夢中でブームになったのも2か月ほど。次第にクラスメイトは飽きてしまい、Panとさんを見る者はいなくなっていく。僕は、定期的にとは言わないが、ブームが去っても母と一緒にPanとさんに会いに行っていた。


Panとさんに月に2~3回会えたら良い方だったが、電車に乗る前にPanとさんがいるとわかれば、お小遣いを入れてパントマイムを楽しんだ。




「きみの・まねを・するよ」

その日は、空を飛んでいた。足が浮いているように見えて、手をパタパタと仰ぎ、羽を羽ばたかせている。


「きみの・まねを・するよ」

またある日は、見えないお店の中で買い物をしている様子を再現した。食べ歩きをし、店内のおいしいものを物色しているようだった。


「きみの・まねを・するよ」

別の日には、広場が海になっていた。空中が水中で、飛び込んで遊泳し、優雅に泳ぎ切っていた。


「きみの・まねを・するよ」

テストで100点が取れなかった日は、机の上で勉強をし、立ち上がっては壁に頭をぶつけて悩んでいる様子を再現した。どうして僕が50点を取ってしまい落ち込んで頭を机にぶつけていたことを知っているんだ。


「きみの・まねを・するよ」

目に見えないボールをリフティングする。そして今にも見えそうなゴール先にシュートを決める。点が入り、周りの仲間とハイタッチをする。


どれも、Panとさんは僕を見立ててパントマイムをしてくれた。それが、僕にとって勇気をもらえるきっかけにもなったし、何よりこんな変哲もない駅の広場で素晴らしい喜劇を僕に向けて演説してくれることがうれしかった。





そして、僕は中学生になった。僕は中学生になって勉強も部活動も忙しくなった。見る時間が少し遅くなるけれど、毎日夜の23時までPanとさんは広場で僕を待ってくれているような気がして、僕は毎日現れるわけではないPanとさんがいるかどうかを確認することも日課となった。





「悟。突然なんだけど、引っ越しをすることになったの」



父と母が離婚することになった。中学生の果敢な時期に両親は何を考えているんだと思っていたが、小学生のころから父と母の仲の悪さはよくわかっていたため、離婚の現実を突きつけられても動揺することはなかった。


だけど、引っ越すとPanとさんと会えなくなる。母の実家は隣県のため、わざわざ会いに来るにも遠すぎるし、仮に会いに行きたくても、僕は母や大人の手を借りなければ来れない事情があった。会いに行くだけでも、たくさんの人を巻き添えにするから、一人ではどうしようもできない。



「どうしよう」



僕は、Panとさんに伝えなければと思った。






引っ越しの一週間前までは準備や転校の手続きでドタバタだった。同級生ともお別れの挨拶を済ませ、落ち着いたころにPanとさんに会ってきちんと言葉で伝えなければならないと思い、母に相談し、お願いして引っ越しの日までの一週間の間だけの期限付きで付き添いをお願いした。


母は、快く了承し、僕は学校が終わってから母と広場に向かい、Panとさんが現れるのを待った。





1日目、現れなかった。


2日目、現れなかった。


3日目、この日は土曜日だったので朝から待ったがこなかった。


そして4日目。


Panとさんがキャリーバックをもって現れた。



僕は息をのんだ。



いつもは、僕がPanとさんがすでにいる場所に向かうため、反対にPanとさんが現れる姿を見るのは新鮮だった。もう仮面をかぶり、完全装備の姿でキャリーバックを引きずり、所定の場所で準備を始めていた。




僕は、ゆっくりとPanとさんに近づいた。


Panとさんは僕の姿を視界に入れたようで、少し驚いた様子で肩を一瞬だけびくつかせたが、準備ができたようですぐに動きを止め、いつもの態勢になった。



僕は、Panとさんの目の前に立った。今日も母も一緒だった。


そして、母にお金を入れてもらった。


Panとさんが動こうとした。そこで僕は「パン」とPanとさんの前で手をたたいた。




「あなたに」指をさした。


「お礼が」手を合わせて。


「したいです」手を膝にのせ、頭を下げて一礼をした。






Panとさんは僕の動きを見て、右手を右耳に添えて「なあに?」と尋ねてきた。




「今までたくさんの勇気をくれて、ありがとうございました。」



母が持っていたスケッチブックをもらった。僕はあらかじめスケッチブックに書いていたPanとさんに宛てた文章を見せながら、声に出さずに僕なりのパントマイムを見せようとした。たくさんの言葉や気持ちを伝えたかった。下手なりに、伝えきれない表現が難しいものは文章で添えながら、僕なりのパントマイムを、一枚ずつめくって伝えたかった。




「僕は空を飛べないけど、それでも人の目線に立ってみたいといつも思っていました。」

手を大きくはばたかせた。


「買い物に行くときも僕一人では高い棚の商品が見えない。だから楽しそうな買い物をしたいと思いました」

買い物かごを持った素振りをした。


「水中ってああやって泳ぐんだなって、僕も泳ぎたくなりました」

腕を振り、クロールを泳いだ。


「僕が壁に頭をぶつけるほど悔しい思いを、一緒に分かち合ってくれてありがとうございます。机じゃなくて、もっと高い壁にぶつけたかった」

見えない壁に、頭をぶつけた。


「サッカー、できるようになりたいって思いをわかってくれてありがとうございます」

僕は、動かない足を、動かそうと上半身を懸命に動かした。



「こんな僕に、夢を与えてくれてありがとう。僕、絶対に歩けるようになります!」



車椅子生活に嫌気がさしていた僕。電車で通院を余儀なくされた時、Panとさんと会う前は人生に希望を持てなかったし、僕には夢を持つ“限界”があると勝手に思っていた。


でも、Panとさんが僕の夢をかなえてくれた。希望を、目の前で見せてくれた。


Panとさんは、僕のパントマイムと手紙を見てくれた。じっと、立ったまま。




そして、僕はPanとさんに宛てたスケッチブックを閉じて、Panとさんに渡した。Panとさんは受け取ってくれた。








結局大人になった今も、僕の脚は動くことはない。先天性で生まれつき歩けないことが分かっていたが、今でも可能性があるならとリハビリに励んでいる。


たまたま家のパソコンを閲覧していたら、ふと話題沸騰中のネット記事で、パントマイマーの内容が書かれていたものを見つけた。


あの時のPanとさんは、今もあの広場で通行者にパントマイムをしているというニュース。




その記事にまた、僕は勇気をもらったのだ。

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