第20話 約束


 葵は未だかつてないほど早足で坂を登っていく。足にも着物にも、泥や小さな木葉が跳ねて付くが、気にしてなどいられなかった。とにもかくにもまずは霞の状態を確認せねば安心できない、その一心だった。


ようよう坂を上り終えると、神木に東岩が寄り掛かっているのが見える。手持ち無沙汰なようで、ぼんやり足元を見つめていた。


「と、東岩さん、霞ちゃんは——。」

「・・・・・・こっちにはいない、いないんだよ、葵さん。」

「そんな・・・・・・! 」


霞がいないという事実に、頭を殴られたかのようなショックを受ける。なんで、造園屋さんも栄養剤を刺してくれたし、宮司さんも、東岩さん自身だってこれで大丈夫と言ってくれたはずなのに。なんで。疑問が頭の中をぐらぐらと揺らし、思いがけず足元がふらつく——。


すると次の瞬間、気が付くと葵は木葉に顔を埋めて倒れ伏していた。

・・・・・・あれ? たしかに足元がふらつく感じはあったけれど、ここまでだったかしら? 等と考えていると、


「ごっ、ごめんなさい! 」

「霞ちゃん、勢い良すぎだよ! 立てるかい? 」


といった言葉が降って来る。半ば呆然としながら顔をあげると、そこには心配そうに覗き込んでいる東岩と——腕をぐいぐいと引っ張って、一生懸命に起こそうとしている霞がいた。


「…………。」

「葵さん? どこか調子でも悪い? 」

「あおいさん? だいじょうぶ? 」


「貴方方、ちょっとそこにお座りなさい。」

「「はい‼ 」」


それからは滔々と二人纏めて教育の時間だった。人が真面目に心配しているのにからかってはいけません、人に体当たりしてはいけません、時と場合を考えなさい、等々。日が燦燦と照る時刻になるまで、教育と言う名の説教は続いた。


                 〇


「二人とも、反省しましたか。」

「はい……すみませんでした。」

「ぐずっ、はい……ごめんなさい……。」


霞はすんすんと鼻を鳴らしている。まあ、きっと彼女もちょっとした悪戯心でやってしまったのだろう……と推測し、葵はしかと霞を抱きしめた。


「? どうしたの? 」

「……もう、こんなことしないでね。心配したんだから。」


今のあなたは姿をとったばかりで不安定で、何があってもおかしくないのよ、と話して聞かせる。——本当に、何もなくて良かった。ついに育てず、消えてしまったのかと思った。

そんな想いを感じ取ったのか、葵の泥と木の葉にまみれた着物をぎゅう、と握りしめて霞は


「ごめんなさい、ごめんなさい……ねえさま、ごめんなさい。もうしない。」

と呟いた。


「え? 姉様? 」

「姉様……って葵さんのことかい? 」


訊ねられた本人である霞はきょとんとしつつも頷く。まるで、何かおかしいこと言ったのかな? くらいの軽さである。


「だって、一緒にいると安心できて、仲良しなの、年上が姉様で下が妹、なんでしょ? 」


こてん、とそう首を傾げられたらもうたまらない。葵は陥落した。


「私と一緒にいると、霞ちゃんは安心していられるの? 」

「うん。」

「…………。」

「葵さん、神社に小川流し込もうと思ってる? 」

「あ、バレましたか。」

「もちろんですとも。ちなみに、地下は水道やらなんやら通っていてなかなか掘り出せませんよ。」

「そうなの……がっかりだわ……。」

「小川ほしいなー……。」

「霞ちゃんまでそう言ってもだめ。」


東岩は二対一で多勢に無勢ではあるが、頑として譲らなかった。しかし二人はごね続けている。……ここはもう宮司を呼んでくるしかあるまい。

そう思った時、噂をすればなんとやら。足元の木の葉を踏みしめながら、宮司が様子を見にやってきた。


「おお、神木の。よかった、よかった! 無事戻ったか。」

「……はぁ……。」

「宮司さん、ここの木々の間に小川を引いてくることはできませんかね? 」

「とっ、東岩さん! 」


何気なしに宮司に話を持ち込んだ東岩に、葵が声を上げる。東岩は反対していたのではなかったか。するとふぅむ、としばし考えこんだ後、


「……難しいですなぁ。」

と、ぽつり答えた。


「ほほう、その心は。」

「ここへ小川を、となるとどう水路をとったとしても、水道管、排水管、木の根等に突っかかる。木の根を傷つけるのは本末転倒というもの。然して、そう簡単にできるものではない。」

「なるほど。ありがとう。」


一通り質問に答えてから宮司は戻っていった。その間、霞はずっと葵の腰元、後ろに隠れていたのだけれど。


「ほら、霞ちゃん。宮司さんもう行ってしまったよ。」

「はぁい……。」

「霞ちゃん、宮司さんが苦手? 」


そう訊ねると、小さな頭が上下に揺れた。彼女の手は未だ葵の衣を握ったままで、全く放そうとしない。


「……なんで苦手なの? 」

「……あの人、いつも戸惑ってるから。だから私も、どうしたらいいかわかんない。」

「宮司さんはまさか自分の代に新しい九十九が二人も現れるとは思ってなかったみたいだからね。余計に距離感がわからないんだろう。」

「そうだったんですか……。」


漸く顔をあげて手も放した霞だったが、今なお葵の近くから離れようとしないでいる。それに少しばかり苦笑して、東岩は


「参ったなぁ。一緒にいる時間は僕の方が長いはずなのに。いいなぁ。」

と零した。


「姉様は姉様、私好き。」

「霞ちゃん……! 私も好きよ。」


じゃあ、と二人で指切りをする。お互い、また姿の見えなくなるような無茶はせずに過ごそう。そしていつまでも一緒に居よう、と。


眩く暖かな木漏れ日が絡んだ指を照らしだした。

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十科の杜にて少女は笑う~十科神社騒動記 ~ 東屋猫人(元:附木) @huki442

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