15-九月二日(金)
「──…………」
多量の情報が脳に転送され、二秒間ほど動作を停止する。
タイム・タイム使用総計:五十七回
九丹島ミナトの死亡:二十七回
東尋坊あんこの死亡:十四回
狸小路綾花の死亡:六回
永久寺八尺の死亡:一回
折り畳まれた蛇腹状の時間でなにが起きたのか。すべて把握した。
続いて現状の把握へと移る。
視界に映るものは、書棚と、窓。図書室の光景。手元には〈東尋坊 あんこ〉へと発信し続ける携帯電話と、弦の引かれたコンパウンド・クロスボウがある。
巻き戻された時間は、およそ十分と推測できる。
「くたじまさん?」
佐藤うずらが九丹島ミナトを呼ぶ。
返答する意義はない。
コンパウンド・クロスボウを右手に、携帯電話を左手に持ち、立ち上がった。
窓へと身を寄せ、外を見る。
図書室の位置からでは、校門を視認することはできない。
東尋坊あんこが電話に応答するまで、待機。
「──…………」
口角を吊り上げ、笑顔を作る。
表情筋が固い。九丹島ミナトがほとんど表情を変えなかったためだ。
習熟が必要である。
以降、基本的な表情を笑顔と定める。
「──くすっ」
佐藤うずらが笑う。
反応する意義はない。
『──ミナトッ!』
約二分後、東尋坊あんこが電話を取る。
「あんこか。今どこにいる?」
『こっちのせりふだよ! ミナト、学校のどこにいるの!』
「学校? ハハ、なに言ってるんだ。【僕は今、家にいるけど】」
『えっ──?』
「えっ、じゃなくてさ」
『だ、だって! 今学校にいるって、さっき!』
「ハハ、それはお前が途中で遮るからだよ。【学校の帰り、って言おうとしたのに、その前に切っちゃってさ】」
『えっ……、えー?』
「ハハ、なにを焦ってるのか知らないけど、さっさと帰ってこいよ」
『ミナト……あの、ほんとにミナト?』
「僕がミナトじゃなかったら、誰がミナトなんだ?」
『あ、うん。……じゃあ、いまから帰るね』
「ああ、気をつけろよ。お前も女の子なんだからな」
『……うん。じゃ、ね』
通話終了。
これで東尋坊あんこの死は回避された。
続いて佐藤うずらの殺害だ。
携帯電話をポケットに仕舞い、佐藤うずらへと近寄る。
「くたじまさん? なにする──ごぼッ!」
言葉の途中で、鳩尾に前蹴りを入れた。
──ドンッ!
佐藤うずらの矮躯が吹き飛び、背後の書棚を揺らす。何冊かの本が降り注ぎ、横たわった佐藤うずらの体に積もる。
「ごほッ! ──けほ、げェホッ!」
咳込む佐藤うずらの顔面を、思い切り踏み抜いた。
「……──ッ」
もはや悲鳴すら上げられない佐藤うずらに、さらに何発か蹴りを見舞う。
それぞれ四肢の付け根と、いくつかの急所。
数十秒後、佐藤うずらの無力化を確認し、蹴りを止める。
そして、動かなくなった佐藤うずらの胸に、コンパウンド・クロスボウを押し当てた。
九丹島ミナトはクロスボウに習熟していない。確実に殺害するためには、ゼロ距離でトリガーを引く必要があった。
トリガーに掛かった指に力を篭める。
パスン
「──う、あ」
矢が、佐藤うずらの心臓を貫いた。
致命傷だ。
さて、この後はどう動く。まずは小林大吉を呼び出し、遺体の運搬と処理を手伝わせることが急務と言える。小林大吉は九丹島ミナトを第二の主人として敬愛している。それが殺人であれ、躊躇うことなく手を染めるだろう。
なんだっていい。
タイム・タイムがある限り、いくらでもやり直しはきく。
──タッ
書棚の上から人間が降ってきた。佐藤露草だ。彼女の身体能力なら、さして驚くこともない。逆に考えるならば、安全なルートはそこしかない、という推測も成り立つ。
「うずら! いったい、なにがあった──の……よ……」
佐藤露草が佐藤うずらの死体を視界に入れた。
「ハハ、これはまずいところを見られちゃったな」
佐藤露草が震える足で佐藤うずらの死体へと歩み寄り、そのままくず折れた。
