04-八月二十九日(月)

「これで心残りはありませんわ。この宝石たちを、売却いたしましょう!」

 お嬢はすがすがしい表情を浮かべてそう言った。

 吹っ切ったのだ。

 強い。

 お嬢は俺たちのなかで、たぶん誰よりも強い。

 打たれ弱いとか、実はけっこう泣き虫であるとか、そんなことは関係ない。

 絶望もする。

 失敗もする。

 弱みも見せる。

 けれど、それはお嬢の強さになんの翳りも与えられない。

 お嬢の強さは、倒れない強さではない。

 倒れても、立ち上がる強さだから。

「──おこころのままに」

 大吉が、丁寧な手つきで宝石を片付ける。

 宝石箱の鍵がカチリと閉まるのを見計らって、お嬢が高々と宣言した。

「それでは参りましょう──ハードオフへ!」

「おい待て」

 お嬢の口から飛び出した単語のあまりの突飛さに、思わず突っ込みを入れてしまう。

「そうですよ、お嬢様」

 言ってやれ大吉。

「日用雑貨は、オフハウスです」

「お前もかい!」

 こんな状況で冗談もないだろう。こいつらは本気だ。

 元お嬢様で世間知らずだからといって、これはさすがに危なっかしすぎるぞ。

「……頼むから、ハードオフにもオフハウスにも行かないでくれ」

「どうしてですの? なかなか便利なところですのよ?」

「店員が困るからだよ。というか狸小路氏の知人に宝石商とかいないのか? 最低限、宝石鑑定士の資格を持った人に見せないと、二束三文で買い叩かれるぞ」

「とうさまは──とうさまには、知られたくないんですの。わたくしの思い出をお金に換えるなんて言ったら、きっと反対なされますから」

「そう、か……」

 強いられたのではなく、自分で売ると決めたのか。

「──わかった。協力しよう」

「えっ」

「こんなときのためのスマートフォンだ」

 携帯を取り出して、にやりと笑ってみせた。



 リサイクルショップではない本格的な宝石買取店は意外と少なかった。

 いくつかそれらしいところをピックアップして電話を掛け、宝石の詳細を説明すると、反応はどれも同じだった。

「一度お持ちいただけないことには、なんとも申し上げられません」

 それはそうだろう。

 何故なら、お嬢が来歴を話した宝石のなかに、素人目にも明らかに規格外とわかるほど大粒のダイヤモンドが混じっていたからだ。

 かつて女系であった狸小路家の当主に代々伝えられてきたお守りのようなものであるらしい。

 お嬢はネックレスのほうに思い入れがあるようだが、売却額はこちらが上だろう。

 ダイヤモンドの価格は重さの二乗に比例すると言われる。

 一カラットのダイヤモンド裸石を、安めに見積もって五十万円としよう。

 すると、二カラットでは二×二×五十で二〇〇万円。

 三カラットは三×三×五十で四五〇万円。

 四カラットは、四×四×五十で八〇〇万円。

 五カラットでは五×五×五十で一二五〇万円にもなる。

 正直なところ、この先は、計算するのも恐ろしい。

「──白石区に一軒、大きな宝石買取店があるみたいだ。いちおう注意しておくが、即決では売るなよ。査定は、何軒かに頼んで、いちばん高いところに売るのが定石だ。あと、大吉が運転免許を持ってるからって、未成年がそれだけの取り引きをするのは不可能だからな。狸小路氏を連れて行かないと、最悪、通報される恐れもある。よく話し合ってから売却するのがいいと、俺は思うよ」

