13-九月二日(金)

「──ね、九丹島くん九丹島くん」

 一時間目の休憩時間、トイレから戻ってきた俺を呼び止める声があった。

「どうした、桜田」

 廊下側一番前の席でおなじみ、桜田ユリだった。

「九丹島くん。クラスを──いや、校内を代表して聞きたいことがあるんだよ」

「なんだ?」

「ズヴァリ! 天ヶ瀬さんと付き合っちゃったりしちゃってるの!?」

「──…………」

 無言で桜田のほっぺたをつまむ。

「いひゃい! いひゃいいひゃい!」

「もしかしたら、そんなことを言う馬鹿が出てくるんじゃないかとは思っていたんだ」

 思うさま伸ばして、手を離す。

 ハリのあるほっぺただ。

「だって、校門のとこでふたり並んで、しかも仲良くおそろいの眼帯までしてたら、誰だってそう思うじゃん! 言っとくけど、わたしだけが言ってるわけじゃないからね! 学校中のうわさだかんね!」

 リライターを張っている最中、やたら不穏な視線を感じてはいたのだ。

 しかも、それだけの代価を払ってさえ、結果は惨憺たるありさまだった。

 なにしろ、うずらどころか露草さえ登校してこなかったのだから。

 北口の待ち合わせ場所にも姿を現さなかったし、電話も繋がらない。

 学校にも連絡が届いていないらしい。

 結局、女子組と星羅が、放課後に佐藤家へとお見舞いに行くことになった。

 露草が嫌がるため、佐藤家は男子禁制である。

 男子組のほうは、ミリタリーグッズマニアに関する聞き込み、そして中央警察署への出頭を予定している。

「この眼帯は、本当にただの怪我だよ。なんなら見るか?」

 俺が眼帯をずらそうとすると、

「い、いやいいです! わたしケガとかそーゆーの駄目なひとだし!」

「ならどうしろと……」

「や、誤解なのはよくわかったよ。どーせ九丹島組に新たな仲間が! とかそーゆーのでしょ? いやーそんなところだひゃ、いひゃい! ひゃなひて!」

「その呼び方を定着させるなと言ったろ」

 再び桜田のほっぺたを伸ばす。

 もちろん、それほど力は入れていない。

「うう、口裂け女になってしまう……」

「痛くはしていないつもりだが」

「九丹島くんって、こういうことさらりとするよね」

「こういうことって?」

「ほっぺ引っ張ったりとか、頭なでたりとか。……この女たらしめ!」

「女たらしではないだろ」

「でも、同じこと男子にはしないじゃん」

「してたぞ」

「え、……してたの?」

「ああ。八尺とか、大吉とか」

「じゃ、じゃあだよ? こ、小林くんの頭なでたりとか──ど、どう?」

「していた。だが、どうにも八尺が嫌がってな。一般的に男子はそういった同性との接触を嫌悪するものだと聞いて、それ以来あまり積極的に触れないことにしている」

「あの変態巨人……よけいなことを……ッ!」

 なんだか知らないが、八尺が恨まれていた。

「じゃ、じゃあ! 今、ちょっと小林くんなでてみてって言ったら……?」

「べつに構わないが」

 教室内を見渡し、八尺と雑談をしていた大吉に向かい、

「おい、大吉! ちょっと!」

 と手招いた。

「えちょ! ほんとに!?」

「いや、お前がしろと言ったんだろ」

「ミナト様、いかがなさいました?」

「ああ。悪いが、すこし頭を下げてくれないか」

「? 御意に」

 手頃な位置に下りてきた大吉の頭頂部に、そっと手を乗せる。

 そして、男性とは思えないほど指通りの良い髪を乱すように、ぐりぐりと撫でた。

「……ミナト様。これは、どういった意図でしょうか」

「あー……」

 しまった、理由を考えていなかった。

「なに、いつも苦労をかけるな」

「はあ。ミナト様のための苦労など、苦労のうちには入りませんが──」

 ぞくり。

「ッ!」

「……なんだ?」

 背筋を這いまわるような悪寒に、思わず手を離した。

「ミナト様、複数です。複数のねとついた視線を感じました」

 教室内に視線を巡らすと、女子が軒並み顔を逸らしていた。

 いまいち状況が把握できない。

 桜田に視線を戻すと、何故か鼻を押さえてうつむいていた。

「桜田、なにやってるんだ」

「──…………」

 桜田が、空いている手をこちらに差し出した。

 千円札。

「何故金を出す」

「ごちそうさまです……」

「要らん、仕舞え」

「九丹島くんと小林くん、たぶんそれで生きてけるよ……」

「……?」

 俺と大吉は、揃って首をかしげたのだった。



 放課後、八尺と大吉が聞き込みをしているあいだに、俺は中学校舎にある図書室を訪ねていた。

 うずらが登校していないことはわかっている。

 カウンターに座って読書をしていた図書委員も、見知らぬ男子生徒だった。

 このタイミングで、佐藤姉妹がふたりとも姿を消した。

 偶然かもしれない。

 だが、偶然と断ずる前に、必然である可能性を吟味しなければならない。

 素直に考えるなら、なんらかの手段で俺たちの動きを察し、身を隠したということになる。

 理由はわからない。

 そこまでして、自分たちが過去改竄者であることを知られたくないのだろうか。

 だから、佐藤家へと向かわせた女子組は、実は囮だった。

 本当に知られたくないのなら、究極の手段がある。

 過去改竄だ。

 知られた瞬間、過去へ遡行し、その事実を改竄する。

 できなければ、何度でもやり直せばいい。

 だが、改竄を防ぐ方法は存在する。

〈うずらがリライターであること〉を、二人に知られないうちに断定し、その状態のまま数日を過ごすのだ。

 リライターの最長遡行時間が数日未満であれば、俺たちの記憶は確定する。

「──…………」

 適当な本を取り、裏表紙を開く。

 そこにはオレンジ色の紙袋が接着されていて、中に図書カードが入っていた。

「ハズレ、か」

 いくら蔵書が少ないとは言え、すぐに〈アタリ〉を引くとは思っていない。

 すべての本を調べるくらいのつもりで、泰然と構えよう。

 うずらは図書委員だ。

 そして、読書が好きだという。

 ならば、図書室の本を頻繁に借りている可能性は低くない。

 リライターの筆跡はかなり特殊だ。

 図書カードに肉筆で書かれたうずらの氏名と、手紙に記された文章。

 このふたつがが一致すれば、それは、うずらがリライターであることの何よりの証明となる。

 時計の音さえ床に落ちていきそうな静けさのなか、俺は淡々と作業を進めていった。


 ふと思う。

 本当に、リライターを特定する必要があるのだろうか、と。

「──……いや」

 俺は、静かに首を振った。

 リライターは俺たちの命を救ってくれた。

 その事実に釣り合うだけの返礼を、俺はしなければならない。

 たとえ、正体を知られることを、リライターが嫌がったとしても。


 制約3「平等でなければならない」


 人間・九丹島ミナトは、この制約を破れない。

 この場合の平等とは、必ずしも〈生きとし生けるものへ等しく愛を〉などという世迷い言を意味しない。

 それは不平等だ。

 自分を愛してくれる両親と、見知らぬ他人。

 同じだけの愛を注ぐなら、明らかに両親が馬鹿を見ている。

 だから、俺にとっての平等とは、ギブとテイクが均衡している状態を指す。

 与えてもらったぶんだけ、与える。

 テイクがなければ、ギブもない。


 平等でなければならない。


 そうしなければ、俺は人間でいられないのだから。




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