「ウソ──よね? くたじまがうずらを殺すなんて。きっとなにかの間違い……だよ、ね?」
「ああ、【僕は殺してない】。【気づいたときにはもう、この状態だったんだ】。【僕もついさっき目が覚めたばかりだから、状況もあまり】──」
佐藤露草が怯えた表情でこちらを見上げる。
「──アンタ、だれ」
「ハハ、見ればわかるだろう? 九丹島ミナト以外の誰だって──」
「くたじまは……くたじまは、ウソなんてつかない! 手に持ってるそれはなによッ!」
右手には矢を装填していないコンパウンド・クロスボウ。
「ああ、これか」
コンパウンド・クロスボウを放り捨てた。
ごと、と音を立てて床に落ちる。
「【なんだろうと思って、つい拾ってしまったんだよ】。やっぱこれが凶器かな。ハハハ」
「──いい」
うつむいた佐藤露草が、不明瞭な言葉を発する。
「ん? よく聞こえなかった」
「もう、いい。笑うな……」
佐藤露草の全身に緊張が走る。
危険感知。
脳のリミッターを解除する。
主観時間が限りなく引き延ばされる。
佐藤露草は九丹島ミナトに向けて一歩を踏み出し、右足を振りかぶった。
佐藤露草が憤怒の形相で叫ぶ。
引き延ばされた叫び声に変換処理を施す。
『その顔で、そんなふうに笑うなァ────ッ!』
意味のないノイズだった。
九丹島ミナトは半回転しながら一歩踏み込み、佐藤露草の隣に立つ。
そして、振り上げられようとしている右足首を掴み、持ち上げた。
『なッ!』
そのまま勢いにまかせ、佐藤露草の体を床に叩きつける。
図書室の床が衝撃に揺れた。
リミッター設定。
主観時間が元に戻る。
「──が、あ……う……」
「ハハ、いきなり蹴りかからないでよ。危ないな」
言いながら、床に落ちていたタイム・タイムを拾い上げた。
有用な道具を失うわけにはいかない。
「ど──して……」
「どうして僕なんかに負けたのかって? ハハ、露草が僕に勝てるわけないだろう。だって、露草はもう、九丹島ミナトに対して本気を出せない。それだけの時間を共に過ごしてしまったものね?」
佐藤露草は脳のリミッターが焼き切れている。それだけでは説明のつかないことも多いが、九丹島ミナトも現在、同様にリミッターを解除することができる。条件が同等であれば、手加減をしているほうが負けるのは道理と言える。
「どう、して……うずらを殺した──の……」
「あ、そっちか。ハハ、ごめんごめん。先読みして勘違いは恥ずかしいね。でも、うずらを殺す理由なんて、ひとつしかないじゃないか」
佐藤うずらの死体に視線を向けた。
「一連の事件は、すべてうずらが企てたものだからさ」
「違うッ!」
佐藤露草が立ち上がっていた。
十分ほどは身動きひとつ取れないように叩きつけたはずだ。
「ぜんぶ、アタシよ! アタシがやったのよ!」
「ハハ、麗しい姉妹愛──なのかな? でも、そうだな。たとえばこれはどうだろう」
制服のポケットから、生徒手帳を取り出した。
「生徒──手帳?」
佐藤露草は、九丹島ミナトの行為を理解していない。犯人ではない。
「さっきうずらは『自分がリライターです』って言ったんだ。でも、リライターってなに?」
「りらいたー……?」
「ハハ、普通はそういう反応をするよね。答えは、手紙の差出人のこと。これは、天ヶ瀬星羅の造語、タイムリライトをさらにもじった仮称でね。昨日、僕の家にいた六人しか知るはずのない言葉なんだよ。普通に翻訳すれば、改稿者。タイムリライトと絡めて考えても、過去改竄者。けれどうずらは、手紙の差出人という正しい文意でこの単語を使った。どうしてそんなことができたと思う?」
実のところ、九丹島ミナトは制約解除前にもこの事実に気がついていた。けれど、佐藤うずらに対するテイクにより、意図的にその疑惑を打ち消していた。
「──…………」
佐藤露草は沈黙している。
生徒手帳を軽く折り曲げ、なかに固いものが入っていることを確認する。