「え、ええ……お店が運転免許でとうさまが通報でお金がたくさん……」

「お嬢様は宝石が予想以上に高く売れそうなことで混乱なさっている最中でございます。ミナト様のご忠言は私がしっかりと覚えておりますので、安心なさってください」

「ああ、頼んだ」

 大吉は、抜けているところもあるが、料理以外は完璧な執事だ。問題ないだろう。

 安く見積もって、数千万円。

 これは大金だ。

 桃鉄でだって物件が買えるほどだ。

 狸小路家の再興は無理でも、中流家庭くらいにはなれる。

 狭いアパートから引っ越すこともできるだろう。

 月の小遣いが二千円であるお嬢にとって、それがどれだけ目の回る事実か、想像することしかできない。

 微笑を浮かべながらカバンを引っ掴むと、俺は二人に背を向けた。

「んじゃ、また明日な。いい話を期待している」

 そうして教室の扉を開いたとき、

「──ミナトッ!」

 お嬢に呼び止められた。

「ありがとう、ですわ。今日のことだけじゃなくて、いろんなこと」

「礼は──」

「礼はいらない。そうですよね、ミナト様」

 大吉に台詞を取られて、苦笑する。

「……ああ。いつだって助けてやる。だから、いつでも俺を助けてくれ」

「あ、あったりまえですわ! この狸小路家の一粒種! 狸小路綾花! いつだってミナトの味方、ですから! だから──」

 お嬢が不意に見せた穏やかな瞳に、吸い込まれそうになる。

「だから……お金が入ったら、ごはんくらいおごらせてほしいよ」

 そうか。

 そうだな。

「それじゃあ、回らない寿司で頼む」

「──うん!」

 藍色に没しかけた教室のなかで、お嬢の笑顔だけが眩しかった。




 自室で布団に寝転がりながら、蛍光灯を見上げる。

 さて、勝負の時間だ。

 現状で確定的なのは〈昨日、天ヶ瀬星羅はH大附属図書館にいた〉という一点のみ。

 根拠は、〈タイムマシン〉というキーワードを天ヶ瀬が口にしたこと。

 そして、手紙に対し、


『これは昨日、H大附属図書館に暴走自動車が突っ込む、その前に君の手に渡ったものだ!』


 と発言したことである。

 この発言の時点で俺は、H大附属図書館にいたことも、そこで手紙を入手したことも口にしていない。

 与えていない情報を知っていた。

 それは、知る機会があったことに他ならない。

 天ヶ瀬は、昨日、H大附属図書館にいた。

 これを事実とし、天ヶ瀬の発言を糸口にして、推測を重ねていく。

 天ヶ瀬と交わした会話を。

 天ヶ瀬の口にした言葉を。

 深く、深く、思い出していく。


『同志くたんじまはタイムマシンに興味あんねやろ!?』


 ふと、この発言が気にかかった。

 天ヶ瀬は、何故、俺がタイムマシンに興味があると思ったのか。

 現時点では、天ヶ瀬の講釈によりいささかの興味を覚えているが、昨日まではさほどでもなかった。

 たまたま〈タイムマシンは作れますか?〉というタイトルに惹かれ──

「あっ」

 思い出した。

 俺は、あのとき、読み上げたはずだ。


『タイムマシンは、作れますか──か』


 独り言を呟くのは悪い癖だが、なかなか矯正することができない。

 けれどそのおかげで推理が進んだことも確かだ。

 つまり、天ヶ瀬は俺の独り言を聞いて、タイムマシンに興味があるのだと誤解した。

 天ヶ瀬は、悪魔オタクでありながら、タイムマシンマニアでもある。

 同好の士が近くにいれば、顔くらい確認しても不自然ではない。

 あの自己紹介のときに天ヶ瀬と目が合ったのは、偶然ではなかったのだろう。

 天ヶ瀬は、今朝の時点で、俺のことを一方的に見知っていたのだ。

 まとめよう。

 昨日、天ヶ瀬はH大附属図書館にいた。

 俺が〈タイムマシンは作れますか?〉を手に取ったとき、四階の宇宙科学の区画にいた。

 その時点で俺と天ヶ瀬は完全な他人であり、天ヶ瀬と俺を結ぶものは〈タイムマシン〉という単語のみである。

 一部始終を覗き見する理由としては弱いから、たまたま通りがかった際に俺の独り言を耳にしたのだと思う。

 天ヶ瀬は「手紙についての知識を隠している」と言った。

 これが真実であるならば、天ヶ瀬は、あらかじめ手紙の存在を知っていなくてはならない。

 本を見つけ、取り出し、パラパラとめくって、手紙が落ちる。

 本を見つけた時点で俺はタイトルを呟き、手紙が落ちた時点でその存在が判明する。

 その間を約一分弱として、天ヶ瀬はこの過程をすべて観察していたのだろうか。

 していたのだろう。

 そうでなくては道理が通らない。

 天ヶ瀬は、何を見たと言うのか。

 中身を読める立場にあった以上、手紙に対する情報量は俺のほうが多いはずだ。

 実際、天ヶ瀬は、手紙を渡した際、その中身を初めて読んだかのように振る舞っていた。

 わからない。

 ただ、ひとつだけ、否定しきれない仮説がある。

 天ヶ瀬との会話で自然に淘汰されていった可能性。

 考えにくいが、絶対にそうでないとも言い切れない。

 だから明日、本人に確認してみよう。

 ヒントを乞うだけなら解答に当たるまい。

 解答権は一度のみ。

 熟考に熟考を重ねて答えを出すべきだ。

 そんなことを思いながら、俺は電灯を消した。

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