09-八月三十一日(水)

 四人で雑談しながら通学路を行き、校門をくぐって下足場で靴を交換する。

 そのとき、八尺が小声で尋ねてきた。

「……ミナトくん。やっぱ、長引きそうかな」

「露草のことか」

「うん。挨拶はしてくれたし、話を振ったら返事してはくれるんだけど──」

「蹴ってはくれない、と」

「人をドMみたいに言わないでくれるかな! あながち間違いではないけどさ!」

「正直なところ、よくわからないんだよ。昨夜LINEしたときは、ちゃんと返信もあったし、怒っている様子もなかった。だから、喧嘩をしているわけじゃないのは確かなんだ。わだかまりが完全に消えていないのかもしれないが……」

「ふうん……」

 八尺がつるりとあごを撫でる。

 考え事をするときの癖らしい。

「──くたじま」

 振り向くと、そこに下を向いた露草がいた。

 顔は見えない。

「露──」

 俺が名前を口にしかけたとき、露草のカバンがタイルの上に落ちた。


 とすん。


「──草?」

 露草の頭が、俺の胸に収まっていた。

 抱きしめられている。

 そう気づくまで、数秒の時間を要した。

「どうし──」


「───────────────────ない」


 そう告げた途端、露草は俺の胸を軽く押し、離れた。

 そして、目を丸くしている八尺とあんこを尻目に、教室へと駆け出していった。

 露草の残した言葉。

 俺の脳は、壊れたラジカセのように、その言葉を再生し続ける。


「─め────タ──────────ら─ない」


「──んね────は、────を助─られない」


「ごめんね。アタシは、くたじまを助けられない」




「なら、逆に問おう。俺がその程度の理由でプライバシーを漏らすような人間だったら、お嬢は内密の話をしようと思うか?」

「……う」

 お嬢が言葉に詰まる。

「お嬢様の負け、でございますね」

「う、う──うきゃあーッ! もおーッ!」

「申し訳ありません、ミナト様。お嬢様の慎ましやかなおつむがパンクいたしました」

「いつものことだな」

「聞こえてますわよッ!」

 二人と会話を交わしながら、俺の頭にあったのは、今朝の露草の言葉だった。

 抱きしめられたことは別にいい。

 あれくらいのスキンシップなら、あんこと飽きるほどしている。

 八尺が愁いを帯びた表情で物思いにふけっていたが、露草を意識するきっかけになるかもしれないので放置しておいた。

「──助けられない、か」

 どういう意味なのだろう。

 昨日、俺は露草に助けられた。

 露草が植木鉢を蹴り飛ばしていなければ、下手をすると死んでいたかもしれない。

 あまり実感はないのだが、事実だ。

 合わせて考えると、露草は、今後俺の危機に対応できない──ということになる。

 しかし、わざわざ言うことだろうか。

 露草と一緒にいることは多いが、いつもというわけではない。

 昨日のように助けてもらえる状況のほうが少ないはずだ。

「ちょっとミナト! どこまで行くんですのよ!」

 気づけば、いつも仲間内で使用している元二年八組の空き教室を通り過ぎるところだった。

「ああ、すまん。考え事をしていた」

「なんだか今日は、みんな考え事をしてるんですのね。考え事の日なのかしら」

「お嬢様も、もうすこし頭をお使いになったほうがよろしいかと」

「じゃんじゃんばりばり使ってますわよ!」

 お嬢と大吉のコントのような会話を尻目に、教室の扉を開く。


 ──ヒュンッ


 妙な手ごたえがあった。

 そして、首のあたりに違和感を覚えた。

 まるで喉を詰まらせたときのような、強烈な異物感。

 なんだこれ。

 あれ、声が出ない。

「──カ、ぁあ、ぎ……」

 痛い。

 痛い、

 痛い!

 俺は膝をつき、喉を押さえた。

 喉から何か細いものが生えていた。

 違う。刺さっている。

 なんだこれは。

 なんなんだ、これは!


「────────────────ッ!」


 お嬢が悲鳴を上げた。

 痙攣する俺の腕を押さえているのは大吉だろうか。

 だんだん、

 すべてが遠く、


 遠く、



 遠──……







▼ Continued...

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