そして、ビニール製のカバーを外し、黒いカードを取り出した。
「答えは、これ。カード型盗聴器。僕たちの会話はすべて、うずらに筒抜けだったのさ。こちらの動きも、調査状況も、トイレの音まで全部ね。月曜日、図書室でぶつかったときに生徒手帳をスって、なかにこいつを仕込み、翌日に返す。ハハ、なかなかいい手際じゃないか。スリで生きていけるかもね」
「それ以外の──それ以外はぜんぶ、アタシがやったのよ……」
「ハハ、それはさすがに無理がないかな」
「うっさい! そうったらそうなの! だから──」
「じゃあ、これはどうかな。さっき僕が図書室から出ようとしたら、うずらに止められたんだ。そこにはピアノ線トラップが仕掛けられているって。一歩でも進むと矢が発射されて、僕は腹部を射抜かれるって。あと一歩踏み出せばトラップが起動するっていう、ギリギリでだよ。これって変じゃないか?」
「どこがよ……」
「だって、タイム・タイムの遡行は、最短で五分なんだ。最短でだよ? うずらは、僕が腹に矢が刺さって苦しんでいるのを、五分間たっぷり堪能してからタイム・タイムを使ったわけ? それとも、とっくに戻っていたけど、わざとギリギリまで言わなかったの? どっちにしてもおかしいじゃないか。そう思うだろう?」
「……思わない」
「ハハ、べつにいいけどね。だって、僕はもうタイム・タイムの使用者なんだ。蛇腹状の時間の記憶も、すべて持っている。その記憶によれば、うずらはあのとき、タイム・タイムを使っていない。にも関わらずピアノ線トラップの存在を知っていたんだ。これがどういうことか、露草にもわかるね?」
佐藤露草は、大きくかぶりを振った。
「違う! 違う、違う違うッ! だってうずらは、ボウガンの弦を引けないのよ! アタシなら引ける! いくらでも、引けるッ! だから!」
「だから露草が、うずらの代わりに弦を引いていた」
「あ──……」
佐藤露草の全身から、力が抜けるのがわかった。
「タイム・タイムが使用された五十七回のなかで、八尺が殺されたのはたったの一回。あのとき露草は、タイム・タイムの使用者になったんだね。八尺を殺したのは、うずら。八尺はずっと人質だった。弦を引く代わりに八尺の安全を約束させた──と、そんなところだろう。それでも心配で仕方なかったから、露草は八尺の身辺を警護していた。第三の事件のとき、必ず八尺と一緒に姿を現したのは、そのためだね」
佐藤露草がその場に座り込む。
そして、目尻に涙を浮かべながら、言った。
「──そうだよ。アタシは、永久寺のために……アンタの命を見捨てたの。だから──だから! 恨むなら、アタシにして! うずらは悪くない。うずらがここまでおかしくなったのは、気づかなかったアタシがわるいんだから……。だから──罰ならアタシが受けるから、うずらのこと、ゆるしてあげてよ……」
九丹島ミナトは頷いた。
「ああ、いいよ」
「──えっ」
右手に持っていたタイム・タイムを調べる。
目盛りを動かすと、どちらに回せば遡行時間が短くなるのか、すぐにわかった。
不思議とあたたかな金属から、意思のようなものが伝わってくる。
「へえ。どのくらい戻るかじゃなくて、どの時点に戻るか、までなんとなくわかるようになってるんだ。これは〈悪魔と契約した〉ってのも、あながち間違ってないかもね」
「え、あの──くたじま? いいの?」
「いいって、なにが?」
「うずらを、許してくれるの?」
「ハハ、べつに怒っていたわけじゃなし」
「──なんか、今のアンタ……今まで以上によくわかんないわ」
佐藤露草が、目を細めてそう言った。
目盛りを〈東尋坊あんこの死を回避〉した時点から、〈佐藤うずらを殺害〉した時点までの中間に合わせる。
そして、タイム・タイムを引っ繰り返した。
▼ Continued...
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