第19話 行方不明
葵が二人に出会ってから数週間が過ぎた。こうして日付を数えるのも二人に出会ってからの大きな変化の一つである。それまでは漫然と日々をあの川で過ごしていたので、ぼんやりと四季を感じていたくらいのものだった。
「普段」のように神社境内へと足を踏み入れる。もうすぐ秋を迎えるこの時節、神社の杜も色づき始めていた。
「東岩さん、おはようございます。」
「ああ、葵さん、おはよう。ここに来るまでに霞ちゃん見ませんでした? 」
「霞ちゃんですか? まだ会ってないですが・・・・・・。」
何があったんですか、と東岩に問う。いつも落ち着いていて飄飄としている彼らしくなく、焦っている様子がありありと見て取れる。
「霞ちゃんがいないんだよ。全く気配を感じない。」
「霞ちゃん、いつからいないんですか。」
「昨日、葵さんが戻ってすぐに、眠たいって言っていつもよりずっと早い時間に神木に帰って行ったんだ。それなのに、いつもなら元気に出てきているこの時間になっても姿を現さない。何かあったのかも・・・・・・。」
「と、東岩さん、落ち着いて。杜をもう一度見回ってみましょう? 」
そういって葵は東岩の手を引いて杜へ入っていく。そこには早くも散歩やお参りに来た人々こそいたものの、あの幼子の姿は見えない。
辛抱たまらず、「霞ちゃん、どこ? 」などと杜に向けて声を投げかけてみるも、反応はない。とうとう葵まで不安に駆られ、思考がぐるぐると空回りする感覚に陥ってゆく。
「霞ちゃん! 」
「どこだい、霞ちゃんー! 」
そうして何度も何度も呼ばわったが、何も手掛かりのないままに日が高くなってきた。とうとう途方に暮れはじめたその時、宮司が
「何かあったのか、」
とばたばた駆け寄って来るのが見えた。一瞬見慣れない九十九に怪訝そうな顔をしていたが、説明どころではない。
「霞ちゃんが現れないんです。神木に何かあったのかも。何か知りませんか。」
「神木に・・・・・・? 」
ふむ、と宮司は考え込みはじめた。奇しくもその神木、その眼前で落ち合ったので全員で何もないかと改めはじめる。
「ふむ、こちらには特に何もないな・・・・・・。そちらはどうだ、大岩よ。」
「こちらも何も。葵さん、そっちはどう? 」
「こちらも特に、異変はありません。」
「あおい・・・・・・。もしかして、裏手の川の九十九であらせられるか。」
「はい。済みませんが、お邪魔しております。」
「霞ちゃんは葵さんに良く懐いているんです。葵さんがここに来ると、喜んで抱き着きに来なかったことがないくらい。」
その言葉を受けて、霞ちゃんに名前をあげたときの事を思い出す。悪戯をするように背後から抱き着いてきた幼い子。ちいさな手のひらに、さらさらの髪の毛。愛おしい頬。
——なんとしてでも、見つけださないと。葵はその想いを一層強くした。
「ううん、これだけ三人で調べても何もないともなれば、餅は餅屋だ。造園家を呼んで、見てもらうしかないかな・・・・・・。」
「その、ぞうえんかさんなら何かわかるのですか? 」
葵は始めて聞くその名前に、疑問符が浮かんだ。『ぞうえんか』とは、珍しい名字である。その様子を見て、東岩は「あははっ」と軽く笑い声をあげた。
「? 東岩さん、どうしたんです? 」
「いやぁ、最初はそうだよなぁ、と思ってしまって。すみません。」
「『造園家』というのは、木々の手入れなどを主とする園芸専門の業者ですよ。我々素人が見るより、専門職に見てもらった方が良いでしょう。早速、呼んできます。」
そういうや否や、宮司は早足で社務所に戻って行った。その後ろ姿を見つめながら、葵はぽつりとこぼす。
「・・・・・・世の中には、沢山の言葉があるんですね。」
「そうですね。・・・・・・笑っちゃってすみませんでした。」
「いえ・・・・・・。」
もっと世俗のことを知らねばならない、と悔しさとも恥ずかしさとも取れない複雑な感情が葵の中で渦巻いていた。
○
「ん——? このご神木、なにも変なところはないですが……ちょっぴり元気がないですねぇ。ここのところ、曇りが多かったというのも大きな要因でしょうな。」
「そうでしたか・・・・・・。」
造園屋さんは、依頼の木が神木というのもありすぐに飛んで来てくれた。
しかしやはりと言ってはなんだがさして大きな病気や傷などは見当たらなかったようだ。造園家さんはとりあえずと言って栄養剤を刺していった。これでまだ元気がないようでしたらお呼びつけください、と言って帰って行く。その後ろ姿を見送りながら、本当にこれで霞ちゃんは大丈夫なんだろうか、という一抹の不安を拭い切れずにいた。
「大丈夫だよ、葵さん。」
「え・・・・・・? 」
「あの人は、いつもこの杜の面倒を見てくれているんだ。一番ここの木々のことを知っているんだよ。・・・・・・もしかしたら霞ちゃん自身よりも、かもね。」
東岩は夕暮れにその相貌を照らされながら自信たっぷりに言う。
「だから霞ちゃんは大丈夫。きっと明日になったら元気になって帰ってくるよ。」
○
翌日の朝。葵は不安な気持ちを抱えたまま、境内に足を踏み入れる。よっぽどこの杜に詳しい東岩や造園家さんが大丈夫というのだから信じたい気持ちが強いのだが、いかんせんあの幼子の姿を認めるまでは安心できない。——我々は実態を持たない。ふっと煙のように消えてしまってもおかしくない。
いや、こんな弱気になっていてはだめだと陰気な考えを振り払う。きっと、きっと霞ちゃんはいるはずだ。東岩さんと、宮司さんと。この坂を上りきったらきっと——。
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